31 剣聖の背中
転移門までの道中。荷物に挟まれながら揺れる俺の頭の中は、あいかわらずビビット様のことでいっぱいだった。
今日目が合ってから声をかけてもらうまでの記憶を何度も何度も思い返しながら、俺は自分はいかれてしまったんじゃないのかとも思った。でもそれ以上に、今自分を突き動かしている感情が何なのかを知りたい気持ちの方が強い。
あと少し。ほんの少しあの方と話すことができれば、俺はこの得体の知れない何かの正体が分かるような気がした。
ビビット様の小瓶を強く握りしめながら、何十周目かの詰め所での記憶を振り返っていた頃。ふいに馬車が動きを止めた。前の馬車の方から騎士たちが歩く靴音が聞こえる。
転移門についたんだ……。あの方に、ビビット様に会える!!
そう思った途端に心臓が早鐘を打ち、小瓶を持つ手が細かく震え始めた。俺は荷馬車からこっそり顔を覗かせて、騎士たちが馬車から降りていくのを眺める。
……焦れったい。
そう思った自分に、俺は驚いた。誰かにこんな気持ちを抱くのは初めてだった。
やがて騎士が荷物を取りにこちらへ向かってくるのが見え、俺は素早く荷馬車の下へと潜り込んだ。
いつもそうだけど、俺にはコソ泥の才でもあるんじゃないかと常々思う。俺がドミニクやビビット様に正面から会いに行ける身分ではないというだけだけど、この悪事を働いているような罪悪感だけは何度味わっても慣れない。
それでも俺はドミニクの誘いに乗りたかったし、今はビビット様にお目見えしたい。
自分の気持ちに嘘はつけないと俺が悪事を正当化している間に、応援部隊は5つに分かれた。先頭の部隊から順に転移門をくぐり、光と共に消え去っていく。運が味方をしてくれたのか、ビビット様が立っているのは最後の部隊の先頭だ。
――ビビット様のひとつ前の部隊が転移するのを見届けた瞬間。
今しかないと、俺は馬車の下から飛び出した。
「ビッ、ビビット様――!」
転移門に向かって全速力で駆けながら、俺はあの方の名前をひっくり返った声で叫ぶ。
人の名前を呼ぶだけで、こんなに緊張したことはない。喉がビリビリと痺れるような感覚と、体の真ん中から熱い何かが湧いてくるのを感じながら、俺は目を丸くして俺を見ているビビット様に向かって一直線に走る。
走る。走る。走る。
「――何だ君は! 止まりなさい! 止まれったら!!」
邪魔者はいないと思っていたのに。転移門の管理人が、走る俺に向かって叫びながら手を伸ばす。その手を避けようと旋回した俺を、反対側に立っていた管理人が体ごと抱きしめるようにして止めた。
管理人と一緒に地面に倒れ込んだ俺は、あと一歩進めば手が届く距離にいる門の中のビビット様を見て、例えようのない激情に駆られた。
一瞬、管理人の腕に嚙みついて拘束を解くという考えが頭を過ったけど、明らかに子供の悪戯で済む範疇を越えている。力の緩む気配がない管理人の腕の中で身を捩りながら、俺は転移門の光の中で瞼を閉じたビビット様をもどかしい気持ちで見つめた。
あまりの悔しさに唇を噛みながら、俺も光の眩さに目を閉じる。
――あの時、管理人の手を上手く避けていたら、俺は今頃ビビット様と一緒に居られたのに……!
強い後悔と敗北感に目を瞑ったままうなだれていると、ふいに体の拘束が無くなり、がくんと大きく体が揺れた。
「っいて……!」
いきなり自由になった俺の体はバランスを失い、顔面ごと何かにぶつかった。
「……ここは?」
土の臭いとざらついた感覚からして地面に倒れたのはすぐに分かったものの、体を起こしてみても何も見えない。
地面に両手を突いてゆっくりと立ち上がり、どこを見ても黒一色の辺りを見回していると――
「あっ」
すぐ近くから小さな、けれどはっきりとした声が聞こえた。一気に体が強張っていくのを感じながら、俺は恐る恐る口を開いた。
「――誰かいるんですか?」
反響する自分の声を聞きながら周囲に視線を彷徨わせていると、突然青々とした光に真下から照らされ、俺は眩しさのあまり一瞬目を閉じた。
「っわ……! ビビット様――!?」
戦々恐々としながら目を開き、チカチカする目を何度か瞬かせると、目の前にビビット様の顔があった。その周りに土の壁のようなものが見え、冷たい空気感からしてもここが洞窟の中だということが分かった。
俺は、夢を見ているんじゃないかと思った。だって、いきなりこんな展開になるなんてあり得ないだろ。
そんな俺に、ビビット様が言った。
「ええ。エドガー、貴方どうしてここに居るの? 管理人に止められていたじゃない」
その言葉に、俺はこれが現実だと瞬時に理解した。だって俺はビビット様に名を呼ばれたことなんてないし、名乗ってもいない。
――知らなくても何の不思議もない俺の名前を、ビビット様が呼んでくれた。
顔が火照っていくのを感じた俺は、落ち着けと心の中で念じながら自分が体験した現象? をありのままにビビット様に打ち明けた。
するとビビット様は神妙な表情で小さく頷き、その凛とした声を響かせた。
「分かったわ……。エドガー、私が先を歩くから、貴方はこの剣を持っていくれないかしら。そうすれば前が見えるでしょう」
「は、はい……え。ええっ! この剣って、せっ聖剣をですか……!?」
会話どころではなかった俺は、よく考えずに返事をした後で言われたことの意味に気がついた。
今こうしてビビット様と二人で話しているだけでも身に余る光栄なのに、伝説の剣である聖剣を俺みたいな騎士でもなんでもない人間が持つなど、許されるはずがない。
でも、ビビット様は俺の心を見透かしたように微かな笑みを浮かべて言った。
「ええ。非常時だし、誰も見ていないから大丈夫よ。ベルトごと外して渡すから、くれぐれも鞘や柄には触れないように気をつけて。剣聖以外が触れると怪我をするから」
決定事項だと言うようにビビット様は連合国の国宝認定されている聖剣を外し、まるで道端の雑草でも手渡すような適当な仕草で俺に差し出した。
「はい……すみません。ありがとうございます」
――落としたら終わりだ。
俺は震える両手でなんとかベルトを受け取り、細心の注意を払いながら前を照らせる高さまで持ち上げた。間違いなく、今までの人生の中で一番神経を使った瞬間だった。
「聖剣で前を照らしながら、私に付いてきてちょうだい。ここがどこだか分からないけれど、早く外に出て離れた部隊と合流しないといけないわ」
――集中を切らしたら終わりだ。
「はっはい……!」
俺は返事をしながら、聖剣を落とした罪で牢屋に入れられる未来を想像した。一向に震えの止まる気配のない両手に全神経を集中させ、青い光に照らし出されたビビット様の背中を必死に追いかける。
――早く洞窟の外に出て、一刻も早く聖剣をビビット様にお返ししたい。でも、ビビット様と二人きりになるなんてきっとこれが一生で最後だ。出来るだけ長く続いて欲しい――。
矛盾する自分の思考と、聖剣を手にしている緊張感。何よりビビット様と二人きりという夢にも思わない状況に完全に混乱していた俺に、ビビット様が歩きながら声をかけて来た。
「ねえ、エドガー。聞いてもいいかしら」
その頭に残る魅惑的ではっきりとした声音に、俺の心臓はどくんと跳ね上がった。
「っはい。何ですか……?」
必死に平静を装いながらも、声が震えてしまう自分が情けなくて仕方ない。
「貴方、どうしてあんなに必死になって私の元に走って来ようとしていたの?」
そう指摘され、即座に小瓶の存在を思い出した俺は声を上げて足を止めた。急いでズボンのポケットをまさぐり、硬い感触を掴んでひっぱり出した瞬間。こちらを振り返ったビビット様が「それ……!」と驚きの声を上げた。
「はい! ビビット様が一度詰所から離れられた時に、ベルトからこの小瓶が落ちるのが見えて……」
俺は説明しながら、これでビビット様と俺を繋ぐ物が無くなってしまったことにショックを受けていた。そんな訳の分からない自分へのショックもあった。本当に俺はどうなっているのだろう。
「じゃあ、貴方はそれを届けに転移門までついて来てくれたのね」
ビビット様の驚きと好感の入り混じった瞳に、俺は胸がズキズキと痛んだ。だって俺がここにきたのは自分のためだ。俺の中のビビット様への激情が何なのかを確かめるため。ビビット様を想ってのことじゃない。
「あ、えっと……はい」
こんな不純な動機を口にできるはずもなく、俺は言葉を濁した。それなのにビビット様は、眉尻を下げて俺に謝罪の言葉を述べ、感謝まで口にしてくれた。俺は心の痛みに内心呻きながらも、貴い身分にある方はその魂まで尊いのだなと感動した。
再び洞窟の中を歩きながら、俺はもしもここに来るまでの経緯を正直に話してしまったらと想像して背筋を凍らせていた。そしてこんなにも尊い人に会いたいなどと軽はずみに考えていた自分の浅はかさに、今にも消えてしまいたい気持ちになった。
俺はなんて無謀なことを……。今だって俺が居なければビビット様は、詰め所からどこかへ走り去っていった時のようにすぐに洞窟を出ることができるはずだ。
――俺はビビット様に無礼を働いただけでは飽き足らず、完全に足手まといになっている。
こんな状況を夢みたいだなんてよくも思えたものだと自嘲していると、ビビット様が再び声を響かせた。
「エドガー、貴方は今日、騎士団の見学をしに詰め所に来たのよね?」
そう問われて、また俺の胸はずきりと痛んだ。
「えっ。あっはい、そうです……すみません」
貴方にお会いしたくて来ました。と正直に言えない自分にも、その動機の不純さにも嫌気がさした俺は、嘘をつきながら謝ることしかできなかった。
「驚いたわ。貴方みたいな人って、最近だとめずらしいもの」
「え……そうなんですか?」
ビビット様は俺が入隊希望者だと信じて、騎士団の話を始めてくださった。
「ええ。貴方も聞いたことくらいはあるでしょう? 我が国の騎士団は、連合国の中で最弱だという噂」
「あっ……えっと」
「あるのね?」
「は、はい……」
父さんやドミニクから騎士団の話をよく聞いていたから、そういう噂があることは俺も知っていた。でも、剣聖であるビビット様は王国騎士団の頂点に立つお方でもある。俺は知らないフリをしようと思ったけど、ビビット様に二度聞かれただけで正直に答えてしまった。
「私は王国騎士団に2歳のころからお世話になってきたから、実態については身をもって知っているの。その上で言わせてもらうけれど……王国騎士団は貴方のような素人が入る場所ではないわ」
ビビット様は優しい口調で厳しい言葉をはっきりと口にし、俺は思わず息を呑んだ。ビビット様は、俺に魔法の才能が無いことまで知っているのだろうか。
「どうして、ですか……?」
どこまで知られているのか知りたくて、俺は恐る恐る疑問を口にした。
「三年前、この国の王妃が魔災で亡くなった事故は知っている?」
「っはい……」
「なら、話が早いわね。我が王国騎士団は、王妃すら守れない名ばかりの素人集団だと、今は連合国の恥部扱いされているの。勿論、私は彼らの実力を知っているからそうは思わないし、気にしなくていいと思っているわ。でも、当人たちは違う。彼らは今、騎士団の名誉回復のために日々血を吐くような鍛錬を積んでいるの」
それを聞いて、俺はビビット様が俺自身について知っているわけではないらしいと思った。そのことに安堵しながら、言葉を返す。
「そう、なんですね……」
「ええ。だから今の騎士団には素人を受け入れる余裕はないし、入れたとしても待っているのは肉が割け、骨が折れようとも休むことが許されない訓練地獄よ。素人にこなせるとはとても思えないわ。それに私としても、身を削る勢いの彼らには一刻も早く名誉を挽回してもらって、正当な評価を受けて欲しいと思っているの」
……とうに、捨てたはずだ。
俺は過去の夢に対して何の未練もない。だって俺は知ってしまったから。俺が騎士を志すということが、どれだけ無謀なことであるのかを。
それなのに俺は、ビビット様の言葉に胸を突かれるくらいの衝撃を受けた。
自分でもどうしてなのか分からない。……ビビット様に会う前からだ。俺は騎士の道を諦めたくせに、未だに剣を捨てられずにいる。
――俺はずっと、自分で自分が分からない。
ビビット様の言葉にそう気づかされた俺は、まるで息の仕方さえ忘れてしまったように胸が苦しくなった。何か言わなければと思うのに、何も思い浮かばない。ビビット様のピンと伸びたまっすぐな背中を追うだけで、俺は精いっぱいだった。
だからビビット様がいきなり歩みを止めた時、俺は危うくビビット様の背中にぶつかってしまうところだった。
見ると、前方は二つの分かれ道になっていた。
「人の血の匂い……」
ビビット様はゆっくりと辺りを見回し、左の道の方は顔を向けて小さく呟いた。その逼迫した声色に、俺は全身が冷たくなっていくのを感じた。
「エドガー!」
「――はっはい!」
勢いよく俺の方を振り返ったビビット様は、瞳に強い光を宿して俺の名を呼んだ。
「この先、右の道を進んでいけば、洞窟の出口に辿り着けるはずよ。一人で歩いていける?」
「えっ。でもビビット様は……?」
「私は一緒に転移した騎士たちがいないか洞窟を全部見て回ってから、すぐに後を追うわ。だからそれまで、その剣もあなたが持っていて」
いきなり分断を決定したビビット様の様子に、心臓が警報を鳴らすようにバクバクと脈動する。きっとこの先に危険があることを確信しているから、ビビット様は俺を逃がそうとしているんだろう。
「で、でも――」
俺の頭には、平民の子供の連続失踪事件が頭を過ぎる。もしこの先に犯人が居たら。事件とは無関係だとしても、対敵したら――。
ビビット様は聖剣もなしに、一体どうやって戦うつもりなのか。
「じゃあ、また後で合流しましょう!」
俺が尋ねる前にビビット様は微笑みながらそう言って、左の道へと風のように去っていったのだった。




