第十九談『端緒』
A「…………」
B「…………」
A「…………よし、一番乗……」
B「残念。5分遅い」
A「ちっ……おはよーっす」
B「舌打ちするな。表情を表に出すな。最初の挨拶だけは真面目にしろ」
A「…………おはようございます」
B「よし」
A「ったく、オレは犬かよ」
B「そんないいものか?こんな小憎たらしい犬、会った事ないわ。
ウチのグレンとは大違いだ」
A「よく言うぜ。グレンって飼いきれなくなったからって
里親になったあんたの弟がつけたんだろ。それまでに着けてた名前
忘れてねぇだろうな?」
B「あぁ、ししゃも」
A「いくらなんでも、酒のアテを名付けるなんてデリカシーないだろ。
本当に食うつもりだったのかよ?」
B「名前考んの、面倒になっただけ。
たまに様子見に行って、「グレン!」と「ししゃも!」って呼びかけられて、
どっちに反応するかで迷ってグルグル回ってる様子は面白いぜ」
A「傍迷惑極まりねぇな」
B「話を逸らそうって魂胆が見え見えだ。遅れたんだから、後で酒奢れ」
A「ちっ、ハイボール缶でいいだろ?」
B「安酒で済まそうとすんな。たまにはビール持ってこい」
A「一昨日ビール腹叩きながら「そろそろ控えっかな」って
ボヤいてたのは、何処のどいつだ?」
B「此処のコイツ。でもドイツの話なんかしてねぇよ」
A「誰が国の話をした?なら、ドイツで何かネタでもあんのかよ?」
B「………半年ぐらい前に商店街の喫茶店の新作メニューにな……」
A「あんのかよ!」
B「まぁ聞け。新作メニューに【ドイツ風ハッシュドビーフオムライス】
ってのがあってな、試しに注文してみたんだ。
そしたら、普通のオムライスが出てきてよ。
「何処がドイツ風?」って聞いてみたら、「ヴルストに見立てて
ソーセージの量を少し増やしました」って、こっちが求めてる
ドイツっぽい何かはそんなんじゃねぇよって言いたくなったね。
旨かっただけに尚更な」
A「今もあんの?」
B「店自体はあるけど、レギュラーになってないから売れなかったんだろ」
A「バカ舌だから不味いって思わなかったんじゃねぇ?」
B「自分のを棚に上げて言うんじゃねぇよ」
A「少なくとも、あんたより若いからこっちの方がましだろ?」
B「何言ってやがる?味覚が衰えるのは8歳あたりからで、
俺等なんて大した差なんてねぇよ」
A「そんなもんかねぇ」
B「野菜嫌いだった子が大きくなって食べられるようになれるってのは
敏感だった苦みや酸味を敏感に感じなくなったからだからな。
そんな経験あるだろ?」
A「確かにピーマンなんて食いもんじゃねぇって思ったのに、
今じゃ、肉詰めたまんねぇって食ってるもんな」
B「まぁ、俺はピーマン嫌いだから、どうやっても食わねぇけどな」
A「あんたも十分お子ちゃまだ」
B「そりゃそうと、最近どうなってるんだよ?」
A「何が?」
B「今月の競争。どんだけ負けてるかわかってんのか?」
A「4勝10敗。今日入れると11敗。さらに現在6連敗中」
B「一番風呂競争を吹っ掛けてきたのそっちだろ?
これじゃ全然勝負になってないぞ」
A「あぁ」
B「負けるために勝負してるなんて言わねぇだろうな?」
A「当然、勝てると思って吹っ掛けた。
そっちが負けたくないからって、時間わざと早めてねぇ?
融通効くんだろ、仕事?」
B「待ってられるほど暇人じゃないんでね。俺の中じゃ今は29時49分だ」
A「相変わらず遅寝遅起きだよな。何やってんだか」
B「2交代のデータセンターに詰めてみな?16時30分出社で翌日の9時30分退社の17時間。
休憩1時間の仮眠なしで8年間。問答無用で夜型人間の出来上がりってもんよ。
普通の9時5時なんて無理だって思えるようになれるから」
A「デスクワークだろ?楽じゃん?」
B「見落とし厳禁のチェックが30分おきに来るから
ゆっくり飯も食えねぇし仮眠なんて無理無理。
流石に今それをやれって言われたら速攻で断るね。
ありゃぁ、若い時にしかできねぇわ。やってみる?」
A「給料次第で考えなくもないけど、やっぱパス。身体動かす方が性に合ってるわ」
B「だろうよ。で、話がすり替わったけどそっちこそどうしたよ?」
A「どうもこうもねぇ。配る戸数が増えただけの事さ」
B「へぇ。新聞読まないって人増えてるんだろ?」
A「日頃の地道な営業の賜物ってドヤ顔したいとこだけど、
この時期って増えるんだよ」
B「この時期に?」
A「寮替わりに会社が借り上げた寮があって、
異動とか配置転換で急遽入ってくる人が契約してくれるんだよ。
それだけ覚え直さなきゃいけねぇから、手間取って時間かかっちまう」
B「景気いいじゃん、儲かってるだろ?」
A「生憎、歩合じゃないんで据え置きですわ。上がっても50円ぐらいかな」
B「は?まだバイト扱い?何年続いてんだよ」
A「16歳になった次の日に原チャの免許を速攻で取って、
次の日にバイトの面接受けたから、今年で6年かな」
B「22なら大卒と同じか……」
A「皆まで言わなくてもわかってらぁ。中卒で取ってくれるトコなんてねぇし、
一番若いのって俺しかいねぇから、経理まで任されてさ。
だったらこのまま住み込みで就職させてもらえねぇかなって思ってる」
B「…………」
A「いくら崩れたって書き立てても、結局はいい[[rb:大学 > トコ]]出なきゃ
いい会社に入れねぇってのは変わんないじゃん。
優秀な学生を囲い込む会社だってあるんだろ?」
B「お、偉い。ちゃんと新聞読んでる」
A「茶化すなよ。読めねぇ漢字を調べるぐらいスマホで一発だろ?
機械は小言言わねぇし、読むぐらいは人並みでいてぇし」
B「辞典は既に用済みってか。この時代に学生でいたかったわ」
A「でもよぉ……読んでてもいい話題ってのは全然ねぇんだよ。
汚職だの政争だの知らねぇ所でゴタゴタしてやがるわ
殺人やら強盗やら、底辺確定の俺の将来を見てるようで」
B「まぁ快挙が一面を飾るなんざ、年に数回あるかどうかだし、
そういうのは号外で出るから余計出ずらいんだろうな」
A「そこで……物は相談なんだけどさ」
B「どうした?金の相談ならそんなに乗れねぇぞ」
A「そうじゃねぇけど……もっと乗れねぇかもしれない」
B「なんだそりゃ?まさか人の道を外すとかじゃねぇだろうな?」
A「ねぇよ。それで新聞には載りたくねぇし」
B「なら何だよ?」
A「アンタ。本業より副業の方が稼げるようになれたから
そっちで食ってけるってフリーランスになったんだろ?」
B「まぁな」
A「それなら、教えてくんねぇかな?その秘訣。
あ。勿論、全部なんて虫のいい事は言わねぇから、
その取っ掛かりでも教えてくれればなって」
B「取っ掛かりっつったってなぁ……」
A「………………」
B「先に聞くけど、楽に生きてるように見えてるか?
そう思ってたら承知しねぇぞ」
A「この顔で茶化してると思う?」
B「よーしわかった。一発入れてやる」
A「ちょいちょいちょい、勘弁してよ」
B「冗談冗談。その顔で殴られるなら、
世の中全ての人間を殴んなきゃいけなくなる」
A「…………」
B「ぶっちゃければ、同業者なんて増やしたくないんだ。
わかるだろ?数万の報酬を手にするのに数十人。
ネーミングのコンペの参加者なんて数百人がザラだ。
その中でたった一人に与えられる報酬を奪い合わなくてはならない。
偶然、同じ案件でバッティングしてるって知れたら、
俺はお前とこうやって和気藹々できる自信はない」
A「…………」
B「まぁ、誰が参加しているかなんて非公開になってるモノが多いから
単に気付かなきゃいいだけの話だが、本当に大変なのは別だ」
A「何だよそれ」
B「「24時間戦えますか?」って歌詞の歌が流行ってな……」
A「へぇ……知らねぇわ」
B「知ってるかどうかは問題じゃない。
コンビニみたいに365日24時間戦い続けられるかって聞いてる」
A「何で?フリーランスなら休みたい時に休めるんだろ?」
B「それが温いんだよ。クライアントの要望があれば
こっちが元旦の28時であろうと、その日に親が亡くなろうと、
内容にどれだけ無理があっても、すぐに対応した成果物を出し続けて、
やっと「あの人がいたな」って浮かんでくる候補の一人でしかない。
先に言っとくが、脅しじゃない。これが現実だ」
A「それ、盛ってねぇ?」
B「勢いで言ってる部分があるのは認める。 なら、もう少し噛み砕くか。
お前、ダチって思える人は何人だ?」
A「それはリアルだけ?アプリも入れて?」
B「それはどっちでもいい。仲がいいって思ってる連中の数は?」
A「そうだなぁ……話をするレベルなら50人はいるかな……」
B「その全員と縁切れるか?」
A「はぁ?」
B「コンビニ人間になるってのはそういう事。
案件を受ける事のを最優先にすると
結婚式・同窓会・オフ会に招待されても参加できないから、
自然と独りで戦わなきゃならなくなる。
人付き合いが自然と清算されて誰もいなくなっても、
歯を食いしばって10年間フリーをやり、
やっと食える目途が立った時にはもう43のオッサンだ。
俺にはもうこの道しか残されていない所まできちまったんだよ。
お前22だろ?他に幾らでもやりようがあるのに
清算してこっちに来るのは早い気がするんだよ」
A「…………」
B「それでもやるか?」
A「やる」
B「即答かよ……」
A「即断即決即行動。早ければ早い程色々できるじゃん。
年下で稼いでる奴なんてそこら中にいるし
22でも十分に出遅れてるんだ。これ以上遅れたら泥沼一直線だろ」
それにさっきアンタ言ったじゃん。幾らでもやりようがあるって。
なら、失敗してもまだ道があるうちにやるんだよ」
A「……………………」
B「寝てんのか?」
A「そんなわけあるか。とやかく言うのは親だけで充分だろ。
赤の他人にこれ以上言う義理はねぇし、
手助けはできねぇが、入り口には導いてやる。
後は自分で何とかしな」
B「…………わかった」
A「そうとくりゃぁ、仲介料取らねぇとな」
B「はぁ?金取んのかよ?」
A「当たりめぇだろ?慈善事業で教えられるかよ?」
B「マジかよ……モバイルバッテリー買ったばっかで
金欠気味だからまけてくれよ」
A「そうだな……
まけにまけて、今日の風呂代とビール1杯ぐらい奢れ」
B「お……おぅ」
A「よし、ちょうど開いたし一番風呂でももらいに行くか。
忘れちゃいないと思うけど、今日も負けてるからな」
B「ちっ」
A「だから、舌打ちをやめろっての」




