02 悪役王女の罪
ビビット・ハーティエは、私は、悪役だ。
世界滅亡を企むビビットにとって、身分・戦力共に各国の要である王子たちは最も邪魔な存在だった。そこで彼女は彼らを一人ずつ、確実に潰すことを計画の第一段階とした。
ルート選択で選ばれた王子は同時に、ビビットのターゲットとなる。
王子がビビットに殺される度、血に濡れた『DEAD END』のゴシック体が画面に表示された。直前のスプラッタにこちらがゲーム機を放り投げて震えている間に、犯人のなんとも楽しげで不気味な高笑いが鳴り響くのだ。今はそれと全く同じ声帯を持っていると思うと、背筋が震える。
DEAD ENDになると、ゲームオーバー。
選んだ王子は逢瀬の記憶を全て忘却。世界は主人公が力に目覚め、王子たちと名乗り合う冒頭まで巻き戻る。画面を通して何度名乗り、名乗られたことだろう。
一方見事ビビットの毒牙を掻い潜り、攻略対象と共に世界を救うことができれば『HAPPY END』。ゲームクリアだ。
私は散々苦労した挙句にその白く輝く筆記体を拝むことができたものの、喜びや胸のときめきはなく、攻略対象を守り抜いた安堵と疲労でしばらく動悸がした。正直乙女ゲームというより、執拗な殺人鬼から逃げ切るホラーゲームと定義する方が合っていると思う。
もっとも、私がゲームに触れたのは後にも先にも『エスロワ』だけ。
素人の私が知らないだけで、乙女ゲーム界隈では恋のスパイスに死の恐怖を用いるのは定石なのかもしれない。当時の私にとっては、しばらく夢に出てくる程度にはトラウマだったけれど。そして今、私の未来はそのトラウマの元凶たる執拗な殺人鬼である。どうしてこうなった。
――ただ、今はまだゲーム開始前。
現状私に義理の妹はいないし、法を犯したこともない。死こそが救済という思想も欠片も理解できない。一体何故、ビビットはそんな結論に至ったのか。
『エスロワ』は主人公や攻略対象の話がメインで、ビビットの過去や人格が深掘りされることはなかった。
⬛︎⬛︎は確か『エスロワ』には原作小説があり、そこではビビットについてもしっかり描写されていると言っていた。当時は知りたくもなかったけれど、こんなことなら詳しく聞いておくのだった。人生、何が役に立つか分からないというのは本当らしい。
まぁ記憶を思い出した以上、これから『エスロワ』のシナリオ通りに動く気は毛頭ない。
なにせ私はデッドエンドでは大量虐殺を成し遂げ自死し、ハッピーエンドでは断罪されて死ぬのだから。そんなのどっちも御免である。だからもうシナリオは破綻したも同然だし、私の最悪の未来も消滅したと言えるだろう。
……ただ、
「母様が亡くなったのは、私のせい」
――今から一年ほど前、母親でありこの国の王妃であった人を、私は見殺しにした。
正確には、隣国を訪問する道中で事故死した母様と、その日城に居た私に直接の関わりはない。けれどこの事故と母様の死は、『エスロワ』では回想の中で過去の悲劇として語られていたのだ。
つまるところ、当時の私が静観したせいで、悲劇はシナリオ通りに確定してしまった。……母様は死んでしまった。
記憶がなかったのだから仕方がないと許されるほど、人の命は軽くない。救える可能性を持っていながら何もしなかったのだから、見殺しにしたも同然だ。
そもそも頭を打ったくらいで思い出すなら、どうして今まで思い出さなかったのか。あれ以上の痛みや衝撃なんて、いくらでもあったじゃない。
私がもっと早く記憶を思い出していたら、母様を救えたかもしれないのに。
そう思いかけて、ふと違和感を感じた。
「救う……。母様を、私が」
ハッ、と乾いた笑いが溢れる。
考えてみれば、おかしな話だ。たとえ当時の私が記憶を思い出していたところで、母様を救うために必死になるはずがない。
「ろくに話したこともない。会ったことすら、数えるほどしかない人なのに」
あの人は多忙を極めていたし、私は王家のしきたりで人との必要外の接触を禁じられている。とはいえ相手は実の母親だ。私はその死を、昨日の今日まで全く気に留めていなかった。墓前に立ったときですら、涙の一つも出てこなかったのだ。
「――なぁんだ」
ゲーム開始前とはいえ、私は立派に悪役らしく育っていたらしい。血も涙もないとはこういうことを言うのだろう。笑ってしまう。
何が、悪夢のような現実。夢だったらよかったなんてよくも言えたものだ。
罪を自覚してなお都合のいい妄想にすがり、現実から目を背けようとする。自分本位に生きてきた私らしい、卑劣な思考だ。今まで記憶を思い出すことがなかったのも、必要がなかったから。私自身にその気がなかったからかもしれない。
私は今まで、どれだけ周りを犠牲にしてきたのだろう。
考えたところで分かるはずもない。肉親にすら何の情も抱いてこなかったのだ。他人に関心などなかった。今までさぞ、お気楽だったことだろう。
「あはっ……ほんとにっ、おかし、い」
今更出てきたって、後悔したってもう遅い。魔法があるこの世界でも、命を蘇らせる術はない。犯した罪は死んでも消えないし、許されることもない。それなら、いっそ……。
――それでも、私は、
「もう、誰も傷つけたくない……傷つくところを、見たくない……っ」
加害者のくせに、これではまるで被害者だ。
ぐしゃぐしゃの顔をネグリジェの裾で拭い、立ち上がる。鼻水が垂れそうになっていた。これだから子供の体は嫌だ。
鼻を啜りながら着替えに袖を通し、髪を一つにまとめる。部屋で一人感傷に浸っていても、世界は何も変わらない。
私は、この世界の正義に従う。
彼女たちなら、この世界を正しい方向に導けるはずだ。私は影から成すべき役割を果たす。そのためならどう非難されようと構わない。罪ならもう、既に犯しているのだから。
……この時の私は、何も分かっていなかった。
悪役王女として生きること、その本当の意味を。