06:ガウスという男
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帝都の街を歩いていると、職業案内を行っている施設を見つけた。
クレアは早速、中に入って求人情報を確認することにした。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用でしょうか?」
受付嬢が用件を尋ねてきたので、「仕事を探している」とクレアは答えた。
次に希望する職種を問われた。クレアは何も思い浮かばなかったので、「特にない」と素直に答えた。「楽で簡単な仕事がいい」などと言っても聞き入れてもらえないことを理解していたからだ。
「では、こういうのはどうでしょう」
受付嬢が一枚の案内状を提示した。
そこに書かれていたのは、清掃業の募集についてだった。公園などの公共施設にある便所を掃除して回るというのが、主な仕事内容である。
だが、クレアは今までロクに掃除をしたことがなかった。そんなものはすべてメイドや業者に任せていたからだ。そもそも彼女には自分が掃除をするという発想がなかった。なぜ私が掃除をしなくてはならんのだ、という感想しか出てこないのである。
「他のものを見せてくれ」
清掃業はパスすることになった。
次に受付嬢が案内してきたのは、警備の仕事だった。役所や学校の周囲をパトロールして、不審者がいないか確認をしたり、守衛所で来客の身分確認や通行許可を行う業務である。
これなら悪くなさそうだ、とクレアは思った。
要するに、この仕事は怪しい者がいないか見張り役をするだけだ。実に簡単ではないか。
……などと、クレアは楽観的に捉えていた。
「給料はいくらなのだ?」
賃金。それが彼女が最も興味のある部分であった。
「未経験の方ですと、月十五万円からですね」
「や、安すぎる! 馬鹿にしているのか? たったの十五万でどうやって暮らしていけと言うのだ! それでは何も買えないだろう!」
お嬢様生活を送っていたクレアにとって、十五万は桁違いの安さであった。
贅沢をしていた頃の金銭感覚が抜け切っていないため、彼女は世の中の常識が十分に備わっていなかった。
「そんな安月給では話にならん。次だ次! もっと給料の良い仕事を出せ」
「今のはこちらでご紹介している職業の中でも、かなり良い条件のお仕事だったのですが……」
「何だと……? もうこれ以上は無いというのか? それではどうにもならないではないか……!」
クレアは現実を突きつけられ、絶望した。
落胆した彼女は肩を落としながら職業案内所を出た。
働いて金を稼ぐつもりだったが、こんな安い給料しかもらえないようでは、あまりにも効率が悪い。もっと短時間でたくさんの金を稼がなくてはならないのだ。ごくわずかな金をチマチマと貯めていく暇などない。
「何かないのか? 一気に大金を得られる仕事は……」
と、呟いた時だった。
「おお、そうかそうか。お嬢ちゃんは一攫千金を狙っているわけだな。じゃあ、いい仕事があるぜ」
いきなり変な男が声をかけてきたのである。
ボサボサ頭で顎に髭を生やした三十歳くらいの男だった。薄汚いポロシャツとジーパン、履き古した茶色いブーツ、両手には黒い指ぬきグローブという恰好をしている。
彼は見るからに怪しい。もし警備の仕事をやっていたら、コイツを不審者として真っ先に確保していただろう、とクレアは思った。
だが、今はそんなことなどどうでもいい。それより、さっきこの男は何と言ったか。
「いい仕事……だと?」
興味を示すクレア。
「そうだ。短い時間でガッツリ稼げる仕事さ。上手く行けば、一日で二百万……いや、三百万は稼げる。そんなロマンあふれる職業だ」
男はニッと笑った。
その表情のせいで何もかもが胡散臭く思えしまう。本当にそんな夢みたいな話があるのだろうか。これは絶対に怪しい。この男の話にまんまと乗ってしまったら、詐欺に巻き込まれたり、逆に自分が犯罪に加担することになるのではないか。
「それはどのような仕事なのだ? 強盗か? 暗殺か? 売春か?」
「おいおい……。別にそういう怪しいもんじゃないって。法に触れたり、誰かに迷惑をかけることはない。これは政府からも正式に認められている立派な職業なんだぜ?」
政府公認の仕事だと言い張る男。
国からの許可が出ている、と言われれば信用する者もいるだろうが、クレアはそんな甘い思考を持ち合わせてはいなかった。たとえ、この男が言っている内容が本当のことだとしても、裏では何らかのカラクリが仕掛けられていて、結果的に損失を被ることになる可能性がある。
儲かる、簡単、失敗しない、という言葉を易々と信じてはならない。これはクレアの父、恭一がよく言っていたことだ。
この男は何かを企んでいる。クレアを利用して、自分の利益になるようなことを考えているだけかもしれない。都合が良過ぎる儲け話を聞かされた時ほど、より慎重かつ冷静になるべきだ。
「貴様はその仕事で十分に儲けているのか?」
「ああ、もちろんだ。俺はプロ中のプロ。もう稼ぎまくりよ!」
「その割には小汚い服装をしているな。新しい服を買う金ぐらい持っているはずだろう?」
そう言うと、男は急に慌て始めた。
「こ、これは特別だ! 普段はもっと上等な服を着ているさ。でも今日はこれじゃないとダメなんだ。でないと気合が入らねぇし、パフォーマンスも落ちる」
「特別? 何が特別なのだ?」
「この格好はハンティング専用の服なんだ。俺にとってはこれが戦闘服みたいなものなんだよ」
男の口から「ハンティング」という言葉が飛び出した。
クレアはそれを聞き逃さなかった。
「ハンティング? 狩りをしているのか?」
「ああ、そうだよ。俺が言ってる『いい仕事』ってのは、魔石ハンティングのことだ」
「魔石……ハンティング……?」
「聞いたことないか? 魔族の額から生えてる角みたいなものを魔石って呼んでいるんだ」
「魔族だって?」
クレアは一驚した。この男が次々と聞きなれない単語を発していくからだ。
何よりも、魔族という言葉が気になった。「マゾク」とは、あの魔族なのか。
人間ではない魔の者が、この世界に存在している……?
「魔族は魔族だ。お嬢ちゃん、それすらも知らないってのか? まぁいいや。んで、その魔族の角が魔石と呼ばれていて、その魔石を拾い集めるのが魔石ハンティングだ。色んな種類の魔石があるんだが、中には一個あたり百万円を超える代物が落ちていたりもするんだぜ」
百万円……!
たった一個の石を拾うだけで、百万円を稼ぐことができるというのだ。
これこそ、クレアが探していた「一度にたくさん稼げる仕事」ではないか。
まだ信用したわけではないが、話を聞いてみるだけの価値はあると判断した。
「魔族の角は時期が来ると生え変わるんだ。で、生え変わる時に古い角を落としていくのさ。俺たち魔石ハンターはソイツをゲットして換金施設に持っていく。そうすれば、その金は全部丸ごと自分の儲けになるわけだ。どうだ、凄いだろう?」
「う、うむ……! それは確かに魅力的な話ではあるな。だがしかし……」
クレアには気になることがあった。
そんなに魔石ハンティングが儲かる職業だというのならば、皆が皆、魔石ハンターとやらになって、魔石を拾いつくしてしまっているのではないか。
上手い話などそうそうない。やはりその考えはいつまでも消えなかった。本当に稼げるなら、この男はわざわざライバルを増やしたいとは思わないはずだ。普通であれば、自分だけで魔石を独り占めしたいと考えるものではないのか。それなのに、どうして彼は自分に魔石ハンティングを紹介してくるのか。
「貴様はそれでいいのか? もし私が魔石ハンターとやらになれば、取り分が減ってしまうかもしれないのだぞ? 損でしかないだろう」
疑問に感じたことはとことん追求するまでだ。
クレアは不審な点を容赦なく指摘した。
すると、男はまったく動じる様子もなく、こう答えるのだった。
「いや、そんなことはない。むしろ魔石ハンターの数は多ければ多いほどいい。魔石ハンティングは魔族の領域に踏み込む以上、一定の危険を伴う職業だ。だからハンターどうしで情報を共有し合って、より確実で安全な方法でハンティングを行うことが好ましい。それに、魔石はそんな簡単に取り尽くせるものではない。まだ見つかっていないだけで、理論上ではもっとたくさん落ちているはずなんだよ」
男は真面目な表情をしていた。今日一番信用できそうな顔だった。
まだ油断することはできないが、それなりの説得力があるということは認めたい。
しかし、危険を伴うという事実は無視できないものだ。
魔族が一体どのような存在なのかはわからない。クレアはまだ魔族を見たことがない。いわゆる未知の敵なのだ。敵の情報を一切知らないまま、敵の領地に乗り込んでしまうほど命知らずな行為はない。
「魔族は人を襲うのか? そんなに危ない存在なのか? 貴様たちハンターは、大金欲しさに命を懸けているというのか?」
金を稼ぐためにリスクを負う。クレアはそういったことを避けたいと考えていた。
いくら儲かる職業でも、自分の命が危機に晒されるのは嫌だった。
「確かに魔族には危険な種類もいる。人を襲って食うことがある。でも人を襲うのはレアなケースだ。あいつらはいつも人肉ばかりを食って生きているわけじゃないからな。普段は森の中でひっそりと生活していて、イノシシやクマといった獣の肉を食っている。他にも木の実や果物も食べているかな。つまり、よっぽど腹を空かせていない限り、わざわざ人間を食べたりはしないのさ」
魔族は人間を襲うことがある。しかし、彼らは人間をメインターゲットとしているわけではない、ということらしい。
でも、それは本当なのだろうか。不運さえ重ならなければ、魔族に襲われる心配はないと考えても大丈夫なのだろうか。
クレアはまだ不安だった。
「それに、魔族は夜行性なんだ。俺たちが魔石ハンティングに行くのは昼間の明るい時間帯で、魔族はぐっすり眠っているから、そもそもあいつらと遭遇すること自体が稀なんだよ。仮にうっかり魔族の巣穴に入ってしまっても、眠っているあいつらを起こさなければ何も問題はない」
魔族は日中、つまり、人間が活動する時間は眠っているのだという。ハンティングは昼に行われるため、魔族の活動時間と被ることはない。だから必要以上に身構えなくてもいい、と男は主張する。
「さらに、だ。なんと魔族は人の言葉を話せるのさ。ちゃんと話が通じるんだよ。中には物分かりのいい魔族もいるから、上手く交渉すれば見逃してくれることもある。実際、この俺も昔、ハンティングの最中に腹を空かせた魔族に出くわしたことがあったんだが、その時は夕飯用に仕留めたカモを持っていたんだ。このカモ肉をやるから見逃してくれ、と頼んだんだら、その魔族は納得してくれて、俺は無事に帰ってくることができた。そう、たとえ魔族が相手でも、話せば何とかなるものなのさ」
機転を利かせて魔族と交渉をすれば、生還できる可能性がある。なるほど。それはかなり重要な情報だ。参考にしよう。
クレアは気づかぬうちに、自分も魔石ハンティングに行くことを前提として男の話を聞いていたのだった。
警戒しつつも、すっかり乗り気になってしまっていた。
「ま、初心者は単独行動を避けるべきだろうな。しばらくの間はベテランのハンターに付いて回った方がいい。どういった場所によく魔石が落ちているのか、そういったことをじっくり研究しておくことだ」
「わ、わかった……」
「それで……だ。今回は特別に『魔石ハンティングマスター』であるこの俺が、お嬢ちゃんにレクチャーをしてやろうってわけよ」
男はキメ顔をした。クレアはそれを見て、純粋に「ウザいな」と思った。
だが、これはありがたい話だった。ベテランのハンターを探す手間が省けたのだから。
彼を完全に信用したわけではない。しかし、この状況ではこの男だけが頼りだ。利用されているだけかもしれないが、むしろこっちがこの男を利用してやるつもりでいよう。
「そういや、自己紹介がまだだったな。俺はガウス・ワトソンだ。魔石ハンティング歴十五年のベテランさ。よろしくな、お嬢ちゃん」
男の名はガウスというらしい。
かの有名な数学者と同じ名前だが、この男からは知性の欠片も感じられない。だが、悪人ではないように思われる。
「私はクレアだ。よろしく頼む」
こうして、クレアはガウスの魔石ハンティングに同行することになった。
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