【外伝】狭い箱庭と広い空【マウス】
「我が血族は代々ウェンデェン山脈の主にして、偉大なる王族である。この地に生きる万物の長なり」
父バーディアン・ラジャ・ヴェサ・エレクトロニカの口癖であった。
27匹の兄姉たちは、父の言葉に何の疑問も抱かなかったのだろう。
ただ賛美し、いつの日か次代の王になる事だけを夢見ていた。
「のう、ポチよ。この山々にはどんな生き物がいるのじゃ?」
幼竜マウスは召使として宛がわれている人間の女に尋ねる。
マウス・トゥ・ヴェサ・エレクトロニカ28、古代竜の兄弟姉妹たち28番目の竜姫だ。
青い澄んだ瞳がきらきらと輝く。
「この山には、多くの獣たち、亜人、翼の無い竜族、不定形の生物たちが暮らしております。また麓には人間たちの町もありますね」
マウスのウロコをゴシゴシと水洗いしながらポチは語った。
「ふむ、どれも見たことが無いのじゃ」
「誰も、いえ、どの生き物たちも古代竜のコロニーには近づきませんから仕方がありません」
彼女の両手首にはまった鉄の輪の鎖がじゃらりと音を立てる。
ポチと呼ばれる女は父が持ち帰ってきた人間だ。
人相の悪い人間の男たちが連れていたのを奪ってきたという。
末妹マウスの遊び相手とされ、ポチと名付けられた。
「会って、いっぱい見て、よく知りたいのじゃ!」
むくりと体を起こすとくるりと空中で一回転。
すっ裸の人型の幼女が立っていた。
人化の術である。
「ポチよ! 行くぞ! 未知との遭遇じゃ!!」
すっ裸の幼女がポチの手を掴むと駈け出そうとする。
「ダメです」
唇をきゅっと噛んだ女は悲痛な面持ちをしていた。
「なんでじゃ!?」
ポチは何も語らない。
「・・・・・・ダメなのか・・・・・・そうか」
マウスはがっかりし、遠くまで見渡せる岩に腰掛けると呟く。
「狭い箱庭じゃ。何も知らぬだけの矮小な王などなりとうない」
眼下には、どこまでも続く広い空が広がっていた。
「オルガドレロフよ、外の世界に行ってみたいのじゃ」
翌日、教育係のリザードマンに声を掛ける幼女の姿があった。
「知ろうとすることは素晴らしい事です。しかし、マウス殿」
鼻眼鏡を掛け直すと初老のリザードマンは言葉を続ける。
「御父上が外の世界に行くことをお許しくださりません。こればかりは王の言葉でございますゆえ」
さぁ、と言葉を続けると下界より持ち込まれた書籍を開き、座学が始まった。
マウスはふくれていた。
リザードマンの口から紡がれる外の世界の話は、何もかもが面白かった。
それらを見てみたいと思った。
王の命によりムリだと知った。
幼女は憤慨していた。
狭い箱庭で暮らし、狭い箱庭の王になるため争い、矮小な王になりたくなかった。
その日の夜、こっそりと山を下りることにした。
みなが寝静まったあと、抜き足差し足忍び足。
そっと小指から接地して歩くと無音になるらしいと聞いた。
ヤクモという外の国に伝わるシノビとかいうやつらしい。
空が見える岩までたどり着いたとき、夜空をバックに女が立っていた。
ポチだった。
どうせ止めに来たのだろう。
マウスは強行突破する気で隙を探す。
ややあってポチが口を開く。
「マウス様、御父上の許可を頂きました」
「カッコイイ大人のレディになったら、帰ってくるように。と」
幼女は駈け出していた。
すれ違う時、ポチは泣くような顔で笑っていた。
人化したまま翼と尻尾だけ生やすと夜空にはばたく。
「ポチよ、行ってくるのじゃ!! カッコイイ大人のレディとやらになってくるぞ!」
風を纏った翼が大気に含まれる魔力の流れを打つ。
「さようなら、マウス様」
きっと風の音だろう。
より高く、より遠くに、はばたく。
やがて東の空が白み始め、新たな日々の夜明けが来たのだという事を感じていた。
空中で旋回すると一度だけ振り返る。
ゴツゴツした岩肌と所々に生えている木々。
どこにも王宮など無ければ、権威を象徴するものなどない。
なんとちっぽけな事か。
世界は広いのだ。
いつか初老のリザードマンが言っていた。
『知らぬは恥ずべきで無い。知ろうとしない事は愚かである。多くの事を学びなされ』
まずは人間の町に行ってみよう。
広い広い空の下、一匹の幼竜の旅が始まった。
人間の女性キャラが出てきますが、ドラゴン達からすると人間が犬や猫を見る感覚と同じです。
そのため名前を付けよう→ポチとかタマとか適当な名前になってしまうのでした。