【1】
「長谷部くん、ちょっと話があるんだけどいい?」
大学の講義が終わった後、帰ろうとしてた俺に話し掛けて来た同じ学部の女の子。
「えっと、尾崎さん?」
「……もしかして覚えてくれてないの? 去年一年間一緒だったのに」
つい口籠った俺に、彼女は少し残念そうな表情を向けて来る。
「いや、覚えてるよ。当たり前じゃん!」
俺は慌てて言い繕った。本当に、しっかり覚えてるって!
尾崎 心葉。
おとなしくてあんまり目立たないけど、よく見るとすごく整った綺麗な顔してる。
……それに気づいたのはいつだったか。
「あのね、長谷部くん。アルバイトしない?」
二人で向かった学生ラウンジの隅の席に落ち着いてすぐ、彼女がいきなり切り出した。
確かに俺は常に金欠だ。
友達にもよく愚痴ってるし、この子が知ってて小遣い稼ぎを持ち掛けて来ても別に不思議じゃない、けど。
「私の『彼氏のフリ』して欲しいのよ。いいかな?」
「それだけじゃ何とも返事できないんだけど」
あまりにもざっくりしすぎた依頼に、判断のしようがなくて俺は正直に答える。
「……そうよね。じゃあ詳しく話すから聞いてくれる?」
「いいよ」
少し考えてから口を開いた心葉に返した。
「実は私、今度お見合いするの」
「は⁉ み、見合い、って。まだ十九だろ? あ、もし二十歳になってたとしても早すぎない?」
誕生日早かったらもう二十歳だけど、それにしてもさぁ。
俺たち大学二年だぞ!? 驚きのあまり声がひっくり返った。
「そう、ね。普通じゃないかも。でも私、せめて大学の間くらい自由にしていたいの。恋愛だってしてみたいのよ。お見合いで結婚決まったら、もう何もできないでしょ?」
事情は全然わかんないけど、俺にもその気持ちは理解できた。
どんないい加減な男だって、大学生なのに『結婚相手』のいる面倒な子となんか簡単に付き合えないよなぁ。
「そういうの、プロの人がいるんじゃないか?」
探せばレンタル彼氏とか絶対あるだろ。何でもやってくれる便利屋みたいな。なんで俺なんだ?
なんか売れない役者がバイトでやってたりする、って以前友達に聞いたことあったな。わざわざ素人のクラスメイトに頼むより、その方が確実だと思うけど。
「お仕事の人って本当に信用できるかどうかわからないもの。親に頼めればもちろん別だけど、絶対に内緒にしなきゃならないし。……長谷部くんなら安心だから」
まあ、それはそうかも。
下手なところに頼んで後々問題になったら困るもんな。
親バレNGってのもネックなのか。「親にバラす」で脅されたりとか、悪質なとこならありそうだ。
今はホントに、何でも疑って掛からないとヤバいご時勢だから。世知辛いねぇ。
「……それで俺に、その見合いに『彼氏』として乗り込んでぶっ壊せって?」
「ううん、それは困る! そんなことしたらうちの親の顔潰しちゃうから」
じゃあどうすんだよ、と思った俺に、彼女は説明を始めた。
「お見合い自体は来月で、一か月とちょっと先なの。互いの家同士は納得の上なんだけど、向こうだってまだ二十四くらいの人だし絶対相手、つまり私のことが知りたいと思うのよね」
そりゃそうだ。
その年で見合いとか「いいお家」なら避けられないにしても、せめてどんな女なのか気になるよな。よそ行きの写真や履歴書? だけじゃわかんないことあるし。
「だからそれまでの間、向こうがいつ調べてきてもいいように私と一緒にいて『彼氏いるんだ』って見せつけて欲しいの」
それで相手の方から断らせたい、と心葉は続けた。
彼女の側からは断れない関係なのかな。なるほどね。だけど……。
「いつ来るか、そもそも来るかどうかもわかんないんだよな? それなのに一か月以上毎日一緒に?」
協力してやりたい、一緒にいたい気持ちはある。頼まれなくても立候補したいくらいある!
それはともかく、そこまで時間取られたら今のバイトできなくなるじゃん。大袈裟だけど、そうなったら俺の生死に関わる。
マジ、ギリの生活してんだよ……。
「それはちょっと──」
さすがに負担重すぎないか? と難色示す俺に、彼女があっさり告げて来る。
「アルバイトだからきちんとお給料は払うわ。だって今のお仕事そのまま続けられないでしょ?」
そのあたりは彼女も承知の上らしい。
俺のバイトは、特待で奨学金受けてるから学業に触りが出ないように平日はせいぜい数時間程度だった。そのかわりに休みなしで毎日、あと土日どっちかは大抵まる一日入るけど。
「基本的には、大学から私の家の最寄り駅まで一緒に帰ってもらえるだけでいいのよ。時々お食事に行くくらいかな。その時は少し時間長くなっちゃうけど。あとはお休みの日もできるだけ会ってもらえたら。もちろんお代金は全部私持ちで」
「うん、それなら………」
別に嫌なわけじゃないからな、全然!
受ける方向にぐっと傾いてた俺は、次の彼女の言葉で絶句してしまった。
「いちいち一回とか一日とか細かく決めなくてもいい? もしかしたら急に予定外で付き合ってもらうこともあるかもしれないから、そういうのも全部込みで二十万なら大丈夫?」
「に……!?」
おい待て! 二十、万? そんなまさか、聞き間違いか? だって俺が目一杯バイトしても月十万行かないぞ!?
まあ一応親の扶養だから、その範囲に収めないとって計算してるのはある。
いやでも……。
俺がそういうの疎いというか興味ないせいかもしれないけど、この子には本当に『金掛かってる派手なファッションや持ち物』ってイメージは全然ない。
むしろ地味なくらいだし、他の子と比べてもごくフツーかそれ以下って感じだったんだ。
顔立ちじゃなくて盛り具合っての? 実はメイクもしてないんじゃないかって思ってたら、クラスの女の子に「薄ーくだけど一応してるよ」って笑われたな。
だけど考えてみれば。
学生なのに「お見合い」なんて、一般家庭じゃあり得ないよな。価値観とか金銭感覚そのものが違うってわけか。
「あの、少な過ぎた……? ごめんなさい、私よくわからなくて。あといくら──」
考え込んでる俺に、まったく別方向の不安を抱いたらしい心葉がおずおずと口にした。
「いや十分だから! わかったよ。俺で役に立つなら」
笑いたきゃ笑えばいい。
そうだ、俺は金に目がくらんだアホだ。違法なことする気はないけど、金は欲しいんだよ。文句あっか!
金をもらってちょっと気になってた子と付き合う後ろめたさと情けなさを、俺は必死で誤魔化してた。
誰に聞かせるわけでもなく、自分に向けて。
心葉の思惑はわからない。俺が、なんというか『安全牌』だと踏んだから選んだだけかも。
「ねぇ、長谷部くん。私のこと『ココ』って呼んでくれる? 私も『俊樹くん』て呼んでいい?」
「ああ、いいよ。そういえば尾崎さん、女の子たちには『ココ』って呼ばれてたっけ。……あ、ココはさ」
確かに、恋人同士なら「長谷部くん」「尾崎さん」はないよな。
「うん。仲良しの子はみんなそう。『ここは』って言いにくいでしょ? 変な名前だし」
「いや──」
ヘンとまでは言わないけど、まあ「今ドキっぽい名前だな」とは思ってたから言葉に詰まる。
「かっ、可愛い名前じゃん」
「……ありがと」
なんとか続けた俺に、彼女は目を伏せて苦笑いを浮かべた。ゴメン。
「今のバイト急には休めないし。シフト調整して空けて、早くて明後日くらいからかな。構わない?」
「ええ、もちろん。ありがとう、俊樹くん」
嬉しそうな心葉。よし、バイト料の分は頑張って働くか!
せめて「俊樹くんに頼んで良かった」って思ってもらえるように。