いじめに遭ったとき
さて第三章からは、予告したとおり、遠野の体験談を述べることで読者の参考になればとの思いで、書いてみます。
中学時代にいじめに遭ったときの話をしましょう。あんなのは……
二度と、ごめんだ。
出産と中学時代、もう一度やり直すとしたらどっち? ……一択です。出産のほうが断然マシ。
小学校時代が比較的ゆるーい感じだったのに対し。
中学に入った途端。
むっちゃ厳しくなったんです。『裏ルール』ってのがいっぱいあって。上級生に目ぇつけられたらアウトなんで、それ破ったら駄目っつうルールが、どういう経緯でか、みんなんなかに自然と広まっていたんです。
例えば。
・セーラー服のスカーフを出す部分は控えめに
・セーラー服の後ろの襟から絶対にスカーフは出してはならない
(まんまだと逆三角形で飛び出すんでクルクルと丸めるんです)
・靴は絶対に白のスニーカー
・革靴を履けるのは中学二年の秋頃から。それもHARUTAじゃ駄目。特定のメーカーに決まっていた。
主なところではこんな感じですかね。
あと同じ部活の先輩に出会ったら。絶対廊下の隅に寄って「おはようございます!」って挨拶せねばならぬ空気でした。文化系でもそれは一緒。
スカーフに関しては結構うるさくて。
ぴよっ、と後ろから三角が飛び出そうものなら「出とるよ! 大変! 大変!」て友達に急いで直してもらう……そんくらいのナチスっぷりでした。アレはマジでホントすごかった。
教師は絶対。
竹刀持った恐ろしい体育教師なんて……絵空事かと思っていましたよ。
実際に、いたんです。
水泳の授業でプールに入らない女子が多数出たときに。すごい剣幕で全員に理由問いただしてましたね。……わたしは、生理。と素直に答えましたが……あと風邪とかあったかな。
ちなみに。
いまはどうだか知りませんが。
女子でもビンタとか普通でした。
舐められている教師もいたけれど。
超恐れられている教師もいた。それが、実態です。
権力をかざして誰かを加圧すれば。加圧された側の鬱積した感情は必ずほかの誰かにぶつけられる。……てのは人間社会におけるセオリーですね。ブルーハーツの歌う、弱い者が更に弱い者を、ってアレ。なもんで。
当時。すっごくいじめが、多かったです。
わたしの所属する部活では。一年生のときも、一個うえの先輩たちのあいだでも。
同級生ひとりずつをいじめのターゲットにしていく……恐ろしいフルーツバスケットが展開されていました。最上級の三年生になると同級生いじめに加えて下級生をいびる。振り返ると恐ろしいですねー。
目の前で堂々と悪口を言われ。
仲間に入れて貰えず。シカトをされる。……わたしも標的になりました。詳しくは小説で書く予定があるんでネタとしてとっておきますが。
相当、中学校生活がストレスだったんでしょうねえ。わたし。
超・遅刻魔でした。
ひとつの学期で遅刻が五十何回……ぜってえ推薦入試取れねえなって数値。ったく。無事高校入れて良かったぜ。
一年の頃は、部活内でのいじめやら、女子特有のねっちゃねちゃした関係性を維持しつつそれなりに過ごしたんですが。やっと本題。
二年生のときに。
クラスの中心の男子集団にいじめられまして。一時は、目立つ女子たちにもですね。女子たちとは、あとから仲良くなったけど。
やーあれはすごかった。
いじめられたのは、クラスのなかでわたしと、ある友達がひとり。合計二名。
登場人物は、もうひとり。彼女はわたしたちほどではないですが、別の理由で差別はされてまして。ピーク時につるむのがその三人きりでした。そんで。
わたしとその友達は。
連日、罵声を浴びて過ごしました。……実写だとピー音入れるのが推奨レヴェル。
きっかけですか。些細なことです。え? そんなんで? ってなことで。
別に彼らに喧嘩を売るとかなんかやらかしたわけでもないのに。
なんなんでしょうね。……と、大人になったいまなら苦笑いしちゃいますね。
当時は、そんな余裕なんかありませんでした。
スタンフォード大学で行われた有名な実験がありますね。通称、スタンフォード監獄実験。
生徒を囚人と看守役に分けて。その役割に合わせた行動をさせた結果。
元はと言えばフラットな関係の生徒だったはずが。
囚人役の生徒は、より囚人らしく。
看守役は、より高圧的に振る舞い、暴走してしまった、という結果が出ています。
書籍や映画は未チェック。あくまでWikipediaでサラッと見た程度ですが。……いずれ作品で確かめたいところです。さて。
かたちから入るのって案外あなどれないんですよね。子どものいじめの恐ろしいところは。
歯止めがきかない、というところです。例えば。会社員であれば。
まあ会社のなかでも、いじめをするとか、不必要に権力を駆使するとか、愚かしい行動に身を染める人間も存在はしますが。学校に比べるとその率は低いです。
何故か。
会社という団体は、利益を追求する集団です。
いじめなんかにスタミナを使っていては、非効率。生産性があがらない。
……という意識を。
暗黙のうちに。会社に所属するみんなが共有しているんですよね。つーか。ふつーに仕事するだけで大変なのにんな労力残ってませんって。いじめるのは暇で仕事のできないひとたちです。それに。
そんなことが露見したら自分の生活が危うくなります。ニュースにでもなったら大変。
一方。
学校は、というと。……未成年ゆえ。どんななにをしても基本的には法のもとで『保護』されます。要するに子どもがいじめまくったとて親が経済的に大打撃を受けるケースはレア。……まあ、裏でネットで実名晒されるとかそういう被害はあっても、ある意味『無傷』です。この。
残酷なほどの違いが生み出す現実といったら……。目眩がしますね。ええ。
話を戻すと。彼らは。
わたしと友達が教室に入るたび、いじめていました。先生の前であっても平然と。
笑いものにするコケにする人間性を否定する……行為は。
エスカレートするばかりでしたね。……まあ。
具体例は、匿名とはいえ、友達のプライバシーに関わる問題なので伏せますが。とりあえず。
わたしのほうは、将来二度とこんなところに住むもんか。
と、思うくらいの傷を負いました。
ここまで読んだ方はいくつかの疑問を感じると思います。その一。
先生に言うという選択肢はなかったのか? ――ないです。
先生のなかでも馬鹿にされている先生がいまして。授業中でもその先生と一緒くたにいじめられる有り様でした。一方。担任といえば。
親しみもあるけれど威圧感も放つことのできる男性教師で。ぶっちゃけまあ反応が気まぐれでしたね。
愚行を『注意』するときもあればスルーするときもあり。振り返ると正直、……わけわかんなかったですが。でも当時のわたしは世俗に染まらぬ純粋な女子学生で。
注意してくれるときは、『救われた』気がしていたし。……『嫌い』ではなかったんですよね。先生のこと。友達のほうは『見抜いて』いました。○○ってころころ態度変えるよねー、みたいな。無自覚なわたしは、うすらぼんやりとそうだねー、程度。
クラスメイトの大多数は、いじめに『不干渉』でした。ここでわたしが思うのは、『自己防衛』って大事、ということです。
当時、彼らにクラスメイトがなにか言ったとて。一緒に血祭りにあげられるがオチ。無駄に、とまでは言わないですが、いたずらに犠牲が増えるばかり、と想像します。
学校で先生が教える論理でいえば『いじめはいけないんだよ』と彼らに言って聞かせるのが筋ですが。わたしはそれをそこまで正しいこととは思いません。効果的ではないという意味で。――たぶん。彼らよりも相当な権力を持つ人間が脅しをかけるぐらいでないと無理だったと思います。
なのでまあ、クラスのその不干渉の人々に対し。特に思うところはありません。わたしが彼らでもそうしたから。ただまあ、担任に「酷すぎる」と密告する生徒がいてもいいとは思いましたが……。とはいえ、彼は『見て』いましたし。
ちなみに。
親に言うという選択肢もありませんでした。何故か。
『いじめられる』のは『恥ずかしい』ことだから。言うなんて展開、頭のなかには一切ありませんでした。隠し通して過ごしましたねー。
高校に入った頃に、ちらっと「実はあのときああだったんだよ」程度のことは言いましたが。いまだに。
詳しいところは、言えていません。
生涯、隠しぬいたほうが、わたしの親は、幸せかもしれません。
わたしが育ったのは閉鎖的な田舎のコミュニティで。学校へ行かないことが『不登校』ではなく『登校拒否』と呼ばれた時代の話です。――そう。その二。
学校に行かないという選択肢はなかったのか? ――ないです。
親が周りから村八分の扱いをされます。プラスわたしの場合、ひとりでいじめられているのであればそれもありだったかもしれませんが(とはいえ部活でもひとりでいじめられても部活は休まなかったので、やはり、ナシかと思います)、友達と二人だったので。大事な、仲間だったので、励まし合って乗り切りました。
“学校へ行かない? ――弱者のすること。論外。
いじめられるのは、その人間が弱いせいだ。
『登校拒否』をするのは弱虫が行う『恥ずかしい行為』。近所に顔向け出来ないくらいのみっともなさだ”
言葉には出さずとも。そういう価値観↑が支配的でした。
わたしのなかの一部分は田舎を愛していますが。一方。
田舎のああいう閉鎖的な部分を嫌悪する自分も存在しますね。――あのとき。
学校に行くことだけが、すべてじゃないんだよ。
いじめられるのは、弱いせいなんかじゃない。いじめる側が悪い。あなたは。
なにひとつ間違ってやしない……。
そう言って手を握ってくれるひとがいたら、違ったのになあ、なーんて思います。
毎日毎日酷い扱いを受けていると。どんどんネガティブになっていくんですよね。あれは……恐ろしかった。
元々。自分を卑下する傾向にあったのが一層ひどくなりまして。
――消えたほうがいいよね、わたし。
自殺に繋がる具体的な行動は取りませんでしたが。そのくらいのことは毎日毎日考えました。昔っから、自分を過小評価するところがあったんですよね。例えば。
大好きな姉貴に認められたいから、ごんごん壁に頭ぶつけまくって「ばかだねー」と呆れられてエヘヘと笑う自分。……がいたり。親として気づいていたらやめとけ! と迷わず止めに入りますね。気づかれないところで行ったんです。子どもたちのコミュニティってそういうものですから。
思うのは。
『逃げる』のは、『恥ずかしい』ことなんかじゃない。
『生きる』のが最優先です。
そのためだったら。多少なにかを犠牲にするのも、……仕方がない。と割り切れる自分も存在します。
だってあらゆる場所でぜんぶ正義を貫いていたら、いくら命があっても足らないです。
妥協。忍耐。……せざるを得ない場面というものが、人生、出てくるというものです。
異論のあるかたは、おられるとは思いますが、それが、わたしの導き出した結論です。
ところで、中学のときに早まらなくてよかったと思ったのは。高校が。
超絶的に、楽しかった。
いじめに加担していたメンバーとはさよならグッバイ。ひとのいい。わたしよりも純粋で穿った見方のすることのない、穢れのない友達と多くの時間を過ごせたことが、わたしの人生にとっての財産です。
なので。
その苦しみが永続的なものではない――という観点を持つことも肝要だと思います。その苦しみ。
あと何年続きます? と、問いかけてみると。えーと。
一年内。
……と答えられる方がほとんどじゃないですかね。
わたしも気を取り直して、頑張ります。
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