30 百人一首をアレンジ8 81「夕さればかどたのいなばおとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く」
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今日も、風が吹いている。
風の音を聞いていると、空の声を聞いているような気持ちになる。
アルバンはカタカタと音を立てていた窓を開けた。一気に風が入ってくる。
「うわ、熱っ」
窓枠の一部に使われていた鉄に触れてしまったアルバンは、思わず悲鳴のような声を上げた。
「夏だけどさ、いくら何でも暑すぎじゃない?」
放置したら火傷になりそうだと氷を取りにキッチンに向かいながら、アルバンはぼやいた。
今年の夏は、例年になく暑い。この辺りは元々乾燥気味なのだが、外を歩くだけで体から水分が蒸発してしまい、知らぬ間に体調を崩して倒れる人が今年は特に多い。
さすがにこの暑さでは昼間に畑仕事をするような村人は誰もおらず、元気が有り余っている子どもたちでさえ、昼間の暑い時間帯は家の中にいて、大人と一緒に昼寝をしている。そして、、夕日の時間帯と早朝の時間帯に短期集中で農作業をし、畑の農作物が枯れぬよう、気を配っていた。
氷を手に当てながら、アルバンはオレンジ色になりはじめた空を窓から見た。まだまだ気温は下がりそうにない。
「今日はマーヤと遊びに行く予定だったけれど、これじゃあ、またマーヤがまだ暑いって嫌がるかな」
マーヤは近所の幼なじみだ。気心知れたマーヤはアルバンにとって、妙齢になった今でも性別を超えた友人だ。
「あれ、マーヤと遊びに行く約束をしていたのかい?」
「隣町では夏の間、毎日夜市が立つだろう? 男と夜に出かけるのは許さないってマーヤの所のおじさんとおばさんが言っているんだって。俺なら安心だから、俺が一緒に行くなら行ってもいいって言われているらしくてさ。頼まれたんだ」
「アルバンは男扱いされていないからねえ」
「ま、男だとか女だとか、そんなことを気にしなくてもいい幼なじみがいるって言うのもいいんじゃない? マーヤに彼氏ができればそいつにお任せするが、まあ、俺はボディガードみたいなもんだな」」
「あんた、本当にお人好しだね」
「のんびりしたこんな村で人を騙しても、自分が行きづらくなるだけだからね」
「そりゃそうだ」
母親との気の置けない会話が終わる頃には、氷も溶けていた。どうやら火傷にならずにすみそうだ。
「一応、お伺いを立ててみる。もしマーヤが行くって言ったら、そのまま出かけるよ」
「分かった。明かりは持っていくんだよ」
「はーい」
アルバンは寝間着代わりのハーフパンツからスラックスに履き替えると、家を出た。母親に言われたとおり、念のためランプを持った。もしマーヤが行かないとだだをこねたら、一人で山の上にでも行って、星を見るのもいいかもしれないとアルバンは思った。
「こんちは~、アルバンです!」
「ああ、アルバン、いらっしゃい。マーヤのお迎えかい?」
「そうだけど、マーヤは今日行くのかな?」
「この間は悪かったねえ、髪型が決まらないからってへそを曲げちまって」
「マーヤらしいよね」
「アルバンは、本当にいい奴だよ。マーヤのこと、ちゃんと理解してくれる。こういう男がマーヤをもらってくれると、あたしたちも安心なんだけどねえ」
マーヤの母親の言葉に、アルバンは突然心臓が大きくドキン! と音を立てたのを感じた。
「お、おばさん、何言っているんだよ!」
「はは、アルバンにもその気はなしか。そろそろマーヤも嫁入りを考えないといけない年になったからねえ、この村の中で嫁いでくれれば、何かあってもあたしたちが元気な内はすぐに助けられる。でも、隣町に行っちまったら、簡単には助けにいてやれないだろう? だから、誰かマーヤをもらってくれる人がいないかなって思っていたのさ。アルバンにその気がないって分かっているから、安心して隣町の夜市に行かせられる。面倒を掛けて悪いが、頼むよ」
「いつものことさ」
マーヤの母親がマーヤを呼びに行った。
おばさん、いきなり何を言い出すかと思ったら、マーヤを俺の嫁にって……どういうことだよ?
「お待たせ、行こ!」
今日は機嫌がよかったマーヤが姿を現したとき、アルバンは一瞬にして自分の顔が赤くなったのに気づいた。
「あれ、アルバン、顔が赤いよ? どうかした?」
「いやいや、何でもないさ。今日も暑かったね」
「夜市じゃないと、外になんていけないのに、父さんも母さんもアルバンと一緒じゃなきゃだめって、ひどいよね」
「まあ、夜市はナンパ目的の奴らもいるから、マーヤを心配してくれているんだよ」
「ナンパ、1回くらいされてもいいけどね」
「おいおい、俺がおじさんとおばさんに叱られるから止めてくれよ」
「そうだね、アルバンが叱られるのはかわいそう」
隣町への道すがらい、いつものように話ができたことに、アルバンはほっとしていた。マーヤの母親のせいで、マーヤを変に意識してしまっている自分に気づいたが、どうしたらいいのか分からなかった。だから、いつも通り話せたことで、アルバンは自分が落ち着いてきた、よかった、と思った。
隣町の夜市は、星が見えるようになってから始まる。ランプを付けた店が一件でもあれば、夜市の始まりだ。
「アルバン、見て! あそこに雑貨屋がある!」
「あ~、マーヤが好きそうなものがたくさんあるな」
「行こう!」
アルバンの手を掴んで、マーヤが走り出す。まるで子ども時代に戻ったように、二人でわいわいと店を覗き、気に入った物の値段交渉をし、成立したら購入する。マーヤは普段使いできそうにないリボンやレースをいくつかかって、ほくほく顔だ。
「アルバンは買わないの?」
「俺は食い気の方が勝っているからな」
「そういうことか!」
二人は飲食を扱う屋台の方に向かった。いい匂いがわずかな夜風に乗って、二人の鼻の先に漂ってくる。
「串焼き!」
「いいね!」
肉の串焼きは、農家の二人にとってはごちそうだ。持ってきたお小遣いをはたいて串焼きを2本買うと、アルバンは一本をマーヤに渡した。
「え、いいの?」
「俺だけ食べたら、マーヤが拗ねる」
「言えてる! さすがアルバン、私のことをよくお分かりで!」
二人でベンチに座ってハフハフと串焼きを食べた。いつも通り、最上級の美味だ。
「この町の人は、みんな串焼きが特別なものではないんだな」
「え、どうして?」
「みんな、買うときに特別だって顔をしていないだろう?」
「本当だ」
二人は行き交う町の人々を見た。着ているものだっって、明らかに二人のものより質がいい。
「町の人って、金持ちなんだな」
「そうだね。私もどうせ結婚するなら、お金の心配をしなくてもいいような家に嫁ぎたいな」
「他には?」
「え?」
「他に条件とか、希望とかないの?」
「そうだね~、顔はいい方がいいし、怒ってばっかりの人よりは笑顔の人の方がいい。優しい人がいいな。あ、ケチはいやだな。農家の私を馬鹿にしない人? 私より背が高い方がいいなあ。あ、お舅さんとお姑さんが優しい家がいいよね。それに……」
「条件多過ぎないか?」
「そう? でも、きっと、女の人はみんなそう思うんじゃないかな」
「つまり、結婚は妥協の結果ってこと?」
「そういう人もいるだろうね。それに、理想の旦那様に出会えたとしてもそれが真実の姿とは限らない」
「え?」
「ほら、外面はいいけれど、家の中では坊領を振るうとか、そういう人に捕まったら、人生墓場だと思わない?」
「裏表があるのは、商人にとっては必須だろう?」
「私たちみたいな農家には不必要だからさ、騙されることもあるよね」
「気を付けろよ、マーヤ」
「はーい」
串焼きを食べ終えたアルバンは、マーヤから串を受け取るとゴミ箱に捨てに行った。そしてベンチに戻ろうとしたとき、アルバンの耳にマーヤの「何するのよ!」という大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
しまった。絡まれたか?
慌てて走ったアルバンが見たのは、毛を逆立てた猫のようにして若い男数人とにらみ合うマーヤと、その足下にうずくまる男だった。
「何をしている!」
「おい、まずいぞ、逃げろ!」
若い男のグループはアルバンを見ると慌てて立ち去った。
「マーヤ、どうした!」
「この人がね、財布をすられそうになっているのが見えたから、あいつらに何するのよって行ってやったら、この人、驚いて転んじゃうし、奴らはあたしたちを囲もうとするし、もうびっくりした」
次いでマーヤは、「ねえ、大丈夫?」と、うずくまったままの男に声を掛けた。
「え、あ、大丈夫、です」
気弱そうな声のその男は、放心しているようだ。
「あ~。このまま帰すと、またあいつらに狙われそうだな」
「そうだね。家まで送ろうか」
「なあ、家まで送るから、案内して」
「す、すみません。あの、怖くて腰が抜けてしまって……」
「「ええ?!」」
アルバンはマーヤと顔を見合わせた。そして、マーヤの「お願い」という言葉をその表情から読み取ったアルバンは、男をおんぶした。
「本当に、申し訳ない」
「いいよ、財布掏られなくてよかったね」
「助かりました」
男に言われた通りに進んだ先には、大きな商家があった。まだ仕事をしているのだろうか、明かりが見える。
扉をノックすると、立派なひげを生やした、見るからに裕福そうな中年男性が出てきた。
「オイゲン! どうしたんだ!」
「いつもの奴らに金を取られそうになった所を、こちらのお嬢さんに助けてもらいました。追い払って売れてほっとしたら腰が抜けてしまって、お嬢さんの連れの方が僕をおんぶしてここまで連れてきてくれたんです。お父さんからもお礼をしてもらえませんか」
「ああ、息子を助けてくれてありがとう!」
請われるがままにオイゲンという名だと知った若い男を本人の部屋に連れていくと、使用人とおぼしきヲトヲが後はお任せを、といってアルバンを部屋から出した。アルバンが玄関に戻ると、マーヤとオイゲンの父が楽しそうに話していた。
「そうかそうか、それでマーヤさんが啖呵を切ってくれたと」
「そうなんです! でも、私だけでは無理でした。アルバンが来てくれたことで、あいつら逃げて行ったんですよ」
「オイゲンは優しすぎて、あいつらのカモになってしまってなあ、一人で外に出ないようにしていたんだが、どうしても夜市に行きたいとこっそり抜け出したんだよ。まったく、マーヤさんとお連れの方が助けてくれなかったら、今頃路上でボコボコにされていたかも知れない。本当にありがとう」
「いえいえ、うちの村では、助け合えることは助け合うのが決まりなので」
「そうた。いい村だな」
「はい! とってもいいところです!」
アルバンはなぜか胸騒ぎがしたが、遅くなっていたこともあり、帰ろうとマーヤに声を掛けた。
「お礼は、いずれ」
「いいんですよ、助け合いですから!」
村への帰り道、上機嫌なマーヤと、胸のつかえが取れないアルバンは、ちぐはぐな感じだった。マーヤが一人でしゃべり倒し、アルバンはただ「うん」とか「ああ」なんていうふうに相づちを打つばかりだった。
マーヤを送り届け、一人家路を急いだ。夜風に湿気を感じ、わずかに肌寒ささえ感じる。
「マーヤって、あんなに初対面の人と話せる人だったのかな」
アルバンの声は、夜風と一緒に風下に流れていくばかりだ。
その日以来、何となくアルバンはマーヤに会いづらくて、マーヤの家に顔を出さなかった。マーヤの方から遊びに来ることもなかった。二人が顔をこんなにも合わせなかったのは、生まれてから初めてのことだった。
ようやく昼間の暑さがピークを越えた頃。
ある日の夕方、アルバンが農作業を終えて家に帰ると、母親が興奮した様子でまくし立てた。
「アルバン、マーヤの結婚が決まったって! 何か聞いていなかったのかい?」
「マーヤが、結婚?」
「そうだよ。隣町の大きな商家の跡継ぎのお坊ちゃんに見初められて、お父様にも気に入られたとかでさ。頼りない息子にはこのくらい気が強い方がいいって、あれ、アルバン?」
アルバンはそのまま家から走り出した。そして、畑に戻った。春蒔きの小麦が穂を出し始め、風に揺れてさわさわという音を立てている。その風の音は、確かに、夏の風の音ではないと思った。ぶわりと吹き付けるあの熱い風ではなく、どことなく肌寒さを感じさせる風。夜市に行ったあの夜、一人で星を見上げながら感じた風が、夕方にも吹くようになったということは……秋が、近づいているのだ。昼間の暑さにまだ夏の気分が抜けないが、風の音からは確かに秋の気配を感じたのだ。
アルバンがマーヤへの恋を自覚して、たった二週間。アルバンの恋は、終わった。
アルバンは、思わず口ずさんだ。
夕方になると、家の前にある畑の小麦の葉がさわさわと音を立てる。作業小屋のそまつな小屋に秋風が吹いて訪れたよ。
そして、俺の恋心も、風に吹かれてどこかへ迷子になってしまったな。
読んでくださってありがとうございました。
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