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23 百人一首をアレンジ1 1番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」

「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ」


 秋の田の傍に作った粗末な小屋は屋根に被せた苫(菅や茅)の目が粗いので、夜露が小屋の中にまで降りてしまって、わたしの服や手は今この瞬間も夜露に濡れていくことだよ


 万葉集内にある読み人知らずの歌を、天智天皇が農民を思う有徳の人であったと印象操作するために、天智天皇御詠としたのだという説があります。その一方で、「これは恋の歌だ」と解釈する丸山才一の説もあります。そのあたりも織り込みながらリメイクしてみます。


 小麦というと、秋蒔きと春蒔きの植え時があるが、年に2回も収穫できるのは温かい南の土地の話。冷涼なこの地では、小麦は春に種を蒔き、秋に収穫するだけだ。だから、年位階の収穫はとても大切なものだ。黄金色の小麦の畑を見れば、もう少しで小麦が収穫できる所まで来ているのがよく分かる。


 アルバンは今日、畑の見張り当番だ。


 畑の見張り当番は、村の男の仕事だ。小麦畑の中に建てた小屋に泊まり込んで、イノシシや鳥が小麦を荒らさぬよう、一晩中見張りをする。村の男たちは一晩に一人が当番としてここで夜を過ごすことになっている。


「明後日の夜、お前に夜の見張りをさせる。仕事の仕方を教えるから、明日の晩は用事を入れずに、俺の家に来い」


 2年前にそう声を掛けてきたのは、村一番のいい小麦を育てているオイゲンだった。この村には、じいさんたちが自分に体力の限界が来たと感じると、若者を一人、村の男として仕上げるという習慣があった。オイゲンに見込みがあると思われたのはうれしかったし、じいさんから認められれば村の男として独り立ちできるようになる。その頃アルバンは、村一番の可愛い娘、マーヤと付き合い始めたばかりだった。村では一人前のと認められなければ結婚を申し込めない。


 1日も早くオイゲンから一人前と認められて、マーヤに結婚を申し込みたい。


 そう思ったアルバンは、必死になってオイゲンの指導を受けた。夜の見張りの仕方、イノシシが来た時の対処法から始まって、小麦の育て方や肥料の選び方、病気のこと、様々なことを学んだ。


 その分、マーヤと過ごす時間は短くなった。マーヤは最初こそ寂しがっていたが、そのうちデートに誘ってもつれない態度を取るようになった。


「マーヤと結婚するために、1日も早く一人前になりたいんだ」

「アルバンはそう言うけれど、今の私のことは大事にしてくれないのね」

「そんなことはないさ。毎日こうやって仕事終わりに会いに来ているじゃないか」

「私は昼間に、町でデートがしたいの! 私をこの村の中に閉じ込めないで!」


 それ以来、マーヤは話しかけても知らんぷりするようになった。仕方がない奴だと思いながらも、アルバンは真面目にオイゲンからの指導を受けながら、マーヤに時々プレゼントを贈っていた。マーヤの母は、いつもアルバンに「悪いね、マーヤの機嫌が悪くてさ」と言って、マーヤへのプレゼントを代わりに受け取ってくれるだけだった。


 あれは夏に大きな嵐が来た夜のことだった。川の水が溢れないか、村の男たちが総出で夜通し見張ったり、土嚢を積んだりして、必死になって村と畑を守った。もちろんその中にはアルバンもいた。弟子を取ったじいさんたちは皆、実働部隊に入れずともどうしたらよいかを話し合い、指示を出していた。アルバンのような弟子扱いの若者たちは、みな体を限界まで酷使して、増水していく川に土嚢を積み上げ続けた。


 朝日が昇る少し前、雨は止んだ。まだ上流から水は流れてくれるだろうが、ここから先は交替で見張った方がいいというじいさんたちの言葉で、村人を3グループに分け、一班が残り、他の班は一旦村に帰って眠ることになった。


 くたくたになった体を引きずるようにして村に戻ってきた時だった。マーヤの家の扉がそっと開かれた。


 自分たちが帰ってきたことに気づいて、お疲れ様と言ってくれるのだろう。


 アルバンは扉から出てくるに違いないマーヤの顔を思い浮かべて笑顔になった。


 だが、その笑顔は次の瞬間、凍り付いた。


 出てきたのはマーヤではなかった。町の商家の息子で、若い娘たちがキャーキャー言っているハンスだったのだ。


「どうしてハンスがいるんだ?」


 一緒に帰ってきた仲間たちも、怪訝な顔でハンスを見ている。後ろにいるはずのマーヤの父を見れば、土嚢を積んでいたときよりも青い顔で立ち尽くしていた。


 ハンスが扉の中にもう一度顔を戻した。中から誰かが出てきた。


「マー……」


 声を掛けようとしたアルバンは、最後までその名を呼ぶことができなかった。扉の外に出てきたマーヤは、明らかに乱れた格好をしていた。そして、潤んだ瞳でハンスを見上げ、二人でキスを始めたのだ……アルバンたちに見られているとも知らずに。


「マーヤ、愛している。早く町に出てこいよ」

「ええ、ハンス。絶対にあなたの所に行くわ。私以外の女とは、ちゃんと話を付けておいてね」

「もちろんだ。じゃ、また明日」


 二人がもう一度キスをして、ハンスが町に向かって歩き出すのを、そしてそのハンスをマーヤがじっと見送っているのを、村人たちはじっと見ていた。


「アルバン、すまん」


 いつの間にか隣に来ていたマーヤの父親が、申し訳なさそうに頭を下げた。


「マーヤは、しばらく前からあの男と付き合っている。だが、まさかわしがいない隙に家に上がり込んでいるとは思わなかった」

「おばさんは?」

「あいつは昨日雨がひどくなる前に、町に野菜を届けに行った。大雨になるからやめろと言ったんだが、葉物は雨で痛むから大雨の前に届けたい、町で一泊してくるからって心配するなって」

「それなら、ハンスはいつ来たんだろうな」

「……」


 誰もが無言でマーヤの父とアルバンを見つめている。


「とにかく、帰って寝よう。2班は5時間後に集合だ。遅れるなよ」


 じいさんの一人が声を掛けて、その場でみな自宅に散らばっていった。呆然と立ったままのアルバンに、マーヤの父が声を掛けた。


「父親のわしが言うのも何だが……マーヤは駄目だ。マーヤと一緒になったら、アルバンが苦しむだけだ」

「それでも」

「マーヤだけじゃない。あいつもそうさ」


 マーヤの父は、ハンスが歩いて行った町の方を見やった。


「あいつはな、農家に生まれたというのに、町の生活にずっと憧れていた。マーヤがハンスと知り合った頃から、あいつはマーヤがこのままこの村にいるのはかわいそうだ、町に嫁に出してやりたいって、そればっかりだ。そのうち、マーヤと一緒に町へ行くことが増えた。マーヤを商家の嫁にすれば、自分も待ちに行く口実ができるだろう? ハンスとの中を応援しているんだよ、あいつは。アルバンのことも、村のことも、何にも考えていやしない」


 マーヤの父親は、近くにあった小岩の上に腰を下ろした。


「帰らないんですか?」

「娘が男と寸前まで会っていたような家に入りたかぁねえよ」


 マーヤの父は、実直な男だ。だが、一晩中肉体労働をした後なのだ。その背中がいつになく小さなものに見えた。


「じゃ、俺は帰ります」

「ああ、気を付けてな」


 マーヤの父を一人にするのはなんとなくよくないような気がしたが、かといって狭いアルバンの家にマーヤの父を連れてくるのも気が引けた。アルバンの父親は出稼ぎに行ったままもう何年も戻らず、母親がアルバンとアルバンの弟を一人で育ててくれていた。


 だからこそ、はやく独り立ちして、母親も助けたかったんだけどな。


 アルバンは母親が沸かしてくれた湯を絞ったタオルで体を拭くと、ベッドに潜り込んだ。食欲もなかった。ただ、マーヤとはもうおしまいだということだけが、アルバンの心を占めていた。


 四時間きっちりで目が覚めたアルバンは、白湯に少しだけ塩を入れたものを飲むと家を出た。アルバンの母親は、アルバンの様子がいつもと違うことに気づいたようだったが、敢えて何も聞かずに送り出してくれた。


 そのまま集合場所に行くと、まだ疲労の色濃いじいさんたちはじめ中高年が、げんなりとした表情で座り込んでいた。


「寝ちまったらよ、起きられないような気がしてよぉ、寝られなかったのさ」


 確かにその不安がなかったわけではないが、アルバンは今朝、嫌なものを見てしまっている。とにかく頭も心も少しだけ休ませられたことに、アルバンはほっとしていた。


「アルバン!」


 突然、場にそぐわぬ若い女の声が聞こえた。その場の人たちが皆、声の主を一瞥すると、視線を合わせないようにしている。


「ねえ、アルバンったら! 帰ってきたんだから、遊びに行こうよ!」

「悪い、マーヤ。今から交代で川の見回りだ」

「ひどい、私のこと、もう好きじゃないのね」

「ああ」


 アルバンの言葉に、マーヤは首を傾げた。


「え? 私のこと、好きでしょう?」

「いいや、もういい」

「もういいって、どういうことよ!」

「マーヤとは付き合えないってことさ」

「ひどい! おじさんたちも聞いたでしょう? アルバンがひどいことを言うの」

「マーヤ、やめろ」

「どうしてよ」

「みんな、朝、ハンスがマーヤの家から出てくるところも、キスしているところも見たんだ」

「え……」


 突然マーヤの声が変わった。


「くたくたに疲れて帰ってきたら、ちょうど遠くにマーヤの家が見えた。扉が開いたから、迎えに出てくれるんだと思った。でも、ちがった」

「違うの、あのね、それは」

「言い訳はいらん。わしらはみな見ておった。愛しているんだろう? お前たちの話し声も全部聞こえたからな」

「うそ、うそよ……」

「いいじゃないか。こんな田舎の村で農家の嫁になるより、町の女になるのが夢だったんだろう?」

「どうしてそれを……」

「みんな知っていたさ」


 周囲の男たちも、首肯している。


「マーヤが冷たくなったのは、俺が仕事ばかりだったからだけじゃない。村を出たかったマーヤにとって、村の男である俺なんかより、町の男であるハンスの方が都合がよかったんだろう」

「そうじゃない、違うの!」

「でも、おじさんもおばさんもいない家で二人きり、朝までいた」

「嵐が怖かったの! ちょうど来てくれたハンスが、私が嵐を怖がっているのを見て、朝までいてくれるって、それで」

「みんなが村と畑を守るために必死になっていた時、マーヤは男といちゃいちゃしていたんだな」


 みんなの顔が、マーヤを責めていた。突然、マーヤがふてくされた顔をした。かわいらしいマーヤの顔をかなぐり捨てることにしたらしい。


「ええ、そうよ、こんなど田舎になんていたくないの。手を汚して、土まみれになって生きるなんて、いやよ!」

「そうやって俺たちが作ったものを食べる以外に、どうやって生きるっていうんだい? 農民が食べ物を作らなくなったら、町の人間どころか、王家だって困るんだぞ?」

「そんなこと、知らないもん!」


 マーヤはそのまま走って行ってしまった。みんなが慰めてくれたが、アルバンはただ、マーヤがこんな娘だと気づけなかった自分には見る目がないのだと、ただそれだけを考えていた。


 見回りを終えて村に戻ってくると、マーヤの父親が倒れたと村は大騒ぎになっていた。


「マーヤが家を出て行くって、それを止めようとして胸の辺りをドンて押したんだよ。そうしたら、胸を押さえて苦しみだしてさ。それなのに、マーヤはそんな父親を見捨てて行っちまった。あんなことをしたんだ、何かあっても二度とここには戻ってこられないだろうね」


 たまたま通りかかったアルバンの母親がマーヤの父親の異変に気づき、急いで村の薬師の所に子どもを走らせて、何とか一命を取り留めたらしい。


「多分、奥さんも帰ってこないだろうね」


 アルバンは母親の手を握った。


「母さんは長生きしてくれよ」

「そればっかりは、神様の思し召しによるってところだね」


 母親がカラカラと笑った。自分たちが「父なし子」の状態にありながら、卑屈にならなかったのは、きっとこの母親の豪快な性格のおかげだとアルバンは思った。そして同時に、こんな母親を、マーヤは大切にしてはくれなかっただろうとも思った。


 結局の所、マーヤとは合わなかったのだ。結婚する前にわかってよかった、とアルバンは思うことにした。


 その後、アルバンや母親が思ったとおり、マーヤとマーヤの母親は村に帰ってこなかった。風の便りでは、ハンスに結婚を迫ったマーヤに、ハンスは「農民の娘を嫁になどするわけがない。商家として必要なものを何一つ持たないマーヤには、商家の嫁は務まらないよ」と冷たくあしらわれたらしい。要するに、マーヤはたくさんいる恋人の一人であって、本命ではなかったということだ。マーヤと母親がどうなったかを知る者はいない。誰も興味を示さないからだ。


 だが、アルバンは時々、マーヤのことを思い出す。


 あの嵐の後、オイゲンはアルバンを一人前の村の男だと認めた。小麦の収穫前に行う夜の見張りも、一人で対処できるようになった。


 今、こうして小麦畑の真ん中にある粗末な小屋の中でじっとマーヤのことを考えていると、やはり秋なのだろう、夜露が降りる。去年の小麦の穂を葺いて作った屋根は隙間だらけで、星空さえ見える。その隙間から、一滴、一滴と夜露が降る。アルバンの服を、少しずつ濡らしていく。


 その滴の中の何滴かは、アルバンがマーヤを思って流した涙であることを知る者は、夜露だけである。



いかがでしたでしょうか?

こんな感じで、100首続けてみたいと思います。

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