支持母体ブレイク!
冷静に考えれば、どちらが正しいかは火を見るよりも明らかだろう。
「…………」
貴さんは、しばし黙してから、不意に手を叩いた。
「おみごとおみごと。なかなかの名演説だったよ。なるほど、日の丸党に与党たる資質はない。それはわかりましたよ。しかし、だからと言って次期与党が青桜党に決まるわけではない。日の丸党が駄目なら野党第一党の富士山党、あるいは、今まで与党経験のない他の野党に任せてみる、という手もある」
貴さんは不敵な笑みで見上げてきた。
「私が知りたいのは、君が政権を取ったらどんな日本を作るか、その日本で我々投資家は儲かるのか、だ」
とりあえず前半戦は合格、ということだろう。
俺は超能力者で異能学園の生徒で経済再生プロジェクトの主要メンバーとして、口を挟めるところがあればと警戒しながら早百合さんの言葉に見守った。
「龍崎大臣。私は日の丸党が懇意にしている会社の大株主だ。私は日の丸党が与党として続投してくれたほうが儲かる。それ以上の魅力を提示してもらえなければ、君の味方にはなれない」
「なら安心していい。私が目指すのは究極の経済社会だ」
「つまり、経済を重視すると。月並みな意見だな」
貴さんは期待外れとばかりに溜息を吐いた。
「高度経済成長とバブルの頃の悲劇を知らないのかな? 戦後、急激に経済発展した日本は拝金主義の権化となり人々からは品格が失われ、世界中で下品な成金と蔑まれた。地価が高騰したことで反社による地上げ行為が激化。傷害殺人や放火事件が後を絶たなかった。企業間競争の激化は違法行為を呼び、非合法な商業活動も増加した。私は投資家だが、拝金主義者ではない。金を使うのが人である限り、人の心を忘れた国作りはやがて人を滅ぼすだろう」
意外な返事に度肝を抜かれた。
てっきり、投資家は皆、拝金主義者なのかと思っていた。
攻め手を間違えた。
俺の脳裏に【失敗】の二文字がよぎった瞬間、だが早百合さんは告げた。
「貴君の言う通りだ。そして私は、人の心を救うべく、超経済社会を目指すのだ」
――早百合さんは、何を言っているんだ?
訝しむように目を細める貴さんへ、早百合さんは語り掛けた。
「拝金主義は人の心を奪うのか。金は汚いか。断じて否だ」
「金が汚くない?」
「そうだ。金があれば、愛する家族が安心して生きられる衣食住を用意できる。ケガや病気の苦しみから救うこともできる。幸せは金で買える、という言葉は金さえあれば人はいらないという意味ではない。金があれば愛する者を守れるという意味だ! 幸せとは豊かさであり、人を大事にすればこそ経済が重要なのだ。そも、金を汚いと感じるのは日本人特有の価値観でありその原因は武士社会にある」
声の熱をやや落とし、早百合さんは解説した。
「日本は武士が貴族にとってかわり、軍人が政治を支配するという世界でも稀に見る政治体制となった。彼らは金勘定は商人の領分で武士のすることではない。武士が金にかかわることは卑しい事。武士は忠勤を尽くし有事の際に戦えば良いと考えた。明治新政府のメンバーは皆、薩摩と長州の元武士階級であり、金勘定は卑しいという考えは近代日本の規範になった」
似た話は俺も知っている。
江戸時代の武士の経済感覚は無茶苦茶で、多額の借金をして破産する人が後を絶たなかったらしい。
彼らは数の計算はできるのに、金の計算はしなかったらしい。
「明治時代の国際パーティーで、デンマーク国王が自国の鉄鋼業を売り込み、王族が営業トークをしたことに日本使節団が驚愕したという話がある。しかし、かの王は卑しい金の亡者ではなく、輸出を伸ばし経済力を付ければ国民が救われる事を知っていたのだ。この体質は今でも変わらない。欧米では大統領が他国に自国の産業を売り込むのが常識だが、日本の総理は営業せず、日本企業の社員が売り込みをしている始末だ。当然、相手への心象は良くない」
言い方は悪いが、下っ端の小間使いが来たら馬鹿にしていると思われるだろう。送り込む人の地位で、本気度の伝わり方も変わる。
「話を戻すが、【金の亡者】【銭ゲバ】【守銭奴】、という言葉に代表されるように金を卑しく思うのは武士階級が植え付けた洗脳でしかない。むしろ【衣食足りて礼節を知る】という言葉の通り、人は余裕があるからこそ他人に優しくなれる」
「ご高説をありがとう。だが君がどれだけ知識をひけらかそうと、かつての日本から情が失われたのは事実だ」
「それは政治家の責任だ」
「政治家と国民の意識になんの関係が?」
右手を顔の高さに上げて、早百合さんは人差し指を立てた。
「ひとつ、日本人が世界中からひんしゅくを買ったのは海外のマナーを知らなかったからだ。当時はほとんどの日本人にとって海外旅行は初めての事。海外でも日本国内と同じように振舞った結果、チップを払わないなどの行為から海外の人に非常識だと思われただけだ。外務省が各国でのマナーを旅行会社に指導すべきだった」
続けて、中指を立てた。
「ふたつ、地価が高騰したことで反社による地上げ行為の激化だが、これは法整備が追いつかず反社に対する捜査もゆるかったのが原因だ。政治家の仕事は法律を作ること。治安を守るのは政治家の法案作成にかかっている」
最後に、薬指を立てた。
「みっつ、企業間競争の激化による非合法な商業活動も同じだ。しかし今の日本は世界一基準と規制が厳しくなっている。それでも法律の抜け穴を突く企業が現れるたび、柔軟に法案を変えることで対応すればいい」
「……」
「表面だけを見れば、経済発展することで人は傲慢になるように見えるかもしれない。だが個別に精査すれば、実際にはどれも明確な原因があり、対応も可能だ。私は人を想う。人が集まり家族になるように、国とは土地や建物ではなく人の集合を国と呼ぶのだ!
三本の指を折り、早百合さんは握り拳を作った。
「故に、私は人を救うために日本を経済大国にしたい。誰もが仕事に就き、働いた分だけ報酬を得て、己と家族の平和と幸せを守れる社会、それこそが私の目指す国だ! そうなれば当然、貴君ら投資家の利益も保証されるだろう」
早百合さんが最後まで敢然と言い切ると、貴さんはじっとこちらを見据えたまま動かなかった。
長く熟考を重ねるような時間が流れると、貴さんは静かにまぶたを下ろした。
「……合格だ」
その一言に、俺は息を呑んだ。
合格、ということは……?
「経済とは富の独占ではない。今、君が口にしたのは、経済活動の基本原則だ。それを理解する政治家は、片手で数えるほどだがね」
「では」
貴さんは頷いた。
「ああ。この貴美貴、全力で青桜党を支持させてもらおう」
――よしっ!
俺は心の中でガッツポーズを取った。
「感謝する。早速だが、日の丸党の支持母体の他のメンバーにも渡りをつけてもらいたい」
「その必要はない」
貴さんが指を鳴らすと、彼の背後の壁一面に巨大なMR画面が開いた。
縦にも横にも数十分割された画面には、無数の人々が映っていた。
「日の丸党支持母体を構成するメンバーのうち、2000人が今の会話を聞いていた。なぁみんな、私は彼女に未来を投資しようと思うんだが、どうだい?」
『異義なし!』
2000人分の賛同が応接室を満たした。
俺は鼓動のギアがひとつ上がり、胸が熱くなるのを感じた。
2000人の要人を掌握するカリスマ性。
龍崎早百合という人物の強大さを、あらためて思い知らされていた。
「だ、そうだ。支持母体は我々だけではないが、日の丸党が与党になることは不可能だろう」
そこまで言ってから貴さんはソファから始めて立ち上がり、早百合さんに歩みよった。
貴さんが握手を求めると、早百合さんも快く応じた。
「ひとつ聞かせてくれ。君は何故、そこまでして日本を救おうとする? 君も富裕層だ。海外へ逃げればいいだろう」
硬い握手を交わしながら、早百合さんは勇ましく笑った。
「生まれ育った国の消滅を願う者がいるか?」
「愛国心、というやつかな?」
「違うな。それは権力者が国民を支配するための呪いだ。私のこれは【愛国心】で
はない、【郷土愛】と言ってくれ」
「なるほど、それは納得だ」
こうして、俺らは日の丸党の支持母体を崩すことに成功した。
★本作はカクヨムでは360話まで先行配信しています。
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今回の話がわかりにくかったらしいので補足。(になればいいなぁ)
武士はお金の【重要性】は知っていますが、お金儲け【行為】は嫌っていました。
朱子学の影響や身分制度の影響で江戸時代の武士たちはお金儲けは卑しいと思っていました。お金儲けは商人がすることで武士のすることではない。武士は黙って忠勤に励むべし、と。
お金は年貢、税収として庶民が黙って差し出すべしとか借金すればいいとか思っていたようです。
その辺りは、大河ドラマの【せごどん】で父親が金がないなら借りればいい発言。
【青天を衝く】で使節団が値段交渉せずに滞在費を言われるがままに払う。
映画【武士の家計簿】で主人公家が足りないお金は全部借金しまくりでも頓着無しなど。
当然、誇張、脚色もあるでしょうが、こうしたことは実際にあったようです。
大河ドラマになった山本八重ですが史実における醜聞で、夫の遺産を短期間で食い潰したというのがあり、理由は学園教育に必要なお金を後先考えず湯水のごとく使ってしまったから。
また、幕末の江戸か京都の警備費が足りない時、とある武士が商人たちに「お前ら庶民を守るための費用なんだから金を出せ」と上から目線に言って喧嘩になり問題行動。別の武士が相撲興行のお手伝い、アルバイトして費用を工面するとお礼を言うどころか「武士のクセに金儲けなんて卑しい連中だ」と陰口。
明治政府も商人たちの賄賂でズブズブでお金は好きだし重要視はしましたが、経済、商業、金儲け行為に力はいれていませんでした。
もちろん、これは県民性や国民性同様、全体的にそういう風潮、性質がある。そういう人の割合が多いという意味で、商業の重要性を知る人もいました。
渋沢栄一などそうした人たちのおかげで明治時代は経済的にも発展しましたが、否定的な人たちが足を引っ張っていたのも事実のようです。




