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9.




 その時の気持ちを言葉にすることができない。”思わず”、”図らずも”、”つい”、──それとも・・・”なんとなく”?分からない。けれど高科はただ駿太郎を、・・・・。


 駿太郎をつかまえてしまいたかった。手をつなぎたかった訳でも、胸に抱きたかった訳でも、キスをしたかった訳でもない。ただ、このまま行かせたくないと思っただけだった。


 「・・・れる」


 腕の中で、駿太郎がくぐもった声で何か言った。それがどんな言葉でも今は聞きたくないと高科は思って、駿太郎を抱く腕に力をこめた。


 「高科・・・、つぶ、れる、ってば」


 今度は聞こえた切れ切れに訴えるその声に高科は煽られるようにますます力を込めた。


 「ね、え、ちょっと、高科ってば。」


 駿太郎が高科の胸を押すようにして訴える。けれど聞いてやるつもりはなかった。


 「潰さない。潰さないよ。お前のこと、こんなに大事に思ってるのに。」


 「そ・・・そうじゃなくて、花が。花が、せっかくもらったのに。」


 腕を解くと、駿太郎が握っていたカラーの花が二人の間で歪んでいる。


 「ほら見ろ!あーあ」


 駿太郎はまるで生まれたばかりの子猫をなでるように、歪んだカラーの花を撫でた。


 「かわいそうに・・・。」


 「俺だって、かわいそうだよ。」


 高科はカラーの花を撫ぜる駿太郎にそう訴えた。俺だって、可哀そうだ。初めてとてもとても好きになった、大事にしたかった男に振られて、何年も、何十年も、新しい恋をして失っては駿太郎を思い出した。そしてやっと再び出逢うことができたのに、駿太郎は知らないふりをする。



 その時、駿太郎のポケットの中でラインの着信音が鳴った。ピポン、ピポン、ピポン・・・・ピポン。立て続けに鳴り続けるスマートフォンを慌ててポケットから取り出して、駿太郎がサイレントモードにしたとき、歪んだカラーの下に、駿太郎のスマートフォンの待ち受け画面が見えた。


 「え・・・?」


 今、見えたのは・・・!



 あっ!と駿太郎はまた慌ててスマートフォンをポケットにしまおうとする。その手を追いかけた。スローモーションのようだった。駿太郎の手からこぼれたそれは、受け止めようとした駿太郎の手を跳ねて、それをさらに追いかけた高科の手がキャッチした。


 「っぶねー!」


 高科が、待ち受け画面を確かめようとすると、駿太郎は

 「ちょっと!ちょっと、やだ、だめだめ!」

 と蓋をするように白い手で庇う。


 「なんで?」

 高科は駿太郎のスマートフォンを後ろ手に隠し持って、耳まで赤い駿太郎を覗き込んだ。


 「なんで?いいじゃん。」


 駿太郎は花を持っていない方の手で、スマートフォンを隠す高科の腕を掴んでいた。


 「いいじゃん。別に。」


 高科の手の中で、駿太郎のスマートフォンは身震いをするように時折震える。それは、おそらくは昨日のパーティの参加者たちがスマートフォンで撮った写真をお互いに送信し合っているラインだ。

 高科が見たのは、スワイプした時に見えた待ち受け画面だった。そこに、自分がいたのを高科は見たのだ。


 白いドレスシャツに黒いパンツ、ロング丈のサロンエプロンを巻いて、ウェイター然とした自分がシャンパングラスを運んでいた。フォーカスが少し甘かった。たぶん、遠くから隠し撮りしたのを切り取って設定してあるからだ。


 「俺、だったよね。」


 駿太郎は俯いている。高科の腕を掴んでいる親指の爪が少し動いて肌をひっかいた。


 「どうして、知らんぷりすんだよ。」


 「だって。」


 駿太郎は高科の腕を離した。だって、と駿太郎はもう一度言って、カラーの花を持ち替えた。花を持ってた方の手でほんの少し目がしらを抑えた。


 「だって、何?」


 駿太郎は答えない。


 「俺のこと、好き?」


 高科は尋ねた。

 駿太郎は答えない。


 「じゃ、三択ね。1.俺のことずっと好きだった、2.俺のこと好きになった、3.俺のこと好きになりそう、さ、1番から3番のどれ?」


 駿太郎は顔を上げて高科を見た。


 「答えて。」




 分からない。

 ただ、好きだよ。



 高科の腕に額を預けて駿太郎が言った。背中に手を回すと、高科の手の中でまたスマートフォンが震えた。小さなサムネイルに困って笑っている高科が映っている。フナイだ。

 『イケメンが欲しい者は保存せよ』

  ピポン

 『いらない』

 ピポン

 『やったあ』ピポン

 『いけめんどこ』ピポン

 『左の人イケメンじゃない?』ピポン

 『右の方がイケメンだよね、フナイちゃん?』ピポン

 『はい、つぎつぎ!』ピポン


  ピポン、ピポン、ピポン。


 「もう、うるさいな」

 駿太郎が高科の腕の中で肩を揺らした。駿太郎の頭をぎゅっと自分の胸に押し込めて、高科は駿太郎の頭に頬ずりをした。柔らかい駿太郎の髪がクシュクシュと鳴る。知らないシャンプーの香りがする駿太郎を抱きしめて、高科は鼓動が早まるのを感じた。あの頃と同じようにどこか頼りない少しの不安と綯交ぜになった恋情を感じた。


 「・・・れる」


 「ん?」


 

 潰れる?

 ひしゃげてしまったカラーは駿太郎の手にあって、高科の腕に沿うようにそこにある。


 「潰れる・・・胸が、ぎゅ・・・って」


 駿太郎の手が高科のシャツを掴んだ。


 愛おしい。

 それは、とても懐かしい気持ちだった。

 ずっと、ずっと前に手放したまま誰からも手にすることができずにいた気持ちだった。


 風が頬を撫ぜた。駿太郎の髪がふわりと撓んでゆっくりとまた小さな頭に沿う。

 高原に夏が来る。

 青い空に、まるで真夏のようなくっきりとした白い雲があった。まだ若い緑が風に揺れている。幾度も見てきた景色がまるで違って見えるという誰もが掛かる魔法。


 もう一度。

 次は間違えたりしない。


 高科はそう自分に誓った。 



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