第70話 火がついた感情
鮫島由衣は最近またリストカットをしてしまう。
長袖でかくれてはいたが、その傷はまるで線路のようにか細い腕に
刻まれていた。
事故のあの日、車をぶつけた相手が、修平と知ったときの驚きは
一生忘れない。
可愛がっていた後輩の彼だから諦めていた相手なのだ。
必死で修平を車から救いだし、自らも血だらけになって救急車を呼ぶ。
気を失った修平を抱きながら、泣いていた。
そして、父親の秘書の塩崎に連絡したのだ。
『由衣です。事故を起こしてしまいました。またパパに迷惑をかけてしまう、ごめんなさい。』
『お嬢様、すぐ私が行きますから、また病院を教えてください。』
塩崎は由衣が小さいときから父に仕えていた忠誠の秘書。
もう1人父がいるように甘えて、ずいぶん不始末を頼んできた自分。
由衣は自分の傷が癒えたら、毎日のように修平の病室に通った。
そして毎日のように、母親の葉子に罵声をあびせられるが
(彼の母親の怒りは当然だ。私は彼の人生を台無しにしてしまったんだもの。)
と由衣は屈辱にも耐える日々だ。
塩崎は、半ばあきれ顔に言う。
『お嬢様、そんなに思いつめる事はありませんよ。保険会社と弁護士に
まかせればよいのです。』
きっと、相手が修平でなければ、由衣もそうしただろう。
(彼に一生つぐないたい・・・)
そう思っていたら、真央が文弥と共に、由衣の席までやって来た。
ずいぶんやつれていた。きっと修平に会えずにいるのだろう。
真央にもどんなに責められても返す言葉がない。
延々修平への思慕を聞かされて、責められた。
しかし、泣きながら話す真央の言葉を聞きながら、由衣は思う。
(結局、あなたはちょっと可愛いだけで、彼の為に何にもしてあげられないじゃない・・)
そう思うと、それまでの屈辱は優越感に変わる。
でも表面、神妙な顔をしていた。
(私は、彼の為にしてあげられるものがある。それは自分の力じゃないけど・・
ただ、まだその時期じゃない・・。)
由衣は確信した。押さえていた感情に火がついた。
(翼をもがれた彼を幸せにしてあげられるのは私なの。あなたじゃないわ。)
その由衣の真意に想像も至らない真央。
席を立つがふらついたのを支える文弥。
文弥はその時、睨みつけるように由衣を見たが
由衣は不気味に薄ら笑いを浮かべていた。
(あなた、チャンスじゃない。私に感謝すべきよ。)と。
文弥は由衣にまで、本心を見透かされてる気がするのだった。