第56話 夏の終わりに
その日は、夏の終わりというのに肌寒い夜だった。
涼子がベットで横になってまどろみ始めた時、携帯が鳴った。
『もし、もし、涼子さん?ゴメン、遅くに・・』
声の主は、夕貴。
『どうしたの?夕ちゃん、こんな時間に。』
『今、美帆が助産院に運ばれて、俺も向かってるとこ。』
『エッ??予定日はまだ先じゃなかった?』
『うん、それが破水したらしいんだ。』
『神部先生はいないの?』
『今、あいにく取材で遠くに行ってるんだって。美帆、頼る身内も近くに
いないらしいよ。神部先生のお母さんは年配だから、無理だろ?』
作家の今井美帆は、ベストセラー作家になってから、
親族が彼女の資産をあてにするようになったとこぼしていた。
数年前、実母が亡くなって父が再婚してからは身内とは絶縁状態と言う。
初めてのお産なのに、誰も頼る者がいない。
病院より、個人の助産院を選んだのもそのせいかもしれない。
『待って!私も行くから、寄ってくれる?』
『アア、助かるよ。俺も1人だと、どうしていいかわからないから。』
電話を切るなり、涼子は慌てて用意した。
母の由子も、娘の真央も眠っている時間だ。
リビングに降りると、真央がテレビを見ていた。
一瞬、ドキっとする涼子。
『ママ、どうしたの?こんな時間に。』
『ああ、お世話になってる作家の先生が産気づいたんだって。
頼る人がいないから、ちょっと来て欲しいって連絡があったの。』
『ふ~ん、大変だね。お仕事以外にも呼ばれるんだ。』
『そう、アフターが大事なのよ。何時に帰れるかわからないけど、
お祖母ちゃんにも言っといてね。』
『は~い。行ってらっしゃい。』
真央は関心のないように、テレビの画面を見つめたまま手を振った。
夕貴と通りのはずれの小さな助産院に駆け込むと、
美帆がもう分娩室に入っていた。悲鳴のような唸り声が聞こえる。
(どうか、無事に生まれますように・・)
祈るような気持ち。
それから、何時間たったのかわからないが、窓からの光が
差して明るくなった頃、赤ん坊の声が聞こえた。
どうやら無事産まれた様子。
『ああ、やっと会えた、私の赤ちゃん!!』
美帆の声が聞こえたのだ。泣いている。
それからしばらくして、美帆が中から出てきた。
夕貴と涼子の姿を見つけると、嬉しそうな顔をした。
『二人ともありがとう・・』
『いいえ、それより赤ちゃんは無事なんですか?』
『ええ。ちょっと小さめだけど、元気よ。女の子だった。』
『よかったあ~!心配しましたわ。』
『ああ、お礼に、この件記事にしてくれていいわよ。』
『え?』
『心配しないで、ノーギャラでいいから・・』
美帆は満面の笑みで、病室に戻っていった。