2 『伊勢物語』「筒井筒」をアレンジ!
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テッド:地方の商家の息子
メイ:テッドの隣人
キャスリン:山向こうのお金持ちのお嬢様
「メイ、遊ぼ!」
「テッド、ちょっと待っていて!」
隣どうし、同じ業種の仕事、さらには子どもの年齢も近いとあって、メイの家とテッドの家は家族ぐるみで仲がいい。敷地の境界線などはっきりあるような家ではなかったので、2人は小さい頃からの遊び仲間だ。
「本当に仲がいいわね」
「そうね。同じくらいの年の子がいる家までは少し距離があるから、メイちゃんがいてくれて助かるわ」
「うちにとっても、テッド君がいてくれて助かっているわ。2人で遊んでいてくれれば家の仕事ができるもの」
「そうよね」
母親どうしはこんなたわいもない会話をしている。その目の先には共有の井戸がある。丸い井戸ではなく、四角い形の井戸だ。
「ねえ、メイの背はどのくらい?」
「井戸と背比べしてみようか……あ、ここだよ!」
「うん、じゃあ印を付けようか?」
「いいね! じゃ、テッドも!」
「いいよ。印、付けた?」
「付けたよ」
「どっちが背が高いのかな?」
「私!」
「いや、僕だよ!」
ふふふ、と笑い合う。
「今はまだ同じくらいだね。何歳になったら、僕の方が大きくなるかな?」
「え、私の方が大きくなるかもしれないわよ?」
「いや、僕の方が大きくなるよ! 絶対に!」
「そんなのわかんないじゃない!」
2人でわいわいぎゃあぎゃあとしている、この時間がテッドもメイも大好きだ。親からの小言も使用人の目もない。ただ、楽しい時間が過ぎる。
テッドとメイはそのまま大きくなっていった。ある時、メイの髪が長くなったことに気づいてたテッドは、何の気なしにメイの髪に触れていった。
「メイの髪、きれいだね。長くなって、なんだか大人みたいだ」
「え、きゃっ、何しているのよ!」
メイは突然顔を真っ赤にして家に駆け込んでしまった。テッドにはどうしてメイが逃げてしまったのか分からない。数日後、また顔を合わせた時、水くみをしていたメイがよろめいて尻餅をつきそうになったので、咄嗟に後ろから抱きかかえて転ばずに済んだ。
「メイ、大丈夫?」
「テッド、あ、ありがとう。もういいから離して」
メイはまた顔を赤くして逃げてしまった。だが今日はテッドも胸がドキドキしている。抱き留めたメイの体が、自分とは違うことを意識してしまったのだ。
それ以来、2人は恥ずかしがって顔を合わせないようにお互い外にいないのを確認するようになった。同時に、外にいれば隠れてその姿を目で追うようになった。テッドもメイも、それが恋だと気づいたのは、詩の勉強をするようになってからだ。
テッドとメイはお互いの気持ちを知ることなく、結婚相手として互いを意識するようになっていったのだ。いわゆる「両片思い」の状態である。
2人がじれじれしているうちに、メイの親が他の男との縁談を受けよう、と言うようになった。父親にとって都合のいい相手がいるらしい。でも、メイの心にはテッドがいる。母親は何となくそれがテッドだろうと感づいていたが、テッドの家から縁談の申し込みがない以上、テッドの話を夫にするわけにはいかない。メイはメイで、「まだ結婚なんてしない」と言い張って父親を困らせるばかりだ。
メイの母は一計を案じた。井戸でテッドの母親を待ち構えて、世間話をしたあとで、「そうそう、そう言えばそろそろメイの縁談を決定するって、うちの主人が言っていたわ」と何気ない素振りで話を振った。
「そろそろメイもお年頃でしょう? テッド君の方はどう?」
「うちも話はいろいろあるんだけどね、テッドが何となく渋るのよ」
「あら、どうして?」
「意中の人がいるみたい。誰かは教えてくれないんだけどね」
「あらあら。テッド君もいつの間にそんな相手を見つけたのかしら?」
「仕事を手伝うようになったから、どこかで出会ったのかもしれないわね」
「うちに婿がきたら、なかよくしてもらわなきゃいけないわね」
「そうね、そうなったらまた教えてちょうだい」
テッドの母は、この話をテッドにしてくれるはずだ。メイの母は、祈るような気持ちでテッドの母の背を見送った。
「あ、テッド、メイちゃんに婿が来るらしいよ?」
「え?」
テッドは手に持っていた書類を落とした。
「ちょっとテッド、大切な資料を落とさないで!」
「あ、ああ。ごめん、母さん。あの、メイが結婚って、本当に?」
「まだ決定じゃないようだけど、お父さんは大分乗り気のようだよ。そろそろあんたも嫁さんもらわないとねえ」
まずい、メイが他の男に取られる。
テッドの頭の中は、メイの縁談をどうやって阻止するか、それしか考えられなくなった。テッドはその日の仕事を全て放棄して、メイに手紙を書いた。
「小さい頃、あの井戸で背比べしたことを覚えているかい? 俺、あの井戸よりもずっと背が高くなったんだ。なあメイ、会わない間に大人の男になった、そんな俺と結婚しないか?」
使用人を使ってこっそりと届けられた手紙を、メイはいそいそと開いた。そして、思った。
大人になったから結婚しよう? 安易だけど、テッドも私のこと好きでいてくれたってこと?
メイも急いで手紙を書いた。
「2人で髪の毛の長さを比べ合ったわよね? 女の私は髪が取っても長くなって、結婚次第大人の髪型になることになっているわ。でも、この髪型にするのは、他の誰のためでもなく、テッドのためにしたいな」
使用人が持ってきた返事を見て、テッドは狂喜乱舞した。メイも自分のことが好きだったと分かって、もっと早くに自分から行動していたらじれじれせずに済んだのかも、なんて考えたりもした。
2人はそれから何度か手紙のやりとりをした。お互いの気持ちを確かめ合って、親に話しも通して、メイとテッドは結婚した。初恋は実らないと言われるが、初恋を成就させた結婚だった。
若いテッドには、まだ独立するだけの経済的な力がない。家が隣ということもあって、テッドとメイは家を借りずに、テッドがメイの所に通う「通い婚」をすることになった。2人はラブラブだった。こんな日がずっと続くと信じていた。
・・・・・・・・・・
だが、幸せというものは長くは続かないものだ。メイの両親が亡くなったのだ。メイは商売など知らないお嬢様だ。収入がなくなったメイは、テッドを経済的に支えることもできなくなった。テッドは寂しがるメイを支えようとメイの家に移り住んだ。とは言え、隣の家である。
今までメイの親のお金で生活に困らなかったテッドだったが、姪の親からの支援が亡くなったことで生活が変わっていった。着る物一つとっても、「テッド、お前最近同じスーツばっかりきていないか?」なんて言われるようになってしまった。服を新調したくても、メイにお金を出してほしいと言えない。もう、食べるものにも困り始めているのだ。
やってられない。
テッドは実はモテる。外に行けば女の子たちにまだキャーキャー言われている。結婚は早すぎたのでは、なんて気にさえなってきた。
そのうち、テッドに強く秋波を送ってくる女性たちの中で、金持ちの娘がいることに気づいた。見てくれも悪くない。テッドは決めた。一夫多妻は認められているし、若いテッドが生きていくためには嫁の実家に寄生するしかない。
テッドは山一つ向こうの町に住むキャスリンとも結婚した。メイには新しい妻ができたことは正直に話してある。キャスリンの家では至れり尽くせりの対応で、「もう一人の奥さんの所にもどうぞ」と食べ物をくれる。持ち帰ってメイに渡せば、「ありがとうございます」と言ってくれるが、最近は目も合わせてくれない。
そのうちふと気がついた。今日はキャスリンの所に行ってくる、と言うと、「わかりました。気をつけていってらっしゃいませ」というばかりで、メイが嫉妬している様子が全くないのだ。
まさか、俺がいない時に間男でも入れているのか?
自分が浮気をしておきながら、テッドはメイに裏切られたと思い込んだ。そして、真実を突き止めてやるとばかりに計画を練った。
計画当日、テッドは「キャスリンの所へ行ってくるよ」と言って家を出た。メイは乙もの通り、目も合わせずに「行ってらっしゃい。気をつけてね」と言うばかりだ。
テッドは玄関を出ると、さっと庭の方へ回り込んだ。生け垣にぐるりと囲まれた邸は、手入れが不十分になっているのがよく分かる。このままだと廃屋のようになってしまうのではないか、というような状態だ。
こんな家に、もう住みたくないな。メイが浮気しているなら、別れてキャスリンの方に行こう。
やがて日が沈み、月が出た。あばらやのような家がさらに寂しく見える。庭に面した戸が開いた。きっちりと化粧をしたメイの顔が見える。身だしなみにいつも気を遣っているメイだが、人妻がこんな夜更けにきちんとメイクし直すなんて、男に会うとしか思えないじゃないか。
ああ、ここから男を入れるのか?
テッドが黒確定、と思ったその瞬間だった。
メイが山の上の月を見つめて涙を流し始めた。うっうっという嗚咽の声がかすかに聞こえてくる。やがてメイはもう一度顔を上げた。涙に濡れた頬を月の光が照らし、キラキラと光っている。
「テッドったら、あんな高い山を、こんな夜更けに1人で越えていくなんて。山賊だって出るのに……。でもあなたはそこまでしてでもキャスリンさんに会いたいのよね。愛しているのよね。もう私のことなんて、どうでもいいのね。
あなたが帰ってこなくなったら、私、どうしたらいいの? 離婚して、他の男に養ってもらえなんて言われても、いやよ。私が好きなのはテッドだけ。こんなにテッドのことが好きなのに、もうテッドは私の方を見てくれない。
あんなに愛してるって言ってくれたのは、嘘だったの?」
しばらく嗚咽の声が漏れた。1人だけ残ってメイの世話をしてくれている女中が、「奥様、こんな時間にそんなに長く外の風に当たっていたら、お体を壊しますよ。中に入りましょう」と言っているのが聞こえる。
戸が閉められた。男など1人も入っていかなかった。メイの本心に触れたテッドは、自分がどれほど愚かな思い違いをしていたか思い出した。
メイを他の男に取られたくなくて、メイに慌てて手紙を送り、メイと両思いだと知って歓喜したこと。両親に願い、そしてメイの親にも頭を下げてメイと結婚する許しを得たこと。そして、結婚してからの幸せな日々。
メイから笑顔を奪ったのは、自分じゃないか。メイを孤独にさせたのも、自分じゃないか。親がいなくなっても自分が支えていけばいいだけの話なのに、どうして自分で努力することを考えなかったんだろう。
生け垣に座り込んで考えているうちに、メイの涙を思い出したテッドは立ち上がった。
いかん、こんなところで考えている場合じゃない。メイに謝らないと。
テッドは玄関の戸を叩いた。女中の、どちら様ですか、という細い声が聞こえる。
「途中で問題があって、帰ってきた。開けてくれ」
慌てたように女中が戸を開けた。
「どうなさったんですか?」
「メイは?」
「先ほど寝室へ……」
「メイ!」
テッドは走った。寝室のメイはテッドの声に起き上がったようだ。
「どうしたの? キャスリンさんのところに行ったはずじゃ……」
「ごめん、メイ。僕が間違っていた。僕が大事にしなきゃいけないのはメイだって、思い出したんだ」
「でも、キャスリンさんのところに行かないと、生活が……」
「そんなもの、俺が稼ぐからいい、心配するな」
「え、でも……」
「メイ、愛している」
余りに久しぶりのその言葉に、メイの目がテッドを見た。
「ようやく目を合わせてくれたな」
「そんな、だって……」
「愛している。大好きだ。何度でも言う。愛している」
「待って、ね、落ち着いて」
「だめ、落ち着けない」
それからテッドは初心に返ったようにメイを大切にし、仕事にも励んだ。おかげで、キャスリンの家から頻繁に支援を受けなくてもいいほどになってきた。
困ったのはキャスリンだ。一時は入り浸るほどにやって来たテッドが、なかなか来ない。手紙を出してようやく「そのうちに行くよ」という手紙が来て、一晩で帰ってしまう。こんな御馳走を用意した、こんな生地を手に入れたから服を作るのに採寸したい。物で釣ってもなかなかテッドは来なくなった。そのうち、キャスリンはテッドがあまり来ないのをいいことに、身繕いや言葉遣いやマナーを「通常モード」に切り替えた。テッドが来る時だけ「いいとこのお嬢様モード」を発動するようにしたのだ。
「やっぱり、通常モードの方が楽よね」
ソファに寝転がってお菓子を食べ、ソファに落ちたクズをそのまま放置すれば、黴が生える。だが、キャスリンは気にしない。髪もボサボサでノーメイク、ドレスじゃ楽な格好ができないからと、ウエストも楽なワンピース姿でくつろぐ。
そんな姿を、キャスリンを驚かそうとこっそりやって来たテッドは見てしまった。自室で食事を取るキャスリンが、侍女に「お替わりをなさいますか?」と聞かれて、「あ、自分で取るからいいわよ」といって水からレードルを取ってスープのお替わりをしているのを見た瞬間、ああ、キャスリンは張りぼてのお嬢様だったのだと気づいた。メイの、貧乏でも誇り高く、身だしなみにも気をつけていた、あの姿とは遠いものを感じた。そして、消えかけていた愛情の火が、静かに消えたのに気づいた。
それから、キャスリンが何度手紙を送っても、テッドは「そのうちに」と言うだけで、姿を現さなくなった。逢瀬がなくなって3年で離婚は成立する。テッドは静かにその時を待っている。キャスリンがどうしているか、もうテッドは知らない。ただ、隣に座るメイとの穏やかな日々を満喫するだけである。
読んでくださってありがとうございました。
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