第十六談『雨隠(あまごもり)』
A「ま―ったく…こんなタイミングで降られちゃ…」
B「結構強く降ってきたみたいだね…大丈夫かい?」
A「ウォータープルーフですから、雨自体は気にしなくてもいいんですけど、
もう少し先まで行く予定が連日の雨でズレちゃって、間に合うかどうか…」
B「お天道様には逆らえないから、そこは仕方ないと割り切るしかないね。
時期的にも梅雨の走りに差し掛かってくるみたいだし…」
A「梅雨の走りって何ですか?」
B「あれ?聞いたことない…?この言葉も死語になっちゃったかぁ…」
A「あ、すいません。海外暮らしが長くって」
B「あぁ、外人さんかぁ」
A「細かく言えばクォーターなんです。
イギリスと日本のハーフの父と、フランスとオーストリアのハーフの母で」
B「血統表にしたら凄そうだけど、それにしても日本語上手いね」
A「高校まで日本にいたんで、一番馴染んでます」
B「どれぐらい話せるの?」
A「日本語と英語とフランス語、それと関西弁」
B「関西弁?」
A「日本では吹田にいましたから、 同級生に囲まれたらすぐに染まれます」
B「だけど、ここ本庄だから大阪とは別の方角だよ?」
A「亡くなったお祖母ちゃんのルーツが青森だと聞いて、成田から歩いてきました。
それにバックパッカーなんて、若い頃にしかできないでしょうから」
B「空港から!?どれぐらいかかったの?」
A「今日で…2週間ですね」
B「そんなに休みって取れるの?」
A「日本と同じ感覚で働いてますと、
上司に『君は仕事のしすぎだから、有休を使いなさい』って軽く叱られて
3週間休暇を貰っちゃいまして…どうしようかなって思ってる時に、
偶然観た外国人観光客にインタビューする番組が面白くて、じゃぁ日本に戻ってみようかなって…」
B「その間泊まる所はどうしたの?」
A「宿泊先を無償で提供してくれるアプリを使ったり、ゲストハウスを使ったりですけど、
どうにもならなくなった時には野宿で凌ぐ時もあります。
寝袋とテントは入ってますから」
B「この時期、夜は寒いでしょ?」
A「最初は流石にちょっと堪えて、よく風邪ひかなかったって思いましたけど、
慣れて考える余裕ができると、自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかも思い知らされました」
B「若いからできるんだろうね。僕には真似できないよ…」
A「でも、野宿でしか味わえない出会いもありましたね」
B「へぇ~…どんな人?」
A「公園を根城にしていたホームレスの方で、
先にその場所を取っちゃってたみたいで、怒られると思ったら、
志生野 馨の短編集で意気投合してお酒片手にお話が聞けたんです。
『この年になってこんな生活を続けてると、
毎年冬の便りを聞くと「あぁ、来年の桜は観れないかもしれないかなぁ」って思うんだ。
そうやって日々を過ごして、夜に温かさを感じられるようになった時、
「これで、春と夏と秋を味わえる」ってしみじみ季節に感謝できるんだ』って言ってたのが響きました。
恐らく最初で最後の出会いでしょうけど、この言葉は憶えておきたいですね」
B「人当たりのいい人で良かったね」
A「そうですね。でも、そんな人に出会えたのが運の尽きみたいで、
靴に穴が開いて水が滲み込んでくるのが気持ち悪くて、慌てて新しい物に履き替えたんですけど、
それが足に合わなくて、プランが遅れ始めたんです」
B「そりゃ大変だ。足はどうともない?」
A「痛くなるだろうと思って、無料で入れる足湯がある施設を探すんですけど、
当てが見当たらなかった時は、流石にパンパンになります」
B「折角だから、残ってる温湿布をあげるから使いなさい」
A「いいんですか?」
B「僕はさっき貼ったし、またドラッグストアで買うから」
A「じゃ、遠慮なく使います。実は近頃足湯に出会えなくて…」
B「どうぞどうぞ」
A「………はぁ………解れる………」
B「その様子だと、日頃からあまり運動してないでしょう?」
A「わかります?」
B「まぁね。伊達に人生のキャリアを積んできてるから。
年季が入っているバッグなのに、服装が新しくて合ってないもの」
A「よく見てますね…ちょっと引くぐらい」
B「職業柄でしょうがないけど、ここまで来ると職業病レベルかな。
会社で人事やってると目についちゃうんだよね」
A「そうなんですか…どれぐらい見てこられたんですか?」
B「数え切れないほど…としか言えないよ。人なら数千。データなら数万レベルだと思うよ」
A「そんなにですか?」
B「法令遵守があるから、会社名は聞かないでね。
でも、誰もが聞いたことのある所だよ」
A「私みたいに海外暮らしが長くても?」
B「勿論。世界的にも有名だろうね」
A「あの…こんなことを聞くのって失礼かもしれませんけど」
B「何かな?答えられる範囲のものなら答えますよ」
A「人事って、やっぱり大変ですか?」
B「妙にざっくり聞いてくるけど、どうして?」
A「何度か面接をパスして会社に入ったんですけど、
入ってから面接担当の方を一度も見たことがないんですよ」
B「多分…それはアウトソーシングで面接を代行してもらったんじゃないかな。
セカンドオピニオンは、何も医療の世界にのみ通用する言葉じゃないから、
色眼鏡なしの判断が欲しい時に外部に委託する会社もあるね」
A「なるほど…そういう事だったのかぁ」
B「僕の会社の場合は、人事だけを担当する部署はなくて、
各部署の社員を1人ずつ出しあって、面接官風を装うんだけど、
流石に寄せ集めじゃチームワークがバラバラになるから、
一応僕が代表になって人事部を取りまとめてたんだ」
A「へぇ~…」
B「で、質問の答えだけど、大変なのは当然だし、
一番大変なのは、裏の顔をひた隠しにしなくちゃいけない所かな」
A「裏の顔ですか?」
B「さっきも言ったけど、人事は寄せ集めだから
僕も表向きには経理部所属でね。裏の顔を知っているのはそんなに多くないと思うよ」
A「………」
B「それが社外の人だけならまだ楽なんだけど、社員の査定までするのがきつくて、
数字で人を見ると、どうしても減点方式になって、
社員の僅かなミスや言動をあら捜しするのに終始するようになってね」
A「でも、会社のためには仕方ないんじゃないですか?」
B「理性ではね。ただ感情は割り切ることは難しいものでね。
誰も好きで誰かの首を切っている人間なんていないんじゃないかな。
自分の判断で他人の人生を左右するなんて傲慢もいい所だよ」
A「………」
B「でも、誰かが汚れ役を引き受けなくちゃいけないからと思ってたけど、
入った時からずっとお世話になっていた先輩に早期退職を促した時はきつかったなぁ…
『お前はお前の仕事をしただけだ、胸張っていけ…』って肩を叩かれて大泣きしてね。
そこから息苦しさを覚えて異動願いを出し続けたら、退職勧告を受けたんだ。
査定する側もされる側だったわけ」
A「それって不当解雇じゃないですか!」
B「そう思ったけどね。
仮に復帰が認められたとしても、針の筵になって居辛くなるだろうし、
それならって最後の有休を使って歩き回ってみようかなって思ってね」
A「奥さん、ビックリしませんでした?」
B「そのあたりは大丈夫。奥さんもういないから」
A「えっ!」
B「もう15年かな…進行性の癌でね」
A「それは………ごめんなさい」
B「15年も経ってるからね。それに彼女にそっくりの娘が君と同じ反応をしてたよ」
A「そうでしたか………それで次の就職先は見つかったんですか?」
B「それがね、さっき君に面接のアウトソーシングって言ったでしょ?」
A「はい」
B「前に査定でリストラにした後輩がその会社を立ち上げて、スカウトしてきたんだよ。
『その人を見る目を貸してくれませんか?』ってね。
嫌々ながらやってた事が、こんな所で役に立つなんて世の中解らないねぇ…」
A「それは良かったですね」
B「そうだねぇ。この年になっての再就職で難航するのは覚悟の上だったけどね。
あと1週間はのんびり羽を伸ばすよ」
A「そうですか…いいお話を色々ありがとうございます」
B「そんな参考になる話があったかどうかはわからないけど、
こちらこそ、久しぶりに若い子と向き合えて楽しかったよ。
で、これからどうするの?雨止みそうにないけど?」
A「こうなったら近くで野宿できるような所を探します」
B「それだったらどうかな。さっき少し出てきた娘の家が近いから、
泊めてもらえるように頼んでみようか?」
A「いいんですか?」
B「ここで会ったのも何かの縁だし、このまま別れるのも惜しいからね。
車で10分ぐらいの所だから、連絡が付けばすぐ来るんじゃないかな」
A「突然お邪魔して大丈夫ですか?」
B「一時期ホームステイの受け入れをやってたから、逆に喜ぶよ」
A「やったぁ!ありがとうございます!」
B「えっ?帽子とサングラスで分からなかったけど女の子だったの?」
A「身体が大きくて地声が低いから、パッと見ではわかんないみたいですね」
B「それなら尚更泊めてあげないとね…何とか頼み込んでみるよ」
A「お願いします。もう頭の中は蒲団で一杯です………」




