絶対に競争で勝てない男
僕は生まれながらに競争で勝てないと確定された男である。
そんな人間がいるのかと言いたいかもしれません。どんな人間にも誰よりも優れた何かがあるはずだ。
と言いたいかもしれません。
そんな話ではないのです。
ただ勝てない。それだけです。
そんな競争で絶対に勝てない僕の話をしたいと思います。
田舎で生まれ育った両親の元に長男として生まれ、姉と弟がいます。
幼少期は昆虫採集に奔走しました。厚さ数センチはあろう昆虫図鑑に読みふけり、夏が来ればセミを籠いっぱいになるまで採りました。
最後まで僕を魅了した昆虫はウスバカゲロウでした。
小学生になり、最初の方はただ授業を受け、遊び、帰る。それだけでした。
だがある日そうともいかない事情が事情となってしまった。
学期末だったか何だったか忘れてしまったが、あるテストを学校で受けました。
要するにどれだけ理解しているかどうか、どれだけ学んだものをを使えるかといった具合が点数として数字になるわけである。初めて数字で人と比べられたのである。
今まで当たり前のように遊んでいた奴。たまに「塾」に行くからと遊びから抜けていた奴。話したことも無い奴。そういう周りの奴らとの「違い」を数字を出されたわけです。何も変わらない人間だと思っていたのにどうやら違ったのか何やら分からんのですが、そのとき僕はただ驚きショックで涙を流した記憶があります。
母はそのとき僕がテストの結果に打ちひしがれ、悔し涙を流したと思ったらしく僕に
「大丈夫、そんなん気にすることちゃうよ」と必死で励ましてくれました。
小学生のときといえば二年生のころから5年生の後半ぐらいまでは水泳に打ち込みました。
通っていた水泳教室ではクロール、背泳ぎ、平泳ぎと来てバタフライを習って四大泳法修了だ。
要するにその時点で「泳げる」わけだ。
だがそれでお疲れさまというわけにもいかないのが水泳教室の難儀なところだ。
泳げるようになったら、次は速さを求められるわけだ。
正直言って僕はまったく興味がなかった。
「泳げる」時点で何の熱意も無くなってしまったので追求したいと思えなかったのだ。
水泳教室には級というものが存在し、それが上がるほどどんどん速さを求められるのである。
級が上がれば上がるほど級はもちろん上がりにくくなり、進級テストでは進級できないことが多々あった。
そのたび周りの大人は「悔しさはないのか!?」「悔しさをバネに!」なんていうわけだ。
別にそんなものは無いからどうしようもないのだ。
しかしあまりにも周りが「悔しさ」や「競争心」の話ばかりするもんで、一体どんなもんかと体験してみたく思ったりもしました。
ある進級テストで進級できなかったとき、家に帰って布団に包まって枕に顔を押し付けて悔しくなってみようと涙など流してもみたのですが、バカバカしい気持ちと涙の量と比例して冷静になっていく自分と向き合ってしまい、「悔しさシミュレーション」は失敗に終わりました。
ちなみに、ゲームや遊びではやる気はあります。なぜならその目的は楽しむことで、お互いに競争をしないと楽しめないわけですから、その中での競争は当たり前です。
そういえば、小学生の通知表の担任の感想欄にはいつも「粘りが足りない」「悔しさを持って」などと書かれていた気がします。
いや、興味もわかない学校でのいわゆる勉強には全く熱意など注げず楽しくなかったです。
結果として懇談のたびに親の前で先生に小言を言われていたわけです。
もう少し賢い子どもであればこんなこともなかったのかもしれません。
中学に上がるとさらに恐ろしいことが起きました。
中間テスト、期末テストと毎回テストのたびに順位が出るわけで結果を配られるたびに周りの生徒たちはこぞって見せ合いを始めるわけです。
誰が何位とかどうでもいいわけです。
もちろん嫌いな奴よりは上でありたいという願望はありましたが。
そして学年が上がると進路の話と順位が直接繋がってくるわけです。
懇談のたびに担任にどれだけの順位をとればどうだああだと言われるわけですから、まぁ面倒くさい小言を言われない「生きやすい順位」を取れる程度には頑張っていた記憶があります。
そして中学三年生にもなると進路の話しか出なくなり、僕もとうとう進路を決めていたのでその進路に行ける確率を上げるために勉強を始めました。
そのとき塾に通っていたのですが、その塾には進学校に行くためのAクラス、その他のBクラスがあったわけです。簡単に残酷に言うと、Aは上、Bは下だったわけです。
最初僕はBにいたのですが、少しずつ先生たちからいろいろな科目をAで受けるように勧められるようになりました。
まだ英語と数学だけAで受講して、他の教科はBでの受講だったときにBの他の生徒数名が後ろから消しゴムのかすを僕の背中に投げるようになりました。
受験生が少しずつ周りの人を気にしはじめ、少し攻撃的になるということは事実として知っていましたが、まさか自分にそれが向かうとは考えてはいませんでした。なぜなら僕自身は他人のことなどどうでもよかったからです。
普段から表立って競争心を見せない、実はそもそもそんな物持たない僕が上のクラスに入っていくのを見て嫉妬というものをしていたのでしょう。
僕も日々の勉強と模試に疲れていたりして、そういった嫌がらせに傷つくこともあり、そういったことをする生徒の一人と一対一になったときに「なんで?」と聞いてみたりもしました。「死ね」と返ってきました。
ちなみに12月頃には全科目Aクラスで受けるようになり、彼らと会う機会はなくなりました。
見事志望校には合格しました。専門学科だったので、やっと自分のしたいことに熱中する場を与えられたという嬉しさで自然と毎朝学校へ足が向かいました。
そのなかでもたくさん嫉妬や嫌がらせがなかったわけではなかったですが、そんなことしている人間は大体途中から一つのことに熱中することを忘れてしまうので、僕の技術との差に愕然としてしまうのです。
僕はむしろ尊敬されるようになりました。
しかしまたそうなる頃には受験です。
私立なら3教科、国公立ならそれ以上様々な教科を受けなければならないのですが、なんだかまた高校受験と同じことの繰り返しだし、興味の無いものをそのために勉強する気も起きなかったのでそんな僕を受け入れてくれるようなところを探し、ようやく見つけ出しました。
僕は自分のような人間が生きやすい環境をようやく見つけたので、そこに行くためにも早速勉強を始めたのですが周りは驚いていました。
というのも、その大学は偏差値的には上に位置する大学だったようで、しかも僕の高校からは誰も進学していなかったからです。
そんなことはどうでもよいのですが。
ただ自分に合いそうな場所に向かう。それだけです。
様々な困難はありましたが、今はそのことは割愛します。
無事合格しました。
卒業式の時点で僕を含む大半の生徒は進路が決まっていたのですが、一部決まっていない生徒もいたことから皆あまり進路のことを大きな声で話そうとはしませんでした。
ただ、担任の先生が僕のところに来て「すごいことやで!あんな一流大学に合格して!」とほめてくださったのはうれしかったのと同時に尻がむずがゆくてかなわなかった記憶があります。
周りの生徒も無視してほめてくださった先生ありがとうございました。
大学はそのとき家族と暮らしていた場所から遠く離れたところにあったので、一人暮らしの始まりです。
始まってすぐ少し不安を感じていた僕はたくさんの人に話しかけました。友達もその中から何人かできましたが、20年近く生きた人間の人生は皆違っていて興味深いものでした。
小学生のときから塾に通い中学受験をし、高校まで進学校で「あの大学以外は人間の行くところではない」などど担任に説かれていた者もいました。なんてバカバカしいと僕にとっては思うことでしたが、それを実際に説かれていた張本人はつい最近までそれを信じて勉強していたなどというのです。
中にはスポーツを全力でし続けて勉強にも打ち込みやっと大学に来た奴もいました。
大学でもスポーツをするというのです。
何かに全力でないと不安だ。などというのですが、そのスポーツを愛しているかというとそうでもないのだと言うのです。
僕にとっては不思議な考え方ですが、自分というものがどう他と同じでまた同時に違うのかというのを知ることができて良かったです。
皆競争にし続けてきていて少し疲れているのだと気づきました。
それと同時に僕自身の周りも競争をずっと煽ってきていたのにも気が付きました。
小学三年生のときでしたが、親子懇談というものがあり、担任と僕と先生で話をするのですが先生が
「お宅の息子さんは勉強ができないわけじゃないのですが、あと少し粘り強ければもっとできるようになると思うんです。上に行くためにも、競争に勝つためにも粘り強さを養ってほしい」などといわれたのです。先述の通りその後もずっと言われ続けるのだが小学三年生の子どもに競争を煽っているのは僕としては驚きを禁じ得ません。
あんな子供にまったく興味もわかない数字で競争させて粘り強さだなんだと説くわけです。
まぁあの教師は公立学校のん教師にも関わらず自身の信仰をクラスで説くような奴でしたから、そもそも信用ならん奴だったわけです。
好きなことは勝手にやるから、放っておいてくれというのが僕の短い人生でずっと抱えていた思いでした。
社会はそれを許さずコロシアムに放り込んで戦えと煽っているのではないかと僕は被害妄想を抱えるときすらありました。
前にいる者を超えたいという気持ち、そして後ろから迫りくる者に追い越されないようにという強迫心を競争心と呼ぶのだろうが、そもそも競争心を抱くよう煽られ、それが出来ぬ者はそれをするように強迫心を抱かされているように感じる。
だが一度その競争の波に乗ってしまった者は気づけぬのか、波に遅れた者、乗ってすらいない者を社会から外れた人間のように扱ったりする。




