19 怒れる審問官
「ビビット・フォン・ハーティエです。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。日々この国を支えてくださっている皆様方の前に、ようやく姿をお見せできましたこと、誠に喜ばしく感じております。これからは皆様やこの国の民たち、そして連合国の平和のため、剣聖が定めによりこの身の限りを尽くす所存です。それでは皆様、本日はどうぞお楽しみください」
煌びやかな会場でスポットライトに照らされながら、憎き義姉である王女が、剣聖が、我が物顔で正義を語っている。
――僕は会場の隅で演説を聞きながら、反吐が出そうだった。
元々、筆頭魔術師だった父上もろとも王妃を守れずに亡くなった王国騎士団と、剣豪と謳われる才能がありながら母親である王妃を死なせた王女のいるこの城で息をすること自体、僕とっては耐え難いことであることには変わりないが。
「あのお方がビビット様……!」
「おお、なんと神々しいお姿!」
僕には王女の皮を被った狂人にしか見えない。貴族たちが列を作り、順に名乗っていく相手をするのに疲れたのか、王女は一度会場を抜けた。王女を会場の外に呼び出す予定だった僕はこっそり後を追ったが、王女は黒いケープを纏うとすぐに会場へ戻った。
その後は壁沿いに会場で不審な動きをしていたから、僕はチャンスだと王女に近づいた。
「――ルイス!」
カーテン裏から王女の手を引くと、王女はその吊り上がった瞳を見開いて声を上げた。
「静かにしてください。目立ちますから」
白々しい一挙一動に苛立つ心を沈めながら、僕は会場で書いたメモを王女の手に握らせた。
「僕に弁明したいことがあるなら、この場所に抜けて来てください」
ないはずがない。だって僕は知っている。
昨夜、王女がアリスの部屋の扉に向かって聞くだに耐えない謝罪の言葉を叫び続けていたこと。そしてその後で僕の部屋を訪ね、同じ醜態を晒そうとしていたことも。
僕とアリスの部屋は隣部屋だから、壁に耳を当てれば部屋の物音くらいは聞こえる。廊下で大声で話すみっともない王女の声なんて、それこそ丸聞こえだ。
アリスは僕にも会いたくないと言って部屋に閉じ籠っていたし、王女が近づく隙は無いと思っていたのに、まさかあんな風に近づいて来るとは思わなかった。この二年で一度もなかったことだ。王女がアリスにまた何かしようものならすぐに部屋を飛び出す準備をしていたが、結局王女はその狂った性根を隠し、正義を語る剣聖の演技を晒しただけだった。
「僕が化けの皮を剥いでやる……!」
先に会場を出た僕は、城の王族居住区に入った。中庭に入る廊下と、アリスと僕の部屋に続く階段とを見渡せる場所に立ち、王女を待つ。
僕の予想だと王女は、中庭に来る前にアリスの部屋に行く可能性が高い。何故なら王女は、僕たちと出会ったその日からアリスに醜い執着を向けているからだ。
『ーーお姉様?』
忘れもしない。あの日握手を交わそうと手を差し出したアリスの頬を、王女が叩こうとした瞬間のことを。そもそもあの日は始めから、王女やその周囲の様子は異常だった。
王女のぎこちない笑みはとても僕たち家族を歓迎しているようには見えなかったし、死んだ王妃を語るという不敬ともとれる失態を犯した母を、使用人たちは目で責めていた。
恐らく、使用人は王女の言いなりなのだろう。その証拠に、大食堂で剣を振り回す見っともない王女の醜態を止める者は誰もいないし、その狂った命令にも言われるがままに従っている。
『王の子は成人である十八歳を迎えるまで、他者と必要外に関わることを禁じられております。古くからのしきたりですが、あくまで形だけのものです王子』
王室の授業でそう習った。教師の言う通り、使用人やアリスは平然とそれを破っている。王女もしきたりなど関係なく、その地位や才能で周囲に甘やかされて育ったに違いない。
城に移る前から分かっていたことだが、この城に僕たちの味方は一人もいない。しかし、それなのに母上もアリスも、王女や周囲を敵視していない。
『ビビット様は今、深い孤独に囚われているの。孤独であることが、この世で一番辛いことなのよ。だからあなたたちがお傍にいてさしあげて』
『大丈夫ですお母様。私はもう、ビビットお姉様の妹なのですから。お姉様を孤独になんてさせません』
それどころか母上は王女のそばにいろなどと理解できないことを言うし、アリスは何度止めても王女に会う度に話しかけることをやめない。最近など、アリスは僕にも自分と同じように王女と接しろとしかりつけてきたのだから、始末に負えない。
――だが、王女はついにその狂気をアリスに向けた。
三日前。僕の知らないところでアリスと約束を取り付けたらしい王女は、アリスを詰め所に連れ出したのだ。
そこで何を言われ、何をされたのかはアリスが何も話さないから知らないが、死霊と出くわしたらしくパニックになったアリスは、泣きながら部屋に閉じ籠ってしまった。
剣聖には、死霊が地上に姿を現した時と場所を察知する能力があることは、伝説を知る者なら誰もが知っている。
王女は恐らく、アリスに死霊の脅威を見せつけるためにあの日アリスを連れ出したのだ。そうでなければ、二年間何もしてこなかった王女がいきなり動き出した説明がつかない。
ほとんど黒と確定している王女をどう詰めようかと思案していると、アリスと僕の部屋に続く階段の方へと向かい走って行く王女の姿が目に入った。
僕は自分の頭が怒りで熱されていくのを感じながら、王女の背後に忍び寄り、言った。
「――やはり、ここにくるだろうと待っていて正解でした」
階段を上ろうとしていた王女の後ろから声をかけると、王女は動きを止め、ゆっくりと後ろを振り返った。
「ルイス……貴方、先に行ってたんじゃ……」
「貴方こそ、どうしてここにいるんです? この先にはアリスと僕の部屋しかない。中庭とは、真逆の方向でしょう」
「それはっ」
言い訳が浮かばなかったのか、黙り込んだ王女を僕は鼻で嗤った。
「言い訳もしないんですか? 剣聖ともあろう貴方が」
「……ええ。昨日からずっと、貴方にも謝らなければならないと思っていたの。でも、話をするなら中庭でなくても構わないでしょう? 私やルイスの部屋でも、どこでだって話はできるわ」
まただ。この期に及んで、まだ王女は正義面をやめようとしない。密室で話したがるのは、気狂いである裏の顔を知り、こうして今日自分を呼び出した邪魔者である僕を消すためなのか。
「やけに必死ですね。そんなに僕と外で話したくないのは何故なんです? ……ああ、密室でなら、都合のいいことが色々とできるからでしょうか」
「密室って……そんなわけないじゃない!」
「――なら、中庭で何の問題もないでしょう。さあ、行きましょう。早く!」
まるで僕が冷静さを欠いているとでも言いたげなその目に苛立ち、僕は怒鳴るようにして言った。
もう、耐えられない。毎日またいつアリスを傷つけるか分からない王女の顔を見ることも、連合国最高の治癒術師がいるにも関わらず母上を治せないどころか悪化させる敵しかいないこの城に、僕たち家族が居続けることも!!
「……やっぱり、夫人も倒れていたのね」
一通りの追求を終えると、王女はあらかじめ僕に言われることを予想していたのか特に驚いたような様子はなかった。それどころか、王女が知らないはずの母上の現状に「やっぱり」と言ってのけた。
使用人が、王女は民へのお披露目や儀式、披露パーティーで忙しいから、母上の容態を伝えてはいけないと僕を含む周囲に箝口令を敷いていたにも関わらず、だ。
僕は王女が目覚めた日、母上についてもあの場で言及しかけたが、その名を出しただけで今の容態まで予測できるはずがない。そもそも母上の病のことだって、母上とアリスの意向で口止めしているから王女は知らないはずだ。
知るはずのない母上の現状を口にした王女は一瞬まずい、という顔をした。ほら、見ろ。今に化けの皮が剥がれるぞ……。
「やっぱり、だって?」
その隙を逃さず、僕は王女を言及し続けた。
「なら、今起きていることは全て、お前の計算どおりってわけか……」
誰から聞いたのかは知らないが、王女はアリスに死霊の脅威を見せつけることでアリスの心に深い傷を与え、同時に心身ともに弱っている母上にもショックを与える算段だったのだろう。そしてそれは、王女の狙い通りになった。
「違う! 違うわルイス! 私はっ」
「――僕は! この二年間、ずっとお前を見ていた。お前がアリスや、母上に敵意を持っていることを知りながら! お前は僕の予想どおりの気狂いだったが、僕たちに関わろうとはしなかった。それどころか、避けるようなそぶりさえ見せていた。だから泳がせていた。……それが、間違いだったんだ!」
そう。僕は油断していた。出会いの日のことがありながら、この二年の間に僕は王女を無害な狂人だと決めつけてしまっていた。王女は確かに気狂いでありながらも、僕らの前ではまるで僕とアリスの姿が見えていないかのように狂った言動をし続けていたからだ。
全ては、僕の甘さが招いたことだ。僕がアリスや王女の行動をきちんと監視していたら、こんなことには……!
僕は悔し紛れに、中庭の芝生を蹴り上げた。
「お前のせいだ、何もかも! 何が剣聖の定め、この国と連合国の平和? ふざけるな! アリスと母上を失うなんてことになってみろ、お前と刺し違えて僕も死んでやる!」
ここまで言っても王女は演技を止めるどころか、アリスの部屋の前で叫んでいた時のように僕に謝罪し、頭まで下げてみせた。その姿に、僕は完全に頭に血が上ってしまった。白々しいにも限度がある。
「どうだっていい……。もうそんな事、全部どうだっていい!」
アリスを傷つけ、母上の病状を悪化させた分際で、この僕に平然と許しを請おうとするその卑劣な性根が憎くて、許せなかった。
「お前が剣聖なら、伝説の勇者なんだったらなんで! なんで自分の母親すら救えない!? 父上から何度も聞かされた。王女は剣の天才だと。まだ幼いのに、この国には王女に敵う剣士はいないのだと。それほどの実力があるくせに実の母親すら救えず、僕の父上もろとも死なせたお前らに、騎士なんかに何が守れる!?」
この場に誰かが居れば不敬と見なされるであろう内容まで、気がつくと僕は王女にぶつけていた。一度話し始めたら、もう止まらなかった。
「城に来て、実際に会って僕は確信したんだ! いつ何時も狂ったように剣にしか気を向けていないお前を見て! お前は、お前らは騎士は、何も見ちゃいない。全員、狂ってるんだ! そんなやつらの行動が、言葉が信じられると思うか? 何か言い返せるなら言ってみろ、この狂人が!!」
アリスや母上を傷つけたこいつが許せない。それを許した僕自身が許せない。そもそも、僕たちをこんな境遇に合わせたこの国の無能な騎士共が、父上が、許せない――!!
怒りの全てを王女にぶつけ終えた瞬間、
王女の後ろから、地面が不自然に盛り上がる音がした。
「キャハハハハハハハハハッ!!!!」
耳を塞ぎたくなるような笑い声が響き渡り、目を細めると、王女が聖剣を抜くのが見えた。
――ガギンッ!!
王女は背後から襲いかかってきた白髪赤目の死霊の剣を、後ろ手に構えた聖剣で受け止めた。……死霊の挙動を見ることもなく、全体重がかけられた氷の大剣を、細い片腕一本で受け止めて見せたのだ。
魔法剣士だった父上から剣を習っていた僕の目には、それは一瞬でありながら神がかった技に見えた。
思わず呆気に取られてしまった僕は、そんな自分に苛立ちながら、急いで懐から護身用の短剣を取り出したのだった。




