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第1話 幼馴染は浪人生

「私……もう我慢できないんです……」


 押しかけ同棲中の幼馴染(浪人生)は馬乗りになっていたカラダを密着させて、寝惚け眼の乾いた唇にキスをした。


 陰キャオタク大学生である俺にとってそれは当たり前のごとく、ファーストキスだった。




 ☆




 刻は1ヶ月ほど遡り——桜の咲き誇る4月。またの名を、春休み最終日とも言う。


 永遠に続くかとも思われた大学生の長い長い春休みも遂に終わるのかと感慨に耽りつつも、朝陰彼方あさかげかなたはゲームのオンライン対戦に明け暮れていた。


「だーっ、勝てねぇ! はぁ、もうやめやめ。やってらんねーわ」


 コントローラーを投げ捨てて立ち上がると、あらかじめ電気ケトルで沸かしておいたお湯をカップラーメンに注ぐ。


 それから規定の時間より1分早くフタを開けると、硬めの麺を啜り始めた。


「(ずるずる。ずるずる)」


 ゲームに負けてカップラーメンを啜る、これこそ世界で一番虚無な時間である。

 

 ゲームしてアニメ見て漫画読んで、たまに勉強して、バイトしてただけの半ニート生活が終わっていく。


 友人と遊びに出かけることなど1日たりともあり得ず、人との交流はバイトとわずかなご近 所付き合いのみ。


 人語忘れそうだったぜ……。


 ちょっと喋る練習とかしておこうかな。

 「おはようみんな! 2ヶ月ぶりだね!」って? そんな挨拶する相手いなかったわ。てへ。


「…………虚しい」


 まぁでも、輝かしい大学生活なんて求めないし、陰キャにとっては存外悪くない春休みだったと言えよう。


 ————ピンポーン。

 

「ん?」


 食事を終えていい感じに感情が死に始めた頃、インターホンが鳴った。


 アムゾンでも頼んでいただろうか?


 気怠い体に鞭打って、玄関へ向かう。


「はーい、どちら——さ——ま……?」


 扉を開け放つと、そこには女の子が立っていた。

 

「お久しぶりです、せんぱい」


 爽やかに微笑むと、明るい色の髪が風に揺れる。

 まだ冬の気配が残る4月にぴったりな春色のコートはふわふわと、可愛さを演出していた。


「おま、え? なんで?」


 俺はただ、戸惑うことしかでない。


「言ったじゃないですか。1年後、絶対せんぱいに追いつきますって」

 

 そう、この1年間、何の連絡を寄越さなかった一つ年下の少女はこうしてあまりにも突然に俺の前へ現れた。


「いや、たしかに言ってたが……」


 俺が大学に通うため故郷を立つ前、彼女が誓ったコトバ。

 もちろん覚えていたが、同時に無謀だとも思っていた。

 なにせ目の前の少女はバカで勉強ができない。


「マジで来たのか……」

「はい、もちろんです。私のモットーは有言実行、奮励努力ですから」

「ウソつけ舌先三寸、怠慢忘身だろうが」


 だが、今回ばかりは頑張ったらしい。そう思うと、俺は自然と彼女の頭を撫でていた。

 するとこそばゆそうに笑顔を見せてくれる。


「えへへ……」

「まったく……ウチの大学、それなりの偏差値だぞ?」

「ですねぇ知ってますよぉ……うぇへへもっと撫でてぇ」


 戯れるように甘えてくる姿はさながら小動物だ。

 嬉しそうな彼女に、俺もまた不思議と口元が緩むのを感じた。


 たっぷり5分ほどその状態が続くいた後、少女は満足いったのか弾むように一歩後退する。


「ってゆーことで」


 背筋を伸ばし、可愛らしくもあざとい敬礼。


「改めまして、朝陰彼方くんの唯一にして真なる幼馴染、夕月莉愛18歳!何を隠そう今をときめく浪人生!」


 ……は?


「本日から、こちらでお世話になります!」


 え、なに。

 こいつ今、なんて言った?


「今日からここが私たちの愛の巣ですね♡ せんぱい♡」


 浪人? つまり、大学受験は? 落ちた、と……?

 そして、愛の巣……? なんだよそれ……まさかとは思うが、同居するつもりなのか……?


(くらっ……)


 理解が及ばず、俺はその場で卒倒した。

 春休みの不健康極まりない生活が祟ったのかもしれない。


「え? なにせんぱい? せんぱいちょっと!? なんで倒れてるんですか!? し、死なないでー!? 未亡人はイヤー!?」


 しかしそれが、年下の幼馴染である夕月莉愛との一年ぶりの再会だった。




 ・


 ・


 ・





「……大学受験は?」


 意識を取り戻した俺は、仕方なく莉愛をダイニングへと通した。

 客への最低限のオモテナシとして適当にお茶を出すと、ちゃぶ台に向かい合って座る。


 そして、核心から問いかけたのだ。

 すると莉愛はふっと、まるで散りゆく桜のように色の抜け落ちた儚い微笑みを浮かべ、グッと親指を立てた。


「落ちました。それはもうキレイさっぱり」

「おう……」


 がくーんと力が抜けて、思わずちゃぶ台に突っ伏してしまう。


「まぁまぁ、元気出してくださいよせんぱい」


 なぜか余裕な様子で先ほどとは逆に俺の頭を撫でる莉愛。

 どうやら受験の失敗を引きずってはいないようだ。


「私なんて直前の模試でD判くらって負け確ってことで、もはや撮り溜めしたアニメ一気鑑賞してましたし」


 いや、この幼馴染ったらなかなかいい根性してるわ。なんて図太い子。


 人生舐め腐ってんのかしら。


「はぁ、おまえ……おまえさぁ……はぁ、なんでそう……はぁ……」


 ため息しかでない。


「ああーせんぱいよちよち。泣かないでー」


 さらに頭をくしゃくしゃと撫でられる。

 だが決して泣いてなどいない。俺は呆れているのだ。怒る気力もないほどに。


「べつにいいじゃないですか。約束は果たしましたし」

「追いつくって、物理的な距離の話かよ……大学合格じゃねぇのかよ……」

「ええそうです。最初からそのつもりでしたとも。てゆーかそもそもの話、私が合格すると思いました?」

「いや」


 だってバカだし。


「ですよねー。ウっけるー。でも、ちょっとアタマにきますね♪」

 

 それでも、一瞬でも夢を見て、青春のカケラみたいなものを垣間見てわずかな感動を抱いたさっきの俺を殴りたい。

 目の前の女もフルボッコしたい。ハメ技すんぞオラ。

 

「まぁ、真面目な話、今年は合格するんですけどね」


「………………」

 

 しばらく項垂れていた俺だったが、そのコトバを聞いて身体を起こした。

 世の中、切り替えの早さがモノを言うのだ。莉愛がすでに去年のことを笑って話すように、俺だって前を向かなくてはならない。

 でないと、失敗をいつまで引きずって、未来への不安を抱いて、毎晩ベッドで鬱になるモラトリアム陰キャ生活まっしぐらだからな。あれ、それ俺じゃん。


「で、おまえは結局なにをしに来た? 律儀に約束を果たしにきただけじゃないんだろ?」


 倒れる直前、不吉なことを言っていた気がするが記憶から消した。

 嫌なことからは目を逸らす。辛く険しい人生から目を逸らすことができるのが、大学生の特権だ。


「家にいるとお母さんが勉強しなさいってうるさいんです」

「お、おう。よくあるな。わかるわかる」


 あとこの動画一本見たら勉強しようって決意した瞬間に「勉強しなさい!」って突貫してくるんだよな。

 マジで萎えるからやめてほしい。あと部屋のドアはノックしてください頼むから。


「お父さんは、私を見るとなぜかさめざめと泣き崩れます」

「お、おう。それもよくある……いやないな。……でも夕月家の現状はなんとなく分かった分かっちゃいました。はい」


 俺もこんな娘がいたら将来が不安すぎて泣いちゃう。そもそも結婚できないけど。


「家だと勉強に集中できないんですよ。だから、ここで浪人生活をエンジョイしようかと」


「……ここ?」


「はい、ここです」


 莉愛はニコッとして床を指差す。


「Here?」

「ひあー」


 怪しい発音が返ってきた。


「でぃすいずあわーすいーとほーむ。いーえい。ぴーすぴーす。ごっつぁんDEATH☆」

「OK」


 幼馴染の英語は壊滅的だ。

 こりゃ受験も万策尽きるわ。


「Your brain is like a rotten orange! (おまえの脳みそはまるで腐ったみかんだな!)HAHAHA!!」


「え、え? よ、よあぶれいん……おれ、んじ? な、なんかよく分からないけどバカにされてることはわかります! が、がおー!」


 怒った。感性だけは優れているらしい。それだけを頼りに生きてるんだろうなぁ。

 だが、まったく怖くないので問題ない。


 3分ほど、荒ぶる小動物と化した幼馴染の相手をした。


「せんぱいのご両親の許可も得ています。だから一緒に住みましょ、せんぱい」

「いや俺の許可を取れよまず」

「この部屋ってムダに広いじゃないですか? 持て余してません?」

「それはまぁ、そうだが」


 この部屋はいわゆる2DKだ。ダイニングとはべつに、2つの部屋がある。

 一つは俺が寝室兼私室として使っているが、もう一部屋は物置と化しているのが現状。

 当時の俺は部屋が広いと掃除が面倒だし高いだろと抗議したのだが、母はなぜかこの部屋にしろと聞かなかった。

 家賃も全て払ってやるから、と。


 今思うと、その時にはすでに莉愛によって懐柔されていた可能性が高い。

 この幼馴染、冗談でも何でもなく最初から現役で大学生になる気などなかった。


「……スマホ貸せ。おばさんに電話する」

「はいはいどぞー」


 自分の親はダメとなれば、あとの望みはもう夕月家側しかない。


「あ、もしもし彼方です。お無沙汰してます」

『あら彼方くん!? 久しぶりね〜元気してた〜?』


「あ、はい。元気ですはい。あの、ところでですね、お宅の娘さんが今僕のところに来ているんですが……」

『あら莉愛ったらもう着いたの〜? 新幹線って速いわね〜。もぉあの子ぜんぜん連絡してくれないから心配で心配で……彼方くんはしっかりしてて助かるわぁ〜』


「あ、はい。えと、その、はい。それでその、莉愛さんがですね、僕の家に住むとか、その……」

『そうそう! ありがとね〜彼方くん!』


「へ……?」

『莉愛のお勉強見てくれるんでしょ〜? しかも同居までしちゃって! いいえ、これってもう同棲よね! きゃ〜、きゃ〜! もしかして来年には孫の顔が見られるのかしら! おばさん年甲斐もなく興奮しちゃう!』


 あっれー? どういうことですかねこれ。


「(ギロッ)」

「てへぺろ♪」


 睨み上げると、莉愛は可愛らしく舌を出す。電話中じゃなかったら部屋が血に染まってた。


『彼方くんになら安心して任せちゃうから、娘のこと、よろしくお願いします!』

「あ、はい。えと、その、あの…………」


 完全におばさんのペースに乗ってしまっている。いや、莉愛の策略に乗せられている。


 一刻も早く誤解を解かなくては。弁明しなくては!


 しかし、こんなにも嬉しそうに話すおばさんの期待を、信頼を裏切れるのか?

 「あ、はい」が口癖の陰キャが、ここから上手く説明して巻き返せるのか?


 口の中がベタついて、言葉が出てこない。緊張からか、変な汗も出てきた。握る拳がヌルヌルして気持ち悪い。莉愛のスマホもベチャベチャでざまぁみろ。


「スゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッ」


 そしてたっぷり数秒考え込んだ俺の結論が、これだ。


「お、お任せ……くだ、さい……り、莉愛を、莉愛さんを必ず、合格させてみせます…………」


 俺は!!!!

 弱い!!!!!!!!


(血反吐ぶちまけ)


 床が爛れた赤に染まった。


「うお、うぉぉぉぉおおおおん………」

「はーい。よちよーち。偉かったでちゅねーせんぱーい」


 今すぐクーリングオフしたい幼馴染、夕月莉愛との同棲が決まった。

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