二度目の人生でツンデレ美少女に英語で罵られる話
“アンタなんか大キライ!”
というのが、アリスの口癖だった。彼女はたった一人、誰も味方のいない教室の中で、必死に自分を守ろうとしているように見えた。
クラスに転入してきて、はや一週間。ほとんどの時間、彼女は苛立ったように顔をしかめて、腕を組み、近寄ってくる人間を目線で威圧していた。
興味本位で話しかけるお調子者たちがあえなく轟沈し、空気が読めないイヤな女だと結論付けられるまで、そう時間はかからない。
俺はといえば、せっかく転生した英検3級の知識を振る舞うべきか、または多少人生経験を積んだ身として、この状況はよろしくないと見守っていたのだが、何をとち狂ったのか、彼女に英語で話しかけていた。
”お嬢さん、話し相手になってくれないか?”
一瞬、少女の目が見開かれた。しかしそれも一瞬のことで、
”何言ってんのか、さっぱりわからないわよ!”
と、怒鳴りつけられた。
”すまんが英語は苦手なんだ”
”だったら黙ってなさいよ”
”だからこそ英語を上手くなりたくてね”
”それで話し相手になれっていうの?”
軽蔑したように、少女が鼻を鳴らす。
”アンタ、大キライ”
”ごもっとも”
それでも話しかけるのをやめないのは、単純に、歳を食ってチンケなプライドをかなぐり捨てられるからなのか。
ーーあるいは、少女の罵声なぞ、『ゴホウビ』でしかないからか。
何にせよ、俺は彼女に下手くそな英語で話しかけるようになった。クラスメイトが囃し立てる。
というのも、彼女の態度からして、こっぴどくやられているのがわかるからだろう。こういうのは万国共通である。
やっていることはなんだか、ヘイト管理のようだ。
国語を除けば、基本的に彼女の教材は英語のままだった。教師が英語でも授業できるはずもなく、もう一人、つきっきりで教師がついていた。彼女は無言で、黙々と課題をこなす。
やれやれだ。中学生の時に取った英検3級など、ほとんど使い物にならないではないか。
”調子はどうかな?”
”アンタに話しかけられたせいで、最悪になったわ”
”それは結構。俺は人に嫌われることが好きでね”
”なに?アンタイカれてんの?”
”キミにイカれてる、って言ったら、英語じゃ告白になるんだったか?”
”キモいから、やめてくんない”
そう言って少女は、両腕をさすった。服越しでもわかる白い肌。
”なんで私に話しかけてくるのよ?”
”というと?”
”アンタ、他のクラスメイトにはまったく話しかけないじゃない。なのに、ヘタクソな英語では話せるって言うの?”
”日本の男は、時々英語で話したくなる症候群に駆られるのさ”
”キモいのはアンタだけでしょ。他の子を巻き込まないことね”
アリスに一日に一回、”アンタキライ”と言われる日々が日常と化した頃、担任に目をつけられ、俺はできるだけ彼女とペアにさせられることになった。アリスは露骨に顔をしかめていたが、表立って反論はしない。
なんというか、根っこの優しさを感じずにはいられない少女である。
”私を変な目で見てない?”
”とんでもない、閣下”
”知ってるわ。アンタみたいなの、日本語でヘンタイっていうんでしょ”
”なぜバレた”
”開き直るんじゃないわよ!”
べしべし、と幼女から叩かれた。こっちも幼児なので、笑って受け流すには体が貧弱すぎた。
”すまん。謝るから、防犯ブザーだけは鳴らさないでくれ”
”あんた、マジモンじゃないの……?発想のそれが、完璧に……”
”待て。話し合おう”
”じゃあ私はアンタがヘンタイということを証明するわ”
”ディベートはやめよう。ここは日本的に、事なかれ主義で行こうじゃないか”
この頃あたりから、少しだけ、アリスが笑うようになった。俺はなんとなくホッとしながら、改めて言語の壁の高さに、絶望的な思いになっていた。
人生を先取りした俺ですら、この程度の英語力である。サボってたのは否定しないが、積み上げてきたはずのそれは、どこに行ったのだろう。
何より、キレイな少女というのは、緊張させられる。どこからどこまでが地雷なのか、わからない。
本当に、人生を普通に一周しただけでは、そこらの人と何も変わらい。無力感を、覚える。
”なんで日本人は、ハシなんてものを使うのよ”
給食の時間、ため息交じりにアリスが言う。
”安心してほしい。日本人ですら近頃はヘッタクソだ”
”アンタに恥ずかしいって概念はないの?”
”ははは”
”何も解決してないんだけど?”
「河合くん、本当にアリスちゃんと仲がいいんだねー」
「さて、どうだろう。今のところ、嫌われるようなことしかしていない」
割り込んできたクラスメイトに、言語を切り替える。英語だった頭をいきなり切り替えたものだから、使う言葉がどこかふわふわしている。
「え、そうなの?」
「ああ」
スネのあたりに、蹴りが入った。ムッとした顔のアリスが、先割れスプーンを握りしめている。
”一応、教えなさいよ……努力してもいいかも、しれないから”
「そうだな……あ。”そうだな”
日本語から、また英語へ。アリスは、肘をついた。
子供は外国語の習得が早い、という。俺に言わせれば眉唾だが、少なくともそう言われている。
実際我らが聡明なアリスは、日常的な会話であれば、多少、日本語で話すことはできた。内容はわからないが、相槌を打って受け流すやり方だ。しかし、そうしないのは、彼女自身のプライドが関係していた。
”相手が何を言っているかもわからないのに、適当に流すなんて……卑怯よ”
”まあそうだな。だが、大人になれば、使わざるを得なくなるものでもある”
”私よりチビのくせに。そんなに大人になりたいの?”
”チビかどうかはともかく、答えはノーだ。大人になんかなりたくないね”
”……アンタって、本当に変なやつ”
わかっている。そうでなければ、どうしてまた始まった二度目の人生を1から始められようか?
たった一度しかない人生と言われて生きてきた。必死に生きてきた結果、社会人三年目で心を壊した。以来薬とカウンセリングを続けながら、バイトで食いつないだ。それすらもうまくいかずに、絶望して人生を呪った。
二度目の人生。他の連中の未来は知っている。あるやつは公務員になった。あるやつとは高校まで付き合って、罵られた挙げ句振られた。あるやつは医者になったし、あるやつはコメディアンになった。
ここにいる連中が、同じ未来を辿るかなど、わかるはずもない。だが、俺は既に学んでいた。クラスメイト、同窓生など、ただ同じ空間で授業を受けただけの中で、教師が必死になって刷り込もうとするような、美談あふれる間柄ではないってことを。
だから、一度目の人生であったこともない、アリスに話しかけた。この空間で、アリスだけが色鮮やかな存在だった。
社会見学、工場見学、遠足……名称だけが違う、お出かけの数々。
体育から始まり、常にペアを作る時、俺とアリスはワンセットにされていた。最近は”大キライ”も聞けなくなり、アリスも諦めてしまったらしい。口をつぐみ、ムッとした顔で、それを受け入れている。
真っ先に飛び込んでいってバカをやらかす連中と違い、俺たちは最後尾で、斜に構えてクラスメイトの背中を追っていた。周りを見渡せば、ボッチか、いじめすれすれの嫌がらせを受けているような連中。そんな中で、たまたま英語が少しできるからという理由で、俺たちは組まされていた。
”やれやれ、随分と冷えてきた”
コートの襟を立てて、身震いする。一年が、あっという間に終わろうとしている。
”ねえアンタ”
”ん?”
”アンタさ、将来の夢とか……ないの?”
”将来の夢?”
唐突に変なことを聞くものだ、と思ったが、ああ。この遠足自体が、自分の将来なりたいものを考えるきっかけになるよう、と言われていたのだった。
”ないよ”
”アンタ、頭いいのに?”
”皆過大評価している”
前世を辿るなら、俺は精神疾患を患うことになる。その直後にADHDとASDが判明する。もっと遡れば、高校数学で躓いて、ついていけなくなる。
言葉を用いるのは得意だが、的確な要約ができない。思い込みが激しく、なかなか考えを変えられない……当時の試験結果に、心理士が書き加えた印象を思い出す。
俺はあの時に呪われた。文字となったそれは、同時に救いでもあった。しかし、変えようのない現実だった。
これからますます景気が悪くなり、面接を重ねる。多くに門前払いされる。情に絆された面接の中で、ここなら、と思ったら、情によって壊された。
”俺には何の希望もない”
”……なによ、それ”
アリスが俺の顔を睨もうとして、たちまち表情を変えた。俺は一体どんな顔をしていたのだろう。たたらを踏んだ彼女は、俯いて、壁に背中を預けた。
”なんの希望もないなら、なんでアタシに構ったりするのよ”
”それとこれとは別だ”
”別じゃない!同じことよ!”
勢い込む彼女に、俺は力なく笑った。1度目の人生が、呪いが、再び俺を虚無へと引きずり込もうとしていた。その一端をアリスに見せて、俺は、何をしようとしているのだろう。
”訳わかんない……”
ぐしゃぐしゃと、髪の毛を掻き回す。人形のような金色の髪が、サラサラとこぼれ落ちる。
”アンタなんか、大キライ!”
”……ああ、知ってる”
やろうと思えば、もっと上手く、口先だけで、誤魔化せたはずだ。
それができるような人間なら、俺はもっとマシな企業に就職できていただろう。卒業間近になってスーツを着て、髪を黒に染め直した連中のように。普通の人生を送ることができたはずだ。
しばらくアリスとは口を利かなかった。向こうが、それを許してくれなかった。時間が解決してくれる、と教師たちは思ったのだろう。
彼女の両親は、大学で、日本文学を専攻していた。その後、教える側となった。そして、情熱のあまり日本に来てしまった。
故に、十分すぎる下地はあったのだ。
ある日、教室が大いに盛り上がっていた。ドアを開ければそこには、カタコトながら、自分の意志を通そうとするアリスの姿があった。
そうだ。俺は、彼女が日本語を使いたがらないのをいいことに、彼女をいつまでも外国人の枠に留めようとしていたのではないか。もう少し、ゆっくり話して。そう言いつつ、アリスはちゃんと、話題に食いついていけていた。
俺は人の輪を壊さぬようにランドセルを置き、校庭に向かった。朝。冷たい空気が刺すように、体の中に入ってきた。
「おめでとう、アリス」
別れの言葉だった。これで、二度目の人生も、彩りを失った。この先を終えても、また、3度目の人生が待っているのだろうか。「よし、もう一度!」とは、とてもそんな気分にはならなかった。
大きく息を吸い込む。吸って、吸って、何もかもを忘れたい。恐怖に膝が笑っている。
”何やってんのよ!”
大声が、響いた。振り返る。
「アリス……?」
”私はねっ、掴み取ったわよ、未来を!”
この冷たい空気にむせながら、少女は胸を張る。
”アンタが何に怯えているか知らないけど……”
「アリス」
すぅ、と、彼女が息を吸い込んだ。
「私が踏み出したように、アンタだって踏み出してよ!じゃないと……私の気持ちは、どうなるのよ!」
アリスが駆け寄ってきて、体をぶつけるようにして、抱きついてきた。真正面から、至近距離から、青い瞳に射抜かれる。
”……ホント、アンタなんか、大キライ”
少女の唇が、頰に触れた。真っ赤になった彼女は、チャイムが鳴ったのをいいことに、校舎の方へと駆け込んでいった。
俺は呆然と、彼女の後ろ姿を見送った。灰色の校舎が、朝日に照らされて、赤く、燃えるように輝いていた。