誰か宛の日記
数日が経った。数ヶ月が経った。それとも、三年かそこらのような気もする。
実際にはそのくらいだろう。
それまでの俺は毎日家の中をくまなく掃除していた……そんな訳もなく。
詳細は省略するが、本当に色々な事があった。
きっと俺の人生の中で最も濃い数年に決まった事だろう。
全てを話せば長くなるから概略だけ述べさせてもらう。
もちろん、伝わらないことの方が多いのは承知だ。
結果から言えば、初めにこの世界へやってきて数ヶ月程経ち、土塊の人形である所の俺は死んだ。
唐突な死ではなかったが何せ数ヶ月の時を省略した。
俺は召喚されてからと言うもの、この世界で生計を立て元の世界へと戻る方法を模索していた、らしい。
ここで、特筆すべきことが三つある。
第一に、俺は一度記憶をどこかに落としてきたらしい。正確には広大な海の中に。
第二に、俺は記録上死んだが、どうやら生物としては死なずに元の世界へ帰った。
第三に、この世界では無意思の人形を改造することは犯罪だ。
次いで言えば、人間の魂付与は更に罪が重い。
元の世界と魔力の有無しの違いしかないこの世界で人類が存在している以上想像は容易いが、人類の統治する国家があった。そのヒト国家で元の世界での「警察」と呼ばれる立ち位置にあるのが、「ドール」と呼ばれる人形らしい。
正しくは俺が召喚された国ーージオルドなる独裁者の国では、だ。他国でドールが用いられたとは聞かない。人形は全てヒトの国の統治者ジオルドの厳正なる管理下に置かれている。
俺が召喚された最初の姿はゴーレム、即ち土塊の人形であった訳だからーー
迂遠な言い回しになったが破壊抹消処分である。
結果から言えばドールに追われる数ヶ月間の逃避行ののち、俺は死んだことになった。
しかしどうやら……ある人形のおかげで死を免れ、元居た人間の多い世界へ戻ったようである。
この辺の記憶はかなり曖昧だ。大海原で頭を打つ前の記憶は日記に頼るところが大きい。
したがって俺は記録上は元の世界に戻ったはずだが、なぜだか今もこの魔力だらけの世界に戻っている。
理由は不明だ。どうやらこのあたりで大いに頭を打ったと推察される。
この世界は魔力だらけだが酒癖が悪い奴も多い。
戦勝後の宴会中の酒場だからか。予期しない死角から肘鉄を飛ばしてくるし皿も飛んでくる。もうそろ紙が汚れそうだから色々と省いて大筋を
とにかく、俺は二度目にこの世界を訪れる際に肉体ごと転移をしてやって来たようだが、その時点で雑な転移によってしっかりと記憶を失ったようである。
隣の軽薄な男が記憶喪失なんてよくあることだと宣っているが触れないでおこう。この男に至っては……普段から頻繁に記憶を失っているから当てにならない。八千年経てばお前もそうなると言われれば成程ボケ老人である。容姿が子供なので余計にタチが悪い。
タチが悪いで次手に言えば、隣国、ジオルドのヒト国家を滅亡に追いやった概ねの元凶である天変地異男も同様だ。珍しく大人しいが、そのうち寝倉の龍の里に戻ってから祝賀会なのだろう。君も見たことがあるだろうけど、奴ら滑空のできる馬鹿でかい蜥蜴の群だ。食事が足りないと天変地異が暴れ出して第二の厄災にならないことを切に祈る。
現在地であるこの魔物の国は、ジオルドの統治する隣国のヒト国家によって侵略を受け戦争が起きた。この魔物の国はグラデーションのように南西へ進むほど魔物が増えていくから、野を焼き畑を焼かれた郷の多くは同じく人間の郷だ。この酒場の連中は、戦争の一部だった。俺もその中に入ってしまったことも、君は怒っているだろう。
戦争は終わり、侵略は終わり、この国が滅亡することもなく、山脈の更に北にある妖精の森も何やら騒動が起きていたが噂に聞くと終息したようだ。ジオルドの戦争の件の詳細は⬛︎に記録しておく。(追記:予想以上に争いの火種になっているので海に放り投げることにする。)
どうして俺がこのことを書き記しているのかと言えば、半分は日記のようなものである。
以前の記憶を失っている俺がなぜ一度目にこの世界を訪れたということを説明できるのかというと、それはこの日記を俺にくれた誰かがいたからに他ならない。二度目の転移場所は魔物の国の海だったから、この日記をくれた誰かが居なければ自分の名前もわからないままだっただろう。
半分は日記であると書いたが、もう半分はその誰かへ宛てている。
元の世界に戻る方法は存在するようだが、それはしなかった。
元の世界に戻ることも、肉体の有る無しも、人間との関係も、記憶のない現在の俺には今のこの場所とあまり変わらない。記憶を失う前にいた家族のことも、友人のことも、今は忘れてしまった。
俺がここにあることが自分であることの証明だ。
隣にいる記憶をほいほいとなくす男がこれを覗き込もうとしているから、今日はここまでにしよう。
ああそれと、もう一つだけ忘れないうちに記しておく。
いつかこれを読むだろうこの日記をくれた君に。
君はまた怒るだろうけれど、本当は君のことは覚えていた。
日記を始めた時のことも、君の顔も。
ありがとう。
魔工具が大好きな君だからすぐに夢中になるけれど、どうか体を壊さぬよう。
願わくば、君の魔工の鳥たちがいつまでも自由であるよう。
それとよければ、怒った君がいつ笑ってくれるのか教えてくれ。
他にも言いたいことはあるけれど、それは今度にしよう。
また、いつか。
***
ぼんやりと薄暗く硬い石造りの工房にキリキリと魔鋼の軋む音が響く。
穴の空いた廊下から吹き流す風がバラバラの崩れた文字をめくった。
そのまま吹き抜けた風は陽光が差し込む窓枠から名残惜しく軒先を巡って過ぎていく。
過ぎた風は戻ってこない。
飛んでいく土塊の鳥もきっと帰らない。
静かな寂れた城下街では土塊の鳥が今日も空を舞っている。