猫と鋼鉄
青ざめて尋常ではない様子のリトは、暫く俯いて考え込んでいたようだったが、やがて顔を上げてぎこちない笑顔を見せた。
「……ごめん。僕は全く関係の無い君を巻き込んでしまったみたいだね」
それから、座り込んだ俺に合わせて屈んでいたリトは左胸に手を当てて膝をつき、深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
「い、いや、謝らないでくれ!そこまで気にしてないし、故意じゃないなら構わないから」
実際は結構心にきていた所だが、引きずっていても仕方ない。一旦忘れよう。
俺としては元の世界に戻れるかどうかが重要だ。帰れるならばまだチャンスはあるが、帰れない場合は諦めてこっちの世界で生きるしかない。
「それよりも、俺は元の世界に帰れるのか?」
そっと顔を上げたリトは、更に申し訳なさそうな表情になった。茶色の瞳が今にも泣きだしそうな程に揺れている。
その反応だけで、答えは明確だった。
「そう、か。まぁ仕方ない」
俺はなるべく何でもない素振りで笑顔をつくると、立ち上がってリトに手を差し出した。
これ以上泣き出しそうな彼女を傷つける訳にもいかない。自己犠牲精神はないが、それなりの良心はある。
それならそれで、生きる術を探しさえすれば良いのだ。幸いリトの協力も少しは得られるだろう。生き甲斐と仕事を両立させる方法なんて幾らでもある。
絵さえ描けていれば俺は生きていける。
ーー突然居なくなって、両親や大学の方には迷惑がかかっているだろうなぁ……。
元の世界がどうなっているのか分からないが、散々苦労を掛けておいて恩を返す間もなく、いざと言う時になって失踪してしまうとは思わなかった。
「ありがとう。いつか必ず、君を元の世界に返せる手段を見つけるよ」
「はは…期待しとくよ」
リトが手をとって立ち上がる。
その目には強い決意が漲っているように思えた。キラリと光って俺を見据える。最初の時のようなふんわりとした緩い雰囲気ではなく、鋭く堅い、金属のような眼差しで。
「必ず。約束するよ」
亜麻色の髪の少女は、はっきりとそう宣言したのだった。
*******
俺がいるこの物置のような部屋は、リトの研究室兼製作所であったらしく、丁度知人から譲り受けた試験用ゴーレムの素体を起動したらしい。
その際に、ちょっとした興味から起動用の魔法陣を少し弄ったそうで、それが召喚の原因ではないかとリトは推測していた。
俺が「異世界召喚」と言うと、リトは「正確には君の認識と少し違うと思うんだよ」と眉を寄せた。
魔力とか魔法とかそこら辺のことはよく分からなかったが、どうやらゴーレムの肉体に俺の精神が乗り移っている状態らしい。要は、召喚されて身体がゴーレムに変わったとかではなく、元の世界から精神だけ召喚されたということだ。
つまり、魂だけ抜き取られた元の俺の肉体は、そのまま消える訳もなく、植物人間状態なのである。
「はぁ……」
今まで我慢していたものの、遂に溜息が漏れる。
両親がどのような判断を下すか分からないが、早めに帰らないと最悪、元の世界の肉体の方が先に死んでしまう。
ーー脳死状態って確か、家族でもドナーを承諾出来るようになったんだったか。
家族が思い切らないことを祈ろう。「生きていても不幸なだけだ」と言い出しそうな気がする。特に父親の方が。
リトの父親は魔工師という職業に就いているらしい。リトの家はその工房と繋がっているようで、魔工具という、元の世界で言う所の家電みたいなものを造っているそうだ。最初にリトの研究室で見た奇妙なガラクタは、その魔工具だったようだ。
工房の中には大きな釜があり、赤く燃える炎が工房全体を照らしていた。時折、釜の中で青やら緑の炎が散る。
リトは父親と少し話し込んだ後、俺に紹介してくれた。彼の名前はレトル。寡黙な職人気質の男といった感じで、彼も俺に頭を下げた。気にしていないと伝えたが、結構重苦しい空気が流れていた。
ーーそんなに深刻な事なのか?確かに最初はショックだったが……。
それから、リトが家の中を案内してくれた。と言っても既に訪れた部屋を除けば、客間と台所と倉庫の3部屋だけだった。
レトルの店の方も見たいと言ってみたのだが、それは断られてしまった。リト曰く「もう暫く経ってから案内するよ」ということらしい。出来れば外出もしないで欲しいとの事だ。折角異世界に来たのに外にも出られないとは、と思ったのだが、リトの懇願する様な顔に負けた。
どうも俺は、彼女の泣きそうな顔に弱い気がする。