第73話 愛、追いかけて
ほんの数日前、由衣はまだ東京にいた。
『パパ、お願いがあるの。』
『今度は何だ…?』
久々に居間で、新聞を読んでいた父親に話し掛ける由衣。
彼女が小学校高学年の頃、両親が離婚。
始めは母親について行った由衣。
しかし母親が再婚した時から、継父とうまくいかず、父親のもとに帰って来た。
父親が多忙な為、寂しさも手伝い、
一時生活も荒れていた由衣を溺愛する父親の嘉雄。
『ねえ、パパ、大学休んでもいい?』
『え?美大にはいったばかりだろ?もうイヤになったのか?』
『ううん、学校を休学して、長野県に行きたいの。』
『長野?また何で・・・』
『彼が、実家に帰ったのよ。リハビリを始める為よ。』
『彼?ああ、例のお前が事故を起こした被害者の男か?』
『そう、私には責任があるの。追いかけて、彼を見守りたいの。』
父親の嘉雄はいぶかしげに見る。
そして娘の顔を見て、うすら笑う。
『お前、惚れたか?いい男らしいな。ピアノを弾いてたんだろ?』
『うん、私のせいで、彼の人生台無しにしたのを償いたいの。』
『ふ~ん、手もよく動かん男につくしてどうなる?弁護士や
保険会社に任せておけばいいだろ?由衣が行ってしまうと、パパは寂しいよ。』
世間では強面で近寄りがたい印象なのに、娘の前では普通の父親。
甘える娘には弱い。
『ねえ、パパ、彼はきっとパパの役にたつと思うわ。』
『えらい、力のいれようだな・・わかった。勝手にしなさい。』
由衣には確信があった。修平は普通の人生で満足する男ではない。
ピアニストとしての人生が終わったとしても、このまま埋もれてしまう
のには惜しい。
(その為にも、彼には私が必要なの・・)
結局、真央は何の役にも立たない・・・そう思うと腹のそこから優越感と
笑みがこぼれてしまいそうになるのを感じる由衣だった。
それからの行動は早かった。
修平が通うであろう病院をつきとめ、その近所にワンルームマンションを借りる。
そしてコンビニでバイトするのも速攻に決めた。
その日から朝修平が診察に通う時間帯に出勤し、帰る時間帯には、
駐車場を掃除し、修平が乗るバスを見送る毎日を続ける。
ただ黙々とそんな日々を続けた。
父親からの仕送りも断り、赤い縁メガネ、束ねた髪、地味で質素な生活。
でも、由衣は充実していた。
(今朝は修平さん、挨拶に答えてくれた。嬉しい~~。)
そんなことさえ喜びになる。
由衣の懸命に働く姿に、最初はただ不審に思っていた修平も
日が経つにつれて、心を開くようになる。
ただ待つしかしなかった真央が知らぬ間に、
由衣は着々と修平に接近していった。