10 剣聖の目覚め
――目を覚ますと、視界に自室の天井が映った。
入った記憶のないベッドから体を起こすと、控えていた使用人筆頭である男が恭しく頭を下げてきた。彼の後ろに並んでいる侍女たちもそれに続く。
「才の発現、誠におめでとうございます王女殿下……いえ――”剣聖”、ビビット・フォン・ハーティエ様」
「……才? 剣聖?」
顔を上げた彼の発言は、まさに寝耳に水で。呆然とただ壁を見つめていると、目の前に手鏡が差し出された。
「突然のことでしたから、困惑なさるのも無理はありません。どうぞ、ご自分のお姿をご覧くださいませ」
使用人頭に促されるままに手鏡を受け取り、中を覗き見てハッと息を呑む。
鏡の中には吊り上がった瞳の中に、海の底を映したかのような青色の輝きを閉じ込めた少女がいた。
「不要かと思われますが念のためご説明を。ついにビビット様の瞳は剣聖の証、”水晶眼”へと変化されたのでございます」
水晶眼……。『エスロワ』で剣聖の才に目覚めた後の、アリスに起きた変化と全く同じものだ。一体、何が起きているのか。
じわじわと思考が鮮明になっていく感覚と共に、手鏡を持つ手が震え出す。
そうだ、私は死霊とエドガーの間に突っ込んで行って……そこから先の記憶がない。それなのに剣聖の兆候だけが今、この身に現れている。
――こんなこと、あり得ない。
この世界の人々にとって私が剣聖となることは予定調和でも、『エスロワ』のシナリオやそれを知る私にとってはこれは、万が一にもあり得ない。あってはならない展開だ。
悪役の私が、剣聖に……?
悪夢にしてもタチが悪すぎると、手鏡を持つ手を指でつねってみる。微かな反応が辛辣に、現実であるという事実を示した。
唇を噛んで使用人を見上げると、「お判りいただけたようで何よりにございます」と恭しく礼を取るだけ。今の私の気持ちを汲み取れる者など、この世界には存在しない。
使用人頭は私が現状を把握したと判断したらしく、私が眠っていたのは三日間であり、唯一負傷していた耳は薬でほぼ完治していると説明した。
聞きながら、私は落ち着いて一人で考える時間が欲しいと思ったけれど、状況がそれを許さなかった。
使用人頭によれば、ハルジオンは今私の才の発現のせいでどこもかしこもお祭り騒ぎ。特に王城の広場付近には、毎日私の姿を一目でも見ようと民が詰め寄っているらしい。
その上、”剣聖と三賢者”として連合国を守っていく誓いを立てる儀式が、『私が目覚め次第早急に』という理不尽なセッティングをされていると聞かされては、時間が欲しいとはとても口にできなかった。
「こちらで身支度をお願いいたします。この時のために、ビビット様の髪を織り込み作られた特注品にございます」
使用人頭がそう言うと、侍女たちは持っていた衣服を手早くベッドの上に並べた。私は余程急かされているのだろう。早く着替えろと言わんばかりに、使用人頭たちはそさくさと部屋を出ていった。
部屋に一人残された私は、置いていかれた衣服を眺めながら嘆息する。
純白の革のような素材で出来た軍服のようなデザインのジャケットとミニスカートに、同じ素材のマントとロングブーツ。同じだ。『エスロワ』のアリスが身に着けていたものと。
――剣聖の才はその力の一つに、才に目覚めた者の魔力を枯らすのと引き換えに、魔法が一切効かない体質にしてしまうという反則級の効果がある。
今の私は、魔法やその元となる『魔素』の影響を全く受けない体になっているのだろう。歴代剣聖は皆、この体質と同じ効果を衣服に持たせるために、自らの髪から成る衣を纏い死霊と闘っていたのだという。
”呪われた時代”がいよいよ始まったというのに民が喜んでいるというのも、全ては剣聖の才の特異性と、古の伝説の勇者である剣聖が自国に誕生したからに他ならない。
皆今だけは、死霊の恐怖より剣聖誕生の興奮の方が上回っているのだろう。ここだけは『エスロワ』と変わらない展開だ。
状況は呑み込めなくとも、周りに迷惑をかけるわけにはいかない。しぶしぶ軍服に袖を通すと、自分がこの時のために幼少の頃から髪を伸ばし続けていたことが思い出される。
記憶を思い出す少し前までは、この日のために年中休みなく、文字通り血まみれになって剣を振っていた。痛い、苦しい、怖いといった甘えは幼い頃に克服したため、自分が剣士として至高の領域に近づいていくのを日に日に感じていたものだ。
……そう。それら全てが、シナリオ通りの展開であるとも知らずに。
自己満足に浸っている間に母様が死に、心が痛まない己の異常性など知る由もなかった。愚かで、救えず、許し難い、私の大罪。
「私が、私が剣聖になんて、なれるわけないじゃない……!」
絶対に何かの間違いだ。そうでなくては困る。民の前でもそう訴えようかと考えながら着替えを終え、扉へと足早に歩く。
すると、いつも長剣を置いていた場所に黄金の剣――聖剣が、まるで主を待っていたかのようにそっと立て掛けられているのが目に入った。
そうだ、私はいつの間にかこの剣を手にしていて、意識が途切れる寸前まで魅入られていた……。
思わず食い入るように見つめると、黄金は年月の経過を一切感じさせない輝きで、再び私の目を奪う。あの時は気が付かなかったけれど、ガードの中央に嵌め込まれた大きな青い水晶が、さっき見た今の自分の瞳にとてもよく似ている。
吸い込まれてしまいそうな美しさに、自然と柄に手が伸び、剣を手にした瞬間。
とくんと自分の中で何かが脈動した。優しく訪れた心地良い、不思議な波のようなものに瞳を閉じ、全てを委ねーーかけるという、非常事態にあるまじき失態を犯した私は、カッと目を見開いて首を激しく横に振る。
――こんなこと、あっていいはずがない。
聖剣を視界に入れないようにして腰に携え、部屋を飛び出すと、廊下に使用人頭が控えていた。
「民がお待ちです」と先を歩く背中をもどかしい気持ちで追いかけていると、「おい!」という声と共に右腕を強く引かれた。
危うく転びそうになったところを踏ん張る。
「ルイス……?」
前を向くと、ルイスが私の腕を掴んでいた。
「どうしたの?」
そう尋ねると、ルイスは血走った目でこちらを睨みつけた。
「どうしたの、だと……? ふざけるな! お前、僕が大人しくしている間によくも、アリスをあんな目に合わせてくれたな!」
「あんな目にって……」
記憶を遡り、ハッとする。
私は、アリスをゲーム開始の現場に連れ出した。アリスの才の目覚めを待つためだったのに、何故か目覚めたのは私で……。つまりアリスは、死霊とエドガーたちの乱闘をただ見せつけられた被害者となってしまった。
――私のせいで、アリスは。
途端、死人のように青白い顔で震えていたアリスの横顔が脳裏に浮かび、一気に体が冷えていく。
「アリスは……アリスは今、どうしてるの?」
「教えるわけがないだろう、この気狂いが! よくもアリスを、母上を――」
「ビビット様、予定が詰まっておりますゆえ、少々急がなければなりません。ルイス様も、お気持ちはお察しいたしますが今はお控えください」
怒りに震えるルイスの言葉を使用人頭が遮り、侍女たちがルイスをそっと私から離れさせる。体を私の進路と反対に引かれながらも、ルイスの刺すような瞳は私を逃さない。
「――絶対に、許さないからな!!」
剣聖になったという現実に翻弄されていた頭の中が、去り際にぶつけられた憎悪の言葉で、白く塗りつぶされていく。
また、守れなかった。
涙を流すアリスと怒りに震えるルイス。二人の顔を交互に思い浮かべているうちに、気がつくと私はいつの間に民へのお披露目を終えたのか、誓いの儀式の会場であるスターチスという国の教会の前に立っていたのだった。




