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逆巻いた時間

「遠いところからの移動で疲れたでしょ。たくさん食べてね、アリスちゃん」

「それにしても久しぶりだなぁ、アリスちゃんと最後にあったのはいつだっけ?」

「ん、ありがと千草。最後に会ったのは一年前のお盆だったかな。忘れちゃったかな芳徳」

「この人最近呆け始めちゃって困ってるのよねー」

「それは困ったね」

「そんなことないぞー」

 これは一体どういうことなんだ。

 目の前で繰り広げられる異様な光景に俺はただ黙っているしかできないでいた。

 ――魔女さ。

 そう俺に向かって言ったそいつは平然と、なんの抵抗もなく帰宅してきた両親と打ち解けていた。いや当たり前のように会話が成り立っていた。自己紹介もなく、顔を合わせる前からの知人のように。

 それから喜び勇むお袋が夕飯を用意し、ちょうど仕上がった頃に親父が帰ってきた。

 自然な流れで食卓には四人分の料理が並び、椅子には親父とお袋がいつものように向かい合って座ると、空席だった俺の目の前に魔女が座った。

「いただきます」

 親父のその一言で俺以外の二人も続く。

「どう、おいしいアリスちゃん?」

「ん、おいしいよ。また腕を上げたね」

 違和感しかない俺にとってその言葉は白々しさを通り越して吐き気すらする。

 どうして誰も何も言わないんだ?

「芳久、どうして食べないんだ? 冷めるぞ」

 親父が一向に食べ始めない俺を気にしてる。

 けれどそんなことに答えられるだけの余裕はなかった。

「どうかしたの芳久?」

 目の前の魔女が気にした様子で俺を見る。

 それに苦笑いで答えたのはお袋だった。

「朝からちょっと様子が変なのよね。寝ぼけてるだけだと思ったけど、本当に調子が悪いのかしら。明日病院に連れてった方がいいのかしら」

「それは心配だね」

 と、魔女は俺に視線を向けてくる。

「大丈夫かい?」

 向けてきた目は挑発するような形を作り、口元は含み笑いで歪んでいた。

 その瞬間に俺は椅子を倒して立ち上がっていた。

「お、お前は誰だよっ!?」

 半ばヒステリックに声が裏返ったのを自覚する。

 俺の心を占めているのは圧倒的な恐怖だった。

「ここは俺の夢だぞ! 夢は経験したことを脳内で整理するときに見るものだ。それなのにお前は誰なんだ。俺はお前を知らない。どうしてここにお前がいる!?」

 後悔に苛まれた時間が終わり、夢でも幻でもいいと望んだ理想の時間が始まったはずだった。

 現実かどうかはどうでもよく、俺の望んだ友人たちと穏やかな時間を送れる世界。それをようやく手に入れたというのに、どうして異物が紛れ込んでいるんだ。

「知らないって、何言ってるの芳久」

 溜息を漏らすお袋が立ち上がって魔女の肩に手を置く。

「駒井アリスちゃん。あんたと同い年の従妹よ、忘れちゃったの?」

「ま、実家は遠方だしお前は墓参りとか全然行かなかったからなぁ」

「な、何を言ってるんだよ……?」

 確かに遠い親戚の墓参りなんて面倒臭がって行かなかったけど、さすがに親戚の存在は覚えてる。顔はともかく名前くらいは話に出てくるのだから知ってる。でもその中に駒井アリスなんて名前は今まで一回も出てきたことはない。

「ふふ、忘れていても仕方ないよ芳徳。でもこれで私の存在は知ったでしょ芳久」

 駒井アリスと呼ばれた魔女はそういって笑う。

 今はマントもフードもなく、けれども全身黒い印象は色濃く残っている。黒のワンピースに小豆色のベストを身につけた格好はまさしく魔女だと言える。

 単なるコスプレと思い込みたいが、俺の背後に音もなく回り込んだことや両親と何の抵抗もなく馴染む姿を見せられると無理だった。何より時折見せてくる見透かした目が酷く恐怖を駆り立てる。

「これからよろしくしてくれると嬉しいよ」

「な、何をだよ」

 作り物めいた笑顔に及び腰になる俺。

 その補足をしたのはお袋だった。

「あら、言ってなかったかしら? アリスちゃん、今日からウチに住むことになったのよ」

「……は」

 もう状況がわからない。

 すでに動揺も隠せず気のない呼吸のような声になっていた。

 今お袋はなんて言った。

 この魔女が今日からウチに住む?

 得たいの知れない化け物が?

「ありえない」

「それは酷いな。仲良くしておくれよ」

 魔女は眉尻と目尻を下げて上目遣いで見てくる。

 それは本当に悲しそうに見えてくる。でも俺にはそうは見えなかった。

「芳久! 女の子を悲しませるなんて男失格よ?」

「もう決定事項だしな。部屋も用意してあるし」

 なんで外堀が埋まっているんだ?

 今朝はそんなこと言ってなかっただろ。

「家主の了解も得たし、多数決で問題なしみたいだね。よかったよかった」

 決して喜んでいるようには見えない魔女。

 それは最初からそうであるとわかっているかのような余裕すら感じた。

 俺には薄ら寒い感覚だけが残った。

「部屋は芳久の前だから何かあったら芳久に言いなさいね?」

「わかった。芳久、改めてよろしくお願いするよ」

「あ、ああ……」

 柔らかな笑顔と見た者は言うかもしれない。

 何も知らなければ俺もそう思うかもしれない。

 でも俺は知っている。

 目の前の少女は人ではないと。



 その後、口を閉ざして夕飯と風呂を早々に終わらせた俺は、机に向かってシャーペンを動かしていた。

 今日提出だった課題は担当教師の南田に事情を説明すると、明日の朝に提出すればいいと言われた。やる気はなくとも授業態度や成績がいい部分に今回救われたと思う。

 そして帰宅して課題を明けてみればどうやら一切ペンを走らせてはいなかったようで白紙だった。

 一度木ノ下の課題に目を通していたこともあって課題自体はさほど難しくも感じない。

 それでも集中してやっているのは一種の現実逃避であると思う。

 わけのわからない状況で始まった今に落としどころを見つけて、再出発ということで認識を改めた俺の前に現れたアリスという名の魔女。同じ姓を名乗っているが、あんな特異な髪の色をした親戚がいれば知らないわけがない。

 アルビノ体質というものもこの世界には存在しているし、髪が白銀あるいは白かったとしても不思議ではない。目も赤かったような気がするし、一応その線で納得はできる。しかしそれ以外はどう納得すればいいのか。

 家の鍵はまあ合鍵で入って、鍵を戻して施錠すればいい。

 けれど後の一連のことは説明できない。

 俺を呼んだときには耳ではなく明らかに頭に直接響いてきたし、背後をとったときは目眩ましの直後に後ろにいた。何より両親との馴染み方がありえない。そして魔女は俺の従妹だと口を揃えている。

 口裏を合わせていたとしてもおかしいことが多すぎる。もしもそれを信じさせるならば、どうして俺に向かって魔女だと言ったんだ。

「全くわからない」

「その割にはスラスラと解いているじゃないか」

「うわっ」

 耳元で囁かれて思わず椅子から転がり落ちる。

「そこまで驚かなくてもいいじゃないか。ちょっとしたお茶目だよ」

 クスクスと口元を手で隠す顔は実に悪戯好きな表情をしていた。

「お詫びにサービスでもしてやろうかな」

 そういって魔女はワンピースの裾を引っ張る。

 細い脚が見え、陶磁のように白い肌が脹脛、膝、太ももと順に露になっていき――。

「ま、このくらいかな」

 と引っ張っていたスカートを離す。

「満足してもらえたかな?」

「この部屋から出て行ってくれたらそれだけで満足だ」

 睨む視線でそれだけ告げると、魔女は肩を竦める。

「おやおや嫌われたものだね」

「どこに好く要素があるんだ」

「ふむ、そうだね」

 顎に手を添えてクルリと半回転。そのまま数歩扉へと向かって歩く。

 その間に俺は立ち上がり出て行ってくれるのかと思っていると、魔女はその場で半回転した。

「自分で言うのもなんだが、それなりに整った容貌はしていると思う」

 言い放った魔女はその容姿が見えるように俺へと軽くポーズをとった。

 長い白銀の髪はゆるく二つに結わえられ、蛍光灯に照らされてキラキラとしている。そんな髪に縁取られた顔の輪郭は小顔で、収まるパーツは整った工芸品のようにさえ思う。中でも目は瞳が大きく、赤目であることが定めてあるかのようだった。身に纏う黒のワンピースはシンプルながら、首元や袖にリボンがあしらわれて安い作りには見えない。その上に身につけている小豆色のベストも差し色になっているのかとても自然に感じた。

「胸はなさそうだけどな」

 正直にその通りだと言えば負けを認めるような気がして搾り出したのがそんなくだらないものだった。言った後で失笑してしまいそうになる。

「ふむ、確かめてみるかい?」

「は?」

 魔女は平然とベストのボタンを外し、ワンピースの前のボタンに手を掛ける。

「いらない、必要ない、やめてくれ」

「そんなに拒絶されると傷つくね。ま、キミの言う通り、というか見た通りペッタンコだよ」

 乱れた服装を整えつつ恥ずかしげもないそれはやはり人間ではないのかもしれない。

 非現実的な存在だと思うが、今の状況が同じようなものなので難しく考えても答えは見つからないだろう。

「んー、さきほどの言葉を訂正させてもらおうか」

 と、魔女は整えた服の上から自分の胸を覆うように手を置いて。

「この場合はなんと言ったか。……ふむ、確か膨らみかけ、だったか。今の私にそれが該当するかはわからないが、前に比べれば成長しているか、喜ばしいな」

 小さく息を吐くように笑う。

 こいつは本当になんなんだ。

「魔女だと言ったはずだけど?」

「!?」

 俺の心を読んだのか?

 いや、まさか――。

「キミは自分に説明できないことは認めない性分みたいだね。だからどんなことにも原因や理由を求めている。たとえば私と出会い、今に至るまでの不可思議な流れ。ああ、私との出会いはこの部屋で会ったときからだよ?」

「……だとして、お前は何が言いたい。俺の疑問に答えてくれるのか?」

「答えたとして納得できるのかい? 理解できないことをキミは納得しないだろう?」

 まるで俺を知っているかのような口ぶり。知っているかどうかは別として、見透かしたような態度はずっと変わらずにそこにある。

「ま、教えてあげてもいいかな。私はキミに意地悪をしたいわけじゃない。教えてそれをどう解釈して行動するのかはキミ次第だし」

 魔女は俺のベッドに音もなく腰を下ろすと椅子を指差す。

 どうやら俺に座れと言っているらしい。

 大人しく座るのを見届けた魔女は人差し指を口元に当てた。

「そうだねぇ。とりあえずここ。キミが呼んでいる夢幻の世界について教えてあげる」

 からかうような半目が俺の目を捉える。

「ここはね夢や幻なんかじゃない。現実に存在する世界だよ」

「その時点で俺は納得できないぞ」

「まあまあ、最後まで聞きなよ。質問はその後に好きなだけ聞いてあげる」

 聞き分けのない子供に言い聞かせるような感じが癪に障った。

 が、俺は口を噤む。

 下手に反抗して止められてしまったら収穫はゼロだ。

「ええと、今のキミは高校三年生の時間軸にいる。それはわかるかな?」

「ああ」

 時間軸という部分がいまいち理解できないが頷く。

「本来のキミは高校を卒業して四年ほど経った時代で生きていた。とはいえ生きているとは到底言える生活は送っていなかったみたいだけどね。高校を卒業してから定職に就かず自堕落に家に引き篭もり、家庭は半ば崩壊しかかっていた。一度意を決してアルバイトをしているけど、あまり長続きはしなかったようだし、致命的に社会からドロップアウトしていた。生きる価値なしってやつだね」

 自覚していたことを他人に言われると堪えるものがあるな。

 見ず知らずの、それも魔女に言われて憤りすら起きない。

「そしてキミはあの日、交通事故に遭い死にかけていた」

「……お前、まさか」

「ん、思い出したかな。だから言ったよ、会うのは三度目だって」

 霞んでいく視界でシルエットだけを捉えていた人物。

 死を目前にした人間を前にして感情なく俺の――後悔を、願いを訊いてきた人物。

「お前が……?」

「そうだよ。思い出したかな?」

「でもどうして……」

「その問いに答える意味はないかな。私はキミの願いを叶えた。つまりここはキミの望んだ過去という現在なんだ。それがどういう意味かはわかるだろう?」

 どうやって過去に戻ったのかはわからないが、もしもこの魔女の言う通りならば俺は望んだ時間に戻ってきたということになる。正直に言って非科学的な状況を全力で否定したいが、これが本当ならば願いが届いたということなのだろう。

 それが悪魔や化け物、魔女に魂を売ることで得たものだとしても俺にとっては願ってもないチャンスだった。

「別に魂を買ったつもりはないのだけどね」

 苦笑を浮かべた魔女はベッドから立ち上がると、俺を見下ろす。

「私にできることはやった。一度歩んだ暗い過去を歩んでもいいし、今度はみんなの輪に混じって明るい生活を送るのでもいい」

 俺は魔女の挑発的な視線を知りつつも無言で立ち上がり、真っ向から見返す。

「俺はどちらも選ばない」

「へぇ、じゃあどうするのかな?」

 まるで、いや魔女は俺の言葉を見透かしているのだろう。

「俺は俺のための過去はやり直さない」

 過去に戻ったのならばこれから先は俺の知る出来事が必ず起こる。

 予定調和のようにそれらが待っているのなら、俺が例え友好的にクラスに馴染んでも明るい未来は訪れない。

 なぜならあの事件に俺は関与していない。けれど俺は確かにその片鱗を見ていたのだ。それを見ない振りして見放した。

 変えられるなんて自分を過大評価していない。

 でも変えられないと自分の殻に閉じ篭りたくはない。

 そんなことをしてしまえば結局、俺は前と同じ生活を繰り返すだけなのだから。

「それならどうする気だい?」

「俺は救いたい」

「誰を?」

「俺を救ってくれていた、あの娘を」

「それなら全力でやり直すといい。後悔のないように」

 魔女はそれだけ言って部屋を出て行く。

 そのときに浮かべた笑顔は今まで見せていた不敵なものや、からかうものではなく、求めていた答えを聞けた充足感が窺えた。

 俺はそれこそ降って沸いた機会に感謝と決意をする。

「やってやるさ。今度は俺がお前を……木ノ下を助ける番だ」

 思い浮かぶのはいつだって笑顔を向けてくれた女の子。

 高校三年生の春。

 ゴーデンウィークを心待ちにしていた彼女は、その日を迎えること叶わず――死んだのだ。

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