36 「大丈夫……?」
「――お前っ、なんで……!」
――スターチスでの防衛会議当日。
私は私の中の予定通り、朝番の時間よりも早くスターチスの王城を訪ねた。従者により客室に案内された私の元へ数分もしない内に飛んできたロルフは、息を弾ませながら目を丸くして私を見ている。
「だって、スターチスから正式に日程変更の報せは受けていないもの。貴方は来るなって言ったけれど、剣聖が連合国の王命に逆らえるわけないじゃない」
私が事前に考えておいた反論をいけしゃあしゃあと口にすると、ロルフは眉をひそめて唇を噛んだ。彼が私を城に来させたくなかった理由は大方想像がつくけれど、ここばかりは私も譲れない。
空を睨みつけて黙りこくるロルフの言葉を待っていると、その背後――開け放たれたままの客室の扉から、メイド姿の女性が姿を見せた。
「ご歓談中のところ失礼いたします。ロルフ様、国王様より言付けを賜って参りました」
メイドは扉の前で恭しくスカートの端を摘まんで礼を取り、そう告げた。
「……なんだ」
ロルフは嫌悪感を剥き出しにした声色でメイドの方へ振り返った。日頃の態度は決して良いとは言えないものの、彼が私以外を相手に心を乱すところを見るのは初めてだ。
「はい。――儚くとも生ける英雄たる剣聖殿に、会議の刻まで強き我が王国を案内せよ、とのことです」
情緒がまるで感じられないメイドの声音が響き、客室をつかの間の沈黙が支配し、
「――。――。……もういい。下がれ」
ロルフがボソッと呟くような低い声を発し、沈黙に冷たい終止符を打った。
ロルフがメイドの言葉をどう受け止めたかは分からないけれど、国王の言付けは私への侮辱に他ならないだろう。
――弱き剣聖に守られずとも強い我が国を見せてやれと、メイドを経由して蔑まれたとしか解釈のしようがない。
『エスロワ』でも同じ日に、アリスは防衛会議に招集されていた。アリスも私と同様に歓待はされていなかったけれど、今のように時間より早く城に来たりはしなかったからこんな場面はなかった。
相手がアリスでも国王は同じ言付けをしたのかしらと考えながら、私はロルフの命令を受けたメイドを眺める。すると、部屋から下がるしか選択肢がないはずの彼女が下からロルフの顔を覗きこむようにして見上げたのを見て、私は思わず目を見開く。
「ご案内する、ということよろしいですね」
「……」
「ロルフ様――」
「すればいいんだろう、すれば。――早く下がれ」
メイドは、誰が見ても無礼と判断するであろう相手を言及する目でロルフから肯定の言葉を引き出すと、何事もなかったかのように粛々と礼をして去っていった。
閉じられた扉の前で俯き、拳に握った手を僅かに震わせるロルフの背中を見ながら、私は内心首を捻る。
ハルジオンもしきたりがあるから他の国のことは言えないけれど、スターチスの城では従者が無礼を働くのが普通なのか。私に対してはともかく、ロルフに対してあんな態度を取っていい理由はこの国にはないはずなのに……。
『エスロワ』の彼の設定を振り返っていると、ふいにロルフがこちらを振り返った。思案をやめて顔を上げると、ロルフの端正な顔からは表情が抜け落ちていた。分かってはいたものの、シナリオ通りに事が運んでいる事実に私は気を引き締める。
「――行きましょう、ロルフ。案内、してくれるのよね」
彼の性格上自分からは言いにくいだろうと、私はソファから立ち上がって自らロルフの横に立った。
「お前は……」
返事を待たずに扉まで歩いて行きドアノブを握る私の後を、無言で着いてきたロルフが沈んだ声を発した。
「?」
横を見ると、ロルフが影を落とした顔で私を見ていた。ドアノブを握りしめたまま続きを待っていると、ロルフは開きかけていた口を閉じて私から目を逸らした。
「……早く行けよ。会議の時間まであと二時間もない。後でどこを回ったか聞かれて困るのは俺だ」
いつも通りの辛口を吐いたロルフに、私は「ええ」と頷きドアノブを引いた。すると、ゴンッ! というものすごい音がすぐ脇から聞こえた。
「……っ!」
反射的に音の方を向くと、微かな呻き声を漏らしたロルフが額を押さえながらよろよろと後ろに後ずさっていた。
「ごっごめんなさいロルフ! 大丈夫……?」
私は急いで謝りながら、私が開けたドアに額を思いっきりぶつけたらしいロルフの顔を覗き見る。すると彼は額から手を離し、微かに涙がにじんだ目で私を強く睨みつけた。
「っいいから、早く行けって言ってるだろ……!」
その口が達者な事に私は安堵しつつ、大きなたんこぶができた彼の額は見なかったことにして客室を後にしたのだった。
◇◇◇
――十五回。
スターチスの城を出てから戻って来るまでに、私がロルフに「大丈夫……?」と言った回数だ。
王命通り、国を案内するために共に城を出発したロルフは、ただ歩いているだけなのに道端の小石に躓いて地面を転がり、ただ商店街の出店を見ているだけなのに本屋で倒れて来た本棚の下敷きになり、ベンチに腰をかけて小休憩を取っている時ですら服を鳥の糞に汚されていた。
思い出せば切りがない「大丈夫……?」の受け取り人であるロルフ程ではないものの、心配と驚きと「大丈夫……?」の使い過ぎで私も正直なところへとへとだった。
本懐である防衛会議はまだ始まってもいないというのに、大げさでなく命からがら城へ戻ったロルフの姿は戦後の兵士のようにボロボロで、彼は私を再び客室まで案内すると「着替えて来る」と言い放ち仏頂面で部屋を出ていった。
――否、出て行こうとした直前。
ドアと廊下の間にある溝に躓き、ビタンッ!! と倒れたロルフに「大丈夫……?」する気力は、私にはもう残されていなかったのだった。




