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【第2章開始】悪役王女に世界を救えるはずがない!  作者: 如月結乃
第一章 伝説の始まり

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20 生かされた夜

「っこいつが、死霊……!」


 僕は短剣を鞘から抜き、死霊に向かって構える。すると、死霊を数メートル先に弾き返した王女が背中越しに叫んだ。


「ルイス! 早くここから逃げなさい! お願いだから戦おうとなんてしないで!」


 こんな女に守られるなど、冗談じゃない。


「黙れ! 僕がお前に従う通りはない!!」


 命令口調の王女に怒鳴り返し、死霊の間合いに入ろうと走り出そうとした瞬間。

 

 ――王女は地面を強く蹴り、あり得ない距離を一足飛びして死霊の間合いへと入り込んでいった。


 そのふざけた体技に焦りと苛立ちを感じた僕は、短剣に火の魔法を纏わせ、死霊の腕目掛けて投げつけた。


「ギャアアアア!!」


 狙い通りに短剣は命中。当たった左腕が焼け落ち、絶叫する死霊を眺めながら、僕は王女よりも先に死霊に傷を負わせた達成感に浸った。


 王女がいなくとも、僕は死霊一人に負けたりなどしない! 守ってやったなどど思わせてたまるものか!


「――ルイス! やめなさい!!」


 それだけに、振り向いた王女の青白い頬を彩る赤い一線には、僕を殴りつけるくらいの威力があった。


 当てるつもりはなかった。父上との練習では、一度も失敗したことなどなかったのに。きっと、今の僕が冷静ではないからだろう。もし剣聖である王女に重傷を負わせでもしたら、王子である僕だってただでは済まないはず。


 でも、


「お前に守られるくらいなら、死んだ方がマシだ!」


 僕は叫び、投げたナイフを取りに芝生を駆ける。


 ――ボコッ。ボコボコボコッ。


 するとどこからか泡沫が泡立つような音が聞こえ、音の方を見ると、倒れた死霊の左肩が風船のように膨れ上がっていた。そのあまりの不気味な様に、僕は足を止めてしまった。瞬く間に風船のような皮膚の塊は左腕のあった大きさに連なり、無傷の腕と成り果てた。


「ルイス、見たでしょう? 魔法や剣では、死霊にダメージを与えることは出来ない。だから剣聖が生まれてくるのよ!」


 王女の声に、僕は意識を揺さぶられるようにハッとした。


 このままじゃ、駄目だ。こんな奴に、アリスと母上を傷つけた奴に、この国の騎士なんかに守られてたまるか!


「……っだったら、その剣をよこせ! お前なんかに守られてたまるか!!」

 

 聖剣を扱えるのは、剣聖の才に目覚めた剣聖だけ。この国に知らない者などいない。だが、それについて具体的な記述はどの伝記にもない。精々、常人には重すぎてふるえないとかだろう。僕には父上に磨かれてきた、魔法剣の腕がある!


 高を括った僕は、一心不乱に王女の持つ聖剣に手を伸ばした。


「キャハハハハハッ!!」


 するといつの間に拾われたのか、死霊が僕の短剣をこちらに向かって投げつけたのが見えた。剣は、僕の頭目掛けて一直線に空を切っている。


 避けられない。


 でも、このまま王女に死霊を倒されて借りを作ってしまうくらいなら、死霊で殺される方が余程良いと思った。


 ……その時だった。


 王女が、連合国共通の国宝である聖剣を地面に投げ捨て、僕の頭を抱きしめてきたのは。


 ザクッと刃物が突き刺さる音が耳元で聞こえ、我に返った僕が腕の中から逃れようともがくと、王女はすぐに腕の拘束を解いた。


 僕は王女から距離を取ると、目に映った光景に思わず固まった。


「なっ……」


 ――王女の右肩には、貫通しないまでも僕の短剣が深々と突き刺さっていた。


「ルイス、怪我はない?」


 言っている間にも肩から血がだらだらと流れているというのに、王女はまるで痛みなど感じていないかのように微笑み、僕の身を案じている。


 王女に庇われた、守られた。怪我を負わせた。借りを作ってしまった。


 けれどそれより、僕を庇って傷を負った目の前の王女の演技が、演技だと断定できなくなってしまったような自分自身の変化の方が、僕には余程怖かった。


 ――信じるな、騙されるな! 忘れたのか!? その甘さが、アリスと母上を傷つけたんだ……!


「なっ……じっ、自分で受けておきながら、何を……。でもその怪我じゃ、もう剣はふるえないでしょう!」


 僕は、地面に横たわる聖剣に手を伸ばした。


「ルイス、駄目――!」


 真実味を感じさせるような叫び声を無視して、聖剣の柄に触れた途端、


「――っ!」 


 ジュッと皮膚が焼ける音と共に、聖剣に触れた左手に激痛が走った。


 手が、腕が、燃えるように熱い。


 見ると僕の掌は、聖剣の柄に触れた部分だけが火傷のように真っ赤に爛れていた。手を離した今もなお、電流が流れるような痛みが続いている。あまりの痛みに、僕は王女の前で地面に膝をついてしまった。


「ルイス!!」


 王女は、心配そうな顔で僕の名を叫んだ。


 ――その表情や声の響きを、まやかしだと断言することは僕にはもう出来ない気がした。


 王女は数十本の氷柱の雨の中を駆けながら、その一本一本を残らずさばき切っていく。砕け散った氷の破片が、意図して僕を避けるように辺りの芝生に散らばっていくのを見ているうちに、今日起きた光景一つ一つが王女が白だと知らしめる根拠にすら思えてきた。


「……っ」


 少なくとも僕が今、一撃で死霊を倒してしまった王女の背中に安心感を覚えてしまっていることは、確かな事実なのだから。


 死霊を滅した王女は、血の滴る右肩から声も上げずに短剣を引き抜き、自分のドレスを割いた。肩から血が噴き出すのを気に止める様子もなく、慣れた手つきで僕を庇って負った傷の止血をしているのを眺めていると、パッと中庭が無数の明かりに照らし出された。


「――お兄様、お姉様!!」


 数人の騎士たちとアリスが、ランタンの光で僕と王女を照らしていた。


「こんなところにいらしたのですか」

「ビビット様、そのお怪我は……?」

「死霊が出たの。少し甘く見ていたから、隙を突かれたのよ。でも軽傷だから、薬で数日のうちに癒えるわ。それより、ルイスを診てあげて。私のせいで聖剣に触れてしまったの」


 騎士に囲まれた王女が、僕の方を見た。


 軽傷……。とてもそう言えるような怪我ではないし、聖剣に触れたのは僕の意志だ。


 騎士たちの元へゆっくりと歩きながら、僕は思案する。これが演技で、会話している騎士たちも辻褄を合わせるようなら同罪ということになる。


「聖剣に!? なんと無茶な……」

「……平気です。軽い火傷ですから」


 だが、慌てる騎士たちの様子と声色に、嘘のような気配は一切ない。僕は火傷を診ている騎士に答えながら、直感的にそう感じた。


 なら王女は本当に、意図してアリスや母上を傷つけたのではないのか。でもそれなら、二年間僕たちの前で見せていた気狂いの方が演技ということになる。


 彼女のどこに居ても目につく鮮烈な赤髪。そして今は水晶眼に変わっているものの、かつては鮮血のようにおどろおどろしい色をしていた瞳。王女の派手な容姿には、気狂いの言動の方が余程しっくりくるように思える。

 

 ――僕は一体、どうしたらいいのだろう。


 騎士に手当てを受けながら思案していると、騎士達の間から目を赤く腫らしたアリスが顔を覗かせた。


「お兄様、お姉様! パーティー会場からお二人がいなくなったと聞いて、私、私っ……!」


 その場に泣き崩れたアリスの頭を、僕はしゃがんで撫でた。


「心配かけてすまなかった。僕は大丈夫だ」

「っう。ひくっ。お兄様……っ」


 ――アリスには、昔から人を見る目がある。


 王弟。そして侯爵にして筆頭宮廷魔術師の子供である僕たち双子には、いろいろな人間が近づいてきた。アリスは、それらの内面の良し悪しを見抜くかのように、時に言葉で心を開かせ縁を結んだり、相手にとって良くないものを呼び寄せるからと遠ざけたりしていた。


 アリスは知らないが、アリスが遠ざけた人間は皆、反国王派の宗教の教徒だったり、脱税が発覚しその地位を失ったりと、その目が人間を図り間違えたことは一度もない。


「お姉様は……? お姉様はご無事ですか……?」


 そのアリスが、出会った初日に頬を叩かれそうになったにも関わらず、王女の身を今もこうして泣きながら案じている。


「ええ。大丈夫よ。だって私は剣聖だもの。絶対、負けたりなんてしないわ」

「頬に血が……」

「心配かけてごめんなさい。一人で心細かったでしょう」


 不安げな顔をするアリスの手に、王女が触れる。僕はそれを目の前で見ながら、止めようという気にはならなかった。


「……あたたかい。っひっく。お兄様っお姉様あぁぁぁっ」


 アリスはようやく安心したのか、僕と王女の首に手を回して引き寄せた。泣きじゃくるアリスの腕の中でふと王女の方を見ると、同時に目が合ってしまった。


 一瞬、これまでの王女への嫌悪感が押し寄せたが、王女を見つめている内にそれは小さくなっていくようだった。


「さっきは……邪魔をしてすみませんでした。ですが礼は言いません。これが貴方の役目なんでしょうから」


「ええ。貴方が生き残れてよかったわ、ルイス」


 怪我のことで、僕を責めもしないのか……。


 でも、まだ断定はできない。アリスと母上を守れるのは、もう僕しかいないんだ。僕は微笑む王女から目を逸らし、アリスの腕から抜けて立ち上がった。


「アリス。お前は今日、王女の元で眠ると言っていたが、本当にそれでいいんだな?」

「……ええ。私は今日、お姉様のお部屋で眠ります」


 パーティーの前に扉越しにアリスにそう聞かされた時は、何が何でも止めるつもりだった。

 

 王女とアリスを二人きりにするなど到底許せなかったし、何より治癒術師が言っていたのだ。今夜が母上の峠であると。だから僕は今夜は眠らずに、母上につくと決めていた。


『本気で言っているのか? 母上の、最期かもしれないんだぞ……?』

『はい、本気ですお兄様。だって』



『お母様にはお兄様がいるけれど、お姉様はこの城で過ごす最後の夜だというのに一人ぽっち……。お姉様だって大切な家族ですし、お母様は大丈夫だと私は信じていますから』



 そう言って頑なに意見を曲げようとしないアリスが、僕は信じられなかった。でも今は、僕が見ようとしなかった王女の何かを、アリスは見ていたのかもしれないと思う。僕はまだ、アリスのように王女を信じることは出来ない。だから今夜は、良い機会なのかもしれない。


 そう、王女の本性を暴くための――。


 僕は夜空を見上げる王女を見つめながら、今夜審問を下そうと決意を固めたのだった。



◇◇◇



 深夜。


 僕は息を荒げながら何時間も眠ったままの母上の苦痛に歪んだ顔を、ただ眺め続けることしかできずにいた。数時間が経った頃、つきっきりで診ている治癒術師き、このまま見ていてもしばらく状態は変わらないと僕に告げられた。


 そこで僕は、母上の部屋を抜け出して王女の部屋へと向かった。


 今夜、王女の部屋でアリスが何事もなく過ごすことができたら。僕も王女を、正確には王女を信じると言ったアリスの目を信じることにしようと、そう決めて。


 王女の部屋に入り、寝室へと足を踏み入れると、二人の寝息が聞こえて来た。


 ベッドに近づくと、片方はアリスの穏やかな寝息だったが、もう片方は魘されているのか王女の荒い寝息だった。王女は目を固く瞑ったまま喘ぎ、眉をひそめている。一体どんな夢を見ているのかと思った、その時だった。


「――ふふっ。アハハハハハハハハハハハハッ!」


 ふいに王女がその瞳は閉じたままに、さっきまでの様子が嘘かのような笑い声をあげた。


 まさか起きているのかとギョッとしながら、しばらく様子を見ていたが、王女はすぐにまた荒い寝息を立て始めた。寝言が激しいタイプなのだろうか。


 そう思い、何もないと判断してベッドに背を向けた瞬間――


「アリス、お前の大事なもの、私が一つ残らず奪ってあげる……。お前が私から全てを奪ったのと同じように……ふふっ」


 王女は――ビビットは、はっきりと憎悪のこもった声でそう言ったのだった。



 


 僕は王女の部屋を出て、しばらく廊下を歩いてから誰もいない場所で立ち止まった。廊下の壁にもたれかかり、片手で頭を覆いながらハッと鼻を鳴らす。


「――ハハッ。ハハハハハハッ」


 一瞬でもビビットを信じようとした自分の惨めさ、甘さ、愚かさ。その全てが可笑しくて、僕は廊下で一人笑い続けた。


 ――今夜、母上が峠を越えたら、三人でこの城から抜け出そう。


 そう心に決め、母上の部屋に戻った頃には夜が明けていた。母上を見ていた治癒術師は、僕を見るや焦った様子で喋り出した。


「大変です! 王妃様のご容体が、急変いたしました! 王妃様は、もう――」


 その言葉に、僕は思考が停止した。治癒術師が何かを口走っているが、何も耳に入ってこない。


「殺してやる……」


 ビビットを、殺してやる……。


 ビビットへの憎悪に完全に囚われた僕は、母上の部屋でひたすらに立ち尽くしていた。やがて、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。アリスと共に、憎きビビットがその白々しい顔を見せた瞬間、


 ――僕は懐にしまっていた短剣を抜き、突進した。


「よくも母上を……よくも――!!」


 目を大きく見開くビビットの呆気にとられた表情に、僕は自分の怒りが頂点に達するのを感じながら、その体の中央目掛けて剣を振り上げたのだった。

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