33 芽吹いた夢
俺は自分の一部を失くしたような抜け殻のような気持ちで、ビビット様と一緒に子供たちを洞窟の外に運んだ。
全員自分が運ぶと言ったけどビビット様は、「大丈夫よ。日が暮れる前に外に出たいし、私も一緒に運ぶわ」と微笑んだ。その笑みに俺はまた、自分とビビット様の間の一生埋まることのない溝の深さを思い知ったのだった。
子供たちを運んでいる途中でこの洞窟の周辺に転移されたのだと言う騎士たちに見つかり、彼らはビビット様の重症に青ざめながらも騎士団本部に連絡を取った。俺は何も乗っていないはずの肩の荷が下りたような気がして、ひっそり嘆息した。
しばらくして本部の騎士たちが到着し、洞窟から少し離れた平地でビビット様が騎士に囲まれるのを、俺は洞窟の出口から眺める。
――ビビット様にお会いできた。それどころか思いがけず洞窟で二人きりになり、たくさんお話しさせてもらえた。俺の夢は終わったけど、これでよかったんだ。
そう。あのままビビット様の背中に焦れ、過ぎた夢に浸るという間違いを犯し続けるより、今の方がずっといい……。
俺は自分の体の真ん中に大きな穴が開いたような気がして、必死に自分に言い聞かせていると、ビビット様が一人で俺の目の前まで歩いて来た。
「剣、いつまでも預けたままでごめんなさい」と謝るビビット様に首を振り、俺は無言で聖剣をビビット様にそっと手渡した。
するとビビット様はベルトについているポケットの中から蛍光色の紫がかった液体が入った小瓶を取り出し、右腕の包帯を取ると液体を全て傷口にかけた。
薬屋の息子としてその薬品らしき液体の正体には少し興味が湧いたけど、俺はそこには触れてはいけないような気がして、取れた腕を傷口につけて包帯を巻いているビビット様に声をかけた。
「そ、その怪我は……」
「治るわ。少し時間はかかるけれどね。城の薬はよく聞くの」
なんでもないことのように話すビビット様の様子に俺は安堵した。もし治らないなんて言われたら、俺は今日のことを一生引きずっただろうから。
「よかった、です……」
……そう。全部、これでよかったんだ。今日騎士の現実を知ることができたおかげで俺は、一生を棒に振らずに済んだんだから。
再びそう自分に言い聞かせていると、ビビット様が地面を見る俺の顔を覗きこんだ。驚いて顔を上げると、ビビット様が眉尻を下げながら口を開いた。
「エドガー。今日私が話したこと、そして貴方に見せてしまったもの、全て忘れなさい」
「――えっ?」
思いがけないその言葉に目を剥く俺に、ビビット様はさらに続けた。
「私も、忘れることにするわ。貴方は今日詰め所には来なかったし、私と一緒に洞窟に転移されたりなんてしていない。――ねっ。だから貴方は明日からも、貴方の普通の生活を送るの」
日が暮れ始めた空に目を向けて穏やかに話すビビット様の横顔を見つめながら、俺はうわ言のように言われた言葉を復唱した。
「普通の、生活……?」
どうしていきなりビビット様がそんなことを言うのか、分からなかった。でもビビット様は俺の声など聞こえていないかのように空に目を向けたまま、騎士の輪の中へと戻って行ってしまった。
……まるで、俺の存在そのものを忘れてしまったかのように。
今何を言われたのか。自分がどんな感情の中にいるのか、分からない。――でも確かなことが一つだけある。
ビビット様は俺のためを思って忘れろと、そう言ってくださったんだろう。
洞窟の中でのビビット様の言動からして間違いないという確信が俺にはあった。同時に、こんなにも尊いお方にはこの先二度と会うことは叶わないだろうと思った。
――いやだ。
忘れたくない。あんなにも鮮烈で、鮮やかで。優しくて、温かくて。誰よりも強く気高いあの方を。忘れることなど出来るものか。
それに俺は、こんな気持ちを抱えたまま今まで通りに生きるなんてとてもできないと思った。
ビビット様は、俺の普通の生活を尊重してああ言ってくださったのだろう。だってそれは騎士の道とは違い、自分自身や誰かが目の前で傷つけられることなどあり得ない平和なものだから。
騎士の夢を諦めた俺には、ビビット様の言う通り今まで通りの普通の日常しか残っていない。
でも。でも……!
『エドガー。お前はどうしたいんだ?』
俺は騎士たちの中からドミニクの姿を探し出すと、平地に向かって走り出した。
「ドミニク……っ!」
その背中に声をかけると、ドミニクは驚いた顔で振り向き、目をつり上げて言った。
「っお前! 転移に巻きこまれたって聞いたけど、今までどこにいたんだよ! 心配させんな!」
「っごめん、悪かった。……それより、聞いて欲しいことがあるんだ」
俺はしかりつけるように言ったドミニクに急いで謝り、その目を見つめた。俺の様子がおかしいことに気がついたのか、ドミニクは一瞬眉をよせたもののすぐに頷いてくれた。
「率直に聞かせてくれ。――お前は、俺が騎士になれると思うか?」
ドミニクの一挙一動を見逃さぬよう、俺は瞬き一つせずドミニクを見つめながら尋ねた。ドミニクは俺の問いに瞳を僅かに見開き、しばらく俺を見つめた後で口を開いた。
「――当たり前だろ。お前に騎士の見込みがないなら、わざわざ詰め所までお前を呼び出したりするかよ」
口元を緩めながら当然のことを話すように答えたドミニクに、俺は目を大きく見開く。
「ほっ、ほんとか……っ?」
「ああ。っていうか、俺はお前をその気にさせるために厳罰覚悟で毎月お前を呼び出してたんだけど? お前鈍いから、気づくわけないとは思ってたけどさ」
「えっ」
俺はてっきり、ドミニクは騎士の資格がないにも関わらず夢を捨てきれない俺に同情して、毎月詰め所に呼んでくれていたのだと思っていた。
だって、
「なんで。俺、魔法の才能ないって知ってるだろ……」
「知ってるけど、それがなんだよ。それを言ったら、ビビット様だって同じだぜ? ……あそっか。お前は知らないか。――あのな、剣聖は魔法が使えないし効かないのは知ってるだろ」
「ああ」
「でもビビット様は、剣聖の才に目覚める前から魔法の才能がなかった。それでも剣豪だって謳われてたのは、魔法の使える騎士たちの中でその頂点に立ってたからだ。ビビット様は、魔法なしでも騎士達を上回る剣の実力を持ってたんだぜ」
「――えっ」
その瞬間。靄がかかったように不鮮明だった視界が晴れるように、自分の心の中に一筋の光が差したような気がした。
「っそれって! じゃあ、俺も――」
「ああ。今のお前と似てるよな。もっとも? 昔のビビット様と比べても今のお前じゃあ、月とスッポンだけどなっ。……俺はずっと思ってたよ。お前は魔法なしでも魔法使いと渡り合える騎士を目指せばいいのにって」
「魔法なしで、魔法使いと渡り合う……」
俺は、洞窟の中でずっと追っていたビビット様の背中を思い出した。
――俺には、魔法の才能が無い。でもそんな俺だからこそ、あの方と同じ道を歩むことができるかもしれない。
どんなに時間がかかってもいい。ビビット様が言っていたような訓練地獄にだって耐えてみせる。だって俺が目指す道の先には他でもない、ビビット様がいるんだから……!
「ドミニク、俺……」
「ん」
「王国騎士になる――入隊試験、受けるよ。俺、騎士で一番になってビビット様をお守りしたいんだ」
「いいじゃん。できるぜ、なんて言ってやれるような目標じゃないけど、だからこそやりがいがあるってもんだろ」
「っああ……!」
俺は親友の隣で沈みゆく夕日を見ながら、決めた。
一生かかっても叶わないかもしれない夢を、俺はこれから一生を懸けて追い続けるんだって。
――後日。俺は王国騎士団の入隊試験を受けて、なんとか合格した。
そして訓練初日の朝。訓練場に向かう道すがら、偶然にもビビット様の後ろ姿を見つけた。
後ろから声をかけた俺に振り向いたビビット様は、驚いた顔で俺を見つめた。
「ビビット様! 俺……本日より、王国騎士団に入隊いたしました!」
――いつかかつての貴方のように騎士の頂点に立ち、誰より尊い貴方をお守りするために。
叶えるまでは口にしないと決めた新たな夢を強く心の中で念じながら、俺は挑むような気持ちでビビット様を見つめたのだった。




