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帰ってきた伊集院

 翌日の7月31日火曜日。


 終業式前の教室では、生徒たちが夏休みの予定について和気あいあいと話し合い、活気に溢れていた。


 俺らのグループは、相変わらず詩冴が海を激押ししてくる。


 そこへ、静寂が割って入ってきた。


 期せず訪れた静寂の広がりに振り返ると、教室の入り口に伊集院秀介が立っていた。


 相変わらずモデル体型で、少女漫画に登場しそうな長髪美形ではあるものの、その表情は高校生とは思えないくらい神妙な、あるいは、思いつめたものだった。


 伊集院の悪行は、ニュースを見て教室のみんなが知っている。


 家柄・ルックス・実力の三拍子がそろった超人高校生が、転校そうそう、殺人教唆で逮捕されたのだ。


 誰もが口をつぐみ、警戒というよりも、扱いに困っている、という感じだった。


 対する伊集院は、ゆっくりとした足取りで俺らのほうへ向かってきた。


 俺は席から立ち上がり、桐葉と茉美が鋭い目つきで前に進み出た。


 けれど、伊集院は桐葉の2メートル手前で立ち止まると、真理愛へ向き直った。


「すまないことをした」


 目を瞑ってから、伊集院は深く頭を下げた。

 後頭部を見せながら、伊集院は静かに、真摯な声で弁明と謝罪を始めた。


「僕が有馬さんにしでかしたことは犯罪だ。言い逃れをするつもりはない。だから、夏休みの間、厚生施設で反省するつもりだ」


 伊集院の言葉を、真理愛は何も言わず、黙って聞いていた。


 そのことを確認してから、伊集院は続けた。


「きっと、ボクは調子に乗っていたんだ。子供の頃から予知能力者として特別扱いされてきて、政府が異能部を新設してからは警察班のエースで、世間からは【四天王】なんて呼ばれたせいでね。君を襲うようにネット民をそそのかす時も、どうせ僕が助けるんだから有馬さんに被害は出ない。だからこれは有馬さんに僕の想いを伝えるためのちょっとした演出だと思っていた。まるで赤信号の横断歩道を自転車で走るような感覚だ。犯罪だと分かっていても、これぐらい大丈夫と思考停止していた」


 伊集院の言うことは、小さいようで大切なことだと思った。

 細かいことを挙げれば、俺を含めて多くの人は日常的に犯罪をしている。



 知り合いの消耗品を勝手に借りて使う。

 店や施設のコンセントを勝手に使う。

 ネットに他人の悪口を書く。

 落とし物を自分の物にする。

 列の割り込み。

 指定日以外のゴミ出し。

 転売ヤーから元値よりも明らかに高額でチケットを買う。



 これらは全て、犯罪だ。


 けれど、誰もが「このぐらい別にいいだろ」「こんなのみんなやっているだろ」という自分に都合のいい解釈で実行している。


 実際、これらの罪で警察に捕まる人は少ないだろう。


 だが問題なのは、こうしたグレーゾーンを、自分勝手に広げてしまうことだ。


 それこそ、毒親がいい例だ。


 子供に対するどんな仕打ちも、「子供をどうしようと親の自由」「これが我が家の教育方針」だと正当化する。


 どれだけ仕打ちが過熱しても「まだだいじょうぶ」「これも教育の一環」「教育的指導」「子供を真人間に育てるための愛のムチ」だと正当化する。


 そうして、逮捕されてから自分のしてきたことがグレーゾーンなどではなく、暗黒のブラックゾーンであることを知る。


「前の高校で先生が言っていたよ。人は出世するほど共感性を失って自分勝手になるって。でも、出世しても共感性を失わない人が本当の成功者になるって」


 顔を上げた伊集院は、体ごと俺へ回した。


「奥井……有馬さんが君を信頼する理由がわかったよ……」

「え?」


 俺が何か言う前に、伊集院は踵を返して、俺らに背を向けた。


「ここにいてもみんなの空気を悪くするだけだ。終業式が始まるまでは席を外すよ。じゃあ、体育館で会おう」

「許します」


 伊集院が一歩踏み出した時、真理愛がそう呟いた。


 足を止め、肩越しに振り向く伊集院を見据えながら、真理愛はいつものように無感動で、まるで過去の因縁などないように平坦な声をかけた。


「私に危害を加える気がなく、事実、私もハニーさんも、誰もケガをしていません。それに、そそのかされたからと実行に移したのはあくまでもあの通り魔の女性です。だから、私は貴方を許します。厚生施設を出たら、また同じ警察班として働きましょう」


 真理愛の器に、誰もが息を呑んだ。


 彼女の言葉は模範的な聖人君子のソレで、誰かに強要されてもなお、実行するには鋼の意思力が必要だろう。


 なのに、それを誰に言われるでもなく、自分で選択した。


 マリアという名前の通り、聖母のような魂の在り方に俺は脱帽した。


 考えてもみれば、彼女は自身を虐げてきた親のことも怨んではいなかった。


 他人を憎み敵視する感性を持たない真理愛は、あるいはこの世にもっとも必要な人材かもしれない。


「……そう言ってくれると救われるよ」


 自嘲気味に呟いてから、伊集院は教室を出て行った。


 今のやりとりを見守っていたクラスメイトたちは、黙り込み、教室は静かなままだった。


 とてもではないが、楽しく夏休みの予定で盛り上がる気分にはなれないのだろう。


 それでも、ぽつぽつとみんなが会話を再開してから、茉美が言った。


「あんた、ちょっとお人よし過ぎない? 仮にも殺されかけたのよ?」

「ですが、助ける算段はあったようですし、危害を加えるつもりはなかったものと推察できます」

「まぁ、そりゃそうだけどさ。あんたの将来が心配だわ。育雄、しっかり守ってやんなさいよ。真理愛のハニーなんだから」


 茉美にジロリと睨まれて、俺は鼻で笑った。


「当たり前だろ。桐葉と真理愛に近づく奴は全員下水道シュートしてやるよ」

「あんたって本当にチートよね……」


 茉美が呆れ気味にため息をついたタイミングで、担任の先生が登場した。


 みんなが着席して朝のホームルームが始まると、俺は伊集院について考えてしまった。

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