27 百人一首をアレンジ5 41番「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか」
読みに来てくださってありがとうございます。
やはり予約投稿できないので、火曜日中には必ず投稿するということでご承知おきください。
今日は41番です。
よろしくお願いいたします。
人は恋をしようと思ってするのではない。落ちているものなのだ。
そんな話を聞いたことはないだろうか。
文化によって恋の落ち方に多少の違いはあるようだが、気づいた時にはもう重症、というのが恋というものなのだろう。
アルバンは決して浮ついた男ではない。どちらかというと奥手で、寡黙で、だが真面目で、一途な男だった。恋人がいたこともあるが、指先が触れただけでドギマギして顔が赤くする余りにも初心なアルバンに、女性の方が呆れて去ってしまうことが二度続いた結果、アルバンは恋人を持ちたいとは思わなくなってしまった。
親はもちろん何とかアルバンを結婚させようと躍起になってあそこの長女が、そこの次女がと釣書を持ってきたが、案はどうしても首を縦には振らなかった。
「好きでもない人と一緒に暮らしたって、息が詰まるだけです。恋人になってくれたって、僕のことを理解してくれる人ばかりじゃない。呆れて去られるくらいなら、一人心穏やかに暮らした方がいいんです」
奥手なせいで深く傷ついてしまったアルバンの心から血はドクドクと流れ続け、なかなか癒えないでいる。母親などは心をひどく痛め、アルバンがどうしても結婚したいと思える人が現れるまではそっとしておいてやりましょう、と父親を説得してくれた。
おかげで、アルバンは最近、ここ数年で一番心穏やかに過ごせている。
その日は、アルバンの母親の誕生日だった。母親が「結婚しろ」「孫はまだか」とうるさい家もある中で、アルバンの母親はただ静かに見守ってくれている。それがアルバンには本当にうれしかった。
だからアルバンは母親に感謝を伝える花束を贈ろうと考え、いつもは行かない花市場に向かった。
花屋は近くにもあるが、花市場は近くの花屋では扱っていないような、少し値の張る花や珍しい花を扱う店がある。観葉植物を扱う店、緑の葉の物だけを扱う店など、それぞれに特徴がある。独自色をだすということは、それだけでも強みになるのだな、などと考えながらアルバンは花市場を一周した。
そして、意を決してある店に入った。ガーベラの専門店だ。
「いらっしゃいませ」
店の中では5人ほどのスタッフが、花束を作ったり、花を何本かにまとめていたりと忙しそうに働いていた。
「花束を作っていただきたいのですが」
「贈る相手と目的を教えていただけますか?」
「母親に、誕生日のプレゼントとして、感謝を伝えたくて」
「ああ、それでうちの店にいらしたのですね」
ピンクのガーベラには、「感謝」という意味がある。カーネーションとガーベラで最後まで迷ったのだが、毎年バラを贈る父親に遠慮して、全く違うタイプの花にしたのだ。
「できたらかすみ草を添えたいのですが」
「ああ、そうですね。近所に取りに行ってきますので、少しお待ちくださいね」
対応してくれた若い女性は、「かすみ草をいただいてきます!」と大きな声で奥に声を掛けると、たたたっと外に飛び出していった。アルバンは呆気にとられたが、慌てて後を追いかけた。かすみ草の量を伝えていないと気づいたからだ。
「あ、かすみ草の量を聞くの忘れた!」
目の前で先ほどの店員が大声を出した。
「でしょう? だから来ました」
「あ、お客様。私ったら、いつもそそっかしくて叱られるんです」
「一緒に行けば、その場で支払えますね」
「ああ、私ったらお金も持ってこなかったわ!」
困った、という表情をする割には、本当に困ったような声ではない。それがおかしくて、アルバンは思わずクスリと笑った。
「で、どこですか、かすみ草のお店は」
「ここで扱っているんです」
そこはアルバンも確認した、かすみ草の専門店だ。
かすみ草というと1種類しかないと思っていたが、花の大きさや枝の堅さなど、それ以前に宿根草か一年草かという大きな違いまであるそうだ。
この店ではそれだけではなく、花に色水を吸わせて水色や青、ピンク色や紫色など、様々な色のかすみ草を作って売っている。
「お客様、ピンクのガーベラに合わせるのであれば、やはり白いかすみ草の方が良さそうですね」
「そうだね。ガーベラの花は大きいから、かすみ草の花も大きめのタイプがいいと思うんです」
「花束ですよね? 大きな花瓶に生けますか?」
「いや、父が大きな花束を贈るので、大きな花瓶は占拠されるんです。小ぶりなブーケのようにできるといいのですが」
「では、こちらの品種がいいと思うわ」
それは花のサイズが大きめの、真っ白いタイプのかすみ草だった。
「いいですね。それを3本ほどいただいていきましょう」
「店主さん、こちらのかすみ草を3本お願いします!」
店主はどうせすぐに花束にするのだろうからそのまま持っていけと言った。代金は直接アルバンは払った。
二人で元の花屋に戻ると、店長が呆れた顔で待っていた。
「ガーベラは出しっぱなし、お金も持たずによその店に走って、お客様が一緒に行ってくださらなかったらどうするつもりだったんだい?」
「ごめんなさい」
「覚えられないって言うなら、他の店に行ってもらうよ」
「気を付けます」
店員はシュンとしていたが、店長が奥に戻るとアルバンの方を見てペロリと舌を出した。
「いちいち気にしていたら、やってられないわ! さあ、お母様のブーケを作りましょう!」
店員は手際よくかすみ草を切って下に敷いた。次にガーベラを重ならないように長さを変えながらその上に置くと、長さを決めてテキパキと切っていく。花を下の方で縛ってきれいな紙で包めば、美しいブーケのできあがりだ。
「ありがとう。きっと母が喜びます」
「お手伝いできてよかったわ」
そばかすだらけの店員の顔が、妙に可愛く見えた。アルバンは代金を払うと、そそくさと店を後にした。
その日の夕食の時、父が大きな赤いバラの花束を渡した後、アルバンもかすみ草とピンクのガーベラのブーケを渡した。
「ピンクのガーベラにかすみ草だなんて、アルバンも大人になったわね」
涙ぐんで喜んでくれた母親の顔と、花を包んでくれた店員の顔が並んで浮かんだ。
あれ、変だな、と思ったが、花束を作ってくれた店員のことを思いだしただけだと、その日は気にも留めなかった。
母親が思いのほかブーケというプレゼントを喜んでくれたことで、アルバンはそれ以来プレゼントにブーケを選ぶようになった。
「アルバンさん、いらっしゃい! 今日はどんな花が必要ですか?」
「こんにちは、マーヤさん。今日は取引先の奥様に退院祝としてお渡ししたいんだ」
「退院祝いね? 華やかな方なの?」
「豪華な物が好みだね。いつも大きな宝石を身につけているから」
「そうなの? じゃ、メインは花粉を取ったカサブランカがいいかしら? 行きましょ!」
何度もあの花屋に通うようになったアルバンは、話し方もくだけて、お互いに名前で呼び合えるほどに親しくなっていた。マーヤに頼んで選んでもらうブーケはいつも好評で、アルバンがブーケを贈るのは相手に喜ばれるからという理由でしかなかったのだが。
「カサブランカって、こんなに大きな花だったか?」
「知らなかった?」
「色もこんなにあるとは思わなかった」
「そうね、この仕事をしていなかったら、紫のカサブランカなんて見ることもなかったと思うわ」
マーヤがピンク色のカサブランカを手に取った。
「ピンクのカサブランカって、どういう意味?」
「富と繁栄。取り引き先の奥様にお渡しするなら、こういう物がいいかなって」
「確かに。ガーベラは何色ならいいかな?」
「無難に白8本」
「白?」
「白いガーベラは、ある意味万能だから。黄色でもいいんだけど、お友だち感覚よりも固い関係なら、白の方が無難かなって」
「へえ。で、8本っていうのは?」
「本数に意味があるの。他の本数だと、愛を伝えるものが多いのよね。でも今回贈る相手はアルバンの奥さんとか恋人さんではなく、取引先の奥様なのでしょう? ご主人に誤解されないよう、『あなたの思いやりに感謝している』という8本がいいのかなと思ったの」
「だから、うちの母親に渡すブーケの時も、ガーベラは8本だったのか」
「そういうこと」
ピンク色のカサブランカを2本買い取ると、あのかすみ草の店で白いかすみ草も買って元の店に戻った。
丁寧にカサブランカの花粉を取ると形よく並べ、かすみ草を間に挟み込んで空間を埋めていく。あっという間に優しい雰囲気のブーケができあがった。
「ありがとう」
代金を手渡しながらアルバンが言うと、マーヤはあのそばかすだらけの顔でいつものように微笑んだ。心臓がドキリとした。マーヤのことが可愛いと突然思った。
「いつかアルバンが108本の赤いバラを必要とする時が来たら、私、頑張ってお手伝いするから、バラの専門店には行かないでね」
「わかった」
そのまま商家に向かい、退院したばかりの奥様にブーケを手渡せば、奥様は「まあまあ!」と言いながら殊の外喜んでくれた。
「退院したと言っても、またいつ再発するか分からない病気でね。ここのところずっと塞ぎ込んでいたんだ。アルバン、ありがとう。おかげで妻の気が晴れたようだ」
「いえ、喜んでいただけたのならそれが何よりです」
「それにしても、アルバンがブーケを選ぶようになるとはなあ。大人になったな」
「いえ、母の誕生日に渡したら随分と喜んでくれたんですよ。それ以来、ブーケを贈るようにしているんです」
「アルバン、本当にそれだけか?」
「それだけって、どういうことですか?」
「花市場の娘と随分親しくしているそうじゃないか」
「ああ、マーヤですか。いつもセンスのいいブーケを作ってくれるので、マーヤにお願いすれば安心だろうと思って、いつもお願いしに行くんです」
「へえ」
「何ならご紹介しましょうか? 腕は確かですよ」
「お前、何も気づいていないのか?」
「え? 何ですか?」
「いいか、アルバンが花市場の娘に惚れ込んで、週に2日、必ずブーケを買いにいくという口実でその娘に会いに行っているという噂が立っている」
「は?」
「違うのか?」
「違いま……」
ふとアルバンは自分の心に問うた。そして、今日、マーヤに「108本のバラ」の話をされたことを思い出した。
「あの、108本の赤いバラって、どんな意味があるんですか?」
「アルバン、お前それを知らないのか?」
主人は目を丸くしている。
「花言葉に詳しいのだと思っていたが、違ったのか?」
「母にプレゼントする時に調べました。でも、本数にまで意味があるなんて知らなかったんです。今日も8本にするようにとマーヤからアドバイスされて」
「そうか、彼女に教えてもらって、8本にしたわけだな」
「はい」
主人は腕組みして考えている。あごひげを右手で必敗ながら、うーん、と唸っている。
「教えてもいいが、覚悟は必要だぞ」
「知らないとまずいことになりそうなので、教えてください」
「108本の赤いバラはな、『結婚してください』だ」
「けっこん……」
アルバンの頭の中で、マーヤが笑顔で告げた光景が再生される。
「いつかアルバンが108本の赤いバラを必要とする時が来たら、私、頑張ってお手伝いするから、バラの専門店には行かないでね」
マーヤは、アルバンがいつか誰かに108本のバラを贈りたいと決めたなら、その手伝いをする、と言ったわけだ。アルバンはその事をよくよく反芻した。
「そうなんですね。勉強になりました」
「アルバン? 大丈夫か?」
「え、ええ。奥様もまだ退院なさったばかりですし、長居は禁物ですね。そろそろおいとまさせていただきます」
「また寄ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
アルバンはふらふらしながら家に帰った。
アルバンは、初めて、自分がブーケを口実にマーヤに会いに行っていたのだと気づいた。そして、それが町の人たちの噂になっていることも知らされた。その上、マーヤの言葉は、アルバンが108本の花束を贈る相手はマーヤではないとマーヤに言われたのだと理解した。
うわあ、僕、またやっちゃったのか。
あの笑顔で「他の人に108本のバラを贈るんでしょう?」と言われたも同然なのだ。つまり、アルバンは脈なしということになる。恋心に気づいたのも遅ければ、マーヤの気持ちに気づいたのも遅く、それ以前に町で噂になっている。マーヤはきっと、この噂を先に聞きつけて、釘を刺してきたに違いない。
アルバンはがっくりした。
その日を境に、アルバンは花市場に行くのをやめた。冷静に考えれば、異常だったと自分でも気づいた。マーヤにとって、迷惑だったのか、ただのいいカモだったのかは分からない。ただ、もう以前のようにはなれないと思った。
町ではまだアルバンとマーヤのことが噂されているだろう。恋心だとさえ気づく前に終わってしまったな、そう思うと、アルバンの中に苦い物が広がる。
恋をしているという噂が、知らぬ間にあっという間に広がってしまっていた。誰にも知られることなく、いや自分自身さえそうとは気づかず、あの人のことを思い始めたばかりだというのに。
自分の心に気づいて、彼女に思いを告げることさえできなかった。噂の方が早くて、彼女に先手を打たれていた。先手を打たれていたことにさえ気づけなかった僕のことを、彼女はどんな思いで見ていたのだろう。
心の中で笑っていたのかな。
馬鹿にしていたのかな。
周りの人に揶揄われて怒っていたのかな。
やはり自分に恋愛はできない。好きでもない人と結婚するのも嫌だ。もうこのまま一生、独り身ですごそう。
アルバンはその日の日記にこう書いた。日記は、二度と開かれなかった。
読んでくださってありがとうございました。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




