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過去との再会

 名塚高等学校は俺の家から徒歩二十分程度の距離にある。

 その道のりは平坦で登校するのに苦労した経験はなく、走れば多少遅刻気味でも予鈴に間に合う場合が多い。もしも予鈴に間に合わなかった場合は、校門が閉ざされ遅刻履歴を残すべく職員に連行される。

 幸いにも校門は開いたままであり、そこを駆け抜ける白ちゃんに引かれた俺も必然的に敷地内に脚を踏み入れることになった。

 卒業して籍のない俺が見つかれば問題になるのではないか、という不安を他所に白ちゃんは俺の手を放して振り返った。

「予鈴まで時間ある。ばっちり」

 Vサインを俺に向け、もう片方の腕時計を見せてくる。

 確かに時間は十分ある。ゆっくり教室に向かっても間に合うくらいだ。

「それにしても白ちゃん足早いね。俺はついていくだけで精一杯だよ」

「そんなことない」

 苦笑を浮かべて褒めると白ちゃんは首を振った。

「お兄さんはなんでもできる凄い人。尊敬」

 こくり、と頷く白ちゃん。

 相当な過大評価をされているらしい。

「それこそそんなことないよ。ここまでの距離を走って息を切らしてるほどだよ」

 学生だった頃なら多少息切れしても少し休めば呼吸を整えられた。けれど今は脇腹が非常に痛い。動かしていた足だって白ちゃんに引かれて走ってこれたが、縺れそうになる足取りはいつ転んでもおかしくなかった。それでも転ばなかったのはかっこ悪いところは見せられないという意地の一言。

「やっぱり何年も運動してないから体を動かすイメージと実際の筋力が釣り合ってないんだろうな」

 だから子供の運動会に参加した父親は昔の感覚で体を動かそうとするから転ぶんだろう。

 普段から運動はした方がいいのだと痛感させられる瞬間だった。

「って、俺はまだ二十代だ!」

「お兄さん?」

「ハッ!?」

 子供のいる中年男性と同列は嫌だという心の声が思わず出てしまった。

 見上げてくる白ちゃんの眠そうな目が怪訝な色に染まっていく。

「大丈夫? 頭の調子悪いなら保健室?」

 その言い方はちょっとグサッとくる。

 自覚している部分があるだけにどう答えていいのか考えあぐねてしまう。

「お兄さんまだ十代。お酒飲めないよ?」

「いや飲みたいわけじゃないよ。実際体は二十代にはなってるしね」

 とはいっても心は成長してないだろうな。酒だって飲もうとも思わなかったし。

「やっぱり頭の調子が悪い。保健室行こう?」

「あのね白ちゃん。心配してくれるのは有難いんだけど、調子が悪いだけでいいよ。頭をつけられると可哀想な人みたいで悲しくなる」

 俺の言葉に素直に頷く白ちゃん。

「わかった。保健室は?」

「いいよ、大丈夫」

「保健室がどうしたんだ?」

 そこへ割り込んできた声は俺の背後から。

 振り返ると「よ」と片手を上げて近づいてくる男子生徒。

「おはよう、芳久」

「お前……まさか」

「おいおいなんだよ。友達に向かっておはようもなしかよ?」

 肩を竦めて見せる男子生徒。

「お、おはよう……稔」

「おう、おはようさん」

 ニッと屈託なく笑みを浮かべる級友に俺はたじろいだ。

 白滝稔。

 俺の高校生活において数少ない友人と呼べる人物。孤立しやすかった俺を気にかける数少ない稀有な存在でよく覚えている。クラス委員長を率先して引き受け、学内行事にも嫌な顔をせず参加するリーダーシップがとれる奴。文武とも平均よりやや上で、性格は堅物ではなく空気を読める柔軟な思考を持っている、クラス委員長というイメージとは違った持ち味……という印象だった。

「小椋ちゃんだっけ? おはよう」

「……おはようございます」

 白ちゃんに視線を向けた稔はさっきと同じ笑顔で朝の挨拶を行う。対して白ちゃんは俺にしたのとは違う、一拍遅れの反応だ。

 そういえば白ちゃんは人見知りで大抵はこんな感じの対応だったっけ。俺とするような会話は他であまり見た記憶がない。

「……えっと?」

「白滝稔。鍋に入れるシラタキで覚えてよ。なんなら名前で呼んでくれてもいいよ?」

「……わかりました。シラタキ先輩」

「よろしくね。あ、そういえば芳久やってきたかアレ」

 白ちゃんから視線を移してきた稔は当然のごとく聞いてくる。

 俺はただ首を捻って見せる。

 アレってなんだ?

「おいマジかよ!? くそぉ、計画が台無しだ!」

 突然叫びだした稔に隣のいる白ちゃんが肩を跳ねさせる。

「あんまり大声出すな。白ちゃんが驚いてるだろ」

「うぇ!? ご、ごめん小椋ちゃん」

 慌てて謝罪を告げると白ちゃんは小さく頷く。許すというサイン。

「で、アレってなんだ?」

「おぉい! 今日提出する数学の課題あったろ!? ウチのクラスは南田が担当だから、やってないと追加課題が山積みされるじゃん」

「なるほど、そこで俺がやった課題を写そうとしたのか」

「ご名答。さすが学年で一、二位を争う秀才」

「そこまで凄くないだろ」

 例えそうだとしてもこの推理にそこまでの能力は必要ないと思うのは俺だけだろうか。

「それにもう学生じゃないから問題ないな」

「は? 何言ってんの? 退学でもすんのお前?」

「卒業しただろ。俺達」

 無感動に卒業証書をもらった俺と違って、仲間たちと泣き合う姿を記憶にある。

 懐かしさついでに乗っかっている稔は制服姿だった。

 まさか稔まで借り出されているとは思っていなかったので、親の本気に若干恐怖すら感じてくる。ここまでされたなら更生しなくてはいけないと思い始めている自分がいる。

「ありがとな」

「なんだよ急に。芳久が感謝するなんて隕石でも降るのか?」

「茶化すなよ。俺、本気だぞ」

「?」

 ピンとくるものがないように首を傾げているが、俺はそれでもいいと思う。こいつは空気を呼んで気を配るのに長けていたが、それが自覚の上での行動かどうかはわからない。だから無自覚に俺を気にかけていたのかもしれない。だとすれば俺の感謝に理解を示さなくても別にいいだろう。

「とりあえず俺は家に帰るよ」

「は? ここまで来てか?」

「ああ。だって俺はここの学生じゃないし、一回親と話をしてみようと思う」

 人は何かの節目で物事を整理する。ならばこれもいい機会ということなのだろう。そうでなければ俺だっていつまでも過去を引き摺って引き篭もっているだけだ。それではいけないというのは俺だってわかっているんだ。

「はぁ……小椋ちゃん、こいつ大丈夫なの?」

「……朝から頭の調子が悪そうです」

「ああ、うん、あながち間違ってないと思う」

 心配する白ちゃんと呆れた顔の稔。

「とりあえずここまで来たんだから帰るにしても一回教室に行くぞ」

「だから俺は親と話を――」

「担任には俺が適当に言っといてやる」

 俺の話を遮られ、稔は続ける。

 そして俺は耳を疑った。

「けどあの娘とは顔を合わせとけって。そうじゃないとまた同じことが起きるぞ?」

「……何を言ってる?」

「前に一度病欠あっただろ? そんとき心配して家まで押しかけただろ。見舞いが騒がしくて余計に熱が上がってさ。そのあと三日休んだよな」

 笑いながら最近の出来事のように語る稔とは違い、俺は記憶を掬い上げるのに時間が少しかかった。

 そしてそれを思い出して息が詰まった。

 例えるなら塩を傷口に練り込まれたときと同じような――。

「その話はしないでくれ」

「そうか? いい思い出だろ」

「思い出したくない」

「はは、当事者はそうかもな」

 どうしてあいつのことを笑いながら話せるんだ。

 稔の中で思い出として話せるまでに整理できたということなのか。

 俺は大きな傷跡が、未だにカサブタになることもなく残っているというのに。

「ま、そういうこともあるから一回顔を見せておけって。もう教室にいるかもしれ――」

「……ふざけるなよ」

「芳久?」

 腕を掴んだ稔を振り解いて睨む。

「一回顔を見せろ? できるならいくらでも会ってやるよ。馬鹿なことも一緒になってやってやる。けどなそれは無理なんだよ。わかってるだろ? 稔は整理できたのかもしれないけどな、俺はまだできてないんだ。思い出になってないんだよ」

 それを自分ができたからといって笑顔で語られたら辛いだけなんだよ。

 あいつのことを過去だと認識しろということなのかもしれない。

 けれどそれができたら今の俺はいない。

 理解はできても納得できない――したくない。

 だから俺は今までの時間を自分の殻に閉じ篭っていたんだ。

 俺は俺の心を守るために。

「そ、そうか。そんなに嫌だったのか、ごめん」

 怒気を抑えているつもりだったのだが、口調にそれは出ていたらしい。

 気圧された稔は頭を下げた。

「いや、いいんだ」

「けどさ、その言い方だと会いたくないわけじゃないんだろ?」

「……ああ」

「んじゃ問題ないな。だってさ?」

 稔の視線が俺の後ろへと向かう。

 それを追うため振り返ろうとすると、

「えい」

 頬を何かに突かれて首の動きが止まる。

「あははっ、せいこー」

 その声を耳にして全身が固まった。

「そういえば初めての成功じゃない? ね、シタラキくん」

「前から言ってるけど、シタラキじゃなくて白滝だから……ってそういえばそうだな」

「やったね。念願のいたずら成功、いぇい」

 目の前でわいわいと騒ぐ様子をガラス越しに覗いているかのような錯覚に陥る。まるで別の世界から見ているかのような、触れることのできない遠い世界のような。

 俺がいるのは現実で、見ているもの全てが妄想の産物だと言われても納得できる。

 けれどその妄想との境界線をどうしても壊したかった。

「……木ノ下?」

 だから俺は呼んだ。

 呼ぶことで妄想が砕けてなくなってしまうことに恐怖を覚えながら。

「ん?」

 彼女は振り返る。

 現実と妄想の境界線は音もなく崩れた。

「あ……」

 妄想は幻のごとく霧散することなく、彼女は俺をその瞳に捉えた。

 その瞬間、熱い何かが頬を流れ、視界がぼやける。

 それを見ていた三人が驚きに目を見開いた。

「ど、どうしたんだ芳久!」

「お兄さん、保健室に行こう?」

「え? え? ほんとにどうしたの駒井くん!?」

 慌てる三人に大丈夫だと湿った声でなんとか伝える。

「どっか痛いの? ダメそうなら白ちゃんが言うように保健室行こ?」

 ああ、痛くて苦しいよ。

 それと同時に安堵もしてるんだ。

 だから心から願うよ。

 もしも全てが夢幻ならば――どうか目覚めないでください、と。

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