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第○×話 友達の話をしよう 後編

予定では二時間半くらいで書き上げるはずだったんですが。

蓋を開けてみれば何日経ってんだよって状況になりました。


「……で、なんで二人そんな格好?」

 昼休み。

 川添にわざわざ屋上に呼び出された俺たちは、ペンギンの親子のように寄り添って立っていた。

 正確には、コートにくるまれるようにして、カナに後ろから抱きかかえられてる格好なんだけど。

「いや、背に腹は替えられないというか、この程度のスキンシップには慣れてしまったというか」

 空は灰色の薄曇り。

 気温は目下グングン低下中だ。

 寒風が空の模様を一瞬ごとに変え、その有様は、まるでドロドロのセメントをかき混ぜているよう。

 とにかく寒かった。

 制服の下に一枚セーターを着込んでいるとは言え、ジッと立ち尽くしているのにはとても堪えられない。

 んじゃあ、という事で、後ろからカナにスポッといかれた。

 コート一枚しかないし、そもそも卯乃原のだからしょうがない。

 開き直りと言うか、いらん度胸が付いただけのような気もするけど、ま、いいや。

「あったかいよ♪」

 そう言って、後ろから腕を回してくる。

 必要以上にカナがベタベタしてくるのは気になっても、鼻水たらすよりはましだった。

「あー、そう」

 そんな俺たちに川添の返答はどこか素っ気ない。

 なんだか様子が変だった。

 そっと顔を俯ける様子は、ちょっと、落ち込んでいるようにも見える。

「どした? ちょっと落ちてるように見えるけど」

 俺の言葉には答えないまま、俯いて川添は歩き出した。

 ガシャン、と頭に当たった金網を、長い腕の先が掴む。

 遅れて、小さく「痛…」と呟いた。

 俺たちは顔を見合わせた。

 ――絶対変だ。

 そう言えば、と思い返してみて、さっきも購買のパンを三つしか食べてなかったのを思い出した。

 四個目に手を出そうとした所で、ふうと息をついてそれをそっと置いていた。

 いつもなら七個八個はざらなのに。

(あれ、これ、思ったより深刻なんじゃ……)

「沙耶ちゃん、なにかあった?」

 本気で心配になりかけたとき、カナがポツリとそう言った。

 ぴくっと、後ろを向いたままの川添の肩が動く。

 川添かわぞえ沙耶さや

 この高校に来て、初めて出来た俺の友達だ。

 背の高いバレー部員のスポーツ少女で、潔癖な肉体はあらゆる脂肪のつくを許さない。

 その甲斐あって、引き締まった体には、数箇所少々お寒いことになってる部分もあるんだけど、当人には全く気にした様子もなし。

 ちょっと大雑把ながら明るい性格で、団体競技をやってるだけあって、面倒見もよく意外なところで細かい配慮が出来る。

 俺が、卯乃原達の事をこいつに話そうと思ったのも、そんな彼女を信用してのものだった。

 お陰で、今は何の気を使うことも無く、カナがカナのままでいられる空間が出来ている。

 カナもそのことに感謝しているのだろう、その言葉には心からの彼女に対する気遣いがあった。

 それが伝わったのか、しばらく逡巡した後、川添は此方を振り返った。

 寒さに震える唇で、

「今日……先輩に告白された」

「「くあ?」」

 二羽のペンギンがマヌケな声で鳴いた。



 川添に告白してきた相手は、男子バレー部の二年の先輩で、名前を御園みその夏都なつとさんと言うそうだ。

 ポジションはアタッカーとかいう攻撃する所。

 一年の頃からバレー部のレギュラー張ってたらしく、全国でも有名な、今でもバンバン雑誌とかに載っちゃうようなちょっととんでもない人らしい。

 頭が良く、成績も優秀。

 期末でも十番以下になったことがない、文武両道を地で行くような人だった。

 加えて、顔もイケメンとくれば、それは女の子にもモテるって話で、なんで自分なんぞに、と、川添は首を傾げている。

「まあ、それはともかくさ、沙耶ちゃんのほうはどう思ってるの?」

 興味津々といったていで、身を乗り出すようにカナ。

 やっぱり女の子って恋バナとか好きなんだ。

 よく言われてることだけに、目の当たりにすると、ちょっと感動。

「うーん、指導してもらってるときには、教え方上手いな―とかは思ってたけど…………そんなふうに見た時なかったしなー」

 んー……うへぇ? とか言いながら、腕を組んで考え込んでしまう。

 どうにも頭を抱えてしまいそうな勢いだけど、それでも、頬っぺたがちょっと赤くなってる所を見ると、満更でもないんじゃないだろうか。

 というか、なんだ、ちょっと可愛いぞ川添。

 今まで、朝昼晩の食事のメニューにしか興味が無いようなやつだったから、こんなに一生懸命恋愛の事で悩んでいる川添はとても新鮮だった。

 何て言うんだろう、娘の成長を実感する父親の心境?

 いや、どっちかって言うと、競馬場で生産場が無事に走っている姿を見守る牧場関係者の気持ちか?

 まあ、なんにせよ微笑ましい。

「む」

 そんなふうに思って川添を見つめていると、何故かカナが俺の頬をつねってきた。

「いっ、いたい!い、いひゃひゃひゃひゃひゃひゃぁ」

 ギュ~っとつねり上げてくる手を振りほどいて、抗議の眼差しを後ろに向ける。

「な、何すんの?」

「……なんとなく」

 平板な目を眇めながら、此方を睨み返してきた。

 コートのポケットに手を突っ込んで、何かを主張するように、体に回されてる腕にぐっと力が入る。

 そのまま口を尖らせて、なにやらブツブツ初めてしまった。

 な、なんのこっちゃ。

「じゃ、じゃあさ、川添は、御園先輩の事嫌いなわけ?」

 俺は、まだ同じことで悩んでいる川添に声を向けた。

 とにかく、こうなるとカナはしばらく浮かんでこないので、ちょっと放っとく。

「いや、別に嫌いじゃないけど」

 悩むのを止めて、川添は意外とあっさり答えてくれた。

「だったら付き合っても問題ないんじゃないの? 付き合ってみて知らなかった部分が見えてくることもあるかもよ」

 俺は、ちらっと頭上を気にした。

 卯乃原の事だって、知り合って話をして見るまでは、普通に怖いヤツだと思ってたし。

 結構な時間一緒にいるようになって、律儀で兄弟思いの意外と良いヤツだって分かった。

 少なくとも、今では無闇に怖がるようなことは無い。

 さっきから一言もしゃべってないけど、食後は大体寝てるから、別に友達ほっとく薄情者ってわけでもないし、気にしなくて良い。

 ――なーんて事だって、相手に一歩踏み込んでみて初めて解る事だ。

 あんまり無責任な事もいえないけど、これくらいなら、と思ってみていると、何故か、川添の表情が曇った。

 彼女の口から、まるで重力に負けたかのような力のない言葉が落ちた。

「先輩来週転校するんだ」

「は?」

「これオフレコで……バレーの強い高校があって、ずっと勧誘されてたらしいんだけど。一昨日行くって返事したみたい」

 す、すげー引き抜きだ。

 まるで、漫画かドラマのような展開に思わず興奮しかけるが、そんな浮ついた気持ちは川添の顔を見て一瞬でしぼんだ。

 ……ごめんなさい。

「その高校ってどこ?」

 複雑そうな顔で川添が口にしたのは、県外にある、俺でも名前くらいは知ってる様な有名な高校だった。

 春高常連で、そして、そこは間違いなく遠い。

「じゃあ、付き合うことになったら遠距離になるんだ」

 コクリと頷く。

「断ってくれても良いんだってさ。行く前に、ケジメつけときたいだけだからって」

 川添の言い方が寂しそうだったからだろうか、なんか随分勝手な言いように感じる。

 御園先輩は返事はしてもしなくても、どちらでもいいと、川添に託してくれたそうだ。

 でも、言い方変えたらそれって丸投げってことだ。

 どれだけ軽く考えようとしても悩むに決まってるし、現に川添は今もの凄く悩んでいる。

 コクッた事で、自分は気持ちの整理をつけられるだろうけど、だったら、川添の気持ちはどうなる。

 断れば、川添はもの凄く後味の悪い思いをするだろうし。

 逆に、オーケーしたとしても、先輩が転校を決めた以上、それは、行く先に新しい不安が生まれるのと同意だ。

 てか、全部手に入れようとか調子良い事思ってるから――そう口にしそうになったのを、寸前の所で止めたのはカナだった。

「でも、私はその先輩の気持ちちょっと分かるな」

 いつの間に浮上したのか、ボソリとそう呟く。

 その表情を見て、ハッとする。

「……あ」

 と、空気みたいな音が口から漏れた。

 そうだった、カナも……。

 川添達の話が自分と結びつかなくて、忘れてた。

 ……馬鹿か俺は。

 二ヶ月前の、思いつめたようなカナの表情を思い出す。


 卯乃原カナウ。

 一年以上前に交通事故で亡くなった、卯乃原の双子の兄弟。

 カナ自身が言うには自分が姉さんらしいんだけど、そう言う度に卯乃原は微妙な顔をする。

 写真でしか知らない彼女は、笑顔の素敵な、ワンピースの似合う可愛い女の子だった。

 今、彼女の意識は卯乃原の体の中に存在している。

 所謂多重人格とか言うやつのようで、本人が、自分は卯乃原に取り付いている幽霊だ、と思ってた所為で二ヶ月前にも色々あった。

 本当……色々あった。

 コクハクとか……ファーストキ――。

 失ったものに思いを馳せ……思わず遠い目。

 昔日の自分自身に対して敬礼―――じゃなくて。


 ……そうだよ。

 先輩だって、悩まない筈ないじゃんか。

 そういう人だからこそ川添はここまで悩んでるんだろうし。

 気を取り直して、御園先輩の気持ちを想像してみる。

 本当に告白することが正しいのか、このまま何も告げずに行く方が良いんじゃないか。

 多分、告白してる時にも、自信なんてなかっただろう。

 悩んで悩んで悩みぬいて、それでも正しいことなんて分からない。

 そもそも正解なんてないのかもしれない。

 最初っから、好きな相手を傷つけたいヤツなんかいないだろうし。

 それでも、答えを出すしかない時がある。

 なぜって、……好きだから……そうしないと前に進めないから。

 途端に、体が、ゾクッと震えた。

 それは、なんて、身勝手で乱暴な思いなんだろう。

 人間の感情が便利に出来ているとは思わない。

 でも、好意くらいは、単純に綺麗に光輝いていて欲しかった。

 なのに、現実の問題に落とし込んだ瞬間、そこには嫌らしい影が出来た。

 くらっと視界が揺れる。

 急に足元が不安定になった気がした。

 浮きかける意識にバランスが取れなくなって、手がかりを求めて伸ばした手が、何かに触れる。

「ん?」

 不思議そうに、カナが俺の顔を見ていた。

 呆然と見つめ返している俺に、彼女の表情が柔らかく笑う。

「あ、ご、ごめん」

 慌てて引こうとする俺の手を、コートのポケット越しにカナの手が握りこんできた。

 輪郭の見えない不確かな触覚。

 曖昧なのに、はっきりと暖かいものが俺の不安を溶かしていく。

「大丈夫だよ」

 こちらを見ながらカナは言って、続きを言うために顔を上げた。

 川添に向けられた言葉だと分かっていても、それでも何故だかホッとする。

「先輩の事情も大切かもしれないけど、沙耶ちゃんは沙耶ちゃんの気持ちを優先してね」

 川添に向けられた言葉。

 はっとしたように、腹を括った顔で、川添は頷いた。

 流石スポーツ馬鹿。

 決断すると早い。

 さっきより随分気分の上がった表情で、川添はもう一度頷いた。

「わかった、そうする」

 感じ入ったように答えた川添の声は、自分に言い聞かせるモノのようだった。

「ありがと、二人に聞いてもらったらなんだかスッキリしたみたい。……じゃあ、邪魔するのも悪いし行くわ」

 そう言うと、残りのパンを両手で抱えて、惜しげもなくとっとと屋上を出て行った。

 情緒もくそもないな……てか、その気遣い要らない。

 バタン、と、扉が閉まるのを見送ると、俺は肩の力を抜いて、溜息をついた。

「あのさ……」

 そう言って後ろを振り返ろうとした時、ズシッと百八十センチの体重が圧し掛かって来た。

 ……重い。

「なにすん……」

「あのね、アキも……」

 旋毛の辺りから聞こえて来る小さな声。

 その先は、冷たい風に押し込まれるように、口から先で形になら無い。

 俺は口を閉じた。

 代わりに、お返しとばかりに、百六十センチ分(三センチサバ読んだ)の体重を後ろに預けた。

 体に回された腕の力が少し強くなり、ぎゅっと抱きすくめられる。

 ……あの、そういう意味じゃなかったんだけど。

 俺が寄りかかった位じゃ、小揺るぎもしない、でかい体。

 この時俺は、何故かこのままカナが一緒に後ろに倒れていってしまうような、そんな気がしてならなかった。



「じゃあ、あとで委員のやつプリント持って来いよ。あ、それから、屋上の金網、一箇所根の部分が腐ってるのあるから、行ってるヤツ気をつけろよー、つーか行くなー。んじゃ以上」

「き~りぃ~つ」

 精も根も尽き果てたような声で、日直が号令をかけた。

「ふあ~い」

 と、クラスの半分くらいが反応して、ノロノロと立ち上がる。

 海中で漂うワカメよろしく、ゆらゆら揺れながら頭を下げた。

 五時間目体育 (男女別マラソン)の後の六時間目日本史という午後のパッケージは、授業と言うより、夢の国へのフリーチケット配布時間だった。

 配られた青春十八切符を片手に、わーい、と次々ノンレム睡眠行きの列車に乗り込んでいった級友たち。

 カナも流石にこの夢幻コンボは辛かったのか、首をがっくんがっくん言わせながら、必死で黒板とにらめっこしていた。

「じゃあねぇ~殿下~また明日~」

「さよなら~」

 教室の出入り口で、ゾンビみたいな顔色の女子生徒が手を振ってきた。

 机に突っ伏したまま、片手をあげてそれに答える。

 それにしても、級友達はどうしても俺を殿下にしたいらしい。

「浮塚」

「あれ~? 卯乃原?」

 いつの間にか、帰り支度を済ませた卯乃原が机の前に立っていた。

 眠気の取れない頭で、ホケ~っと見上げる。

 重たい瞼が見せる、夢の中のように紗のかかった風景。

 そんな中で、一瞬顔を顰めたように見えた卯乃原が、右手を伸ばして俺の頬に触れた。

 何かと思う間もなく、そのまま親指でぐいっと口元を拭われる。

 ……どうやら涎が垂れていたみたいだ。

 拭ったはいいものの、それを見て、やだ汚い、というように眉根を寄せる卯乃原。

 無意識の行動だったのか、ちっ、と小さく舌打ちすると、椅子にかけてあった俺のファー付きコートにゴシゴシ返却しやがった。

 そんな無体なやりようにも、眠すぎて、怒る気力すらわかない。

「カナは~?」

「……寝てる。帰ろうぜ」

「ん~」

 言われて、周りを見る。

 クラスの大半は帰宅の後だったが、ぽつりぽつりと、飛び石のように机に突っ伏して寝ている生徒がいた。

 一人二人ならともかく、結構数が多かったから、日直が起こし回ってて大変そう。

 彼だってとっとと家に帰ってダラケたいだろうに、ご丁寧に一人一人声をかけて起こしていく。

 流石にその手を煩わせる気にはなれなくて、胸の辺りが妙にしっとりしてるコートを取り上げて席を立った。

 ちらと隣の席を見ると、川添の姿は既にない。

 授業が始まるなり真っ先に列車に飛び込んでいってたから、今頃は元気に部活にでもいってるのだろう。

「あいつ、何しに学校来てんだろ?」

 呆れたように呟くと、卯乃原が気まずそうな仕種で頭を掻いた。

 ……そう言えば、こいつも何しに学校来てるか分からない口だった。

 居心地悪げにしている卯乃原を促がして、率先して歩き始める。

 背中越しにホッとしたような空気が漂ってきて、教室を出る頃にはそれが隣に並んだ。



 あの日――川添が御園先輩に告白された日から、五日が経っている。

 見ている限りでは、川添に表面上の変化はなかった。

 或いは本当に吹っ切れただけかもしれない、俺達の前でも告白の事はほとんど話題に出てこない。

 返事するのやめたのかな? 一瞬そう思いかけて、俺は首を振った。

 川添は馬鹿だけど、決して不誠実じゃない。

 真面目に悩んでこんがらがるタイプだから、多分時間がかかってるだけだろう。

 ――かといって、その時間もあんまりないわけだけど。

 下駄箱で、上履きと履き潰しかけているスニーカーを履き替えて、校舎を出る。

 卯乃原を待ってる間、振り返って、見慣れた校舎を見上げてみた。

 御園先輩が気軽にこの校舎を見上げられるのは、今日を含めて後二日だけ。

 それはそのまま、川添にとってのタイムリミットでもある。

 遅れて出てきた卯乃原が、立ち止まって俺の後方を指差した。

 何事かとそちらに視線を向けようとしたとき、呟かれた言葉に俺は慌てて振り返った。

「あれ、多分御園ってヤツ」

 校門前の植え込みのあたり、教頭と見知らぬスーツ姿の大人と一緒に、ウチの制服を来た生徒が立っていた。

 機嫌良さ気に肩を叩いている教頭を、困った表情で笑いながらいなしているその人こそ御園夏都先輩だった。

「てか、なんで卯乃原が知ってんの?」

「入学した直ぐ後くらいにいっぺんバレー部に誘われた。マジ体がデカイのも考えもん――って、痛っ! なにすんだ、こら!」

 蹴り上げられた脛を擦りながら、ピョンピョン飛び跳ねている。

 ……蹴ったの俺だけど。

「近頃の子は贅沢でいやだ」

「いや、あんたも近頃の子だ」

「贅沢言ってる人の声なんか聞こえません」

 この身長セレブには自分がどれだけ体格的に恵まれてるか、一度トックリと教えてやる必要がありそうだ。

 両耳を手で押さえながらそっぽを向くと、ジッと此方を見ていた御園先輩と目が合った。

 ――くあ、見られてた。

 互いの間には十メートルほどの空間があったが、声が届かないほどの距離じゃない。

 俺達のやり取りは恐らく先輩にも聞こえてただろうし、こちらを向いている視線が何よりの証明だ。

 先輩は教頭達になにやら言うと、頭を下げてこちらに駆け寄ってきた。

「こんにちわ。……君浮塚君でしょ?」

 訳が分からない内に目の前に立っていた先輩が、そう言って真っ白な歯を零した。



 どうやら、この先輩、歯列からして他と気合が違っているらしい。

 柔らかく笑んだ口元から除く白い歯は、この世のどこかにあるお手本のように整っていて、それだけで爽やかな印象を与えてくる。

 高い鼻梁に、切れ長の瞳。

 無造作に纏められた髪は多少前の方が長いが、鬱陶しさは微塵も感じさせず、それすら魅力の一端になっている。

 閉じると真一文字に結ばれる口元から漏れる声は、耳に馴染みやすいバリトン。

 言葉は明瞭で非常に聞きとりやすい。

 加えて、この高身長だ。

 もはや嫉妬する事すら馬鹿らしくなってくる。

 卯乃原も顔の作り自体は負けていないように思うんだけど、内面の差か、正統派イケメンといった感じの先輩に対して、どうしても粗野な印象が拭えない。

 先輩が温室育ちとすると、なんだか野生のピカ○ュウ的な雑な印象がある。

「いきなり声掛けてごめんね。こっちが一方的に知ってただけだから」

 そう言って、どこぞのほにゃらら王子然とした笑みを向けてきた。

 これで一切イヤミに感じさせないんだから、恐ろしいまでの人徳だ。

「いえ、あの――御園先輩ですよね」

 意外と気さくな物言いが、肩の力を抜かさせた。

 俺が遠慮がちに尋ねた質問に、御園先輩は笑みを深くする。

「うん、そうだよ。あれ? 俺の事知ってた?」

 結構な有名人の癖に、本当に嬉しそうな顔。

 まなじりを下げ、驚くほど無邪気な笑顔を晒す。

 その瞬間、先輩の体全体から発せられる、凶暴なまでの癒しオーラ。

 周囲のものを全て巻き込んで、癒しの必要のない者まで強引に癒してしまうほどの引力だ。

「う、卯乃原に聞きました」

「ああ、そうか」

 気圧されながら答えると、妙にじっくり頷いて顔を上げる。

 どうでもいいけど、あの動いた顎の先の角度分だけ、身長差があるのか。

「久しぶり卯乃原君。それで、バレー部入ってくれる気になった?」

「いや、全然」

 卯乃原の言いようはにべもない。

 先輩は、「あらら」と眉尻を下げ、大袈裟にこけるフリをした。

 ……なんだか、思ってたより全然気安い人だ。

 人が好いというか、ノリが良いというか、偉ぶってる所が全くない。

 この人を嫌いなヤツとかいるの? と、思えるほどの"良い人"ぶりだった。

 現金なもので、いい人と知れた途端に些細なことが心配になってくる。

「てか、良いんですか? あの、教頭先生とか」

 一緒に居た大人二人の姿は、いつの間にかなくなっていた。

 不安から植え込みの辺りに目を向けると、ヒラヒラと手を振って先輩が答える。

「いいのいいの。実は俺明日転校するんだよね。今日は向こうの先生が挨拶に来てくれただけだから」

「あ、引き抜かれたんですよね」

「え?」

 先輩の顔を見た瞬間、しまったと思った。

 慌てて口を押さえるが、出て行った言葉はもう戻ってこない。

 先輩の転校の噂は、既に校内に広まっていた。

 元々噂になりやすい立場の人ではあったから、認知度と比例する速度でその噂は広がっていったんだけど。

 ただ、そこには「引き抜き」と言う情報は無かった。

 当人の人間性に関係なく、悪し様にしかモノを語れない人というのはどこにでもいるわけで、いわば栄転していく先輩を気持ちよく送り出そうというバレー部の人たちの判断で、その情報が伏せられていたからだ。

 なのに、その事を俺は知ってた。

 そうすると当然。

「あ、川添さんに聞いたのか」

 となる訳で。

「は、はい」

 うろたえざまに頷くと、後ろから嫌な低声が降ってくる。

「カナの事どうこう言えないな、あんたは」

 うるさいよ、わかってるよ。

 軽い自己嫌悪に陥っていると、先輩が明るく声を上げた。

「や、気にしなくて良いよ。浮塚君が川添さんと仲良いのは知ってるし。それに、みんなの気持ちは嬉しいけど、途中抜けしちゃうのは事実だから。その事ではなに言われてもしょうがないかなーと思ってる」

 先輩は頭を掻きながら、そう言って快活な笑い声を上げた。

 うう、いい人だー。

「あ、でも、てことは知ってんだよね――俺がコクったのも」

「う、はい」

 今更隠しても仕方ないので、素直に頷く。

 イモヅル式に余罪を暴かれていく犯罪者の気分がわかった気がする。

「じゃあ一応報告しておいた方が良いのかな?」

「なにをですか?」

「俺振られちゃった」

 ………………へ?

「え! 先輩振られたんですか!」

「ちょ、浮塚君声大きいから」

「あ、す、すみません」

 慌てて首を廻らせると、何事かと下校中の男子生徒が足を止めてこちらを窺っていた。

 にへらっと笑顔を返すと、気味悪そうに立ち去っていく。

 ホッと息をついた。

「あー、びっくりした」

「すみませんでした」

 縮こまって頭を下げる。

 ホントにカナの事どうこう言えないじゃん、これじゃ。

「いやいや、大丈夫」

 そう言って、人の良さそうな笑顔。

「で、でも、ホントに大丈夫なんですか? そ、その……」

「ん? あー、ああ、うん。そっちも大丈夫だよ」

 余計な気遣いとも思ったけど、言葉の先を汲み取って答えてくれる。

 頬を手でなでながら、照れ臭そうに目を細めた。

「正直言うとさ、結構ショックなんだけど……まあ、これでバレーに専念できるって言うか」

「強がりですよね?」

「う、はっきり言う後輩だな。……い、いや! いいんだ俺は! こうなったら春高優勝して全日本選ばれるから!」

 強がりとしか思えない宣誓と共にガッツポーズ。

 明らかな空元気を呆れながら見つめていると、先輩は少しだけ声のトーンを落として続ける。

「でも、結果的に俺のキッカケみたいにしちゃったから、川添さんには悪いなーって思ってるんだ。だから、もし良かったら浮塚君の方からも、フォローしておいてくれないかな?」

「それは良いですけど……てか、もしかしてその為に声掛けました?」

「あ、ああ、あははやっぱ分かる? うん、ほら、君たちよく一緒にいるところ見かけたから。仲良いのかなって。あ、こういうのを孔明の罠って言うんだよね?」

「いや、それは微妙に違う気がしますけど」

「あ、そ、そう?」

 この人、人が良いんだとばかり思ってたけど、もしか性格老けてるだけなのかな。

 さっきのリアクションと良い、なんだかおじいちゃんと話してるみたいだ。

 俺がそんな失礼な事を思っているとは露と知らず、先輩が表情を引き締めた。

「うん、それじゃあ、そろそろ行くよ、話せてよかった。時間取らせて悪かったね、卯乃原君も」

 卯乃原は答えず、目礼で済ませる。

「あはは――うん、またね浮塚君」

「はい――頑張ってください」

「ありがと」

 そう言って、にこっと笑う。

「あ、そだ」

「ん」

「一個お願いがあるんですけど」

 踵を返しかけていた所で、こちらを振り返る。

「良かったらメアド教えておいてくれませんか? こっちの近況とか知らせたいし」

 一瞬キョトンとした先輩だったが、直ぐに快く頷いてくれた。

 ポケットから一個前くらいの機種の携帯を取り出す。

「どもです。それじゃ赤外線で」

「…………」

「…………」

「…………あのさ、赤外線ってなに?」

 おじぃぃちゃぁぁぁぁぁーん!!


「なんでメアドとか交換したわけ?」

 なんとか無事先輩とメアド交換を済ませた帰り道。

 卯乃原にそう聞かれた。

「んー、何ていうんだろ……勘、かな? なんか必要になるような気がした……っていうか、なってくれなきゃ困る気がしたって言うか……」

「ふーん? ……女の勘ってやつか」

「ぶっ飛ばすよ?」

「やってみろよ」

「やらない」

「やらねーのかよ」

 やらないよ。

 馬鹿じゃないの? なにガッカリしてんの?

 つまらなそうに嘆息する卯乃原。

 これだから、喧嘩好きは嫌だ。



 翌日は、昨日までの曇り空が嘘のようにからっと晴れていた。

 気温も暖かくて、コートなんか着てたら一瞬で汗まみれになりそうだ。

 昼休み、俺たちは久しぶりに屋上で昼食を摂っている。

 相変わらず、屋上には何もなく、そこには殺風景な風景が広がっていたが、丸美屋のふりかけのような日差しのお陰か寂しい風景ではなかった。

 それだけあれば充分。な日差しを浴びながら、取り出したクリームパンにかぶりつく。

 パン独自の甘みとクリームの蕩ける食感が口中に広がり、思わず表情筋が緩んでいく。

 我ながら安い舌だとは思うが、これ以上の幸せを別に欲しいと思わない。

 卯乃原は既に昼食を済ませ、金網にもたれて熟睡している。

 こういう時は大抵カナが代わりに出て来るんだけど、今日は何故か沈黙を守っていた。

 空を見上げれば、遠く雲の陰に鳥が一羽入り込んだ所。

「長閑だ……」

 ピ~…ヒョロロロロロ~。

 あの鳥のモノだろうか、体の芯を解していくような鳴き声が聞こえて来た。

「あ、そういえば、御園先輩今日は学校昼までで、そのまま向こうの寮に入っちゃうんだって」

「ふ~ん、ってなんで浮塚がそんな事知ってるよ?」

 隣で、九個目のパンの袋を開いていた川添が、ぎょっとしたようにこちらを向く。

「だって、メアド交換したもん、ほら」

 携帯を開いて、アドレスを見せた。

 川添は画面をまじまじと見つめたかと思うと、はー、とデカイため息を落とす。

「なにやってるんだか」

 呟いて、焼きそばパンの処理を再開した。

「……てか、川添、最近パンの量が増えたよね」

 ちらと、川添の横においてあるスーパーの袋に目をやる。

 空き袋と一緒くたで中に入っているのは、まだまだ残されている複数のパン。

「ん、ちょっとね」

 どこかよそよそしく視線を逸らすと、もごもご言う口でそういった。

「まあ、いいや、で、良いの? 先輩は」

「なにが?」

 いや、なにがって。

 そりゃ断ったのは知ってるけど、それはあんまり素っ気なさ過ぎるんじゃないだろうか。

「いや、だから見送りとかさ」

「えとさ、浮塚は自分を振った女と、昨日の今日で顔合わせたいとか思う?」

「……それ、かなり微妙かも」

 想像してみる。

 ……………………(想像中)。

 あは、気まずい。

 てか、想像の中の俺、うん、とか、いやまあ、とかしか言ってなかった。

 一体どれだけヘタレだよ。

 落ち込みそうになった気持ちを、それでもなんとか震い立たせる。

 自分で、大分先輩に肩入れしてるのはわかってたけど、川添の態度に妙なものを感じるのも事実だった。

 無理をしているというか、必要以上に冷めてる気がする。

「で、でもさ、川添の気持ちはどうなんだよ?」

「私?」

「そう、このままで良いの?」

 川添は動かしていた口を止めて、持っていたパンを下ろした。

 パンを横によけて、大袈裟に考える素振りを取る。

 驚くべき事に、この短時間で焼きそばパンの残りはごく僅かになっていた。

「そう言われてもなー。もう断っちゃたし、相手の事考えると気軽には応えられないよね」

 飄々とした口調。

 川添はこのままぬるぬる逃げるつもりだろうが、なんていうか、もの凄い言質がとれた気がする。

「……てことは、やっぱ嫌いだから断ったわけじゃないんだ」

「あ」

 と、呟いて口元を押さえる。

 ふっふっふ、無駄だよ川添君。

 そんな事をしても過去には戻れない事は、既に俺自身で証明済みなのだよ。

 失敗を誤魔化すように頭を掻く川添に、俺は畳み掛けた。

「で、川添は先輩の事どう思ってるわけ?」

「あ、えーと」

 もし、川添が本当に先輩が嫌いで断ったなら、それは仕方ないことだと思う。

 合わない相手ってのはいるし、そうなった場合外から幾ら言っても無駄だろうし。

 けど、そうじゃなくて、例えば色々考えた末に、自分の気持ちを無視して断ったんだとしたら。

「でも、ほら、初めてがいきなり遠距離って難易度高いっしょ?」

「違うよ、俺そんな事聞いてない」

 言い訳じみた川添の言葉に、俺は首を振る。

 てか、もう殆ど語るに落ちてない?

「俺が聞いてるのは、川添が先輩の事をどう思ってるか。その後どうなるかとかは聞いてない」

 我ながら、もの凄く無責任な言い様。

 自分でもなんでこんなに必死になってるかが分からなかった。

 そこまで先輩の言葉が気になってるんだろうか、俺は。

「どうなの? 川添は先輩のこと好きなの? 嫌いなの?」

 ぐっと詰め寄ると、川添は逃げるように顔を背ける。

 回り込んで、更にぐっと。

 やがて堪忍したように、がっくりと項垂れ、罪を告白するような声色でボソリと呟いた。

「……す、好き」

 ……ようやっと白状したか。

 顔を赤くして俯く川添を前に、ベテラン刑事のように心中でこぼす。

 ただ、嬉しいというよりホッとしたような気持ちなのは、何故だろう。

 俺が自分の気持ちを持て余していると、川添が硬い声で言い始めた。

「先輩は……」

 顔を俯け、自嘲するように続ける。

「御園先輩は、本当にバレーに一生懸命でさ。ネット片付けたりとか普通一年がやるような仕事でも、嬉しそうにやってるんだ。本当にこっちが悔しくなるくらい一生懸命に練習に取り組んでるし、結果も出してる」

 川添の声に、さっきまでの浮かれた気持ちが霧散していた。

「自分の力を知ってて、それを将来のためにどう生かすか真剣に考えて転校決めてんだ」

 顔を上げて俺を見た。

「だったらさ、邪魔できないじゃん」

 悲しげに笑う顔が、胸に突き刺さる。

 涙こそ流していなくても、そんなの些細な事だ。

 俺が川添を泣かした事は、間違いなかった。

「あ、あの、川添……ごめ」

「あんたは本当にそれで良いの? それがあんたの本心って言えるのか?」

 俺が謝りかけた時、それを遮る声が上がった。

 ――て、卯乃原?

 振り返ると、いつの間にか卯乃原が起き上がっていた。

 声も平常、表情も平板。

 頭を掻きながら、此方に近寄ってくる。

「うん、言える。これが私のしたい事なの」

「嘘だな」

 腹を決めたような川添の言葉も、卯乃原に一言で切り伏せられる。

「なんでそんな事」

 ムッとしたように川添。

 俺は流石に言いすぎだと思って口を挟もうとしたが、卯乃原がそれよりも先に口を開く。

「そういう後悔は、ずっと残るぞ」

 独り言のような調子の声。

 それでも妙に説得力があって、俺は口を閉ざした。

「今日の出来事は、多分いつか忘れる。好きなヤツだって、この先幾らでも現れるだろ。けど、言えなかった後悔は一生残る――どんだけちっさい事でも絶対に」

 呪いの様に、重い言葉。

 そこに居るのはいつもの卯乃原だ。

 眠そうな目も、意外に整った顔も、全部が鬱陶しそうな雰囲気だって変わらない。

 それなのに。

 ――卯乃原にもあるのかな、誰かに言えなかった言葉が。

 思い出したのは、カナの事を語ったときの静かな笑顔だった。

「でも、でもさ、じゃあどうしたら」

 完全にうろたえてしまっている川添に、卯乃原がにやっと笑う。

 酷薄とすら取れるその顔は、何かを楽しんでいるようにも見えた。

「と言うかな、”どうしたって良い”んだよ。惚れた弱みって言うだろ、惚れた向こうが全面的に悪い、何でも吹っかけろ」

 あまりの言葉の内容に、思わず絶句。

 おそるおそる川添のほうを見ると……どうしよう、目から鱗が落ちたって顔してる。

「行くなって引き止めるのも良し、バレーと自分とどっちが大事か訊ねるも良し。そうだよ、なにもあんただけが困ることはないんだ。勿論、告白するのだって自由(・・・・・・・・・・)

 えーと、誰ですかー? 悪魔召還してそのままにしてるのー?

 甘言を弄す卯乃原の言葉に、川添は一つ頷いた。

「えと、どうするの?」

 不安になって思わず声をかけてしまった。

 やけにスッキリした顔で、川添はすっごい良い笑顔を見せてくれる。

「告白してくる」

 凄く端的で分かりやすい。

「で、でも、さっき言ってたことは?」

 いまいち自分の立ち位置が分からない俺の言葉にも、

「夢と女くらい同時に掴めないで、何のために男に手が二本ついてるか分からないわ」

 と、なにやら男らしいお言葉が。

 とても恋する乙女から出た言葉とは思えない。

 それでも、さっきより全然良い顔をしていた。

 ……うん、流石スポーツマンだ。

「分かった、じゃあちょっと待ってて」

 今にも飛び出していきそうな川添を片手で抑えて、俺はポケットから携帯を取り出した。



『先輩今どこにいるんですか?』

 メール画面を開き、そう打ち込む。

 御園先輩から、一分と待たずに返信があった。

『学校出て、駅に向ってる。丁度商店街のあたり』

 良かった、まだ電車に乗ってない。

 その事実にホッとしつつ、続けて打ち込む。

 以下全文。

『だったら、○×公園って分かります?』

『今、正に目の前だよ』

『じゃあ、そこで待ってて下さい』

『え、なんで? 電車出ちゃうんだけど』

『いいから一本遅らせて。大事なプレゼントがあるんです。両手で抱えなくちゃいけないような、大きなの』

『…………あ、ゴールデンレトリバー?』

『なんで犬? いや、もっと、大きくて食費のかかるやつ』

『えと、流石にセントバーナードは寮では飼えないと思うんだ』

『そうじゃなくって、もっともっと大きくて良いものですってば』

『あ、あの、セントバーナードより大きいって、い、一体、ど、どんな犬なのかな?』

『だから何故犬に拘る!?』

 もどかしくなって、電話することにする。

 最初からこうしておけば良かった。

『もしもし浮塚君? なんだか考えてると凄く怖くなってきたんだけど、い、いきなり噛まれたりしないよね?』

 繋がるなり、すっとぼけた事を言ってくれる。

「……さあ? もっと痛い目に合うかも」

『ええええええ~~~』

 先輩の絶叫が聞こえてきて、俺は電話を耳から離した。

 悲鳴が収まった所で、再び通話に戻る。

「じゃあ、とにかくそこで待ってて下さいね」

『に、逃げちゃダメ?』

「ダメです」

『だって! すっごい、こわ――』

 ピッ。

 通話を切って、川添を振り返った。

「川添、○×公園って分かる? 先輩そこにいる」

 頷いて、川添は北風の速さで屋上を飛び出していく。

 ……と、思えば。

 閉じかけている扉から顔を覗かせて。

「浮塚、カナちゃん、卯乃原も、みんなありがと」

 にこっと初めてみるような可愛らしい笑顔を見せて、今度こそ風になった。

 扉が閉まり、ホッと息をついた。

 全身に安堵のようなモノが広がっている。

 俺は後ろを振り返った。

 卯乃原が金網越しに外を見ていた。

「もう、びっくりしたよ。いきなり煽りだすんだから」

 抗議の意味も込めて、睨みの視線を向ける。

「…………」

「ちょっと、なんとか言え――って、いたっ!」

 何も語らずに、ジッとこっちを見下ろしていたかと思えば、いきなり頭をはたかれた。

「な、なにすんだよ?」

 頭を擦りながら、訳が分からない俺を、つまらなそうに見つめた後。

 唐突に、

「喋って疲れた、寝る…………え? ってカナエ? ……あ、あはは、引っ込んじゃった」

 そう言って、カナと入れ代わっていた。



 昼休み終了のチャイムが鳴り響く中、二人で金網越しに校庭を見下ろした。

 足元、校舎から川添が飛び出してきて、長い手足を正確にふるって凄い速さで駆けて行く。

 陽光で白く反射するグラウンドに一直線を描いていくその姿は、ドラマのワンシーンのように様になっていた。

 あっという間に校門をくぐり、駅の方へと姿を消した。

「上手くいくと良いね」

 カナがそう言って微笑む。

 陽射しがどこまでも暖かくその横顔を照らす。

「本当言うと、こうなって、結構複雑なんだ」

 不安そうにそう呟くカナ。

 寂しそうに面を伏せると、かかる影の形が変わった。

 そんな表情を見た瞬間、パズルの最後のピースが嵌るように、さっきまでの自分の気持ちの正体を知った気がした。

 胸の中に抑えがたい衝動が生まれて、知らず内に顔が熱くなる。

 え、えーと……あー、もう、いいや。

 ストンと何かが腑に落ちる音。

 一歩横に動きカナに寄り添った。

「俺、川添説得するのに、なんであんな必死だったか分かった気がする」

「え?」

 俺は、川添が先輩と離れてしまうのが嫌だった。

 それは勿論友達に幸せになって欲しいって気持ちもあったんだけど、もう一つ、どうしようもない身勝手な理由があったことに気が付いた。

 それは、川添たちの状況が、自分達が置かれている現状に重なったから。

 過剰なまでの感情移入、応援と言うより殆ど験担ぎだ。

 そして、その思いの向く方向を考えてみると――。

 嘆息して、一つ覚悟決める。

 手を伸ばし、カナの手にそっと触れた。

 驚いて硬直するカナを無視して、そのまま指を絡めて手を握った。

「あ、あの、えっと? えーと? えええぇとぉ?」

 戸惑いで複雑な形を象るカナの表情。

 思わず噴出しそうになる百面相から顔を逸らす。

「なんか、あいつらに中毒てられた。いいじゃん」

 そんな事言ってる間も、恥ずかしくて死にそうなんだけど。

 それでも、ぎゅっと握る手に力を込めた。

 しばらく、かちこちに硬直していたカナの手から、柔らかく力が解けていく。

 迷うような躊躇いがあった後、俺の手を握り返してきた。

「…………アキ、今なに考えてる?」

 呟くように穏やかな声。

 不安そうでなくなったのが、単純に嬉しい。

「多分カナと一緒。あいつらが上手くいくと良いなって。カナは?」

「……アキとキスしたい」

「今すぐこの手を離せ」

 離すどころか、強い力で、握っているのと逆の手首を取られる。

 どういう仕業か、体を入れ返え、俺は金網を背負った。

「だ、だから、なんでお前はそんな一足飛びなんだよ!」

「あはは、ごめん」

 あ、謝られた。

 しばらく、押し合いし合いしていたが、如何せん救いがたい程の地力の差があった。

 直ぐに金網に体を押し付けられ、ガシャンと大きな音を立てる。

 網目が食い込んで背中が痛い――って、ちょっと待った。

 あ、あれ? なんだろ?

 なにか、最近金網について重大な話を聞いたような……。

「ちょ、ちょっと待ってカナ。なんか俺たち大事な事忘れてる」

 って、うわ、聞いてないよ、この人。

 血走ったような目にちょっとデジャブを覚える。

 ――じゃあ、あとで委員のやつプリント持って来いよ。あ、それから、屋上の金網、一箇所根の部分が腐ってるのあるから、行ってるヤツ気をつけろよー、つーか行くなー。んじゃ以上。

 デジャブに引っ張られるようにして、記憶の蔓が引き出されてきた。

 唐突に蘇える数日前の担任の言葉。

「そ、そうだ、金網! 一箇所根がダメになってるって……」

 言うが早いか。

 ぐわらり、と、フェンスが傾ぎ、強烈な重力を背中に感じた。

 ヤバイと思う間もなく、バキッと致命的な音を立てて、金網の軸足が折れた。

 急激に訪れる、今まで体験したことのない浮遊感。

 やっと状況に気づいたカナが、驚いたように口をあけていた。

 と、その口が閉まり、代わりにやってくる緊迫した表情。

「あ、あんたらなにやってんだ!」

 あ、う、卯乃原?

 素早く伸ばされた手を、水の中でもがくようにして必死でつかむ。

 確かな手ごたえと共に、全体重分の負担が右腕一本にかかった。

 ずきっと、肘が痛んだが気にしていられない。

 卯乃原の腕にみっともなく両手でしがみ付き、なんとか引き上げられた。

「く、くはあ」

 四つん這いになって、溜まっていた空気を吐く。

「あ、危うくギャグパートで死ぬ所だった……」

 俺の言葉に、肩で息している卯乃原がキッと睨んでくる。

「勘弁してくれよ」

 いや、本当にごめんなさい。

 もの凄い安堵感の所為で思わず軽口が出ただけなんだけど。

「あ、ああ! そうだ!」

 這うようにして屋上の縁に近づく。

 そ~っと、下の様子を覗き込んだ。

 幸いにも、授業中という事もあって、そこに生徒の姿は見えなかった。

 落ちていった金網は、直ぐ下の植木の中に墜落している。

「よかった~」

「あ~~~なんじゃこりゃ~~~」

 異変に気が付いて飛び出してきた先生が、頭を抱えて絶叫した。

 いつも竹刀を携帯している、鬼のように怖い生活指導の先生だった。

 首を動かして、当然のように俺達の姿を見つける。

「お、お前ら! そこ動くなよ! 直ぐ行くからな! っと、あ、けが人いないか?!」

「いませーん」

 俺がヒラヒラと手を振ると、良し、と安心したように頷いて、慌てて校舎の中に戻る。

「はあ……」

 これからされるお説教を思うと、げんなりとしてしまうが、それも命あってのものだねだ。

 今日一番大きな溜息の行く末を見守っていると、隣でカナが呟いた。

「もし、ここから二人で落ちてたら、心中って思われただろうね」

 いや、あの、俺本気で死にかけたんですけど。

 暢気に言っているカナの表情が卯乃原のものに変わる。

「……今、卯乃原がもの凄い微妙な顔してた」

「ぶふっ」

 そんな場合でもないだろうに、カナが噴出した。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、俺も思わず噴出してしまう。

「くぶ、あは、あはははははははは」

「い、いや、ぷふ、笑い事じゃないんだって」

 でも、止まらないし。

 こうして、先生が来るまでの短い平和の間、俺たちは気が狂ったように笑い続けていたのだった。

 

 

 





 友達の話をしよう。

 それはもう唐突に。


 身長百八十センチ近くある俺の友達は、重度のバレー馬鹿を患っていて、その域は最早フリークスといってよい。

 食べる事に目が無く、その食指は、性格の好悪、見た目の美醜を問わないほど貪欲。

 シンプルに以上の二点を人生の命題としていた彼女が、最近、なにやら変化があった。


「またメール見てニヤニヤしてる」

「え? そお? ニヤニヤしてた?」

「や、自覚なしかい」

 呆れたような友人の指摘に、川添は自分の顔を触ったりして確認し始めた。

 どうにも納得いってない表情だ。

「そんな事より、はい、これ」

 自分で振っといてそんな事と断じた彼女は、近くのスーパーのビニール袋を川添に渡した。

 薄っすらと透けて覗く中身は、びっしりと詰められている大量のパン。

「うむ」

 中身を確認して仰々しくそれを受け取ると、そそくさとカバンの中にしまう。

「で、で、どうなの? 殿下と卯乃原君」

 此方を気にしながら、川添の耳元に顔を寄せ小声の密談。

 しかし、如何せん距離が近い。

 残念ながら筒抜けだった。

 にしても、ホントに好きだねー、女子ってこういう話。

 でも、残念でした。

 噂は噂であってそれ以上にはなりえない。

 根も葉もない、とは言い切れないのが辛い所だけど――川添は噂に踊らされるようなヤツじゃない。

 事実をビシッと――。

「二人は付き合っている」

 いや、お前かい噂振り撒いてたの。

 占いの結果を告げる新宿の母のように、確信を持った声色。

「やっぱり!」と、トチ狂った驚きを見せる女子を横目に、俺はケータイをしゃこっと開き、メール画面を起動する。

 ――っとに、こいつは。

 俺の顔を見て、傍に居たカナがビクッと身じろいだ。

「ちょ、ちょとトイレ」

 そう言って、そそくさと教室を出て行ってしまう。

 人の顔を見て便意を催すなんて、本当に変なヤツだ。

 親指を動かし、目的の人物を探し出すと、件名を打ち込んだ。

『件名――先輩の_』

 短く本文を打ち終え、送信。

 レスが来るのを待つ間、頬杖付いて川添ににこやかな視線を向ける。

 彼女の傍ではしゃいでいた女の子が、俺と目が合って怯えたように後じさった。

「そ、それじゃ、あたし、ちょっと」

 まるで、森で熊と遭遇したような態度で踵を返す。

 少し離れたところで様子を窺っていた女子数人に合流し、なにやら報告し始めた。

 ……全くどいつもこいつも。

 怪訝な表情でそれを見送っていた川添が、此方に気が付いた。

 俺を見た途端、笑顔でヒラヒラ手を振ってくる。

 大量の食料を手に入れた喜びにホクホクしている。

 その能天気な表情に、ヒクリと瞼が動いた。

 眉間を指で揉みながら、笑顔を送り返す。

 ――今はいい。今はそうやって幸せな時を噛み締めているといいさ。

「ん~♪ って、うわ、まだやってる!」

 俺達の間で交わされる笑顔を見て、トイレから戻ってきたカナが、そう言って悲鳴を上げていた。




『件名――先輩の彼女の所為で。



 俺に、ホモ疑惑が浮上しました_』

という訳で、二ヵ月後のちょっと仲良くなった彼らを見ていただきました。

いかがだってでしょうか?


細かな直しはするかもしれませんが、犬とゴジラ――ファイル名『気分的に合法BL』は、これにて一先ずネタ切れでございます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

それから本当にお疲れ様でした。


それでは失礼いたします。

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