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第六話 その向こう側の景色

 軋んだ音を立てて、屋上の扉が開いた。

 てっきり鍵がかかっているものと思っていたけど、実際に行ってみると扉にはノブすらなかった。

 本来ノブがある場所には、ポッカリと風穴が開いている。

 風穴の周りには、乱暴に残った大きな靴跡。

 ……どうやら、川添の見込みは当たってたみたいだ。

 ゆっくりと扉を押し開けていくと、辺りが一気に外の匂いを放ちだした。

 学校内にある数少ない外側。

 グラウンドとはまた違った開放感があるのは、ここの方が空が近いからだろうか。

 いつもより間近にある空を見上げながら、音をたてないように扉をそっと閉じる。

 卯乃原は直ぐに見つかった。

 彼は扉の前のフェンスにもたれかかって、何かの文庫本を読んでいた。

 耳にイヤホンを填めて、時折吹く風から鬱陶しそうにページを守りながら、長い足を伸ばしている。

 話しかけるきっかけが掴めずに、立ち尽くしたままそんな光景を見つめていると、ふと、本当に何気ない感じで卯乃原が顔を上げた。

 お互い声のないまま目が合う。

 突然の闖入者に最初驚いているように目を丸くしていたが、徐々に眉間に皺がよっていき、体全体の雰囲気が彼に良く似合う鋭さを取り戻した。

「……なに?」

 イヤホンを外しながら、縄張りを侵された獣そのものの声で問いかけてくる。

「いや、その……」

 一瞬で気を呑まれた俺は、足の先から来る震えをなんとか膝あたりでとどめて、意味のない言葉を口の中で繰り返していた。

「あの、えーと……その」

 言いよどんでいると、苛立ちを隠そうともしない舌打ちがきこえてきて、卯乃原が立ち上がった。

 恐ろしく少ない歩数で、あっという間に俺の目の前にやってくる。

 大きな影がかかり、俺は彼を見上げる必要に迫られた。

「……なに?」

 こ、こえー。

 もう一度同じ疑問を口にして、卯乃原の目が更に細まる。

 それが、ひたすら怖い。

 そこからは、今朝のワニの赤ちゃんの姿も、昨日のコクハクをしてきた恥じらいの様子なんかも、まるで感じられない。

 ただ、自分の時間を犯された苛立ちだけがあった。

 俺は耐えられずに顔を俯けてしまう。

「い、いや、その……」

「つーかさ、あんた誰?」

 あ、そうか、そうだよね、まずは自己紹介からだった。

「ご、ごめん。え、えーと、俺は卯乃原くんと同じクラスの、浮塚……」

 って、なんかおかしくないか、これ。

 思わず卯乃原の顔を見上げた。

 ……改めて、でかい。

 いつもより空が近い所為か、本当に雲つくような大男といった感じだ。

 そして、怖い。

 顔の造作が、人を怖がらせるために作られたとしか思えない造りをしてる。

 今朝、ちょっとでも可愛げがある風に見えたのなんて幻想のようだ。

 卯乃原は顔全体で、俺にお前は誰だと問いかけてきている。

 ――昨日あなたにコクハクされたものですけど。

 喉まで出掛かった言葉をよっぽど言ってやりたかったが、何かに引っかかったように卯乃原が眉を顰めたので、結局そこに留まった。

「……浮塚?」

 俺の名前を口にしたきり、動きが止まった。

 視線が右へ左へ、捕らえがたい何かを必死で取り上げようとするように、表情には苦悶の色が強い。

 まあ、なんにせよ心当たりがあるようで安心した。

 どこか意識が醒めていくのを感じていた俺の両肩に、何かでかい物がぶつかった。

 卯乃原の手だと気づいた時には、彼の顔が急接近している。

「ひぃえっ」

 俺は情けない悲鳴を上げて目を閉じていた。

 大袈裟じゃなく、本当に喰われると思った。

「あんた浮塚晶?」

 ぎゅっと目を瞑った俺の肩を揺さぶりながら、卯乃原の低い声がやけに近い所から聞こえてくる。

 直ぐに揺さぶりは止まったが、その代わり万力のような握力が大活躍を始めた。

「はいぃぃ、浮塚晶でごめんなさいぃぃ」

 何故か謝りつつ、痛くて見開いた視界の中に、困惑したような形相が映し出されていた。

 俺のIDを確認した途端、肩にかかった手から徐々に力が抜けていき、表情にもどこか脱力が見て取れた。

 卯乃原はそのまま小さく首を傾げると、腰を屈めてまじまじと俺の顔を見てくる。

「な、なんでしょうか」

 俺は、誰かに顔を見られたりって言うのが苦手だった。

 目を見て会話を交わすことすら、仲の良い奴らでないと難しい。

 卯乃原とじっと目を見つめあわすなんて、難易度ウルトラCの世界だ。

 そのワリに、何故か昨日は平気だったんだけど。

 視線をオデコにずらしながらそんな事を考えていると、ポツリと卯乃原が呟いた。

「……でも女みたいな顔してるな」

 いや、放っとけよ。

 でもってなんだ、でもって。

 微妙にコンプレックスを刺激してくれながら、不躾な視線は上から下へ下から上へと流れていって、ようやく俺は解放された。

 掴まれていた肩が、まるでプラスチック製になったようで、ふるえながら自分の手で抱きしめてしまう。

「浮塚」

 温めるように肩を擦っていると、卯乃原が声をかけてきた。

 理性を取り戻したような声で、落ち着いた響きがある。

(き、昨日のコクハクの事か…)

 そう思ったとたんに、忘れていた緊張が戻ってきた。

 肩を抱いたまま、グッと身構える。

「邪魔、帰れ」

「じゃ、ジャワカレー?」

 上手く聞き取れなかったけど、違う気がする。

 何て言ったか分からずオロオロしていると、もう一度、今度はゆっくりと口を動かして卯乃原が言った。

「邪魔だから、帰れって言ったの」

 しっしっとまるで犬にするように手を振って、卯乃原はとっとと元居た場所に戻った。

「けど、まだ用事が……」

 流石にムッとして追いすがろうとすると、更にムッとしたような卯乃原が睨んできた。

「……あ?」

「いえ、邪魔なので帰ります!」

 俺は慌てて回れ右して、扉に飛びついた。

 でも、そこにはノブがない。

 黒い穴が開いてるそこに指をつっこんで、扉を引く。

「あ、そだ、浮塚」

 必死で逃げようとする足が卯乃原の声で勝手に止まる。

 振り返ると、彼はイヤホンを填めようとしている所だった。

「あのな、これから俺の事カナって呼べ」

 下を向いてイヤホンの繋がったケータイを弄りながらそんな事を言う。

「は、はあ?」

 なんで? と続けようとしたけど、彼の耳からうるさい音楽が聞こえてきて、俺はその疑問を諦めた。


タイトルについて2。


元々このタイトルは別のお話のタイトル候補の一つだったんですが、思いのほか語感が気に入ってしまい「タイトルのためのお話」というのはやった事が無かったので書いてみました。

ただ、気に入りようがハンパじゃないので、もしかしたら、全く同タイトルで全然違う話も出すかもしれません。

その時はどうぞご贔屓に。

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