図書館が謳《うた》う夜
学校、病院、図書館。
その頭に『夜の』と文字をつけるだけで、途端に怖くなる。
風で窓を揺らす音。廊下に響く足音。軋む、木造建ての図書館は、間違いなく『夜』には近づきたくない場所。
大城塔子は一人、両腕を抱く。
本当はおばけが大の苦手で、ホラー映画のCMが始まったら、顔をそむけて耳を塞ぐのに。
負けず嫌いの性格が災いして、こんな事になった。
塔子は『夜の』図書館にいた。
もちろん、好き好んでいるわけじゃなくて。
彼女はどうしても、とある書棚に行かねばならなかったのだ。
◇◆◇
事の発端は今日の夕方。幼馴染みの腐れ縁、牧田優介の一言だった。
「お前から借りた本、図書館に返しといたからな」
なんのこと?
塔子には本を貸した記憶はなかった。
「もうボケたのか」と優介には嫌味を言われ。塔子はムッとする。
「あんたこそ、違う誰かから借りた本と勘違いしているんじゃない?」
「何で俺がお前以外から物を借りるんだよ」
家が隣で便利なのに。と、厚かましい事をいう。
たしかに優介の家とはよく物の貸し借りをしているようだ。
『ようだ』なんてつけるのは、塔子自身が借りているわけではないから。
母親同士、父親同士。多趣味な彼らはお互いの持ち物を交換して、共感し合うほど仲が良かった。
多分、優介が女の子だったら、塔子も同じような事をしただろう。
だが現実、優介は男で。塔子が借りたり、交換してみたいと思う物はほとんどなかった。
それでもまあ、唯一例外があって。それが『本』だったりするのだが。
「お前がおもしろいからって、持ってきたんだぞ? 忘れるかフツー?」
「ホントに記憶ないんだけど」
「マジかよ」
「マジだよ」
埒があかない。
塔子は参考までに、その本のタイトルを聞いた。
途端、塔子の脳裏に優介が語った事柄が流れる。
本を貸したのは二日前。塔子が図書館から借りてきた本で、塔子自身が優介に貸した。
読後感が優介好みだと思ったから。返却期限は今日。読み終わったら、返しておいてと塔子自身が言っていた。
――本の又貸しはだめだとか、そういう話は置いといて。
「――な、なんで忘れてたんだろう?」
「あ? だから、ボケたんじゃ……」
つまらない冷やかしはいらない。
塔子は優介の頭をはたいた。
「いって……ぼーりょく反対!」
「今それどころじゃない」
何で忘れていたのかさっぱり分からない。
ただ思い出した記憶により、塔子は重要な事に気がついた。
「ねえ、優介。あんた、本のあとがきまで読んだ?」
「――いや。俺はそーゆーのはパス」
「……やっぱ、そうよね」
「?? 一体どうしたんだよ、塔子」
優介の答えに、落胆する自分がいる。
塔子はつまらない事をしたと、自分自身に首を振った。
「――帰るわ」
「は? おい、塔子!?」
「本返してくれてありがとう」
優介に背を向け、足早に立ち去る。
学校からの帰り道。優介も家に帰るなら同じ方向だったが、塔子は早く一人になりたかった。
◇◆◇
『図書館は謳う』
塔子が優介に貸した本のタイトル。
新刊ではなかったが、タイトルと装丁に魅力を感じて借りた。
内容は架空の図書館で起こる推理ファンタジー。
とある一冊の本を巡って、様々な事件が起こるのだ。
それを解決するのは高校生の幼馴染みコンビ。
気が強いけど、本当は怖がりのチサ。普段は意地悪だけど、頼りになるキレ者のトール。
ほんの少しだけ、自分達に似ていた。
チサとトールは反発しながらも、重要なところでは協力し事件を解決する。
図書館に住みつく妖精。世の中にある全ての蔵書を知る魔女。ファンタジーならではの登場人物も魅力の一つだった。
キャラクターの駆け合い、性格は塔子の好みで。切れ味の良い推理は優介の好み。
極めつけは誰もが笑顔ほころぶエンディング。夜が深まっても夢中で物語を追った塔子は本を両腕に抱き、ほうと息をついた。
たぶん、その時すでに本の魔法にかかっていたのだろう。
あとがきまでしっかり読みこんだ塔子は、ある事を考えた。
塔子は優介が好きだった。
だけど優介は塔子を女の子扱いしてくれないし、塔子の前で平気な顔をして可愛い女の子と話をする。
「俺、結構モテるんだぜ」なんて言われた時は、ぶん殴ってやろうかと思った。
塔子は負けん気が強くて、素直に告白なんて無理と思っている。
それでも優介が他の女の子と仲良くしているのを見れば、胸は苦しくなるし、弱気にだってなる。
これでも一応、お隣さんでそれなりに仲良くしているのだから、嫌われてはいないと思うけど、それは好きってこととは別だと、ある意味冷静に塔子は理解していた。
忘れるほど離れる事も出来ない距離関係。
塔子は現状に甘んじつつも、一歩、違う形で抜けだしたかった。
塔子は本を参考に暗号を考えた。
この本を読んでくれさえすれば分かる、つたない、それでも一生懸命考えた暗号。
あとがきには、「この本を誰かから受け取ったなら、それは挑戦状かもしれない」と書いてある。
鋭い優介なら、この一文で気がついてくれるハズ――……。
「――アイツがあとがき読まない事、知ってたのに」
気付いてほしい――。
気付いてほしくない――。
暗号を解読した先にあるのは手紙。塔子の気持ちを閉じ込めた、でも、差出人の書いていない手紙。
何のヒントもなく本を手渡して、名前のない手紙を隠して。
塔子は自身が気付いてもらえるよう努力するのではなくて、優介の行動に全てを任せたのだ。
自分が現状に不満なくせに。中途半端な覚悟。ばかみたいだった。
「せめて名前ぐらい書きなさいよ、塔子」
もし他の誰かに見られてもいいようにと、保身に走った。
ずるい自分。こんなんじゃ、いつまでたっても『お隣さん』だ。
塔子は決めた。
負けず嫌いな塔子は自分に負けるのもイヤ。
だから手紙を回収して、名前を書いて。ドンと、優介に押し付けてやるのだ。
◇◆◇◆
ガタガタと窓が揺れる。
今日は一段と風が強い。塔子は軋む廊下をゆっくりと歩く。
手紙の回収を思い立ったのはすでに閉館後だった。
明日にすればと囁く弱い自分に首を振り、塔子は大胆にも図書館へと不法侵入した。
ここが都会の街中なら、すでに防犯ブザーが鳴っている。それを聞けばさすがの塔子も撤退するだろう。しかしここは超がつくほどの田舎で、図書館自体が築ウン十年を超える、古い建物だった。
あげく、鍵はかけない地域柄。
それは個人宅のみならず、公共施設もという不用心極まりない田舎だった。
すでにそんな田舎の存在が都会の人から見ればファンタジーだろう。塔子も都会に引っ越してしまった友達からのメールで、この地域が平和そのものなのだと悟ったのだった。
ようやく第一資料室の前についた。
この部屋の蔵書は物語中心。塔子が一番お世話になっている部屋だ。
多分優介もよく来ているはずで、今日彼が返した本もこの部屋に収められているだろう。
塔子はギュっと手を握りしめ、資料室へ入る。
高い壁のように聳え立つ、書棚。塔子の背丈より随分高く、上の方の棚は脚立がないと届かない。棚と棚の間は、人が背中合わせになって拳二つ分ぐらいの狭さ。本当はもう少し広げたいと、司書のおじいちゃんが言っていた。
コツリ、コツリ、コツリ。
ホラー映画なら誰かが忍び寄る足音だ。今は塔子自身が出している音だから、悲鳴を上げずにすんでいる。
――不意に、明かりが差した。
誰もいないはずの書棚の間から、キラリと。
原因は不明。三日前の塔子なら、一目散に逃げ出しただろう。
今逃げないのは、あの本を読んだおかげ。
物語の中に、同じような場面があった。
図書館に住む妖精が、魔女に語りかける。魔女との会話は本を介して行われていた。
物語の一文を妖精が謳い、また別の物語の一文を魔女が謳う。
書面から浮き出た文字は旋律となり、館内を巡る。図書館が、謳う。
『隠れているものはなに?』
『誰も、目で見る事のできないもの。それは貴女だけのもの』
塔子は光の見えた棚へと吸い寄せられた。
貴女だけのもの。そう、あの手紙は、思いは。私だけのもの。
――光は月明かりだった。
カーテンを閉め忘れたのだろう。書棚に合わせて縦に長い窓の奥から、満月が覗いている。
一直線に差し込む光。空気中の粒子が幻想的に煌めいて見えた。
暗号の答えとなる本を手に取り、そっと胸に抱いた。
返ってきた自分の気持ち。置き去りにしてごめん。
「――塔子」
聞こえた声に振り返る。
「優介……」
どうして、と続けようとして。
彼が手に持つ本を見て、塔子はその答えを知った。
優介はちょっと意地悪な笑みを浮かべている。
「お前もいい度胸だな。図書館に不法侵入なんて」
「優介だってそうじゃない」
「しかたないだろう?」
――気になったんだから。
塔子の心が温かくなる。
どう考えても身勝手な態度を取っていたのに、気にしてくれていた事が嬉しい。
「まあ、そういうわけで。その本を渡してもらおうか? 塔子」
「いやよ。今は渡せない」
「とーこ?」
「いやよ、ゆーすけ」
ふうーんと、優介が口角を上げる。
「怖がりな塔子が安心して帰れるよう、待ってたのに?」
「待っ!? 待ってたの!?」
「塔子の暗号。超簡単だった」
まさか。もう、手紙を読まれてしまっているのでは。
優介の妙な自信と、意味深な言葉に塔子は焦る。
「とーこさーん? 俺に言う事は?」
「い、今はない!!」
「今を逃すと、負けず嫌いな塔子は自分に負けちゃうぜ?」
ニッと笑う優介に、塔子の顔はボンと茹で上がる。
「っ!? よ、読んだの!?」
「んー? どうでしょう?」
「読んだならそう言って!!」
笑みを浮かべたまま、優介は言う。「俺は塔子の口から聞きたいな」
――完敗だ。
塔子の負けず嫌いな性格を上手に操り、自分の望む結果を得る。
お隣さんだからこそ、皆は知らない優介の要領の良さを知っている。
腹黒と言えば、笑って。
怒るなよとポンポンと頭を撫でてくる優介。
彼は笑いながら、塔子の心をさらってゆく。
そこまで考え、はたと塔子は気がついた。
優介の望む結果。それは自分が伝える事で果たされるの? ――それは、つまり。
心臓がバクバクと音を立てる。
勘違いだったら、泣くかもしれない。だけど。だけど……。
「あのね、優介――」
物語に後押しされた塔子は、一歩前へと進む。
――その結末はきっと図書館が謳うだろう。
空高くに在る月は、一つの影を静かに見守っていた。
【図書館が謳う夜 おしまい】
お読みいただきましてありがとうございました!!