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夢幻の安らぎ

 友人たちに気遣われながら辿りついたのはチャイムが鳴るのとほぼ同時だった。

 当然のように用意されていた自分の席について教室内を見渡す。

 空席は一つもなく全員が出席している。とはいえ、俺はクラスメイトの顔などほとんど覚えていない。それ以前に覚えようとする気さえなかった。だから視界に入る人たちがクラスメイトだという認識は薄い。

 けれどそんなものはどうでもよくなっていた。

「私の顔をじっと見てるけど、何かついてる?」

「目と鼻と口」

「当たり前のことなんですけどー」

 教壇では担任が連絡事項を伝達している最中。

 何かの注意を促しているようだが、俺の耳には一切入ってこない。

「ほんとに大丈夫なの?」

 隣の席にいる木ノ下は気遣わしい目で窺ってくるが、頷いて答える。

「問題ない。むしろおかしいままでも構わない」

「そこは構うところでしょ。どうしちゃったの?」

 これ以上ないくらい本心だった。

 こうして木ノ下と会い、何気ない会話ができるだけで救われている俺がいる。

 すでに俺の中でこの世界は夢想のものであると結論付けている。更生計画やドッキリだとしてもこんな大掛かりなものは一介の庶民にできるわけがない。それならば現実を直視できずに夢幻に浸っていると考えた方が納得できた。ならばいっそのこと幻を死ぬまで見ているのも一興だ。むしろ俺にとっては救い以外の何物でもないのだから。

「あーこら、そこの見詰め合うカップル。反感を買うから止めなさい……主に私の」

 俺たちの担任こと民安蓮子教諭がとても冷たい視線を向けてくる。

「うぇ!? 私たちですか!?」

「それ以外にいないでしょ。他の人は黙って先生の話を聞いてるんだから」

「いや、あの私たち付き合ってない――」

「問答無用!」

「す、すみませんでした」

「ま、学生時代はあっという間だし? 多感な時期に掴めるものは掴んでおかないと失っちゃうからねぇ」

 そんなことを漏らす民安教諭はどこか遠くを見ているかのようだった。

 過去へ思いを馳せている姿は共感を覚えた。

「だからといって公私混同はやめてよね。特に私の前では。親にしつこくせっつかれている焦りを煽ってるように見えるのよ。まだ二十代なのにね!」

 二十代に物凄い力を入れて言い放った民安教諭は鼻息荒く教卓を叩く。

「連絡は以上。せいぜい青春時代を謳歌すればいいのよ、ふん!」

 およそ教師とは思えない捨て台詞を吐いて教室を出て行く民安教諭。

 それを見送ったクラスメイトたちに流れるのは一瞬の沈黙……そして。

「行ったか?」

「相変わらずのヒステリックだな」

「仕方ないわよ。だって民やん今年で二十代最後だもの」

「タイムリミットが迫っているのね……」

 口々にそういった言葉が投げ交わされる。

「怒られちゃったね。ちょっと恥ずかしかったよ」

「そうだな」

 あはは、と舌を出して笑う木ノ下。

 軽い同意をしておく。本当のところは全く動じることなく、心は凪いだ状態といっても過言ではなかった。

「で、話を戻すけど」

「なんだ?」

「駒井くんの雰囲気がいつもと違うけど何かあったの?」

「違うかな?」

「うん。なんていうかいつもはもっとこう……つまらなそうにしてる」

「そっか」

 その理由はわかってる。

 文字通り全てがつまらなかった。

 勉強は完璧ではないにしても授業で聞けば予習復習なしでできたし、運動も努力なしで上位に入ることができた。趣味というものがなかった俺にとって、熱を注ぐ対象がない人生は酷くつまらなく感じていたのだ。

「今はどう見える?」

「んー、なんだろ丸くなった?」

「なんだそれ?」

「わかんないけど、前はもっと尖った感じがしてた。今は穏やか……そう穏やかな顔つきしてる。いつも目を三角にして眉間に皺寄せてたもん」

 こーんな風に、と指で目尻を引っ張る木ノ下に俺は小さく噴出す。

「そうか、そうだったかもな」

「なんで笑うのよぉ」

「悪い悪い」

「で、で、何かあったの?」

「強いて言えば木ノ下が木ノ下だったことかな」

「え? 何それ?」

 彼女の問いに答えず笑みを返す。

 首を傾げる木ノ下の柔らかそうな長い髪が小さく揺れた。

 木ノ下咲良。

 感情豊かで活発、物怖じしない性格からか敬遠されがちだった俺にもガンガン声をかけてきた。それはもうしつこくうんざりするほどに積極的に。逆をいえばそこまでしてこなければ友人にまではならなかったと思う。

「でも確かに昨日までの芳久と違うよな」

「今の会話聞いてて私も思った」

 そこへ近づいてきたのは稔と女子生徒一人。

「おはよう、原西」

 女子生徒の名前は原西葉子。

 セミロングくらいの髪をポニーテールに結った髪型で、可愛いというよりは綺麗系の容姿をしている。

 そんな彼女は俺の数えるほどしかいない友人の一人で、集まるときは稔、木ノ下、原西に俺を加えた四人だった。

「駒井くん、おはろー」

 原西が手を小さく振るので俺もそれに応える。

「ほら、それ。絶対今までやらなかったもん。自分から挨拶しないし、挨拶しても返さないし。ね、咲良」

「うんうん、返してくれても「ああ」しか言わないんだもん」

「そ、そうだったっけ?」

「うん」

 俺の問いに稔まで含めた三人が頷いた。

 そうか。俺の態度はそんなに冷めていたのか。

「いいことだし続けなよ? その方がこっちも気持ちいいし」

「ああ、そうするよ」

 原西の忠告に素直に頷く。

 すると、

「やっぱり変だよな」

「だねー」

「お前らな……」

 俺はどういう反応をすればいいというんだ。

「あ、そうだ。駒井くん駒井くん」

 木ノ下に袖を摘まれたので見れば拝むような格好をしていた。

「何してんだ?」

「一生のお願いがあります。今日提出の課題を見せてください」

「ないぞ」

「そこをなんとか……え?」

 きょとんとする木ノ下にわかりやすいように机を動かす。

 そうすれば鞄も持たず、置き勉しない俺の机の中は必然で空だ。

「え、え……?」

「そうなんだよなぁ、俺も木ノ下ちゃんと同じ考えできたのにこれだもんなぁ……」

「あんたらちゃんと課題はやりなさいよ」

「原西の言う通りだな」

「いや、駒井くんは課題、持ってきなさいよ……」

 まさしくその通りです。

「はぁ、仕方ないわね。咲良の課題は駒井くんが手伝ってやって?」

「え、俺?」

 至極当然に言われて焦る。

「だって席隣だし。学力レベルで言えばこれでトントンよ。というわけで白滝くんの手伝いは私がするわ」

「え、俺は芳久の方が……」

「今からやるわよ。提出するのは六限目だから間に合うでしょ。言っとくけど写させないから」

「マジかよ!?」

 引き摺られるようにして去っていく原西と稔。

 それを見送っていると袖が引かれた。

「よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる姿を見て思い出したことがあった。

 木ノ下咲良という少女は、とても学力が低かった気がする。

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