第54話 リメンバーミー?
帰りの飛行機、涼子はまたうたた寝をしてしまう。
田中にずっとついてもらって、南京通りを行き交う人を見つめていた。
蜜を求める蟻のように、うごめく人波。
涼子達の前を通り過ぎていった。
息をひそめて、じっと見つめていたが、
夕貴との約束の時間に間に合わなくなるので、やむなく諦めた。
『これでよかったんだよ。中村。』
別れ際田中は涼子にそう言う。夕貴と言う恋人がいるのだから
過去は忘れろとも言った。
(そうかもしれない・・でも、私は彼に会いたかった。)
その感情は何なのかは、涼子もわからない。
怨恨なのか?恋慕なのか?
また全く別の感情なのか?
理屈でない感情がわき起こるのを抑えがたい。
涼子は夢の中で、アーサーとおぼしき人物の背中を追っている。
『アーサー!!アーサー!!』
必死に名前を呼んでも、相手は振り向かない。
どんどん距離が離れていく。
涼子は次に思い浮かぶ名前を呼んだ。
『浩一!!浩一!!待って!!』
アーサーに似ている真央の父親の浩一の名を呼んだ。
すると相手は振り返るが、顔は光に遮られてわからない。
涼子は、流れる額の汗も気にせず尚も叫ぶ。絶叫に近い。
『リメンバーミー?』
そこで、目が覚める。まだ機内だった。
『涼子さん、どうしたの?また悪い夢を見た?』
横で心配そうに見る夕貴の顔。
手にはびっしりと書き込んだメモ帳。
今回の旅で取材した事を元に、短編を書きたいと話していた。
『ごめん、疲れてて・・・私、変なこと言ってなかった?』
そう言うと、夕貴はいたずらっぽく笑う。
『昔の男の名前とかって事?』
『・・・・・』
『それは言ってない。ただリメンバーミーって聞こえた。』
『・・・・』
『上海に特別な思い出があったんだ。』
『ええ・・忘れた方がいいような思い出がね。30代にもなると
いろいろあるのよ。でも、もういいの。今はあなたがいてくれるから。』
涼子はそこで納得した。なぜ、アーサーに会いたかったのか?
(あなたは、私の事、覚えてる?)
(私は、あなたをずっと忘れてなかったのよ)
夕貴は、涼子の事を覚えていてくれた。他の記憶はないのに。
それがどんなに嬉しかったか・・。
アーサーに、自分のことを覚えていて欲しかった。
たとえ踏みつけられて、騙された相手としても、
それを確認したかっただけかもしれない。
それとどこかに、アーサーと浩一は同一人物ではないかと
思っているかもしれない。
田中が見たのは浩一だったのかもと。でも、それももう確かめる術もない。
(リメンバーミー?)
涼子は心の中で、くりかえすだけだった。