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05 赤い少女

「――どうして!!」


 音のない自室に、悲痛に満ちた自分の声が虚しく響く。


 もう誰も傷つけないと決めた。そのためならなんだってすると。それなのに私はアリスを害そうとした。小さくか弱い、無抵抗の少女の頬を打つ寸前だった。会ったばかりの私を、悪役の私をお姉様と呼んでくれたあの子を、私は……


「――っ」


 両手で顔を覆うと、思い出したようにまた手が震え出す。


 どうして。どうして私はいつも家族を、大切な人たちを守れないの。傷つけてしまうの。


 同じ城にいながら、関わりの薄い陛下。


 あの方にとって私は、どれだけ価値のある人間なのだろう。それはゲームが始まり、私が全てを失った後はどれだけ減り、残るのだろう。あるいは価値なんて元から存在しないのか。


 そんな陛下が愛し、必要とした、母様の面影が濃い夫人。


 私と違って彼女は、確実に求められてこの城にいる。そしてこれから先も必要とされ、求められ続ける。陛下にとってもこの世界にとっても、価値のある人間。


 そして夫人とココット卿の間に望まれて生まれた、王家の色を継ぐ双子たち。


 身も心も綺麗な二人に、人は惹かれずにいられない。光とは、幸せとは彼女の元に集まるもののことをいう。この世界はある意味、彼女を穢すために存在しているようなものだ。……この私を筆頭に。


 家族。


 以前の私が何より恋しくて、二度と取り戻せなかったもの。それが今は望まずとも手の中にある。恵まれている。私は今、嬉しいはずだ。


 嬉しいはず、なのに、


「どうして……っ」


 その存在を思い出すだけで体が。頭の中が、燃えるように熱い。抑えきれない衝動に、思考が昏く塗りつぶされていく。





 ……もういっそのこと、全て壊してしまえばいいじゃない。どうせ何も叶わないのだから。


 娘の私に会おうともしないその首を刎ね、この目に下品な笑みを晒したあの顔を削ぎ、高貴な私に語りかけた無礼な舌を引っこ抜き、尊い私に触れようとした罪深い五体を裂く。


 刃が滑らかに肉を裂く爽快感。


 手の中で骨が砕ける小気味良さ。


 内臓を抉り出す時の悲鳴に震える耳朶の痛み……嗚呼、堪らない。


 この手で命を終わらせる感覚だけが、私に生を実感させてくれる。積み重ねた骸を見下ろしながら、返り血の温もりに浸る瞬間こそこの世の至福。私の唯一の、しあわせで……



「ひっ――」



 目を開けると、視界を覆う自分の掌が真っ赤に染まっていた。


 声にならない悲鳴を上げながら顔から手を放すと、震える掌は手汗こそ酷いものの汚れてはいない。


 誰の血もついていない。殺していない。なら今のは、どうしてこんなこと考えて……


 私は髪に手を突っ込み、頭を掻き乱す。


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だいやだ。絶対に傷つけたくない。あんな思い、もう二度と……!


 立ち上がり、ふらつく足を無理やり前に進める。


 色々なものにぶつかり、何かが割れる音を聞きながら、一度も使ったことがない姿見の前に立った。かけられている布を引くと生地が裂ける音がするも、構わず床に投げ捨てる。


 鏡の中の、初めて見る自分の姿を見つめる。


 赤髪赤目の少女が眉をひそめ、こちらを睨みつけている。恐ろしく目つきが悪く、病的に肌が白い。紛れもなく『エスロワ』のビビットの幼少期だけれど、今はそんなことどうでもいい。


 ――さあ、笑え。今、私は嬉しいのだから。


 これからこの城に、新しい家族の姿が当たり前に在る日常を想像する。マグマのような衝動が再び腹の底から湧き上がってくるのを感じて、赤い少女は激しく頭を振る。


 ――笑え。


 見れば見るほど、母様にも陛下とも似ていない。王家の色がないだけでなく、巻き髪のような長い癖毛も、高い鼻も。紅を差したように赤い唇も、何もかもが似ていない。


 そもそも私は悪役だ。主人公であり善の塊のアリスや、その家族と似ているはずがない。


 ――見た目も中身も、アリスやルイスの方が余程王族の名に相応しい。


「……!」


 そう思った瞬間、少女の顔がぐしゃりと凶悪に歪んだ。


 鮮血の如く赤い瞳の奥でギラギラと光っているのは、明確な殺意。先程の、アリスの前での醜態が偶然ではないことの証明だった。


 姿見に手を伸ばし、顔の輪郭部分に指で触れる。


 私の身体の何一つ、どこをとっても悪役の要素しかない。それなのに、こんな私が、この世界をどうにかしようと本気で思っていたなんて。なんて愚かで滑稽なのだろう。


 やるべきことは、ただ一つ。

 初めから一つしかなかったのに。


 ただ、もう自分の手で傷つく何かを見ることがないというのは、うれしい。ぎりぎりでも止まることができて、気づけて本当によかった。


「あはっ」


 強張っていた体から力が抜け、赤い少女はようやく嗤う。その目が映すのは喜びではなく、全てを諦めた者の絶望だった。

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