第一章まとめ
我ながら、なんて冷たくてドライな人間なんだろう。
そう思いながらこれを書いています。まあ、筆者に関しては、『感情』というものを取っ払って『構成要素』に分解したうえで『分析』する能力の持ち主です。機械的に処理を行えてしまうんです。わたしが文章を書くのは、世間の皆様と比べて欠落した視点に気づくため。自分のためにもこれを書いています。ここで。
いままでの主張をまとめてみましょう。
■社会的損失が大きいゆえ自殺をしてはいけない
■ひとひとりを育て上げるのに周囲がどれほどの愛情を労力を注ぎ込んできたのか。その観点から自殺をしてはいけない
■人類愛。或いは社会集団に属する一個人の精神的苦痛を招かないためにも自殺をしてはいけない
となります。
勿論。倫理的道義的観点からも。『自殺はいけない』と言うべきです。が。
自殺を考えている当人が既に分かっていることをここで書いたとて、「正論は勘弁して欲しい」。追い詰められているかたのこころには響かないでしょう。自殺という行為がどれだけ生きている社会にダメージを与えうるのか。また、あなた自身が社会にとっていかに大切な存在なのか。
ただ『生きている』だけのつもりが、社会にどれほど貢献しているのか。
という観点で切り込んだ読み物にいまだかつてわたしは触れたことがないので。書くのも手では、という意図で書いています。
わたし自身、無職の頃は、かーなり鬱々としていまして。それまで忙しすぎただけに反動がでかくって。毎日、「自分が不必要な存在なんじゃないか」悩みまくって過ごしていました。
この考え方に出会えていたら違ったんでしょうね。同じように。
外で働いてお金を稼いでいるわけではないひとびと……例えば。ニート。専業主婦。そうしたひとたちが社会には不要だという意見が、いかにナンセンスなのかは。ここまで読んできたあなたにはお分かりのはずです。
専業主婦のかたは。家事や子育てに忙しくされていても、「でもわたし家にいるだけだから」と謙遜する傾向にありますが。でもそれは大仕事です。誇りを持ってください。……わたし自身。家にずっといるとあれもやらなきゃこれもやらなきゃとちっとも気が休まらないタイプなもんで、逆に、家のことに打ち込めるひとびとを尊敬します。家のメンテナンスってすっごく大変なんですよね。
しかも。無報酬。
『逃げ恥』でありましたよねえ。家事は、報酬が、ない。施される人間からは、いつの間にか感謝の気持ちが薄れてしまい、やって当たり前。されてないと不服――そんな考え方されるとしんどい、と。社会派ドラマでしたねえ。遠野の場合。お金貰わないとやっておれん! ってな考え方をしちゃいます。現金なもんで。
だって家事や育児を外注するとすっごい値段かかりますよねえ。専業主婦の皆さん。あなたがたのされているお仕事は、お金に換算するとあんな額になるんですよ。誇りを、持ってください。
話を『自殺』に戻しましょう。
現実に、自殺を考えているひとが目の前にいれば、ただ手を取って、握りしめて、涙ながらに「死なないで……」と伝えることも可能なのですが。
そういったひとが実際にいないから、ひとは死を選ぶ。いたとて。
死に向かう流れは誰にも止められないものでもあります。遺された人間に、罪はありません。わたしはここを強調したいと思います。
いくら説得しても。思いを伝えても。正論を吐いても。伝わらない場面、というのが、人生必ず、あるのです。
では結局なにを言っても無駄なのか? と言えばそうでもなく。
無意味。と、いくら他人に思われようがひたむきに伝え続けること。
そういったことを、一個人が続けていけば、大きな『力』になると、わたしは信じています。
告白すると。わたし自身、二週間にいっぺんくらいは、「ここから飛び降りたらどうなるんだろう」「(電車に)飛び込んだらどうなるんだろう」ふぅっ、とそんな考えが過ぎり、悩まされている人間です。クリニックには通っていますし、薬も飲んでいるので、医者にもどうにもできない病なのでしょう。
ですのでわたしは考えを改めました。
自分の内側から出てくる声なのだから、仕方ない。これには意味があるのだ、と。
苦しんでいる人間だからこそ、誰かの苦しみを癒せるかもしれない。
幸いにしてわたしは文章を書ける能力の持ち主の人間だ。環境も整っている。
だから、積極的に伝えてみよう、と。
苦しんでいるのは、あなただけではない。
誰のどんな人生も、価値がある。あなたとまったく同じものの見方をする人間はこの世には誰一人存在しておらず。
あなた独自のものの見方はとっても大切で、意味がある。
ということを。
一応は小説という手段を介して書いてはいるつもりではいるのですが。小説は作者の主張を行う場所ではないので、『限られてしまう』。なのでね。
思いっきり書ける『エッセイ』という媒体を今回は選択してみました。さて。
テーマが重いだけに。なかなか深刻でシリアスな書き方をしてきましたが、ここからはもうすこし肩の力を抜いて。自殺を思い留まったら、次は、いかに人生を充実させていくか。ここを、考えていきましょう。
遠野自身も、「子どもが成人するまで」「三年後」場面に応じて小さな目標を立てています。『明日の喜多善男』ではないですけど(実は未見)。
あと三年。
頑張ってみて。
それでも状況が打開できない場合は死を選ぼう、なんて考えているうちに。生きていれば。必ずや。
知らず知らずのうちに『生き甲斐』が見えてくるものだと――そんなふうにわたしは楽観視しています。
お悩みの方は、一緒に、信じてみましょう。
わたしも、逃げませんから。
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