第53話 昔の男
田中の家は、上海の高層マンション。
外灘のエリアにも近く、繁華街も近い。
田中は、一人息子の悠斗もようやく手が離れたので、
最近小さな広告代理店に勤めだしたところだという。
子育てとの両立は難しいが、働くのはやはり楽しいようだ。
涼子も職場の様子や、共通の知り合いの近況等を
話していると話は尽きない。
田中の後任の大間が廃刊のショックで、心の病になったことを
伝えると、田中は神妙な顔していた。
『大間は優等生で真面目だからねえ。しかし世の流れだから
仕方ないよ。中村はその点図太いからね~、大丈夫かい?』
『はあ、何とかね。』
『そうさ、くよくよしてもきりがないよ。人生、いいことばかりじゃないから。』
異国で働き、夫を支え、子供を育てている田中。
また違う孤独と喜びや悩みを感じているようだった。
田中の膝枕で寝息を立てている悠斗。
母親らしく、額の汗を拭いてやっている。
『悠斗、最近、私が働いてるから淋しいのか、休日は離れないのさ。』
『へえ・・・。』
あどけない悠斗をのぞき込む涼子に、田中は微笑んで言った。
『中村ももう一人くらい産めば?』
『ええ???冗談でしょう~~??』
涼子は自分でも驚くくらい大声を出してしまった。
田中は含み笑いをする
『ええ?そんなにびっくりすること??真央チャンもいるけど、
夕貴さんの子供産めばいいじゃん。まだ間に合うよ。』
『やだ~、先輩、やめてくださいよ。』
『なんで?あんた達、お似合いだよ。』
『私たち、まだそんな深い仲ではありません。』
『へえ~???そうなの???』
あまりに涼子が動揺するので、田中は話を変える。
神妙な顔だった。
『ねえ、中村。言うか言わないでおこうか迷ってたんだけど・・』
『何ですか??』
『南京通りで、アーサーを見たんだ。』
『!?』
涼子の顔色が変わった。
数年前上海で出会い、恋に落ちたが、涼子をカード詐欺に陥れた男だ。
『失踪していたのに・・また戻ってきたのか、服役して出てきたのか
どうかわからないけど。つい先日前に見たんだ。私。』
『何をしていそうでした?彼。』
『う・・・ん、不動産屋みたいだったね。怪しいの、多いから、
こっちは。』
涼子は、田中の話が遠くに聞こえるように思えた。
頭が真っ白になった気がしたが、口が勝手に動く。
『先輩、一緒に行ってもらえませんか?』
『え?あんた、アーサーに会いたいの?』
『・・・・わからない。でも、確かめたい。』
『ごめん、私、余計なこと言っちゃったかね~。』
後悔先に立たず・・田中は黙ってしまった。