彼女が台所に立って手料理を作ってくれました
両親に引っ越しの話をして、必要最低限の荷物を手に官舎へ戻り、新しい部屋に荷物を置くと、リビングから桐葉の明るい声が聞こえた。
「ハニー、ごはんできたよぉ♪」
「お、おう」
なんだかくすぐったい、嬉し恥ずかしいやり取りにドキドキしながらリビングへ顔を出した。
すると、桐葉食卓テーブルに二人分のカレーとスプーン、牛乳を配膳していた。
ちなみに、対面ではなく、左右に並べている。
「普通、こういうときって向かい合って食べるんじゃないのか?」
「えっ? だってテーブル挟んだらハニーとの距離が遠いじゃない? ボク、好きな人の近くにいたい派なんだ♪」
「ッ、いちいち恥ずかしいこと言うなよ」
「またそんなこと言って嬉しいくせに。ハニーのえっち」
「ッッ」
勝てそうにないので、さっさと席に着いた。
彼女もすぐに隣の席にお尻を下ろして、肩が触れ合いそうな距離に迫ってくる。
「さ、食べて食べて」
「い、いただきます」
子猫のように甘えた声で促され、俺は、スプーンを手に取った。
「ん、このカレー、俺が知っているのと違うな」
うちのカレーは、具材が細かくてルーの中に紛れて見えない。
けど、桐葉の作ったカレーは、親指大の赤いニンジンや黄色いジャガイモ、きつね色の玉ねぎがコロコロと入っているのが目視できた。
絵本に出てくるカレーみたいで、凄く、カレー感が強かった。
それに。
「ルーにトロみがあるな。カレーのルーって、水みたいにさらさらしてるもんじゃないのか?」
「ボクのカレーは片栗粉を混ぜているからね。そのほうがルーの味がよくわかるんだよ」
「へぇ、おいしそうだな」
試しに一口食べてみると、その差は歴然だった。
市販のルーなんて全部同じ味のはずなのに、なんていうか、濃厚な味わいだった。
それに、カレーなんて半分スープ料理みたいなイメージがあったけど、ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎを噛んで食べていると、かつ丼と同じご飯もの、という感じがして、食べ応えがある。
「どお、おいしい?」
「あぁ、めっちゃ美味いよ」
「よかった。キミに喜んでもらえてボクも嬉しいよ」
桐葉の笑みには愛情が溢れていた。まさに、恋人にしか見せない、特別な笑顔だった。自称ソロ充で、実際にはただのボッチだったと自覚にした俺に、その笑顔は眩しすぎた。照れ隠しに、俺から話題を振る。
「片栗粉混ぜるだけで、こんなに味変わるんだな」
「それだけじゃないよ。中辛だけどボクの蜂蜜、プロポリス、ローヤルゼリーを入れることで、口当たりを甘く優しい辛さにしているんだ」
「お前のって、どういうことだ?」
「忘れた? ボクの能力ホーネットは蜂の能力を再現すること。ボクは【蜜蝋】と【蜂糸】の他に、【蜂蜜】【プロポリス】【ローヤルゼリー】を自由に生成できるんだよ」
「滅茶苦茶凄いな。お前戦闘班じゃなくても活躍できるんじゃないか?」
「それは無理だよ。作れるって言っても、プールを満たすような量を作れるわけじゃないからね。国内需要の1%にも対応できないよ」
「そうか、じゃあ、お前の蜂蜜を食べれるのは、身内だけか」
「そうそう、ハニーの特権だよ。それからね」
ひそめた声と熱い吐息が、耳の穴に注がれた。
「ボクのキスは蜂蜜味だよ」
頭の奥までのぼせ上るような快楽に、唇をかみしめた。
危険だ。桐葉は、思春期の男子にはあまりに危険な存在だと、実感した。
理性を総動員して、仰け反り逃げながら、俺は話を逸らした。
「そういえば、なんで桐葉は俺のボディーガードに名乗り出てくれたんだ?」
桐葉の話だと、志願したのは彼女ひとりらしい。
桐葉だって、俺よりも政治家の護衛をしたほうが得なのに、どうしてだろうと思う。
「早百合部長からキミの人柄を聞いていたからだよ」
「なんて言っていたんだ?」
何か、よくないことを言っていないだろうなと、訝しみながら尋ねた。
けれど、桐葉は優しい表情で、思い出話を語るように口調で言った。
「学校でも言ったけど、初対面の相手のことを信頼して、自分からサイコメトリーを受けたんだよね?」
「あ、ああ」
「そんなキミなら、ボクのことも平気かなって思ってね。それでも不安で能力は隠そうと思っていたけど、キミはボクの能力を知っても嫌がらなかった」
それで、少し気分が落ち込んだ。
きっと、桐葉はいじめられていたんだろう。
子供の残虐性は、俺もよく知っている。
子供は他人を攻撃できる材料を探し、無ければでっちあげてでも他人を攻撃して自己顕示欲を満たす性質がある。
そこに、蜂の能力を持つ子供がいれば、どんな扱いを受けるかは明白だ。
彼女を幸せにしてあげたい、みんなが嫌っても、俺だけは好きでいたい。
そんな気持ちが湧いてくる。
「それにボク好みの可愛いムッツリ君だし」
「ムッツリじぇねぇし!」
湧いた気持ちが一瞬で消し飛んだ。やっぱりこいつは危険人物だ。はい決定。
「デザートは蜂蜜たっぷりのハニートーストだよ。これからハニーのために、毎日おいしいもの用意してあげるから、楽しみにしててね♪」
「ぉぅ……」
つい、頷いてしまった。
針霧桐葉が危険人物なのは間違いない。でも、やっぱり可愛いのも事実だった。
外見はもちろん、性格も。
今日一日で何度も俺をからかってきて、でも、全力で尽くして、甘えて、俺に喜んで貰おうとしてくれる。
しかも、そこにあざとさや演技を感じない。
こんな子が彼女なら、絶対に幸せになれるだろう。
でも、同時に彼女のことが心配でもあった。
「なぁ桐葉、今度、みんなでどこかに遊びに行かないか?」
「え? 遊びに行くならハニーとデートがいい」
「それもいいけど、せっかく同じ職場で能力者同士だし、詩冴たちとも仲良くしようぜ」
「え~、いいよそういうの。ボクは、ハニーさえいればOKだよ」
「なんで?」
俺が恐る恐る尋ねると、桐葉は椅子の背もたれに体重を預けて、つまらなさそうに言った。
「ボク、ソロ充なんだよね。一人がいいっていうか、他人はわずらわしいんだよ。みんなで群れてマウント取り合って空気読み合って、空気を乱した奴を全員で攻撃してドヤ顔して上下関係作って、くだらない。みんなの言う友達って、ただのステイタス稼ぎでしょ?」
桐葉の言葉は、中学時代の俺そのもので、胸に深く突き刺さった。
けれど、だからこそ、彼女のことを助けたかった。
桐葉のことを否定せず、彼女に寄り添いながら、俺は説得を試みた。
「だよな。あいつら気持ち悪いよな。でもさ、昼に合った恋舞たちは、そういう感じじゃなかっただろ?」
「表向きはね。でも、毒針女と一緒になんていたがるわけないじゃん。ハニーは自分が底抜けのお人よしだって自覚持ったほうがいいよ」
徐々に不機嫌になる声に、俺は、なんとかとっかかりは無いかと探りを入れる。
「いい人って、有馬にも言ってなかったか?」
「ボクの能力がバレる前だったからね。でももういいよ。それよりハニー、彼女の手料理が冷めちゃうんだけど?」
「悪い」
俺がカレーを食べ始めると、桐葉の顔はころりと笑顔に戻って、俺がおいしそうに食べる様を眺めていた。
その顔は本当に幸せそうで、恋人だけに見える、無防備な表情だった。
なのに、俺の胸は不安と心配でいっぱいで、カレーの味も、半減してしまった。




