第82話 嵐の前に
夕貴の作品の受賞は、
新聞に小さな記事で掲載された。
涼子と今井美帆以外にその事に気づいたのは修平。
鮫島嘉雄の秘書の見習いになったので、新聞を読むことが日課になっていた。
仕事で接するのも様々な業種の人が多く、修平にとっては
刺激の多い毎日だった。その分常に精進あるのみと思っている。
もし以前のピアニストの彼だったら、まだ気づかなかったかもしれない。
(桜居夕貴?どこかで聞いたことがある・・・もしかしたら・・)
真央の部屋で見た絵画のモデルの男性かも?と思った。
しかし、人違いかもしれない。
いや、だとしても今の自分は、あれこれ言う立場にない。
(もしそうでも、オレには関係ない。でも・・・何か気になる・・)
そう修平が考えていると、由衣が後ろで呼ぶ。
『修平さん、会議が始まるわよ。資料まだかって呼んでる~。』
『はい、ただいまお持ちします。』
由衣は美大に復学するが授業が終わると、父親の事務所に日参するようになった。
修平の仕事の手伝いをするのが嬉しくてならないようだ。
そばにきた由衣は修平の背広のポケットのチェックまでする。
修平本人も知らぬ間に、新聞・雑誌記者の名刺が入れ込まれていた。
中には携帯電話を書いた女性記者の名詞も多数ある。
『修平さん、ワキ甘過ぎ~!!』と怒る由衣に、
現実に引き戻された修平は慌ただしく会議室に走っていった。
その頃、
涼子は、夕貴の記事を切り抜きスクラップしてため息。
新聞によっては顔写真まで載っていた。
真央に見られぬよう、居間にあった新聞を慌てて隠したくらいだ。
(ああ、これからどうなるのかしら・・・)
真央の顔を浮かべると目眩がしそうだ。
せっかく失恋の痛手から立ち直りつつある真央にどう言えばいい?
それしか思い浮かばない涼子だった。
夕貴の受賞作品『ダブル』
主人公は一見平凡なサラリーマン。ある日、妻だと名乗る女性の出現で
大きく運命が動き出す。彼には一緒に住む別の妻がいた。
実は、親の遺産をついだ放蕩息子だった主人公。教祖が亡くなったある宗教団体を
買うハメになる。
その教団の巫女と深い関係になり、彼女の連れ子を虐待死させた男は
死体を遺棄する途中に、巫女の女ともめて、女も殺害してしまう。
逃げる途中に事故を起こし、記憶喪失になっていたのだ。
作家の今井美帆はこう評す。
『夕貴って、あんな顔して、結構イヤな男かもよ。』と。
純文学なみに流麗な文章なのに、中身はエグイと評判。
でも覚えていない過去に脅かされる男の胸中を見事に描いたと
高く評価された。
涼子の思惑など無視で、夕貴の才能は一気に花開くのだった。




