04 運命の出会い
首を斬られる寸前のような顔をしていた夫人の柔和な笑顔に、私は小さく息をついた。
気が抜けたせいだろうか。嬉しそうに話す夫人の声がなんだか遠くに聞こえる。
「……子供たちのご紹介が遅れまして申し訳ございません。こちらが兄のルイス、うしろに居りますのが妹のアリスです。二人とも、ビビット様の一才歳下ですわ。双子なのです」
その名前にはっとして、私は慌てて返事をしながら姿勢を正した。
アリス、ルイス……。主人公と、その兄だ。
私とはいとこの関係だけれど、夫人同様これまで存在自体知らなかった。そんな相手と初対面でいきなり義理の家族になるなんて、改めて考えると気まずい。狂っている。
夫人の横に立っていた小さな人影が動き出し、向こうも困惑しているに違いないと私はその顔に初めて目を向けて、思わず目を見開いた。
――そこには、氷のように冷たい雰囲気を纏った美少年が立っていた。
涼やかなアイスブルーの髪と瞳。陛下やココット卿と同じ、王家の色だ。目鼻立ちが異常に整っているけれど、それだけじゃない。まだ幼いのに、涼やかな瞳の奥に理知的な光が宿っているのが分かる。
ゲームで散々見た顔なのに、常識とかけ離れすぎているからか全然見慣れない。こんな男の子見たことがない。
「ルイスと申します。よろしくお願いいたします。王女殿下」
ルイスは私をしっかりと見つめながら落ち着いた声色でそう言うと、完璧な作法で腰を折った。
「ええ。よろしくね、ルイス」
その背に向けて笑いかけると、顔を上げたルイスは「はい」と短く答えて下がっていった。思わずその視線を追うも、すぐに逸らされる。
警戒されているのだろうか。だとすれば正しい。
どうか今の気持ちを忘れないでいてほしいと願いつつ、私は夫人の背中から除くアイスブルーの頭部に目を向ける。彼女は、私が入室した瞬間からずっとそこに隠れたままだ。
「アリス、ビビット様にご挨拶なさい」
「……」
アリス、と呼びかけられた少女はぴくりと頭部を震わせた後、夫人の背中からゆっくりと顔を覗かせた。
――目の前に、天使がいる。
涙で潤んだアイスブルーの丸い瞳。同色の、腰の当たりまで伸びた絹糸のごとく美しい髪。桃色の頰。蕾のような唇。
どれを取っても完璧なパーツが絶妙な配置で組み合わさり、神秘的なほどに愛らしい少女を形作っている。耳上の両サイドの髪を括ったへアスタイルがとてもよく似合っていて、まるで彼女のためにある髪型のようだ。
髪と目の色や顔つきだけでなく、来ている服の素材もルイスと同じだ。それなのに雰囲気が違いすぎるせいか、全く似ている感じがしない。
年の割に大人びたルイスとは反対にアリスは少女らしく、いるだけで場が明るくなるような空気感を纏っている。こう、誰も知らない密室に閉じ込めてしまいたくなるような……うまく言えないけれどそれくらい愛らしい。
ふいに息苦しさを感じて、私は自分が息を止めていたことに気がついた。
呼吸を忘れるほどに見惚れていたらしい。さすがはルート別とはいえ、美形揃いの王子たち全員に愛される主人公。ある意味恐ろしい。
気がつくと、いつの間に移動したのかアリスがすぐ目の前に立っていた。
私より頭ひとつほど小さい彼女を見下すと、途端に緊張からか両手が震え出す。私は彼女に見えないようにそっと手を拳に握りしめる。何か言わなければと思うのに、言葉が出てこない。
「アリスと申します。よろしくお願いいたします……ビビットお姉様」
固まったまま動けずにいる私に、アリスがその小さな手を差し出してきた。その瞳を恐る恐る見つめ返すと、彼女はふわりと花が咲いたように笑った。
――この子が、アリス。
この世界の主人公。世界を救う、『剣聖』となる少女。
一年前の事故で父親を亡くすまで、彼女はただの侯爵令嬢だった。そして今日からは再婚という大人の都合で王家の姓を名乗り、この城で暮らすことになる。
こうして今手を差し出している人間の本性も、これから待ち受ける悲劇も、何も知らない。今はただの、小さく哀れな義理の妹。
そして、彼女が自分の運命を知る日はこない。この世界に降りかかる悲劇は、私が全て破壊するのだから。
「――お姉様?」
驚きと心配が混ざった呼び声に、反射的に動きを止める。アリスに向けて伸ばした手は、何にも触れることなく空中で止まっていた。
「殿下、如何されましたか? ……顔色が」
「――至急、治癒術師に連絡を」
「……騒がないで。少し、目眩がしただけだから」
騒ぎ出す侍従を言葉で制すも、心臓はバクバクと暴れている。冷や汗が背中を伝うのが分かり、必死に平静を装う。
「まだお会いしたばかりなのにごめんなさい。私はここで失礼させていただきます」
これ以上ここにいたら駄目だ。早く人から、この子から離れないと。
「は、はい。貴重なお時間を賜りまして、誠に感謝申し上げます。あの……ビビット様、大丈夫ですか? どこか調子がお悪いのでは――」
「ご心配には及びません。それよりお三方とも、しばらく落ち着かないと思いますが、どうかくつろいでください。……では」
心配そうにこちらを伺う夫人に背を向け、私は足早に部屋を後にする。
――駄目だ。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。
バタン!! と私室の扉を後ろ手で閉め、私は膝から床に崩れ落ちる。
「――どうして!!」
私は打ちのめされ、絶望した。
アリスの握手に応じようと伸ばしたはずの手が、その頬を打つ寸前だったという事実に。