休もう。そして『型』に嵌まるな
さて第二章では、いかに人生を充実させていくかについて一緒に考えていきましょう。
自殺者が40代50代の男性が多いというデータから察するに。
彼らは。……疲れてしまったのでしょう。なにもかもに。
職場でのプレッシャー。
家庭での、……父親としての責任……。
働いているひとは、みーんな疲れています。とにかく疲れています。この文脈における『働いている』とは、専業主婦のかたも含みます。彼女たちも家族や自分のために『働いている』のは事実なのですから。思うに。
自殺を防止するには。精神的肉体的疲労をどうにかするのが先決かと。
十代のかたですと。『人生に疲れてしまった』のでしょう。いじめや家庭環境の問題があればそれを『取り除く』のが第一。やはり専門家の手を借りるのが一番かと。いじめであれば親や学校に相談するものですが、にしても事なかれ主義の学校の多いこと……。あくまで報道されるのは『問題に真摯に対処しなかった学校』が多いとは分かっていても。以外の対処法としては。
転校する。フリースクールに行く。N高に行く。選択肢は豊富です。絶対その学校に行かなきゃならない――その思い込みを払拭することです。だってほかの学校に行ったらそんな酷いいじめに遭わないのであれば絶対転校したほうがいいでしょう? 詳しくは遠野自身の体験の章で述べます。
ここからは、働いている人間を念頭に置いて見ていきます。
肉体的疲労。仕事で家事で育児でどうしようもない場合はありますよね。
できる環境にあれば、昼寝をわたしは推奨します。30分、眠るだけで全然違いますよ。
連日終電まで残業しているかたは……、とにかく、食べること。食事を抜いちゃあ駄目です。かつ、眠る時間をすこしでも長く確保すること。それが大事です。経験者としてわたしは語ります。
あとは、まあ……、五年間まるまるそれが続く状況であれば転職を考えたほうがよい気もしますね。連日残業が持つのはせいぜい三年。谷間の時期がないと人間倒れます。谷間があれば極力その期間にとにかく寝ること。気分転換を図ること。隙間時間に趣味に打ち込むこと。それが大事です。
ふと思うのは。肉体的疲労は、分かりやすいし、対処しようがあるのですが。
精神的疲労のほうこそ、目に見えないぶん、厄介なんですよね……。
疲れたー。でもすっごくやりがいがある! って目ぇきらっきらさせてる状況下だと人間、疲れなんか感じませんもん。『やりがい』ってのは、大事。
精神的疲労をどうにかする方法。うえにも述べましたが。主に三つ。
■休めるときにとにかく休む
■悩まされていることに対し、どうにかして『やりがい』を見つける
■悩まされていること以外に別の『生き甲斐』を見つける
……かと、思います。
遠野自身の話をすると。子どもが生まれてから、残業は特別な場合を除いてはせず。定時帰りです。
といっても。
子どものいる主婦のかたにはお分かりでしょうが……帰ってからが、戦争です。
急いで洗濯物を放り込み。ご飯を作り。その間プチトマトやあたためたご飯辺りを食べさせ。
食べ終えたら食べ終えたでどうにか説得して風呂に入れ。
それが終わったらドライヤー。二人分の髪を乾かして洗濯物取り込み+干す。……これだけで気がつけば21時を回っています。
子どもに一時間くらいテレビ見るとか一緒に遊ぶとか好きなことをさせ。
二十二時には寝る準備……がずれ込むことも多々。
23:20に寝るのが平均。では一時間ほどなにをしているかと言うと……
待つのです。
うちの子。なかなか寝付けないんですよねえ。子ども的に、ママが先に寝るのは百パーNG。携帯なんていじりだしたら見せてーと言われるので……。体育座りしてくらーい室内でなにも出来ずただ見守ってます。あっちに行くのもアウト。
ちなみにおやすみロジャーはとっくの昔に試しました。ママいつまで読んでるのーと心底退屈そうに本を覗きに来るので遠野的には効果皆無だと判断しました。無念。
毎日、この時間がしんどいです……。休日は昼寝しないから結構すぐ寝てくれるんですけどね。
愚痴っぽくなっちゃうましたが。まあ同じ悩みを持つ方もいるかもしれないと思い詳細に述べてみました。遠野の場合。
子育てのストレスは仕事でお金を稼ぐことで。
仕事のストレスは子どもときゃっきゃとイチャつくことで解消されています。
わたし自身、家事も育児も苦手な人間です。得意ではありません。外注できるんならまるっと外注したい。お金がかかるからできないだけであって。なので。
帰宅してからの家事のオンパレがすっごく辛いので。
例えば、別室で洗濯物を干している隙に、こっそり少女漫画を読んでいます。この楽しみをなくすと生きていけない。なんか、息が、詰まるんです。することだらけってこの状況が。なので。
家事育児で苦労されているかたは、隙間時間で音楽をかけるとか好きなものを読むとか。細切れで休憩を入れてみるとよいかと思います。例えそれが五分でも、違ってくるかと。
遠野は子どもが嫌がるゆえいまはあまりできませんが。炊事や洗濯物干しのときに好きな洋楽をよくかけていました。……いまですか。アンパンマン、って言われたり。うるさいって言われたりするので、できないのです。切ない。
自分語りになっちゃいましたが。臨機応変に、ご自身に当てはめて考えて頂ければと思います。
二点目の、『悩まされていることに対し、どうにかして『やりがい』を見つけること』にあまり触れていませんでしたね。引き続き仕事を例に説明すると。仕事とは。
雑務や面倒なことのオンパレ。誰だってそうです。
他人からは華やかそうに見えたとて、あれはほんの一部。九割が雑務と言っても過言ではないです。それはみんなおんなじです。
ここまで読んだかたでしたら、『ひとは生きているだけで社会の役に立っている』あの考えを、仕事に当てはめることは簡単だと思います。つまり。
どんな仕事だってひとの役に立っている。だからあなたはお金を貰っている。あなたは。
社会にとってとっても価値のある仕事をしているんだと――
自信と、誇りを、持ってください。よくねえ。
リク○ートの出す本辺りで、『社会の役に立つ仕事!』なぁんて触れ込みで介護や病院の仕事辺りがいっつも特集されてますが。社会の役に立たない仕事なんて皆無。なにを言っておるんだって話ですね。役に立つからお金貰えているんですよ。
退屈で毎日おんなじことの繰り返し――であれば。
効率化を考えることです。どうすればもっと迅速に的確に職務を全うできるのか。考えて行動するんです。わたし自身。
長いあいだ同じ仕事をしていて、わたし仕事できるぅーウフフなんて調子こいてたら。あとから入ってきたかたが仕事をがしがし効率化していって……わたしのものの見方はツクヅク甘かったなあと。反省する日々です。
うえにはうえがいます。
ひとを呪ったり。退屈をお友達にしていくよりかは、いかに、現実を。内面を。充実させていくかに重きを置いて生きていくと人生――楽しめるものだと思います。
せっかく与えられた命なんですから。
大切に使っていきませんか?
ではその大切な命を惜しまないためにも他人の自殺の動機を掘り下げていきましょう。
思うに。ひとは。
誰かと出会った瞬間。相手を『自分の理想の型』に当てはめるんです。リア友でも芸能人相手でも恋人でも結婚相手でもこれは絶対。
ひとが何故。誰かの行動に憤りを感じるかというと――
その『型』に当てはまらない行動をしたから。
掘り返すつもりはありませんが。好感度の高い女性芸能人が『やらかした』場合の世間の反応はまさにそれですね。自分が被害に遭ったわけでもないのになんで他人のことにあんなに皆さん怒るのか、わたしにはサッパリ意味が分かりませんが。ともあれ。
バッシングを受けるのは圧倒的に女性の側が多い。理由は瞭然。
ジェンダーの問題ですね。社会的に求められる性の役割。つまり。
女性に求められるイメージが強固で。守り抜くには厳しい『型』だから。
昭和の頃は、浮気は男の勲章、なんて言われていて。その後遺症は未だ残っているように思えます。
浮気した旦那さんのために頭を下げる奥さんなんて……妻の鏡ですね。わたしは出来なくもないけれど、八割程度しか理解できないです。当人が悪い。奥さんではない。
自分と相手との繋がりが深くなればなるほど。『型』ってのはキツくなります。例えば。
同棲相手には多くを要求しないのに。相手が『妻』になった途端、急変する『夫』の多いこと――。日本の奥さんは、常に身綺麗で、笑顔で、進んで家事も仕事も行う。朝も家族のなかで一番に起きて弁当を作るし綺麗好き――。そんなイメージが強すぎるんですね。
昭和のお母さんはみぃんなそれを守ってきたから。子どもである男もそれをパートナーに要求する、と。
ただまあ。女性のほうは男性よりもフレキシブルに対応のできる性別ですから。自殺者が男性のほうが多いというのはその辺も関係しています。勿論、男性の自殺者に柔軟性が欠けている、という主張ではありません。ただ、彼らは。
『求められる型』に敏感で疲れ果ててしまった――と、考えられます。
というわけで。
これを読んだみなさんも振り返ってみてください。――ご自身に。親しい人間に。
いったいどんな『型』を要求しているのか。
息苦しいものであれば『型』を変えることです。もっと手を抜く。力を抜く。他人の手を借りる。一旦その問題から目を背け、火急のことを片付けてから処理をする――いろんな方法があります。是非。
これを読んだかたには。
あなたに求められている『型』が一種類であるなどとは――考えて欲しくないのです。
例を挙げると。遠野は、日頃は『ママ』『会社員』の型に嵌った行動をしていますが。時折、ひとりになる時間を。遠野ましろになる時間を。病院に行くついでにひとりで街をぶらつく時間を作っていますね。スタバでコーヒー買ってぼーっと歩いたり。子どもにYou Tube見せている隙に本を読む……なんてこともあります。
『疲れ』というのは。他人に当てはめられる『型』が強固で、四六時中それを守らねばならぬという負荷がかかることが原因です。
自分を違う『型』に当てはめてみるという作業。
始めて見ると、存外面白いものですよ。――と経験者は語る。
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