第92話 この世で一人の君
そして数日後、真央は由子と喫茶店で待ち合わせする。
文弥と新しい部屋を探したので、由子にだけ連絡するつもりだった。
『真央、元気にしてたの?』
にこやかに笑う由子。
『ええ、私、一人暮らしする部屋も見つけたの。卒業までそこにいるわ。
おばあちゃん、私の荷物送ってくれる。』
『いいけど…、でも、真央がいないと寂しいわ。帰って来たら?』
『ううん、それはできない。ママと顔をあわせたくないの。』
真央は頑なに首をふる。
由子は時間をおくしかないかと諦めた。
『それより、真央、話があるの。』
『なに?』
『あなたに妹か弟が出来るのよ。』
『…?!』
『でも涼子具合悪くて、今、病院に入院してるの。』
『…』
『中央病院よ。よかったら見舞いに行ってあげて。』
『…』
真央は黙り込むが、由子は早く仲直りして欲しいと願うしかなかった。
そして話を変えるためか、思い出し笑いのように笑う。
『あのさ、真央、もう夕貴さん、うちで暮らしてるのよ。今のマンションじゃ
病院から遠いからって。いつのまにか荷物も増えちゃって・・。あの人
あんな顔して、意外に厚かましいのよね。それに・・』
『それに・・?』
『夕貴さん、料理上手なのよ。もう、私、すっかり餌付けされちゃったみたい。
真央もうちに帰って来なよ〜。美味しいわよ。』
『ハハハ…おばあちゃん、楽出来るね。』
真央は苦笑いするしかなかった。でも、無性に寂しい。
(おばあちゃん、楽しそうね・・私がいなくても全然平気そう・・)
ただ疎外感にさいなまれる真央だった。
日が経つにつれ、移動のショックが和らいだ涼子。
新しい部署の編集長が早速見舞いに来てくれたのもある。
涼子の2年先輩の安藤で、敏腕編集長。尊敬できる人物だった。
そして夕貴の献身的な看護で、新しい命を宿した喜びもわいてきた。
『ねえ、涼子さん。子供の名前どうする?』
夕貴はにこやかに笑う。
『ええ?気が早いのね〜。』
『俺にいい案があんの。任せてくれる?』
『そうね。あなた、作家だもん、素敵な名前考えてね。』
『へ~ッ、何気にプレッシャーかけるな。』
『アハハ。』
涼子の華やかな笑い声が外にまで聞こえていた。
(ママも幸せそう・・私なんかいなくても全然平気なのね。やっぱり・・)
廊下にたたずむ真央。
中には入るつもりはなかったが、夕貴の姿が見えた。
(あんなに会いたかった夕貴さん、手が届くのに・・届かない。)
そう思うと、胸がしめつけられる。
ひっそりとその場を離れた。
その夜、文弥が真央の部屋に来た。
文弥の家の近所、学校にもそう遠くないワンルームマンション。
備え付けの家具があるだけの殺風景な部屋で、真央は元気がなかった。
文弥の顔を見ると、手を握りしめて言う。
『この世で、私を必要としてくれてるのは文弥だけね。』
『真央、どうしたん?おかしいで・・』
『ううん、寂しかったの。とても。』
『真央・・俺だけはいつもそばにおる。』
文弥はただ真央を抱きしめるしかなかった。