第71話 だんだんあなたが遠くなる
『真央、菊ちゃん、昨日退院して、うちに挨拶に来たの。真央には何か連絡あった?』
学校で、不意に波留が言った。
美大を目指していたのに受験できず、結局不本意ながら波留と同じ大学の看護科に
進んだ真央。
涼子も学費がかさむ美大受験を断念したのを喜んでいたのだ。
でも、今となったら波留がそばにいてくれて心強いとさえ思う。
そして素晴らしい教授や友人に巡り会えたことも真央にとって救いだった。
『え?知らない、私には何も言ってくれないわ。』
真央はそう不満そうにと言うより、心細そうな顔をする。
でも、波留は昨日家に来た修平の様子から、それも仕方ないと思う。
修平は、退院と同時に正式に波留の父親の楽団を辞める。
波留も家にいたので、同席した。
久々に見た修平はやつれて、あの自信に溢れていた頃の修平とは
別人のようだった。山野は愛弟子の修平に
『籍だけは置いておいたらいいのに・・また復帰すればいい。』
と言うが、修平はきっぱりと言った。
『先生、気休めはやめてください。そんなの無理だってこと、
先生が一番わかってるはずです。』
そう言うと、山野は返す言葉がなかった。
現にもう修平の後任はいくらでもいるからだ。
誰かが墜ちたら、誰かにチャンスが巡ってくる。修平は痛いほどわかっていた。
思うように動かない手と同じように、修平の心も頑なに閉ざしている
ように、波留には思えた。
日々食事をする、着替えをする最小限の事をするのがやっとの様子。
真央に電話する、手紙を書く事もままならないだろう。
携帯は破損して、番号もわからないのもあるはずだと波留は同情した。
(連絡したくとも出来ない、こんな自分を見せたくない)
修平の気持ちは痛いほどわかった。
帰ろうとする修平を、波留は引き留め、自分の部屋に誘った。
(よく一緒に遊んだよね、寂しくなるよ、菊ちゃんがいなくなると・・・)
そんな気持ちだった。
『ねえ、これからどうするの?』
『ああ、家に帰る。失業しちゃうわけだし・・。リハビリして、それから考えるよ。』
『真央とはどうするの?』
『・・・わからない。正直、真央どころじゃないんだ。オレ。』
『なに、それ?真央、可愛そうじゃない。』
『・・・仕方ない。うちのお袋も散々真央を傷つけるようなこと言っちゃったし、
母親にそう言わせて、ひっこんでたオレにきっと幻滅してる。』
『きっと、真央だって、わかってるよ。会いに行けば?』
『・・・・』
『それとも真央のこと、嫌いになった?』
『・・・嫌いなら、こんなに苦しんだりしない。』
修平はそう言うと、素っ気なく帰っていった。
山野と切れたら、波留とも縁が切れる。そう感じる波留だった。




