第○×話 友達の話をしよう 前編
二ヵ月後の彼らです。
俺に、ホモ疑惑が浮上しました。
はは、え? ええ、まあ、疑惑ですし、噂なんて一過性のものなんで、蝉並に短い寿命でしょうけど。
いえ、なんですか? 別に全然怒ってないですよ。
だって怒る理由がないじゃないですか、別に怒るような事でもないですし。
そりゃ、まあ時々……この馬鹿がっ! って校庭を引きずり回してやりたくなりますけど。
え? やだなぁだから本当に怒ってないんですってば。
事の起こりは三日前。
いや、そもそもの発端は二ヶ月前のあのコクハクなんだけど、それ言い出しちゃうと長くなるし。
「はよっす」
「おはよ」
朝支度を終えて玄関を出てみると、いつものように、そこには卯乃原の姿があった。
紺色のダッフルコートに、茶系のニットマフラーをして、どこか惚けた表情で小手を上げた、「インディアン嘘つかない」のポーズ。
こんな挨拶するのはカナの方だろう。
俺は地面でつま先をたたいて、履きかけの靴の踵を揃えた。
しばらく手こずりながらも、ズボッと急な手ごたえと共に体が落ちる。
(……ん、このスニーカーもそろそろ買い替え時かな)
別にサイズが合わないって程小さいわけじゃないけど、前より圧迫感があるし確実に履くのに時間がかかってる。
長い付き合いだから捨てるのに忍びない気持ちはあっても、無理して足を痛めたりしたら目も当てられない。
そんな事を考えながら、巻き込んだ踵の部分を指で戻して、折っていた膝を伸ばした。
立ち上がると、卯乃原のでかい体と対面する。
「じゃあ、行こ…………………はっ」
うなじ辺りに、急激に生じた不穏な空気を感じ取って、俺は振り返った。
薄暗い玄関の中、幽鬼のように浮かび上がる姉ちゃんの姿。
「おはようございます」
よせばいいのに、カナが丁寧に腰を折って挨拶したりする。
「おはよう」
それに機嫌よく答えて、姉ちゃんはうんうんと頷いた。
恍惚の表情で、歯ブラシを突っ込んだままの口を開く。
「この、弟の彼氏に挨拶をされる姉のしあわ」
「そぉーい!」
何か言いかけてた姉ちゃんの声と一緒に勢い良く扉を閉めた。
ガンッと固いもの同士がぶつかり合う音がして、アパートの廊下は平和で静かな時間を取り戻した。
「いいの?」
肩で息してる俺に、カナが苦笑しながら尋ねてくる。
「いいよ、問題なし」
言い切って俺はエレベーターの方に向かう。
背後からクツクツと忍び笑いの様なモノが聞こえてきたが、それを無視することにしてあんぐりと口をあけた箱の中に乗り込んだ。
卯乃原と付き合いが出来て、もう二ヶ月近くになる。
それまでもクラスメイトとして顔と名前くらいは知ってたんだけど、少なくとも、朝一緒に登校するなんて関係ではなかった。
俺はかなりへタレ気味な平凡な高校生で、卯乃原は授業よりも集会とかが似合いそうな所謂一つのヤンキーさんだった。
お互い無視すら成立していない間柄。
ベクトルどころか生きている次元が違う。
それが、あの日の放課後、状況が一変するようなことが起こった。
何をトチ狂ったのか、卯乃原が俺にコクハクしてきたのだ。
実際コクハクして来たのはカナの方だったんだけど、当時の俺がそんな事を知るよしも無く、ただひたすらにパニくった。
だって、男同士だし、相手ヤンキーだし。
悲嘆、焦燥、恐怖などの理由から眠れぬ夜を経験し、極めて後ろ向きな理由で卯乃原を振ると言う選択をしたのは、人生においても一二を争う一大決心だったかもしれない。
翌日、昼休みの学校の屋上。
そこで、俺は初めて、まともに卯乃原叶と対峙した。
「そういえばさ、ちょっと聞きたかったんだけど、どうして学校の行き帰りに送り迎えしてくれるわけ?」
俺は隣を歩く大男を見上げながら、そんな風に訊ねた。
いつもの朝の登校風景。
時間的な余裕があるためか、制服姿はどの表情にもユルさと眠気を貼り付けている。
その中でも一際緩んだ顔で欠伸をかみ殺しながら、卯乃原が此方を見下ろしてきた。
(くそー相変わらずでかいな)
自己申告によると、卯乃原の身長は百八十センチ超。
昔から特にスポーツをやっていた訳でもないそうだから、外部要因はほぼゼロだ。
なるべくしてなった大男と言うわけ。
対して此方の身長は百六十に届くか届かないか位の微妙なライン。
これでも去年から比べると一センチくらいは伸びてるわけで、足のサイズが大きくなっている事から考えても、まだまだ希望は捨てていない。
ただ、家の中を見渡してみて、家族全員、誰一人百六十センチ以上の障害になっていない事を思えば、過剰な期待は出来なさそうではある。
……やはり、百六十センチの壁は高いという事か。
やや複雑な思いで自分の世界を作っていると、およそ二十センチ上空から卯乃原の返答が降ってきた。
「カナが勝手にやってるってのが一番でかいけど……俺もあんたが襲われたりしたら目覚めが悪いし」
「は? それどういう……」
聞き返した時、背後から、やたら温度の高い笑い声が聞こえてきた。
大きな声に、思わずビクッと体がすくんでしまう。
俺達の横を、音源である男女織り交ぜた八人くらいの集団が通り過ぎていった。
ちらりと見えた襟章は赤、多分二年生。
そのまま何となく行き過ぎる背中を見ていると、そのうちの一人がやたらとこっちを睨んできているのに気が付いた。
と言うか卯乃原の方を…………って、うわ!
その人の視線を追ってみると、何故か卯乃原がヤル気マンマンの顔で睨み返している。
よくよく気付くと、その人以外にも此方を伺いながら、ニヤニヤしている顔が見えた。
品定めするような目つきで、明らかにこちらのリアクションを見て楽しんでいる。
なんか……いやな感じ。
「なにあれ? 知り合い?」
「知り合いっちゃ、そうだけど…………俺は、こう見えてよく喧嘩をしたりする」
卯乃原が、唐突にそんな事を言い始める。
「? そういう風にしか見えないけど?」
「……あんたって結構キツイよな」
「なにが?」
ワケが分からずに見つめていると、一瞬傷ついたような顔を見せた後、卯乃原は続けた。
「……とにかく、たまに喧嘩とかしてて、んで、あいつらともちょっと……キッカケは、まあ売ったり売られたりなワケだけど、その関係で恨んでるやつ多いから」
その関係、ね。
つまり、俺にまでその係累が及ばないように、ボディーガードしてくれてるのか。
最近一緒にいることが多いから、そういう心配をしてくれるわけだ。
相変わらず見かけによらない律儀なヤツ。
うん、まあ、外から見ると俺なんかひ弱な友達にしか見えてないだろうし。
いや、その通りなんだけど……。
自分の雑感に微妙に傷ついてしまう。
…………それにしても。
気を取り直して、校門をくぐる彼らの背中に視線を戻した。
「あの人たち凄い真面目なのに……」
「あ?」
「だってほら」
怪訝そうな顔をする卯乃原に携帯を開いてみせる。
ディスプレイの時刻の部分を指差すと、デジタル表記ではっきり七時五十分と記されていた。
始業まで、まだ三十分以上もある。
「不良の間で朝早く登校しようとかってムーブメントでも起きてるの?」
「なんでそれを俺に聞くわけ」
「……………………………………え?」
まじまじ聞き返すと、また一瞬ヒクッと眉が引き攣って、そのまま面を逸らした。
卯乃原は、不機嫌と言うか拗ねたような表情で、黙ったまま足早に校門をくぐる。
「え? なに? ごめん」
彼の態度に条件反射的に謝りながら、慌ててその後を追った。
無言の背中がどこか落ち込んでるように見える。
…………ほんと、ようわからんやっちゃな。
いきなりですが。
ここ三日ほど、カナには学校内での発言禁止令が敷かれています。
その理由が。
「待てよ!」
突然、男の声でそんな叫び声が聞こえてきたかと思うと、ガラリと勢いよく教室の扉が開き、そこから女の子が飛び出してきた。
口元を手で押さえて首を振りながら、目元にはなにやら光るモノが。
後を追うようにして、教室から深刻な顔付で男が体を乗り出した。
先ほどの声の主はこいつだろう。
廊下に飛び出して彼女に駆け寄ると、腕を掴んで振り向かせる。
「離して!」
「別れたいって、あんな話だけじゃわかんねーよ!」
「分かんなくていい! 離してよ! もうトモアキの知ってるあたしじゃないんだから!」
「なんだよ、それ、どういう……」
「……あたし、シンジと寝たの」
「な……」
「ほら、わかったでしょ。だから、トモアキとはもう別れるの!」
…………。
「お願いだからもう追ってこないで!」
そう言い捨てて階段を駆け上がっていく女の子。
……卯乃原が、無表情でマフラーを口元に持ち上げた。
廊下の真ん中で呆然と固まっている男を、避けるように通ってその場を後にする。
二人、しばらく黙って歩いていると……。
バキっと骨と骨とがぶつかる痛そうな音がして、俺の足元に男が倒れこんできた。
地面に尻餅をついたまま、血のにじむ口元を手で拭い、自嘲気味な笑みを浮かべて自分を殴った相手を見上げる。
「……ってーな、何で殴んだよ……」
「なんでユイにあんな冷たくすんだよ!」
「は? 質問に質問で返すなよ。大体、それがお前になんか関係あるわけ?」
「……てめっ!」
殴った方の男が、自分の方が痛そうな顔をしながら、相手の胸倉を掴んだ。
「お前知ってんだろ! あいつがお前のことどう思ってるかぐらい!」
「…………」
殴られた方は答えなかった。
ただ、視線を逸らすだけ。
「あいつ……あいつはぁ……」
「知ってるよ! ……そんな事、知ってる……」
思わず口を突いて出た言葉だったのだろう。
気まずそうに語尾が沈んでいく。
「だったら、なんでだよ!」
「タカシ」
有無を言わせない声音で名前を呼んだ。
もどかしげに言った男に、初めて視線を合わせる。
「俺……あと三ヶ月しか生きられないんだ」
どこか、諦めたような笑顔で、淡々と告げた。
…………。
――テロリン。
あ、いけね。
廊下に立ちん坊で寒くなってきたのか、油断してると鼻水が出て来た。
俺は慌てて洟をすすり上げる。
うー、と呻きながら鼻の下を擦っていると、頭から、卯乃原が自分のコートをかぶせてきた。
ども、と振り返ることなく軽く手を上げて、袖を通す。
(……う、袖と裾、大分余る……)
コートは、卯乃原の体温が残っててかなり暖かいんだけど……何この体格差。
仕方なく余った部分をプランプランさせていると、男がその言葉に驚いたように後ずさった。
「あ」
俺たちは顔を見合わせ、思わず声を上げた。
それから、二人して頷いて、腰を屈めて進む。
「あ、すみませーん、通りまーす、すみませーん」
深刻な表情で見つめあう二人の間、廊下の隙間を軽く手を上げながら割って行く。
小声で謝罪 プラス ぺこぺこ頭を下げるのも忘れない。
現在、ウチの学校は空前の恋愛ブーム真っ最中だった。
しかも、なんか修羅場系の重いのばっかり。
馴染みのない空気と言うか、なんとなく場違いな気がして居心地が悪い。。。
キッカケは四日前の授業間休憩の時。
クラスメイトの女子二人が、卯乃原に話しかけたことに端を発する。
~四日前の事~
「卯乃原く~ん」
「あ?」
「い、いや、ちょっと顔怖いって」
「ほ、ほらほら、もっと笑って笑って」
「あー……(めんどくせぇー、とありありと表情に出てる)……………寝る…代わって。…………へ? って、ええっ?! あた、お、俺?!」
「いや、卯乃原君だけど……大丈夫?」
「あ、え、うん、だいじょぶだいじょぶ。で、で~、な、何かな?」
「今日ね、放課後クラスの何人かでカラオケ行こうって言ってて、ね」
「うん、卯乃原君も一緒にどうかな~って」
「…………それって、もしかして俺誘われてる?」
「誘われてる誘われてる」
「や、なんでそんな顔?」
「い、いや、だって遊びに誘われたのなんか俺初めてだし」
「あ、や~、今までも何度か誘おうとはしたんだよ。けど卯乃原君って一人でいる方が好きそうだったし」
「うん、でも最近お昼、浮塚君とか川添さんとかと一緒してるとこよく見かけるから、だったら私たちとも遊んでくれるかなって」
「うわー、すっごい嬉しいそれ」
「本当っ?!」
「うん」
「やった! じゃあ卯乃原君のほうから浮塚君のことも誘っといてくれる?」
「うん、わかった」
「やふー! あー、私なんか今超テンション上がってんだけど」
「うんうん」
「あ、そういや、浮塚君と言えばさ。ちょっと前卯乃原君と付き合ってるとかって噂あったよね」
「ご、ごふっ!」
「あ、あったね」
「ね、手繋いで廊下歩いてたとか、仲良く学食デートとか」
「い、いやそれは」
「ん~、それで~、実際そのへんのトコどうなんすか~?」
「じ、実際と言われましても、あ、あの時は、そ、そのう勢いに助けられてたと言いますか、切羽がぎゅっと詰ってたと言うか…………い、今となっては恥ずかしくて何にも出きないというか…………そしてなにもしてくれないというか……」
「ちょ、ちょと、見る見る元気なくすの止めて、マジで」
「イヤ アレハ タンナル ウワサ ダッタ デスヨ」
「凄い乾いた笑い浮かべてるんだけど」
「なんだ、付き合ってなかったんだ……そっかー、このごろ浮塚君雰囲気出てきたってか、あんまおどおどもしてなくて、良い感じだったから、てっきりそうだと思ってたんだけどな~」
「ホエ?」
「あ、それわかる。前までなんか可愛いらしいだけって感じだったのが、近頃得体の知れない色気醸してるよね」
「カ、カモス? イロケ?」
「確かに。う~ん、今の浮塚君だったら私付き合っても」
「だ、ダメッ!!」
「いい……か、なー、とか……」
「……えーと、それは何かのフラッシュバックかな?」
「ち、違うよ! やめてよ今時分そういう冗談!」
「あ、友達とられるとか思ってるんだ、卯乃原君って意外と可愛……」
「じゃなくて! アキは俺のなの!!」
……の……の……の……の……。
回想終わり。
何も知らずトイレから戻って来て、教室の扉を開けた途端、大声でそんな事を言われた時の気持ちを、他に一体誰が理解してくれるというんだろう。
風のない湖面のように静まり返った室内で、容赦なく横顔に突き刺さる視線の矢。
自分が何を発言したのかに気がついて、引き攣った笑顔を向けてくるカナに俺も笑顔を返す。
それ以外にどんな表情すれば良いか思いつかなかったからだけど、クラスから何故か小さく悲鳴が起こった。
それを意に介す余裕も無く、カナに拳を向けて、親指を持ち上げ(立て)、廊下に傾ける(出ろ)。
死刑宣告を受けた囚人のように悲しい目をしながら、カナが立ち上がる。
がっくりと肩を落として、廊下に出た。
屋上に向う背中をしばらく見送って、一度教室に面を戻すと、扉を閉めてその後を追った。
「か、かかあ天下!」
「かかあ天下だ!」
背後で扉越しに聞こえて来る静かな興奮。
当然のように、あだ名が「かかあ殿下」になった。
結局、その後屋上で俺と卯乃原がカナに懇々と説教をし、罰として当分学校での発言を禁止したわけだけど。
説教が終ったころには、時計は昼休みの始まる五分前を指してて、卯乃原の提案で俺たちは帰宅する事にした。
疲れてたし、教室に戻りづらかったから、それは別に良かったんだけど、最近、段々サボる事に対して抵抗感が無くなって来てる気がする。
なんだかんだ言って俺も卯乃原の影響を受けているのだろうか。
悪しき影響だ、改めねば。
教室に残ってる鞄はしょうがないとして、カナは誘ってくれた二人にきちんと断りの電話を入れる事を忘れなかった。
何か探りを入れられていたようだけど、俺たちに注意されて、直ぐに電話を切った。
で、その翌日。
カナの発言は、「かかあ殿下」意外にも、思わぬ副作用を生んでいた。
「私も告白してみようかなー」
と、一人の女子がボンヤリとそう言い出した。
聞けば、羨ましかったのだそうだ、俺たちの事が。
何が羨ましいものか。
しかし、人の影響力とは恐ろしいもので、と言うか、この場合集団心理の恐ろしさと言うべきかも知れないけど、一人が言い出すと「俺も」「じゃあ私も」と、後に続く者たちが続々現れて、そのブームは一気に校内を駆け巡った。
結果。
「好きだー」
あっちでも、
「嫌いよー」
そっちでも。
恋の華が咲いては散り咲いては散り。
ようやく辿り着いた教室の前で、俺は溜息を落とした。
「うう、ごめん」
「いや、これはどうしようもないって言うか、カナの所為じゃないでしょ」
分かり易く落ち込むカナを慰めながら、教室の扉を開いた。
「あ、おはよー殿下」
いや、殿下ってなってんの? 今俺。
「お、おはよ」
苦笑いを浮かべながら、席に向う。
そこで、違和感を覚えた。
「? あれ? 川添は?」
いつもなら、既に横の席でダレながら、腹減ったーとか言ってるはずの、背の高い女子の姿がない。
「まだ来て無いよ」
近くにいた川添と仲のいいクラスメイトがそう教えてくれた。
「……ふーん?」
俺は教室にかかっている時計を見る。
時刻は八時二十分。
バレー部の朝連は終わってる時間だ。
首を傾げる俺の隣で、カナも不思議そうな顔をしていた。
この時、
「ずっと好きだったんだ」
一部で起こった波紋が、
「良かったら、俺と付き合ってください」
大きくその円を広げ、
「……返事はいつでも、って言えないのがつらい所だけど」
まわりまわって、
「でも、出来たら聞かせてくれると嬉しいよ」
直ぐ傍にいる存在まで揺らしているという事に、
「それじゃあ、時間くれてありがと、川添さん」
俺は気が付いていなかった。
最初、軽くて短い話をパパッと書こうと思って始めたんですが、どれも上手く行ってません。
それにしても、季節が冬の話は初めて。
後編は、本編よりイチャイチャした話になると思われます。




