ジャムパンと月
復活します詐欺しましたが、こんな感じに時々のんびり戻ってきます。
サワサワサワ、ショウショウショウ、繰り返し繰り返し遠く近く音がする。
まどろみのようなたゆたう重い意識のなか、耳元で聞こえるそれらのはっきりしない音に、少しずつ意識が鮮明になる。
ああ、私は寝ているんだな、と他人事のように思いながら、小降りの雨の音に癒されていた。
私は平屋の赤茶けた錆びたトタン屋根が独特の匂いを放つ、長屋の六つ連なる中の左はじの家で生まれた。
そこにはそんな長屋が5つほどつらなっていた。
昼も薄暗く最初の記憶は安い日本酒のひどい匂いだったのを覚えている。
いつも母と二人だった。
時々くる父親だという男がくると母とはいつも大喧嘩になり、母は最後には殴られて静かに泣き出し、怒鳴って出て行く父があけっぱなしにしたままの引き戸を憎しみのこもった目でにらんでいた。
「あのくそ女のとこにいってんだ、畜生、畜生・・・」
ぶつぶついってるその母をぼうっと見つめる私に気がつくと、今度は私を憎々しげに睨みつけ「何見てんだ!このガキが!お前が生まれてこなきゃ、あたしだってもっとましに稼げてたんだ!あの女よりあたしの方が店でも売れてたんだ、この疫病神が!」
そう言ってヨロヨロと立ち上がって私を殴ろうとすごい形相で向かってくる。
もっと小さいときはそんな母に抵抗できずそのまま殴られたりしたけれど、もうじき六歳になる私はそのまま裸足で家を飛び出し逃げる事を覚えた。
あの怒りももうじき飲みだすお酒で酔いつぶれて終わる事を私はものごころのついた時から知っているから。
私が小学生三年生になる頃には母はアルコール中毒がひどくなり、とても私にとって危険な存在になっていた。
夜普通に無防備に寝ているものなら、お酒で酔ったままの勢いでわけもわからない事で怒り出しながら、ぼけっと寝ている所を急に蹴飛ばされたり、髪をつかんで怒鳴りながら引きずりまわされたりする。
最近は刃物も持ち出し脅してくるからたまらない。
父はもとより家にはよりつかず、どこかの家で隠れて行われる花札か「ちんちろりん」と呼ばれるどんぶりの中にサイコロを入れてお金をかける賭場にほとんどいて、お金がなくなれば金目のものを探しにくるだけがこの家にくる理由だった。
まだまともだった時の母に連れられそんな父を普通の民家の二階で開かれている賭場まで何度迎えにいっただろう。
あの陶器のどんぶりの中でふるわれるサイコロの軽やかな高い音と、賭場にいる男や女のひどく重たい視線との落差、外の明るい太陽と室内のあの独特の暗さ、匂い、あそこもまた異空間だったのだろう、私の家と同じで。
集められるだけのお金を工面し迎えにいった私たち母子に向けられる無機質の視線やたまに父と一緒にいる女からの嘲りの視線を覚えている。
私達どんぞこ長屋の住人に向けられる、町の住民からの排他的な視線もまた覚えてる。
家には帰っても大丈夫な時とあぶない時を気配で察知して、私は母と暮らしていた。
その時はむっとする酒の匂いと母の怨嗟まじりのつぶやきに、まだ真新しいランドセルを家のそばに隠し、いつものようにふらふらしていると、とてもかわいい白い犬を連れたおばさんと出会った。
とても人懐こいその犬が私のそばにシッポを振ってよろうとしたら、おばさんは顔をしかめ「タロウ、だめ!汚いでしょ!」そういって私から犬を遠ざけた。
その時私は自分は飼い犬より汚い事を知りお金がない事でも普通の人とは区別される事を知った。
いまどき人身売買など、この日本にはないと思ってる人がほとんどだろうけど、名前を変えただけのそれは薄暗い場所や貧しい場所にいくらでも名前を変え転がっていた。
母が家の外でも騒ぐようになり精神病院に措置入院されてから、私は名目上ここで父親と暮らしている事になっていた。
福祉のお金で暮らしていたらしいのもそこで聞いて初めて知った。
一人でいる私は見よう見真似で洗濯を覚え、ごしごし石鹸をつけて洗うとこんなに綺麗な服を着れるんだと喜んだ。
そして初めて私を避ける学校の人達や町の人達の気持ちがわかった。
いつも汚いままで匂っていたのだとここで初めて気がついた。
「知らない事はこわい事」なんだなあ、と私はしみじみ思った。
石鹸で洋服も自分も洗うようになったのに、まだまだ誰も私を見ようともしないし、相変わらず嫌な視線を向けてくる。
きっともっと「知らない」ことがたくさんあるのだと思った。
一人で暮らして学校給食のない日を二回すごした頃、学校給食は天国だからしっかり覚えていた。
父が私の弟だと私と同じくらいに見える男の子を連れてきて、私に面倒を見ろと置いていった。
全然しゃべらないその子に小学三年の私に何ができるだろう。
私もまた誰かに世話をされたことなどないので、何をどうしたらいいかまるでわからない。
えりの破れた色もわからないシャツに大きすぎる半ズボンをひもでぎゅっと縛った格好の男の子と、同じように裾の破けたワンピースの私と二人だけが、古ぼけた平屋のトタン屋根の家に残された。
顔をうつむけたままの子と表情を出す事を知らない私というトンチンカンな組み合わせの子供たちはどれだけの時間ぼうっとしていただろう。
時間というのは、普通に生きている人間の中で動いているもので、私たちのように何か取り残された人間には意味がない。
そんな私たちの何も動かない時間をすすめたのは、大きな犬の鳴き声だった。
私のそばにより、私の手を舐め、うつむいたままの男の子の匂いを熱心にかぎ体をよせ、その反動で男の子は少しよろけ驚いて目をみはった。
そこではじめて私たちは目を合わせた。
そこにあらわれた大きな犬はここらあたりを縄張りにする野犬で、元は狩猟用に飼われていたのを次の狩猟シーズンまでの世話を嫌がった飼い主に捨てられたという噂の大きな犬だった。
出会いは私がもっと小さい頃、母が酒に酔って、ああ、これは殴られるなと察した私が裏山の雑木林にそっと逃げ出したときに初めてそこで出会った犬だ。
母方の祖母が一緒に暮らしてる叔父さんには内緒で、うちによっては隠れてお米やパン、たまに現金を置いていってくれて、そんな時は母は機嫌がよく私にもお菓子をくれた。
けれど待っていた父がそのお金だけを取ってすぐにいなくなると、いつもよりひどくお酒を飲んで怒り出す。
祖母は私を見るたび「なんてかわいげがない子だろう。笑いもしなきゃ泣きもしない。あのろくでなしの血だ」とぶつぶつ言って嫌な目で見てくるので、私はその時もいろいろ考えてお菓子をありがとうと言いたかったけれど、普段声を出す事がほとんどないので、すぐには声がでなくてその時も結局外に逃げる事になった。
その逃げた雑木林で出会った自分より大きい犬に私はただ驚いてぼうっと立っていただけだった。
そんな私に犬は近づきたくさん匂いを嗅いできた。
その犬とはそれからもたびたび遭遇し、いつのまにか私が静かに座って、その犬が近くで寝そべっていたりするのが普通になった。
母が静かに狂っていく中、私は家にいることもできず、かといって小学校のクラスは居心地も悪く、私にとって学校は図書室と給食という天国のために通う場所になっていた。
いじめもさんざん学校でやられたけど、母と父の暴力に慣れている私には何でもなかった。
そんな日々の繰り返しの中、いつもの学校帰り、意味不明のことを外の通りでわめき、聞いているのも醜い言葉で暴れる母を遠巻きに眺める人のあの切り捨てる視線と、かけつけた警察官に無理やり連れていかれる母を見た。
他にも白衣をきた人がいて、ああ、母とはこれでお別れなんだと理解した。
連れていかれるのを嫌がり暴れる母と、なぜその時目があったのかはわからない。
母は「お前かあ!お前が呼んだのかあ!お前・・・」叫び続ける母の怨嗟の声を浴びながら私は思わず駆け出した。
隠れるようにランドセルのまま、雑木林に逃げ込んだ。
いつものことだ、いつもの・・・けれど私は泣いていたらしい。
冷たい何かが私の顔にあたる感触にそれがあの犬の舌で、その舌が舐めているのが私の涙だと知ったから。
親というのはすごい。
それほど親としての接触はないのに、いつも逃げてるのに、いなくなるというとこうして私は泣いている、恋しくて泣いている。
胸のなかがぎゅっと絞られるように苦しく悲しい。
遠い昔、母が貰ったと言う着物をきて恥ずかしそうにはにかみ、父と一緒に食事に町の食堂にいったのをおぼろげながら覚えている。
母に手を引かれ途中で抱っこされたんだ。
父がカツ丼で母が親子丼、本当に小さな私はプラスチックの小さなコップのきれいな色に見ほれていたのを覚えている。
ああいう時間も確かにあったんだ、今思い出した。
どうして大人は笑えなくなるんだろう、優しい時間は消えていくんだろう。
私は犬に抱きつきたくさん泣いて、それから私と犬はよく一緒にいるようになった。
この犬はどうやら私を自分が面倒みるべき小さいの、と認識してる気がする。
いつのまにやら家の中に一緒に入り込み、母のいなくなったこの家で共に過ごすようになった。
役所の福祉の人がくる時以外、父もこの家に近寄らないし、父は家に上がりこんでいる犬を見ても何も言わない。
きっと父にとって関心がないのでいるのに見えないのと同じなんだろう。
その父が突然おいていった男の子と私は犬がワフワフしてからむので、何となくぎこちなく動き出し一緒に部屋にあがりそのまま一緒に過ごしだした。
少しずつ少しずつ男の子はこの私と犬との生活になれ、近所のお店で菓子パンを買うこともできるようになり、犬に対しては笑顔を見せるようにもなった。
犬にはお互い話しかけ遊びはするものの、私と連れてこられた男の子は話すことはなく、ただ目で会話するというか、そうなんだろうなあ、って雰囲気でお互いのコミュニケーションをとり一緒に暮らしはじめていた。
あれはあの子がきてしばらくたった頃だった。
あまりにひどい大雨の時があり、夜眠れなくてひどすぎる大きな風や雨の音におびえていると、同じようにおびえるその子を自然と抱き寄せ二人闇の外をそっと見ていた。
その時はじめてお互いの体温を感じ、その子もまた、私同様に自分以外の体温の安らかさをはじめて知ったようだった。
じっとしていると闇に目が慣れ、私たちのすぐそばに犬が静かに座り、外にその目と耳を向けているのが見えた。
その少し茶色い目が闇の中だと赤く光り、何か泰然と落ち着いてあるさまに、私は言葉こそ話せはしないが、この犬のありようの凄さを感じた。
なぜか犬の邪魔をしてはいけないと思い静かに二人と一匹その闇にじっとしていた。
やっとお互い会話をぎこちなくするようになり、自分の名前は覚えていないと言うので私の名前がみどりだからキイロと呼ぶねと私が決めた。
お菓子のおまけで覚えた戦隊みたいだと二人で笑い、笑うと夕飯の菓子パンがもっとおいしくなる事を知り、大人のめったにこないここでの暮らしは二人と一匹とても幸せなものになった。
春にキイロも小学校にあがる、私も役所からランドセルをもらえたのでキイロももらえるだろうと私がキイロに話すまでは。
キイロは私が小学校にいっている間、犬と二人きりだ。
犬も何やら忙しいようで、いつも家にはいるとは限らない。
父がこの家にくる日、役所の福祉の人がくる日に、いつも私は小学校だし、キイロも家にはいるなといわれてるのでいつもは外をプラプラしているのだけど、この日は違った。
キイロは隠れていて、役所の人が出てくるのを待って「ランドセルはいつもらえるの」とその人に聞いた。
それからはあっという間だった。
キイロは戸籍というものがない子供で、父の一番新しい女の人の子供で、父親はアジアの人だと言う。
キイロは私が小学校から帰る前にいなくなっていた。
はじめはそんなことも知らなくて、急にいなくなったキイロを探して、探して探し歩いた。
探し始めて三日目にいつも菓子パンを買うお店に行った時、おばちゃんが教えてくれた。
ちゃんとした施設って何だろう?ここだってちゃんとしてる。
朝と夜は菓子パンだけど、お金が少ないときは食パンだけど、休みの日以外はおいしい給食だって私は毎日食べてる。
ああ、でもキイロは昼も菓子パンで夜私が隠して持って帰るリスのマーガリンとか果物しか給食は食べてない。
だから施設に連れていかれたんだ。
おかずも何とか持って帰れば良かった。
ちゃんとした施設には犬みたいなのがいるのかな。
一緒に怖い夜に抱き合って眠れる仲間がいるのかな。
探検するときいつもおそろいで持つようになった棒を持っていってないけど大丈夫なのかな。
いくつもいくつもいろんなことが思い浮かんでは消えていく。
キイロ、キイロ、キイロ。
私はさびしいという感情をはじめて知ったよ。
そして中学2年の夏には犬が帰ってこなくなった。
夏休みはほとんど犬を探し待ち続けた。
ずっとずっと待ち続けた。
犬は目が白っぽくなって、鼻もきかなくなっていた。
菓子パンを買うお店のおばちゃんが、毎日のようにさまよい歩く私に、賢い生き物は死ぬ時には身を隠すんだよ、と教えてくれた。
ほら、とお金はいらないとジャムぱんをくれたおばちゃんが、牛乳代はもらうよ、とイヒヒと笑った。
いつもおばちゃんが教えてくれた。
キイロのときも犬のときも。
そして中学卒業もまじかのあの日も。
夕飯に菓子パンを買いにいくと、珍しくおばちゃんが腕を組んで難しい顔をしてた。
周りの様子をうかがって、私を手招きして「あんたの父ちゃん、ここ二日ばかりあんたがいないときもちょこちょこ来てんだよ。うさんくさい奴等と一緒にさ」
「今日、煙草を買いに来たやつが電話でしゃべってんの聞いちまってさ、あんた中学校でたら北海道に働きにいくっていってただろ、酪農の手伝いしながら夜間の高校にも通うってさ」
「それはあのろくでなしが言い出したのかい?それだったら逃げな、あいつらあんたを北海道は北海道でも、繁華街の風俗でこっそり働かせるつもりだよ。年は化粧でごまかせばいいやら、特別な客に18までは回してその後は・・・なんて話してたよ」
「こっちが年寄りで、あいつらなんて客だと思わずに、聞こえないふりして相手してたからね、来られるのが嫌でさ、ましてあたしがあんたの進路聞いてるとは知らないでさ」
「あんたはうちのパン食って大きくなったんだ、あいつらに食い物にさせるために食わせたわけじゃないよ」
そう言ってプリプリ怒ってる、え?私って育てられたんだ、と思い、話を聞いて怖くなってたのに、何かすとん、と力が抜けた。
私は中学校を出たら近くの工場で就職するつもりでいた。
けれど珍しく父がきて「北海道の知り合いが、このご時勢だ、高校くらい出させてやれよと言われてなあ、そこでよければ住み込みで働きながら高校にいかせてやると言われたから、お前いくよな」
と言われ、牛や馬の世話という言葉にひかれて、私はその話を承諾していた。
私の頭はぐるぐるとしてはいたが、震えることはなかった。
おばちゃんの言うとおり逃げればいいだけだ、そ知らぬふりで。
父とはめったに会うことはないから大丈夫、中学校の図書館にぎりぎりまでいて、生きる方法を調べられるまで調べよう。
お金は食費でもらう分をため、朝ごはんは抜いた。
今月はいつもより多くくれたので手元には二万近くある。
初めて殴られず貰えたお金だとその時気がついた。
卒業式の朝、お店のおばちゃんのところで最後の菓子パンを食べた。
おばちゃんがジャムパンを三つも袋にいれてサービスだとくれた。
明日は北海道にいく予定で切符も父からもらった。
親切な北海道の雇い主さんから頼まれた人が心細いだろうと迎えにくると上機嫌に父が来て告げていた。
いよいよ逃げる時がきた。
京都のパン屋のおばちゃんの知り合いの和裁屋さんに修行に出られることになっていた。
今どきなかなか見つからないとぼやいてたので、あんた、渡りに舟とはこのことだとおばちゃんはやはりイヒヒと笑った。
そう私に安心しな大丈夫だと言ってすぐに話しをつけてくれていた。
住み込みで食事つき、給料はないけどそこでみっちり修行をつめば独立もある。
住民票も隠していいそうだ。
思えばこのパン屋のおばちゃんは、ぶっきらぼうだけど、周囲の人と違ってちゃんとパンも買わせてくれたし、汚い臭い私が店に入っても何も言わなかった。
私はジャムパンを大事に抱えそのままなけなしのお金で京都に向かった。
普通席に制服で座り、つい父達に感づかれたんじゃないかとビクビクしながら、小さく身を潜めやっとの思いで京都駅についた。
迎えの和裁の先生を待っていた時だった。
制服のポケットから駅の椅子に座った時に固い感触がした。
さっきまでは、緊張と恐怖で何も感じられなかったが感覚が戻ってきていた。
私が育った家から逃げ出した時持ってきたのはキイロが自分ではじめて自分のものを持った記念だと大事にしていたマジックで一生懸命覚えた片仮名のつたないキイロのサインいりのドロップの缶だけ、しかもキとイの棒の線が逆向きのやつ。
中身は犬がいなくなった時拾い集めた犬の抜け毛がつめられるだけ入ってる、私の宝物だった。
ぎゅっとその宝物の感触を手で触れて、少し神経質そうな和裁の先生が迎えにきてくれるまでそれを必死に感じていた。
私がやっとジャムパンに意識を向けたのは私の部屋だと案内された小さな、けれど今まで私がいたあの家とは比べる事もおこがましい綺麗に片付けられた和室に通された時だった。
つめていた息をやっとゆるめ、緊張と恐怖で何も口にしていなかった私は、やっと京都まで茶色い袋のまま持ち込んだその袋をあけた。
いつものメーカーのジャムパン、けれどパン屋のおばちゃんが最後に持ってけとくれたそれ。
一つだけ宝石のように思えるジャムパンを取り出した時、それが底に見えた。
三つに折りたたまれた一万円札だった。
その瞬間私は号泣した。
おばちゃんのくれた優しさに、ただただ号泣した。
その後びっくりして駆けつけてくれたお師匠さんに、私は優しく頭を撫でられた。
そこから私は生きていくために努力した。
20才をとうに過ぎたころ、綺麗な着物や帯のはぎれで趣味で作ったタペストリーなどの小物がバイヤーさんの目にとまり、それが縁で小さな創作小物の店を開くことができた。
ブックカバーやしおり、鈴を入れたチャームなど嬉しいことに売れ続け、店舗が二つほどにふえ、私はやっと周りを見る余裕もできた。
たくさんは作れないけど、私だけじゃなく数人の確かな技術の人をやとい、綺麗なはぎれで季節ごとの小物やタペストリーを作るなか、私はふと故郷を思った。
私の店の袋にはあの犬のイラストを使っている。
丸まる犬とその上にはキイロをイメージした子供がよりかかるイラスト。
それを見守る優しいハーフムーンのお月さま。
あのパン屋のおばちゃんの顔を模したお月さまの手には美味しそうなジャムパンがある。
読んでくださりありがとうございます。