日本人には三種類いる
記事が出て数時間で、ネットは大騒ぎだった。
世間は早百合さんと俺が同棲していて淫行関係にあると決めつけ批判した。
のみならず、男子高校生好きの淫乱女であり、日本経済再生プロジェクトのリーダーになったのも、超能力者の男子高校生たちを食い散らかすのが目的だったに違いないと誹謗中傷を始めた。
ネットの反応が気持ち悪すぎて、俺は仕事が終わると異能省の休憩室でソファの背もたれに体重を預けた。
「なんでこうなるんだよ……」
一言では言い表せられない、複雑で重たい感情を含んだ言葉が漏れた。
桐葉たちと出会ってからは幸せ過ぎて忘れていたけど、これが人間だ。
ボッチ時代に味わってきた、ドス黒い感情だ。
早百合さんは最近、うちに住み始めた。
これは事実だ。
でも、だからと言ってなんで俺と早百合さんが淫行関係にあるとか、まして早百合さんは男漁りのためにプロジェクトリーダーになっているって話になるんだ?
しかもなんの根拠もなく、あたかも確定事項のように騒いでいる。
どうして証拠もなく他人を誹謗中傷して傷つけて足を引っ張り他人の人生の邪魔をするんだ?
それでお前らになんの得があるんだ?
それとも楽しいのか?
自分の手で他人を不幸にすることが楽しいのか?
かつてのクラスメイトたちが俺のことをいじめて楽しんでいたように。
なんでそんな連中がこの世に存在するのか、その理不尽さが気持ち悪くて、吐き気が止まらなかった。
それは、みんなも同じらしい。
「なんなのよこいつら! ハニーは早百合さんどころか桐葉にも手を出せていないのに!」
「それどころかシサエたちは全員ユニコーンライダーっすよ!」
「許せないのです!」
茉美と詩冴と麻弥が憤慨する一方で、人の汚れに多く触れてきた舞恋、真理愛、美稲は俺と同じように、沈んだ表情で黙していた。
特に、サイコメトリーで数えきれないほどの犯罪者と被害者の感情を読み取ってきた舞恋は、うんざりしていることだろう。
「ていうか早百合さんて日本を救ったヒーローでしょ? なんでこんなあからさまなネガキャンにみんな踊らされているのよ!」
茉美の疑問はもっともだ。
当然、中心になって騒いでいるのは日の丸党や富士山党などの他政党の工作員だろうが、青桜党のリアルタイム支持率は大きく下がっていた。
だけど俺は知っている。
これが人間という生き物の本性だ。
「人間は無能で怠惰なくせにプライドが高いからさ」
俺の人生観を代弁するように、桐葉が冷徹な表情で告げた。
「世の中には有能と無能がいる。無能は常に劣等感と嫉妬心に苦しんでいる。勤勉な無能は努力をするけど無能な上に怠惰な奴は苦しみから逃れるためにこう思いたがるんだ……有能な連中は悪だ、てね」
愚か者を嘲笑うように、桐葉は口元を歪めた。
「金持ちやスター、権力者は高飛車で性格が悪くて裏では非合法なことをしているに違いない。自分たちを見下し搾取しているに違いない。有能な人を加害者、自分たち無能を善良な被害者に置き換えることで優越感に浸る」
呆れるように息を吐いて、桐葉はソファの背もたれに体重を預けた。
「ようするに、楽してヒーローになりたいから、上から目線に難癖をつけて悪人に仕立てあげてから攻撃して正義の味方面ってわけさ」
出会ったばかりの頃の彼女を彷彿とさせる桐葉の態度に、俺は胸が痛んだ。
桐葉は、本来は明るくて甘えん坊で好奇心が強い性格だったんだと思う。
だけど蜂の能力が原因でたくさんいじめられて、子供ではいられなくて、後天的に冷徹な一面ができてしまった。
俺と愛し合うようになってからはあまり見せなくなった顔だけど、こうして人間の醜さに触れると、冷徹な彼女が顔を覗かせる。
二度とこんな顔になってほしくなくて、俺は手を尽くしている。
超能力者同士の興行試合、アビリティリーグを作って戦闘系能力者が迫害されない社会にしたのも、その一環だ。
だけど、バカは消えない。
桐葉を傷つけるバカはゴキブリのように次から次へと手を変え品を変え新種が生まれる。
悪役にありふれた台詞である「人間のどこに救う価値がある」という台詞が、今だけは正しく思えた。
でも。
「怒りでシサエは暗黒面に堕ちそうっす! 恩をあだで返すなんて、もう一生分の生活費はあるし、サユリちゃんが落選したらシサエは異能省で働くの辞めるっす!」
「俺は働くぞ」
みんなの視線が俺に集まった。
すぐ隣のソファに座る桐葉も、ちらりと横目を向けてきた。
俺は、努めて冷静に語った。
「俺だって、早百合さんを悪く言う奴らは許せない。いわゆる愚かな民衆丸出しだ。今まで自分はこんな奴らを助けるために一年間頑張ってきたのかと思ったら、嫌な気持ちが止まらない。でも、日本人が一人残らず悪いわけじゃないだろ?」
俺の問いかけに、詩冴と茉美が怯んだ。
「社会はチェスボードみたいなものなんだ。世の中には白いマスと黒いマスがあって、黒いマスがうざいから白いマスごとチェスボードを捨てるのは良くない。黒いマスが助かるのは腹立たしいけど、白いマスを助けるために、俺はチェスボードを守りたい」
視線を落とす詩冴と茉美へ語り掛けるように、俺は優しい声で言う。
「それに、俺らもそのチェスボードに生きるマスのひとつだ。社会を見捨てるのは、俺らの首を絞めることになる。それに、アビリティリーグを作るときに言ったろ? 将来生まれてくる子供たちに、汚い社会を見せたくないって」
最後の一言で、みんなは何かを考えるようなそぶりを見せた。
その空気を破り、口火を切ったのは誰でもない、桐葉だった。
「ありがとう、ハニー」
過ぎた幸せをかみしめるように甘い声を口にしながら、桐葉はそっと俺に身を寄せてくれた。
触れ合う肩から彼女の体温が伝わるだけでもドキドキするのに、そのまま桐葉は体をひねると、俺の首に腕を回して抱き寄せた。
「ボク、ハニーと会えて幸せだよ。ずぅっと一緒にいてね。それで、幸せな家族を作ろ?」
心臓が跳ね上がるのは一瞬で一回だけ。
いつのまにか俺は、桐葉のアプローチを受け止めるのに十分な余裕を持っていた。
「あぁ。俺らの子供が大きくなる頃には、綺麗な理想の社会を見せてやろうぜ」
俺は歯を見せて笑い、桐葉の体を受け止めた。
戦後生まれの子供が戦争を知らないように、俺らの子供は社会のゆがみを知らない世代にしてあげたい。
俺らの姿に、部屋の空気は緩み、みんなの口から安堵の息が漏れた。
「でもハニー君、実際のところどうする? 早百合さんが私たちと暮らしているのは本当だし、女上司が若い男の部下と暮らしているっていうだけでもいかがわしいって考える人も多いよ」
「あ、それなんだけどおかしくない?」
疑問を投げたのは、舞恋だ。
控えめに手を挙げながら、彼女は続けた。
「世の中に悪い人、黒いマスの人がいるのは知っているけど、その人たちって日の丸党とか野党を支持している人たちじゃないの? 早百合さんがハニーくんとその、不健全な関係にあるっていうのは根拠がないのに、どうしてこんなに支持率が下がっちゃうの?」
「日本人の多くは流される人だからな」
俺は、前に教育系動画で見た知識を解説した。
「人には三種類いる。流される人、流されない人、流す人。それぞれミーハーな人、ニッチな人、ブームの仕掛け人とでも思ってくれればいい。日本人は、この中でミーハーな、流される人が大多数なんだ。だから早百合さんが日本を救ったことも、俺と不健全な関係にあるって証拠もないのは知っている。だけどネットが早百合さん叩き一色だと、それが正しいことのように感じてしまうんだ」
「流行りものならわかるけど……流されて他人を叩くのは、よくないと思うな」
舞恋がしゅんと肩を落とす。
凄く当たり前のことで、当たり前のように傷つく。
それが彼女の美点であり魅力だ。
舞恋は俺の恋人じゃないけど、大事な仲間だ。
彼女のことも、守ってあげたいと思った。
「舞恋の言う通りだ。だから何が何でもなんとかしないといけないんだけど、さて、どうしたもんかな」
俺が困り果てると、部屋のドアがノックされた。
「誰でしょうか」
真理愛が休憩室のドアを開けると、そこには半泣き顔の女子がふたり、立っていた。
その顔には見覚えがある。
俺が毎日送り届けている、警察班のメンバーだった。
一人は舞恋と同じサイコメトラーで、一人は真理愛と同じ念写使いだ。
どうして泣いているんだろうと俺が心配すると、二人は一斉に頭を下げた。
「「ごめんなさい! 私たちのせいなんです!」」
「……え?」




