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18 『堤中納言物語』より「虫愛づる姫君」をアレンジ

明けましておめでとうございます。読みに来てくださってありがとうございます。

皆様よくご存じの「虫愛づる姫君」を、最後だけ大きく変える形でアレンジしました。

よろしくお願いいたします。

 蝶を愛する姫君の邸の近くに、虫に殊の外興味を持ってしまった姫君がいた。


 幼少時からそれはそれは美しく賢い姫君だったのでご両親も大切に大切に育てていたのだが、興味の対象である虫は、人の嫌うもの。


「他のものにも興味をもったらどう?」


 そう言われた姫君は妙に冷めた目で、立て板に水の流れるがごとくこうおっしゃったのだ。


「花が美しい、蝶が美しい、それが何? 見れば分かるじゃない。頭悪いわね。人間にとって大切なことは、見た目の美しさに飛びつくんじゃなくて、物事の本質を突き止めることよ」


 そう言って、見た目が気持ち悪い虫を捕まえては、成長したらどんな姿になるのかしら、とわくわくしながら虫籠の中の虫を一日中観察する、という日々を過ごしていた。


 高位貴族に仕える侍女なんて言うのは基本的に下級貴族のご令嬢だから、当然そんな姫君のおそばに近寄れない。姫君が


「あら、この子、可愛いわ。あなたもご覧なさいな」


 なんて姫君の素手の上に真っ黒い毛虫が這っているのを目の前で見せられた日には、そのまま卒倒する者が続出する。それでも姫君は、あなた、情けないわね、と言うだけ。


 さすがにこれはないと何人もの侍女たちが暇乞いを願ったが、父君はそれを許さなかった。泣く泣く仕える侍女を見かねたのか、姫君も虫集めや虫の世話は庭師の息子たちに命じるようになり、侍女たちは「虫に近づかせないこと、虫の傍にいる時の姫君のお世話はできないこと」が徹底されたことで少しずつ落ち着きを取り戻してお仕えするようになっていった。


 庭師の息子たちというのは将来の庭師であるから、植物だけでなくその植物に付く虫にも詳しい。姫君の知的好奇心は、彼らによってどんどん高められていった。


「ねえ、これはなんていう虫?」

「それはアオスジアゲハですね」

「え、これがあのアオスジアゲハになるの?」

「ご覧ください、この黒地に青い窓のような模様。アオスジアゲハに似ているでしょう?」

「そう言われてみればそうね。角がカタツムリみたいにツンツンしていて可愛いわ」


「これは何?」

「それですか、いやあ、僕も初めて見ました」

「あら、そうなの? じゃ、新しく名前を付けましょうか?」

「いいですね! 赤と黒の2色に、こんな長い黒い毛が付いているから……」

「悪魔虫。どうかしら?」

「分かりやすくていいと思います!」


 こんな会話が、邸の中の広大な庭園で繰り広げられる。パラソルを差し掛けてくれる侍女はいないし、化粧さえ大嫌いなのだから日焼け止めなんてもってのほか。それでも日焼けしたかなという程度で収まっているのは、侍女たちの涙ぐましい夜のお手入れという努力の賜物だ。


 ご両親はと言うと、外聞が悪い、縁談が来なくなるとあの手この手で姫君の説得を試みたが、全て姫君に論破されてしまった。


「お父様がお召しの服だって、虫が作った糸を紡いで、それを織っているのですよ? それなのに、虫の時には糸がとれると喜んで大切にしておきながら、成虫の姿は色もなく醜いからと捨て置かれるのですよ? 同じ生き物なのに、扱いが矛盾していないでしょうか?」


 賢者として有名な父君でさえ、これが男であったならばと嘆くほど、「ものの本質を見極めたい」という欲求に駆られている。まあ、我々の世界で言えば、何日も風呂に入らず、すっぴんにボサボサの頭のまま研究室で寝泊まりしながらひたすら己の研究に邁進する女性研究者に相当するものなのだろう。なお、これは男性研究者にも言えることであること、泊まり込みでなければできない研究もあること、そしてどんな時でも身ぎれいにしている研究者もいることを、彼らの名誉のために加えておく。


 そのうちに、父君が恐れていたことが起きた。姫君が虫好きの異常者だという噂が立ち始めたのだ。


 とうとう、ある貴族の若者が面白がっていたずらをしかけた。自分の従者に大きな袋に入れたラブレターを届けさせたのだ。


「ラブレターって言う割には随分重いんですが」

「愛の重さと言うことで、では姫君にどうかお渡しください」


 従者に頼まれた侍女の1人は、変な袋、と思いながら姫君のところに行った。


「姫様、ラブレターが届きましたよ?」

「誰よ、そんな酔狂な人」


 私もそう思います、と言いたいところだが、侍女はその言葉を飲み込んだ。


「開けてちょうだい」


 袋から取り出そうと中をのぞき込んだ侍女は「ぎゃー!!」と叫びながらその場に卒倒した。手から袋が放り投げられ、袋からヘビが出てきたのを見た侍女たちは、一斉に叫び声を上げて壁に張り付いた。


 さすがの姫君にとっても、ヘビは虫の仲間ではなかったらしい。さっと顔色が変わったが、敢えて落ち着いているような素振りを見せた。そして、そっと近づき、顔はよそを向いたまま「きっと前世の親なのね」などと訳の分からないことを言い出す。そして、明らかに動揺した様子で「ヘビを入れる籠を持っていらっしゃい!」とか「ヘビの食事は何? え? カエル!?」なんて妙に早口の甲高い声で言うものだから、ファーストショックで卒倒しなかった侍女たちは「姫様もさすがにヘビは苦手なのね」などと心の中で笑いながら、父君を呼びにいったり、庭師の子どもたちに籠の準備をさせたりしていた。


 侍女から話を聞いた父君は、激怒して太刀を掴むと、愛しいわが子の元に走ってきた。


「姫、大丈夫か!」


 落ち着こうと妙な汗を流しながら異様なまでの作り笑いをしている姫君の手元には、ヘビがいる。


「姫、そいつを切るから離れなさい!」

「な、なりません! だって、このヘビは、きっと、私の、前世の、親、に、ちがいないの、ですから!」


 息も絶え絶えなのにそう言い張った姫君をどうやってヘビから引き離そうかと目を凝らした父君ははっとした。


「そのヘビをよく見せよ」

「切らない、ですか?」

「ああ、約束する」


 近づいた父君はヘビをツンツンと鞘でつついた。わずかに動くが、それ以上には動かない。鞘で頭を押さえつけてから尻尾に触れると、父君は確信した。掴んで持ち上げると、ヘビの目は生きた者ではなく、舌がシュロシュロと出てくることもなかった。


「これは偽物だ。明らかに絹の手触りがする。随分とまあ、手の込んだものを作ったものだ」


 姫君がおそるおそる近づくと、顔を近づけてよく見た。


「本当に、偽物だわ……」


 拍子抜けした姫君は、やがてプンプンし始めた。


「姫が賢しらぶった虫好きだという噂を聞いて、こんなことをしたんだろう。とにかく、返事を書いてやりなさい。姫がそんな様子だからこそ、こんないたずらをされるんだ。全くいたずらする方もどうかと思うが、姫のことも頭が痛いよ」


 父君がそう言うと、姫君はふいっと横を向いた。興味がないことには全く取り組まないこの姫君、マナーも評価する以前の問題である。


 侍女たちも器用に作り込まれたヘビだと分かってからは、「ひどい人よねえ」なんて言いながら、「これだけのことをしてくれたんですから、返事をしないといけませんよ」と強く言うので、姫君は仕方なく筆を執った。


 こういう時は、美しい紙に、流麗な文字で、送られてきたヘビにちなんだ返事を書くのがセオリーだ。だが、我らが姫君にはそのセオリーは通用しない。こんな紙がこの世に、いやこの家にあったかしら? と侍女たちでさえ首を傾げるような、ゴワゴワの分厚い紙をどこからともなく取り出すと、文字を習い始めたばかりの子どもの文字で姫君はこう書いた。


「そうですねえ、ご縁がもしあったなら、神の御許で会いましょう。あ、でもあなたはヘビですから、神様から追放されているんでしたね? まあ、とにかく、死んだら会いましょう」


 縁起でもないこんな返事を渡された貴公子は、手紙を持ったまま大笑いした。どんなにこらえようとしても、こらえきれず笑いが体の底から噴き上がってくる。涙を流しながら笑う貴公子を見た友人が、「おい、お前大丈夫か?」と心配するほどだった。


「なあ、見てくれよ。噂の虫の姫君からの返事だ。俺は罪深いヘビで、死なないと彼女に会えないらしいぞ」

「なんだよ、これ。随分無礼な内容だが、よほどお前が嫌いと見える」

「あ、今から彼女をのぞきに行かないか?」

「おい、本気か?」


 手紙で興味を持つと、次の段階は「覗きに行く」ことになる。貴公子は姫君に興味を示し、第二段階に進むと決めたのだ。


「付き合わされる俺の身にもなってくれよ」

「いいじゃないか、面白いものが見られるかもしれないぞ?」


 2人は姫君の邸に出向くと、使用人の出入り口からしれっと中に侵入した。そして、姫君がいるであろう庭園を目指してそろそろと進んだ。何かに気づいた貴公子が「しっ」と人差し指を唇に当てて物陰に隠れた。


(いたのか?)

(いた!)


 アイコンタクトだけで互いの言いたいことを理解し合うと、2人はこっそりと物陰から顔を出した。


 いた。間違いない。


 ボサボサの髪に、ゲジゲジの眉毛。それだけで2人は驚愕した。更にすっぴんで唇の色も薄く、肌も随分焼けているようだ。


 あれが噂の姫君か。


 貴公子は、すっぴん比べをしたら、自分の母や姉よりもよほどこの姫君の方がきれいだと思った。普通の人でも化粧をすれば美人に大化けするのだ、この姫君がきちんと化粧をして身なりを整えたらどれほどの美人になるのだろうと思った。


 だからこそ、惜しいと思った。せっかくのポテンシャルを、自分自身の妙な趣向で潰してしまっているように思えてならない。


 そう、残念の一言だ。


 ふと服を見れば、珍しいバッタの模様の生地。姫君のご要望に添って織られた特注品だろう。職人もよく織れたな、と貴公子は感心してしまう。


「あれ、誰かいる?」


 庭師の子どもが貴公子たちに気づいたようだ。はっとした様子でこちらを見た姫君の目は、確かに理知的な目をしていた。急いで物陰に隠れたが、もう逃げた方がいいだろう。


「本当? 誰かいるの?」

「見慣れない顔があったような気がします」

「警備が緩んでいるわね。すぐに連絡を」

「はい」


 姫君はもう一度こちらを見た。


「ヘビ男は、お断りよ」


 その言葉に、貴公子は顔を出した。もう姫君はいなかった。貴公子は持っていた紙にさらさらと走り書きすると、その場において立ち去った。


「そのままでも、あなたは美しい。だが、あなたはまさに虫だ。美しくあろうと努力し、装うことで、あなたは蝶になれる」


 拾った庭師の息子が、姫君の侍女に慌てて届けた。


「あ~あ。顔を見られてしまったのね」


 侍女たちは大騒ぎしている。姫君の顔についての噂が広まれば、姫君には縁談がくることはないだろう。


 姫君はさすがによその男に……それも見目麗しい貴公子に顔を見られたことがショックだったのかもしれない。返事を書くと言わなかった。前回は従者が待っていたが、今日はもう誰もいない。返事を書いても、渡す相手がいないことに気づいたのだ。


「あのヘビ男、名乗ってもいなかったのよね」


 庭から見える空は青かったが、姫君の心が晴れていたかどうかは、誰にも分からない

読んでくださってありがとうございました。

「虫愛づる姫君」と言えば「風の谷のナウシカ」との関連が有名ですが、「風の谷のナウシカ」成立に大きな影響を与えたもう一つの作品が、フランク・ハーバートのSF「DUNE」ですよね。再び映画化されたのでご覧になった方のいらっしゃるのでは?

途中で作者が亡くなったので未完の小説ですが、何度も読み込んだ、思い出の作品です。

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