7:柔らかお肉のサクサクカツ丼 中編
食いしん坊二人に言われるままに、ハイレートはトンカツを作ることになった。もうこうなったら修練と割り切ろう、という感じである。腹ぺこ二人を止めることは出来なかったので。
まぁ、必要な材料は全部揃っているし、仮に焦げたり形が悪くなったとしても、綺麗に平らげてくれる処理担当がいると思えば、多少は気が楽になる。……今日が休日だという事実さえ、思い出さなければ。
「とりあえず試しに一つ作るだけだからな。俺は休日なんだ。休まないと、明日からに支障が出る」
「わかってる、わかってる。つまりは、試食ってことだろ」
「……わかってない……」
ごり押しに負けて作ることにしたのは自分だが、うきうきご機嫌状態の友人には物申したい気分だった。何を言っても無駄だよな、とはわかっているが。何せ、相手は食いしん坊代表のウィレルである。
気を取り直してハイレートは食材と教本をもう一度確認する。今度はカツ丼でなく、トンカツのレシピの確認だ。トンカツを作る際に必要な材料は豚肉、パン粉、油、この三つだった。随分と数は少ないが、教本に書かれた手順を確認すると、それなりに難しそうではある。
そもそもトンカツとは豚肉に衣をつけ、それを油で揚げた料理である。揚げ物というのは実際の料理でもそれなりにコツが必要だ。それを思えば錬金術で作るとはいえ、やはり卵を焼くだけのオムレツとは難易度が違う。
とはいえ、それでもカツ丼を作ることに比べれば随分と楽だ。材料も少ないし、手順も随分と減っている。これならば、未だ素人に毛が生えた程度のハイレートの魔力や集中力でも、何とか作ることができるだろう。
まあ最初から綺麗な形だったり、味が良かったりするかどうかは不明ではあるが。少なくとも、食べられない物体ができることはなかろうと、ハイレートは己に言い聞かせる。
「おや? パン粉だけでいいのかい?」
不思議そうな顔で問い掛けてきたのは、この厨房の主である女将さんだ。肝っ玉母さんという雰囲気を持ったこの女傑は、ハイレートをとても気にかけてくれている。だからこそ、休日なのに材料を片手に錬金釜の前に立っているハイレートに「おやおや」と言いたげな顔をしているのだ。
これが単なる修練であったなら、休んでおきなと言うのだろうが、「まだかな? まだかな?」「何ができるかな?」「美味しいのができるかな?」みたいにお腹を空かせた子供のような感じで待っているウィレルとレックの二人を見てしまっては、そういった小言も出てこなかったらしい。「あんたも大変だね」といういたわりの眼差しが注がれる。世知辛い。
「パン粉だけでいいのかとは、どういうことですか?」
「どういうって、トンカツの衣を作るには、小麦粉とか卵とか、もしくは小麦粉を水で溶いたものや、小麦粉と卵を混ぜたものが必要になるだろう?」
「そうなんですか?」
女将さんの言葉にハイレート首を傾げた。錬金術で料理を作るようになってはいるものの、そもそもハイレートは料理がほとんどできない。一応自分が食べる分ぐらいは作れるが、トンカツというのは難易度が高く、そういった手の込んだ料理ができるほど料理に造詣が深いかと言われればそうではない。
そもそも錬金術で料理を作るようになって、厨房の皆に計量カップの使い方や良い材料の見極め方などを習っているぐらいだ。ハイレートは錬金術に関して素人だが、同時に料理に関しても素人である。
そのことを思い出したのか、女将さんは小さく笑った。
「普通にトンカツを作るときっていうのはね、下味をつけた豚肉に小麦粉をつけて、卵にくぐらせて最後にパン粉をつけたり、小麦粉と水を合わせて作った液体に豚肉をくぐらせてからパン粉をつけたり、もしくは小麦粉と卵を混ぜた液体に豚肉をくぐらせてからパン粉をつけたりと、のりになる何かをつけてからパン粉をまぶすようになってるんだよ」
「あー、なるほど。だから材料が少ないと」
「そう」
女将さんの説明に、ハイレートはなるほどと頷いた。彼女が何を疑問視していたのかが理解できたからだ。その上で、手にした教本をポンポンと叩きながら口を開く。
「まあ、教本にはパン粉としか書いてないんで、これで作れるんだと思います」
「錬金術ってのは摩訶不思議だねえ」
「そうですね」
気を取り直してハイレートは材料をもう一度確認する。実際の料理と違って必要な材料の種類は少量でいい。後はハイレート自身の魔力でそれを補うだけだ。
トンカツの手順は簡単だ。材料となる豚肉、パン粉、油の三つを最初から錬金釜の中に入れておけばいい。入れるタイミングを考えなくていいというのは、難易度を考えるとかなりランクが下がっていると言えた。後はそれらを混ぜ合わせ、魔力を注ぐ。その混ぜ方、魔力の注ぎ方によって変化を促すということだ。
錬金釜に向き合うハイレートを女将さんは静かに見つめている。「頑張りな」と言いたげな視線である。ハイレートが初めてオムレツを作ったとき、もはやオムレツとも呼べず、スクランブルエッグのなれの果てとも言うような物体を作った頃から彼女はハイレートを見ていた。
だからこそ彼女には分かることがあった。錬金術を始めた頃に比べて、今のハイレートは随分としっかりしている。本人は己を素人に毛が生えた程度、初心者と思っているようだが、日々の修練は確かに効いている。
証拠に、材料を錬金釜に入れるときに迷いはなく、魔力の注ぎ方に関しても何をどうやればいいのかと簡単に書かれている教本を見ただけで「なるほど」と、次にやるべきことを把握している。
最初は教本に書かれていることを理解するのが大変だった。何せ全く未知の領域である。何をどうやるのかもわからぬまま、手探りで頑張っていたハイレートを知っている女将さんは、感慨深そうに優しく目を細めるのだった。
そんな風に眺められているとは露知らず、ハイレートは材料を全て投入した錬金釜にゆっくりと魔力を流し込む。長い棒のような道具で、ぐるり、ぐるりと大きな錬金釜の中を混ぜる。
入れたものは豚肉とパン粉と油だ。水分になるものはどこにもない。いや、油が若干の水分ではあるのだが、それほど大量に入れたわけではないので、混ぜ始めはあくまでも固形物をぐるぐると混ぜるだけだ。時折パン粉が錬金釜の中でふわっと舞うのが妙に面白い。
しばらくすると、ハイレートの魔力が素材と混ざり合って、錬金釜の中身が徐々に固体から液体へと変わっていく。そして、最終的には、鍋の中にあるのは乳白色の液体だけとなった。
色味で言うならば、卵とパン粉の色味なのだろうか。豚肉のピンクの色合いは見えないが、ハイレートにはそんなことは関係ない。教本に書かれた通りに魔力を注ぎ、中の具材がしっかりと混ざっていることを確認する。
しばらくして、錬金釜の中身の手応えが変わる。魔力の通り方も変わる。そこで次の作業に移るべき段階なのだ、とハイレートは理解する。
それまでは、全体をまんべんなく混ぜ合わせるような比較的穏やかな行動だった。いわば下ごしらえの段階だからだ。それに対して、次の作業はいわゆる揚げに該当する。すなわち、ここから魔力を一気に注ぎ、錬金釜の中の具材をトンカツの形に仕上げ、カリッと揚げるという作業に入るのだ。
錬金釜の中で魔力と混ざり合った食材がどういった変化を起こしているのかは、ハイレートにもいまいちわからない。彼にわかっているのは、自分が注ぐ魔力に呼応するように食材が変化しているということだ。
魔力を途切れさせないように集中しながら、ハイレートは錬金釜を混ぜる。大量の魔力を一気に注ぎ込む作業は、まだ魔力操作にそれほど慣れていないハイレートにはなかなか負担だ。
それでも、途中で止めてしまえば全てが無駄になるので、歯を食いしばって必死に魔力を流し込む。錬金釜を混ぜる棒がとても重く感じるが、大きな動きでぐるぐると混ぜる。
しばらくして、錬金釜がピカッと光った。錬金が完了した証拠だ。錬金釜の中を見てみると、多少不格好ではあるものの完成したトンカツが並んでいた。
トンカツが完成したのを確認し、ハイレートは食べやすいように一口サイズにトンカツを切り分ける。いわばこれは味見である。
ちなみに、錬金釜の中には三人前のトンカツが鎮座している。食いしん坊たちが用意した食材は四人分ほどあったのだ。豚肉の塊を入れたので、それが上手に四人前のトンカツになったらしい。だから、この一枚をハイレートが味見用として食べても問題はない。
そうして切り分けたトンカツを、ハイレートは女将さんに差し出した。
ハイレートは料理に関しては素人である。対して、長年この騎士団の食堂を支える厨房を束ねてきた女将さんの舌は確かだ。だから、新しい料理を作ったときには、いつも味見をしてもらっているのだ。
錬金術のことはわからずとも、料理人としての視点からアドバイスをもらえることはとても多い。また、こうして作り出した料理が、仲間たちに提供しても問題ないかを確認してもらう意味もある。
なので、女将さんの方も慣れたもの。いつものことと言わんばかりに、味見用の小皿にトンカツを受け取ると、ゆっくりとそれを口に運んだ。ハイレートも同じようにトンカツを口に運ぶ。
噛んだ瞬間に感じるのは、さっくりと揚がった衣、パン粉の何とも香ばしい食感だ。油を吸ってカリカリに揚がったパン粉は、噛んだ瞬間にサクリという音がする。
中の肉はそれなりの厚みがあるのに、柔らかく歯が簡単に通る。ほろりとほどけるというわけではない。しっかりとした弾力がありながら、決して噛み切れないほど硬いわけではないという、何とも絶妙な仕上がりだ。
これは、肉がそこそこの質のものであるというのも関係しているのかもしれない。だが、恐らくは、実際に料理を作る際の下準備、下処理と呼ばれる手間のかかる作業を魔力を注ぐことによって行っているからと考えられる。
魔力を注ぐことによって、肉の旨味を本来以上に引き出しているという感じなのだ。これは他の料理にも言えて、素人丸出しのハイレートが作った物でも、見た目は悪くとも料理として一応は完成したものは、基本的に食材の美味しさを引き出している感じなのだ。
もしかしたら、より技量が上がれば更に美味しく仕上げることが出来るのかもしれない。とはいえ、今のハイレートの実力で作ったトンカツが、美味しく仕上がっているというのは間違いない。
下味はシンプルに塩コショウと乾燥ハーブが少し使われているような気がする。この下味などの部分に関しては術者のイメージが反映されるようで、恐らくはハイレートの食べ慣れたトンカツがこういった塩コショウと乾燥ハーブで軽く下味をつけたものであるからだろう。
店によっては下味は控えめに塩だけで、特製のソースをかけて食べるというものもある。今回作ったものにはソースに対する記述がなかったので、味付けは食べるときに各自の好みでやってくれということなのだろうとハイレートは思っている。
もう一つ考えられる理由としては、このトンカツのレシピはカツ丼の副産物として書かれていたものであるということだ。
カツ丼はトンカツをだしで煮込み、卵でとじた料理である。すなわち、この後にまだ味付けが待っているのだ。それゆえ、カツ丼のレシピページに書かれていた方法でトンカツを作るときには、ソースに関する項目が出てこなかったのだろう。
とにかく、錬金術で作った初めてのトンカツは完成した。味の方は問題ない。絶品というほどではないが、普通に美味しく食べられる。初めて作ったにしては上出来だろう。
形は一枚物のトンカツだが、揚げ加減の部分で魔力の操作が上手くいかなかったのか、ほとんどこんがりきつね色ではあるが、一部色味が少々黒くなっていたり、逆に白っぽい部分も見られる。ただ、肉にはしっかりと火が通っていたし、トンカツとして提供して問題はなさそうである。
そこまで考えて、ハイレートは視線をゆっくりとそちらへ向けた。食堂のテーブル席、そこに仲良く、おとなしく、ちょこんと座っているウィレルとレックの姿がある。
彼らは、ハイレートと女将さんが味見をしているのも邪魔はしなかった。しなかったが、二人が食べる姿を食い入るように見つめていた。
まぁ、食いしん坊二人にしてはきちんと待っていると言えるだろう。彼らはいい大人なので、完成しました、はいどうぞと言われるまでハイレートの邪魔はしない。繊細な魔力の操作が必要になる錬金術を、彼らなりに理解しているからだ。
そんな風におとなしく待てをしていた二人のもとに、ハイレートは出来上がったトンカツをそっと並べた。あくまでも試食である。このトンカツは彼らが望んだカツ丼を作るための前準備に他ならない。
だが、それでもとにかくトンカツというものは出来上がったのだ。
「とりあえず食べてみてくれ。味が足りなかったら自分たちで調味料をかけてほしい」
一応ちゃんと中まで火の通ったトンカツになってるとは思うけど、と告げたハイレートの言葉。それが終わるなり、二人は食前の挨拶を手早く済ませて目の前のトンカツへと手を伸ばした。
出来立てほかほかの温かさが伝わるトンカツに、我慢できなくなったらしい。確かに揚げ物の匂いというのは、誘惑がとても強い。ましてや彼らは、そもそもが食べたいと思って待っていたのだ。誘われるに決まっている。
火傷をしないように、とふーふーと息を吹きかけてトンカツを冷ましながらゆっくりと頰張る。二人の表情は次の瞬間、満面の笑みへと変わった。口いっぱいにトンカツを頰張りながら、美味しいと言いたげな顔である。
サクサクとしたパン粉の衣。火が通っていながら柔らかな豚肉の食感。下味に塩コショウをしているかのようなほのかな旨味。ソースの類をかけずとも肉の旨味と下味だけで、十二分に美味しく感じられる。
ましてや揚げ物というのは、揚げることによって衣に油の旨味を閉じ込めるのだ。単に焼いた肉とは違う独特の美味しさがある。
むしゃむしゃと美味しそうに用意されたトンカツを平らげる二人。ハイレートと女将さんは試食として一口ずつ食べただけだが、二人にはきっちり一人前ずつ用意されている。
その一人前ずつ用意されたトンカツを、ウィレルとレックはペロリと平らげてしまった。よほどお口にあったらしい。ご機嫌である。
「うまかったぞ、ハイレート。トンカツ完璧だな」
「いや、まだ一回作っただけだから完璧ってわけじゃ……。焼き目も甘いとこあったし」
「そうか。でも味は普通に美味しかったぞ」
「それならよかったけど」
ハイレートが錬金術で作った今までの料理をほとんど全て試食している男は、そんな風に言った。失敗作に等しかったオムレツになりきらないスクランブルエッグの頃から、ウィレルはことあるごとにハイレートの錬金術料理を試食してきたのだ。
それを思えば、初めて作った料理でありながら、このトンカツは実に美味しくできていると彼は思ったのである。すなわち、ハイレートの錬金術のレベルが上がっているということだ。日々の鍛錬はしっかりと彼の実力を励めていた。
まあ作っているのが料理なので、いまいち劇的な変化が見えないというのもあるが。少なくとも、生焼けであったり、逆に焦げていたり、形が極端に悪かったり、妙な味がしたり、というような明らかな失敗作は作らなくなってきている。
もちろんそれは、ハイレートが自分のレベルに合わせて作れるものを選んでいるというのもあった。レシピにも難易度があるので、やはり難しいものに取り掛かると大変なことはある。
そういう意味で、カツ丼は無理と告げてトンカツの練習に入ったハイレートは賢かったということだが。
「それじゃあ、次はカツ丼だな」
ペロリとトンカツを平らげてご満悦のウィレルは、満面の笑みを浮かべてそんなことを言った。ハイレートはそんな友人を見て、小さくため息をついた。
「少なくとも、もうしばらくトンカツの練習をしてからだ」
そう告げたハイレートに、ウィレルは不思議そうな顔をする。何でだ? と言いたげであるが、ハイレートとしてはトンカツをもう何度か作ることでその練度を上げてからカツ丼に取り掛かりたいのだ。
何せトンカツとカツ丼では難易度が違う。それはすなわち、手順が難しいというだけでなく、必要な魔力量も異なるということだ。
錬金術を行うようになって初めて、自分の魔力をきっちり認識したようなハイレートである。念には念を入れてと思うのは、真面目な彼の性格からして当然であった。
そういった面を丁寧に説明したハイレート。説明を聞いてウィレルは一応納得したらしい。今日カツ丼が食べられないのは残念だが、トンカツが美味しかったのでまあいいかという気持ちになったのだろう。
それはウィレルの傍らにいたレックも同じであったらしい。
「それではトンカツの鍛錬が終わり、カツ丼が作れるようになったら連絡してくださいね」
にこやかに微笑む書記官殿。そもそも、何でこの人はこんなにも自分の作る錬金術ご飯に反応しているんだろう。そんなことをハイレートは思ったが、言っても無駄な気がしたので口には出さないのであった。
「とりあえず、しばらくはカツ丼を作るためにトンカツの練習だな」
そう呟いて、自分の鍛錬スケジュールを組み直すことにしたハイレートなのであった。何だかんだで、食べたいと言われるとついつい努力してしまうのは、彼のお人よしで真面目な性格の表れなのかもしれない。




