【5】
◇ ◇ ◇
狭苦しい寮の部屋のベッドに身体を投げ出して、俺はさっきから薄汚れた天井を睨みつけている。
あれからもう一週間経った。
同級生だし、心葉とは講義で一緒になることも少なくない。
俺たちは互いに、話すどころか目も合わせないようにしてた。
あからさまなぎこちなさは、きっと夏海には伝わってる。もしかしたら他のやつらにも。
いつの間にか、約束の一か月はもう終わりが近かった。
このままバックレれば、結局三分の一は何もしないで金だけ手に入ったわけだ。楽して儲かってラッキーじゃん。
わざと露悪的な言葉で自分を煽る。
そんなこと思ってない。
ホントに思ってないけど、……その通りなんだ。
だってただの『バイト』なんだから。
俺はどうすればいい?
違う、どうしたいんだ?
このままじゃ、もう二度と心葉と笑い合う日なんか来ない。
──おい俊樹、お前それでいいのか?
身体を起こし、俺は枕元に置いたスマホに手を伸ばす。
迷いに迷って、結局書いたのは最低限の用件だけのごく短いメッセージ。
《ココ、会いたい。会って話がある。》
何度も躊躇って指先を彷徨わせた挙句、俺はえいやとばかりに送信ボタンをタップした。
《私も会いたい。せめて最後に話したいの。どこがいい?》
《 あのカフェ。明日の六時。》
心葉からすぐに返信があって、今度は速攻で送る。
彼女からの承諾のメッセージを確かめて、スマホを布団の上に投げ出した俺はまたベッドに転がった。
一人で向かうのは初めての、心葉の家の最寄り駅。
先日のカフェに入ると、彼女はもうドリンクを前に座って待っていた。この間とは違う二人掛けの席。
俺もカウンターで適当にコーヒーを買って、奥の座席に進む。
「……俊樹くん、来てくれてありがとう」
「俺が誘ったんだから当然だろ。ここですっぽかすほどクズじゃない」
なんて会話だよ。これじゃ俺、すげー嫌な男だ。
なのに、うっすら微笑んでる心葉。そして、着てるのが最初の食事のときと同じ服だって気づいて堪らなくなった。
バイト初めてまだすぐの頃。
俺は奢りメシありがてえ! が先に立ってたけど、彼女にとっては『楽しいデート』だったんだろうか。
単にあんまり種類ないって理由だけど、俺も同じような白Tと黒デニムだ。まるであの日に戻ったみたいな……。
ただの考えすぎかもしれない。
でも心葉は、俺が知る限り同じ服繰り返し着たりしてなかった。一度しか着ない、なんてわけないのは当然として、組み合わせは変えてた気がする。
このワンピースもボレロも確かに何度か見た気はするけど、いつも別の服と合わせてた。
あと、似たような地味な服でもよく見ると違うやつ。
今思えば、この子かなり衣装持ちなんだよな。
ああ、やっぱり俺は……。
「ココ、最初から間違ってたんだ。俺も、二人とも」
これ、言っちゃってもいいのか?
一瞬悩んだけど、結局俺は口を開いた。
「……俺は『尾崎さん』のこと、一年のころからちょっといいなって思ってた。その俺の気持ちをココは踏み躙ったんだ。金で」
「俊樹くん……」
俺の突然の『告白』に、心葉は目を見開いて静かに涙を溢れさせた。
「これ返す。俺、ココとデートしてたんだ。バイトじゃなくて。だから金もらうのはおかしいだろ? 受け取ったのがもうアウトだったんだよ」
テーブルに置いて彼女の方に押しやった銀行の封筒。ATMで引き出して来た二十万が入ってる。
「そんなの──」
涙を拭うこともせずに言い掛けた彼女を、掌を突き出して制した。
「でなきゃ俺、もうココといられない。つまらないかもしれないけど、俺にも心があるんだよ。金はなくても」
心葉には、それこそ理解できないことかもしれない。
だけど、これだけは譲れないんだ、俺も。
「……一緒に、いてくれるの? 私、俊樹くんにひどいことした、のに?」
「まず、その『いてくれる』とか『もらう』ってのからやめよう。俺はココと対等の立場で付き合いたい。──逆に、それができないならダメなんだ」
「ごめん、なさい。私、本当に何もわかってなくて、できなくて、本当に」
謝って欲しいわけじゃない。
俺はホントに心葉と一緒にいたいと思ってる。
最初からそうだった。こんなバカげた計画に乗った時点で、俺にとってこの子はちょっと特別だったんだよな。
それでも単に「なんとなく感じのいい綺麗な子」程度だったのが、二人で過ごすうちにとても大切な存在になってた。
──好きなんだよ、君が。
きっと心葉は、今まで「自分には金しかない」って呪縛掛けられてたんだ。
だから俺にも「金の力」使わなきゃ振り向いてもらえないと思った?
あんな凝った計画立てて、従兄とはいえ他人巻き込んでまで俺を騙して。
そう。見合いだけじゃなくて、心葉の親は娘を道具に使うような人たちじゃないんだろ?
……全部、噓だった。
それってすごく哀しいよ、心葉。
「ココ、だから一番はじめからやり直そう。──俺、バイト再開するから今までみたいにずっと一緒にはいられないけど、なるべく時間作るようにする」
「俊樹くん、本当に私でいいの…?」
「違うね。俺はココがいい」
この一週間考えに考えて、辿り着いたのはシンプルな答えだった。
俺の『恋人』が自分の良さに、魅力にも気づくように。
後ろ向いて悪いことばっか数えてないで、もう少し、もっとずっと、自信持てるように。
俺にできることがあるなら何でもする。
だから並んで前見て歩こうよ。
二人で、手をつないでさ。
~END~